落花流水 12


 空を見上げながら、ザックスの瞳の色に似ているなと思った。
 問題なく最終確認を終えて、ヘリは定刻通りに第一へリポートを飛び立った。幾つかの確認事項をチェックして、薄く大して美味しくないコーヒーに口を付けた。
 『さて、起きられたかどうか……』
 ザックスを案じた。念の為、鎮痛剤を飲ませたものの、今日は一日中ベッドの中で過ごすに違いないだろうと思う。正直、自分も飲んだのだ。背中の傷にはかなり抉られたものがあって、さすがに痛みを感じる。目立つ部分は別として、回復マテリアを使う気は更々ないので、任務に支障が出ない限り、甘い痛みと共に過ごそうと思っていた。
 「よっ」
 同期の1stに背中を叩かれる。背中の痛みに思わず顔を顰めてしまった。
 「おっ、背中痛いのか? もしや、爪でも立てられたのか?」
 ククッと笑いながら話す同期の同僚に、アンジールはクスリと笑い返す。
 「さぁな」
 この手の話はさらりとかわすに限る。カップにコーヒーを注いで手渡した。
 「そういえば、お前、あれ……書いたか?」
 「あれ、とは?」
 「遺書」
 その言葉を聞いて、アンジールの瞳が僅かに細められた。
 ランクが一定以上の任務や遠征の場合、遺書を書く事が選択可能となっていた。今回のようなランク最上級の極秘任務の場合は、当然の事だった。
 メッセージを録音したり、動画を録画したり、所謂データとして「自分の言葉」を残す方法もある。しかし、何故か一番多く選ばれる手段は、自らが文字を書いて手紙や文書を残す「遺書」という方法だった。至極アナログな手法だけれども、どれだけ技術が進歩しても決して失われる事はないのであろう。「肉筆を遺す」という事は。
 遺書を書く事を希望する者は、事前に申請して用意された専用の便箋を使用する。書き終えたら、1stの場合はソルジャー司令室へ持参する。そこで遺書専用の封筒に入れ、シーリングワックスの上からシーリングスタンプを施す。更に専用の封筒に入れられて、宛名の登録をして保管される。方法は至ってシンプルだ。
 遺書を書いた本人の死亡が確認された場合、保管されている遺書は速やかに宛名先へ届けられる。逆に本人が無事帰還した場合は、預けた遺書を引き続き保管するか否かを選択する。引き続き保管の場合はその旨が記録され、破棄または返却の場合は所定の手続きを取る事になっている。
 アンジールは冷えたコーヒーを喉に流し込んだ。
 「あぁ、書いた」
 今回の遠征を前に、アンジールは遺書を書いた。宛名はザックスだった。当然だ。実は直前まで書こうか悩んだ。個人的に書いて保管しておいても良いのだが、その場合、ザックスが見つけて読んでしまう可能性がなきにしも非ずだった。「ここに保管しておくから、もしもの時は読んでくれ」なんて事を言ったら、手が付けられない程に暴れ出すに決まっている。そうすると、漏れる事なく厳重に保管され、もしもの時は間違いなく確実に届けてくれるこのシステムを利用してしまう事が最良だった。
 一応預けたものの、それをザックスが読む事はまずないと強く思っているので、杞憂に過ぎないのだが。
 「俺もさすがに今回は書いた。結構、悲惨らしいからな、現地」
 同僚が腕を組みながら、息をつく。
 「そうだな。気を引き締めて当たろう。取り敢えず、現地に着くまでは休んでくれ」
 「了解」
 ポンと肩を叩き合う。背中に微かな痛みを感じた事に、アンジールは心の中で苦笑した。


