* * *
七十二時間なんて、あっという間だ。
ザックスは無理を承知で、オフの申請を出した。予想外にすんなりと申請が通って、オフが許可された。正直諦め半分だったので、何だか拍子抜けしてしまったくらいだ。
何故なら、オフを希望した日までもう一週間もなく、それはアンジールの遠征出発日だから。
極秘任務の遠征が急遽決まり、アンジールは連日慌ただしくビル内を移動していた。ラザードからの呼び出しと打ち合わせ、部隊に選抜された1st達との会議、機材・物資類の確認等、目が回る程の忙しさだ。当然、2ndや3rdの演習には参加出来ず、詳細を知らない彼等は急な担当教官変更の知らせに、肩を落とす者も少なくなかった。
ザックスとも、行動が別々になっていた。昼食時、混雑する食堂でランチを済ませたザックスが、テーブルから立ち上がり掛けた時、メール着信を知らせる音が携帯から響いた。
(帰りは遅くなる。場合によっては先に休んでてくれ)
アンジールからのメールの文面を確認して、ザックスは静かに携帯を閉じる。トレーを返却して廊下を歩いていると、後ろから馴染みのある声が聞こえた。
「ザックス!! これからトレーニングか?」
カンセルが手を振りながら駆け寄ってくる。
「おうよ! でも、昼飯食ったばかりだから、ちょっと休憩してからな」
「んじゃ、ちょっとそこらで茶でもしない?」
カンセルが笑いながら「缶コーヒーだけどな」と付け足す。ザックスもつられて笑いながら、ふたりは廊下を歩いた。途中の自販機で缶コーヒーを買い、中庭のベンチに腰を下ろす。演習場は閑散としていた。今日のこの時間は、何も演習が入っていないのだろうかと考える。
「最近、アンジールさん忙しそうだな」
急に話を振られて、ザックスはちょっとだけビックリした。
「あぁ。ビル内、あちこち走り回ってるみたい。トレーニングに付き合って欲しいんだけどさー」
極秘任務の事を話す訳にはいかないので、ザックスは親友に悪いと思いながらも、何も知らないフリをした。でも、トレーニングに付き合って貰いたいのは本当だ。あれから自分なりに、新たな攻撃方法を考えたりしているのだ。
可も不可もない味の缶コーヒーを飲みながら、たわいのない話は進む。ヴァーチャル・システムのプログラムが先日更新されたとか、3rdの中に結構凄い奴がいるとか、はたまた今公開されているあの映画は、かなり面白いらしいとか。情報通のカンセルから聞く話は、その内容がバラエティに富んでて面白い。
「でもさ、俺の今日の演習、教官がアンジールさんだったんだけど、急に変更になったんだよな。最近多いみたい」
「そうなの?」
ザックスは内心ドキッとした。
「あぁ。ほら、お前の教育係、アンジールさんだろ? 何か知ってるかなと思ったんだけど……その様子じゃ、何も知らなさそうだな」
カンセルが、がっかりした様子で缶コーヒーの中身を飲み干した。狙いを定めて投げた空き缶は、カランと音を立ててダストボックスに入る。
「それって、なーんか失礼だな……ま、良いけどね」
ザックスも空き缶を投げる。よっしゃっ!! ナイスコントロール、俺。
「さてと、俺そろそろ行くわ」
ザックスは立ち上がって、大きく伸びをした。背中の剣が、カシャンと音を立てる。比較的綺麗なそれは、先日刃を欠けさせてしまったので、新しく支給されたばかりのものだった。それに、カンセルが気付いた。
「ザックス、お前また新しくしたの?」
「だって刃が欠けたし。それに、『また』とは何だよ、『また』とは」
ザックスが腕組みしながら、目の前のカンセルに文句を言う。
「いやいや、悪い。それだけ、トレーニングしてるって事だよな。俺も頑張るわ」
「うっし!!」
お互い笑いながら、顔の高さで拳を合わせた。カンセルを見送りながら、ザックスはトレーニングルームへ向かった。
* * *
ガチャリとドアの開く音に、ザックスは目を覚ました。うっかり眠ってしまった体をソファから起こそうとしたところで、リビングにアンジールが入ってきた。
「起きていたのか? ただいま」
「お帰り。お疲れ様」
ちゅっとキスを交わす。
「夕食は?」
まだ少し眠たい目を擦りながら、寝室で着替えをしているアンジールに声を掛ける。
「食べ損ねてしまった」
「今から食べる? カレーだけど」
「お前が作ったのか?」
ラフな格好に着替えたアンジールが、僅かに驚いたような声を上げた。
「そんなに驚くなよ。カレーだから簡単だし。それに、余ったら明日食べても良いかな、って」
キッチンで、ザックスが鍋のフタを開ける。アンジールは中を覗き込んだ。美味しそうなカレーが沢山入っている。
「美味そうだな。早速いただくよ」
さり気なくザックスの頭を撫でた。ザックスは嬉しそうな顔で、冷えたカレーを温め直す。カレーなら、こうして温め直せば美味しく食べられるし、作り置きしても良いし、何しろ余程の事がない限り失敗しないメニューだ。カレーを作ったのは、アンジールが忙しい分、自分なりに出来る事はしようと思ったザックスなりの考えだったのだ。
「では、いただきます」
ローテーブルに座って、アンジールが遅めの、むしろ遅すぎる程の夕食を食べ始めた。もう一時間もしないうちに、日付が変わろうとしていた。
「どう?」
「美味いぞ。野菜がゴロゴロと大振りだな」
アンジールの言葉に、ザックスはローテーブルに頬をぺたりと付けて、「大きな野菜、好きだろ?」と嬉しそうに笑った。アンジールが少し大きめの野菜が入っているカレーやシチューが好きな事は、もうかなり前に覚えた。
「ザックス、お前先に寝てて良いぞ。明日、早いだろ?」
「うん。でも、まだ平気……」
でも、さっきまでソファで、うとうと寝ていたし正直少し眠かった。ソファで寝てしまったのは、アンジールの帰りを待っていたからだ。
ザックスがアンジールの手から、スプーンを取る。
「ザックス」
「俺が……」
カレーを掬って、アンジールの口元に運ぶ。
「美味い?」
「あぁ、とても」
ザックスがスプーンで掬ったカレーは、アンジールの口に入る。乱切りされた人参は、芯まで柔らかく煮込まれている。スプーンの往復を静かに何度も繰り返し、いつしか皿は綺麗に空になった。
「ご馳走様。美味かった。有り難うな」
「良かった。俺、皿洗うから良いよ。風呂、入ってきなよ」
「あぁ、そうするな」
アンジールはザックスの額に、優しいキスを落とした。
食器を洗って水切りカゴに伏せて、ザックスはキッチンの電気を消した。ベッドに入り、ブランケットにくるまる。隣に手を伸ばして、シーツのさらりとした感触を楽しむ。思わず出た小さなあくびを噛み殺したら、丁度寝室に入ってきたアンジールに見られてしまった。クスリと笑われて、何だか無性に恥ずかしくなった。
「寝てて良かったのに」
シャンプーの香りを漂わせながら、アンジールがベッドに入る。照明を落としても、うすぼんやりと明るい。ザックスの肩にアンジールの腕が回される。
「待っててくれたんだな、有り難う」
「ん」
ザックスは、何だか急に泣きたくなった。どうしてか分からないけれど、無性に泣きたくなった。無意識に、額をアンジールの胸に押し付ける。すると、無言でそっと頭を撫でられた。何度も何度も。
「……手、繋ぎたい」
ポツリと呟いた言葉に、すぐに温かい大きな手が自分の手を握った。きゅっと握り返した。
「アンジール」
「何だ?」
「こうしてて……朝まで、ずっと」
「あぁ、ずっとこうしてる。大丈夫だ」
その言葉に、ザックスの泣きたい気持ちがすうっと消えた。温かさと愛しさに全身を包まれながら、いつしかザックスは眠りに落ちていった。
20101128