 * * *


 その日はほぼ一日、ベッドの上で過ごした。サイドテーブルの上に水と共に鎮痛剤が置かれているので、アンジールが飲ませてくれたに違いない。予想以上に痛みを感じなかった分、鎮痛剤の効果が切れ始めてきたら鈍痛がザックスを襲った。時計を確認したら、時刻は昼食時だったが、今は食欲よりも睡眠を欲していた。鎮痛剤を飲んで、またベッドに潜り込む。彼の匂いがして、嬉しかった。ザックスは、瞬く間に眠りの底へと落ちていった。
 西日もその眩しさを地平線の向こうに沈めた頃。ザックスは目を覚ます。ゆっくりと体を起こした。リボンがシュルリと音を立てる。湯を沸かしてコーヒーでも飲もうかと、シャツを羽織ろうとした。改めて見ると、体のあちらこちらに朱の跡が残されていて、ひとり赤面した。思わず、洗面所の大きな鏡の前まで移動する。ゆっくりと鏡に映る自分の体を見た。
 制服を考慮してさすがに腕には付けられていないが、胸元と腹部、内腿は華やかだった。恐らく背中も同様に違いないと思い、後ろ立ちで振り向くようにすると、予想通りだった。首の付け根に、一際朱い鬱血の跡がある。きつく吸われて、痛みさえ感じた事を思い出した。これは暫くは消えないなと思った。
 左耳に触れる。碧い石がはめられていた左耳には、今はただピアスホールがあるだけ。何も着けていないのは、一体いつ以来だろう。代わりに何か入れておこうかと一瞬思ったが、そのままにしておく事にした。あのピアスをアンジールに返して貰って、彼の手ではめてもらうのだ。自分の瞳と同じ色の石をはめた彼を見て、何だかとても嬉しかった。そう、いつでも自分は彼と共にあるのだ。
 キッチンへ行くと、鍋が置かれている。
 「何?」
 ザックスがフタを上げると、シンプルな野菜スープが入っていた。ゴロゴロと大振りの野菜が沢山だ。出発する前に、さっと作ってくれたに違いない。ザックスはガスを付けながら微笑んだ。椅子を引き寄せて座ると、青白いガスの炎を見つめた。青いのに熱い、不思議な炎だと思う。時折、スープを掻き混ぜる。くつくつと音を立てて、美味しそうな匂いが漂い始めると、ザックスは皿にスープを盛った。零さないように、リボンを踏まないように、気を付けながらリビングのローテーブルまで運ぶ。
 「いただきます」
 久し振りに食事を取る気がする。温かいスープは、ザックスの体を内側から優しく温める。
 「これ、大きすぎだろ」
 殆ど半分にしか切られていないジャガイモに、ザックスは思わず笑った。鍋の中にはまだ沢山残っているから、暫く食べられそうだった。
 「帰ってきた時は、何を作ろうかな……」
 手首に巻かれたリボンを見ながら、ザックスは呟いた。


 * * *


 ヘリポートを離陸したヘリは、順調に遠征先へ向けて進んだ。ヘリの中では装備の確認や様々な連絡が通常の遠征同様に行われつつも、やはり全体として緊張感が漂っていた。
 しかし、適度な緊張感は必要だが、リラックスする事も大事だとして、アンジールは各々に余り神経質にならないようにと通達した。部隊を構成する全員が1stであるので、その辺りは心配する事もないだろうとは思う。だが、アンジールの性格からすると、そうも言ってられないのだった。その辺りは他のメンバーも既に心得ていた。
 『面倒見のいいアンジール』と彼が呼ばれている事を、誰もが知っているのだから。
 やがて外を見ると、眼下には一面の青が広がる。穏やかに波打つ海面に日の光が反射して、キラキラと万華鏡のように輝いていた。時折、魚の群れが海面を波立たせ、海鳥がその周辺を飛び回ったりしている。
 小さな島々が点在している中、緑に覆われた大きな島がアンジールたちの目の前にゆっくりと姿を現した。当然の事ながら、ミッドガルのようにそびえ立つビル群などはひとつもない。人工的な家屋さえも、今は見つける事が出来ない。この島は、太古のままの姿と言っても過言ではないかもしれないと、アンジールは思った。
 徐々に近づいてくる海に面した崖が、まるで来る者を拒んでいるかのようだった。
 「ここか……」
 誰かがポツリと呟く。皆、窓の外を暫し見つめた。
 「島の反対側、着陸予定地へ向かいます」
 操縦室からのアナウンスが流れると、ヘリはその機体を大きく旋廻させた。




 20120303