お互いに着替えをすませて、夕食の準備に取り掛かる。
「ザックス、飲むか?」
冷蔵庫から缶ビールを取り出しながら、アンジールはソーセージを切っているザックスに尋ねた。
「あーっ、飲む飲む飲む!!」
一旦手を止めて、冷えた缶を受け取る。小気味良い音を立ててプルトップを開けると、お互いに缶を掲げて乾杯。一緒に食事を作る時は、飲みながら作るのがいつの間にか習慣になっていた。
「玉葱とピーマンも頼んで良いか? 俺はソースを……」
「ケチャップで良いよ」
「そうか?」
「うん、俺、ケチャップが好きだもん」
ピーマンの軸と種を取り除きながら、ザックスは「絶対ケチャップ」と呟いている。そう言えば、ザックスはケチャップを始め、トマト味のものが好きらしい。目玉焼きにもケチャップを掛けていたな。
『まるで子供だな』
アンジールが思わずクスリと笑うと、ザックスはそんな彼を横目で見て、口を尖らせつつも何も言わなかった。自分でも、子供っぽい味覚だと思う。ケチャップが好きだなんて。でも、好きなものは好きなんだ。
フライパンを出し、卵を用意して、盛り付ける皿を出して。後はザックスが玉葱を切り終え次第、炒めに掛かる。
「やっべ……」
「どうした?」
アンジールがザックスの手元を覗き込むと、予想外に綺麗にみじん切りになった玉葱があった。
当初に比べると、随分包丁の使い方が上手くなった。アンジールは料理をする事自体が好きだったが、ザックスは自炊は苦手だった。こうして一緒に寝食を共にするようになって暫く経つが、初めの頃は危なっかしくて見ていてヒヤヒヤした。でも、元来器用らしく、覚えると飲み込みが早い事もあって、今はこうして安心して任せられる。
では、一体どうした事か。
「うっかり、してた……」
ずずっと鼻を啜りながら、ザックスが痛そうに目をぎゅっと瞑る。どうやら、無防備のままに玉葱をみじん切りにしたらしい。玉葱の成分が目や鼻に入らないようにしなければ、粘膜が刺激を受けて涙が出てしまう。いつもなら換気扇を回したり、玉葱を水に浸けながら切るのだが、今日はうっかり忘れたようだ。
アンジールはすぐに換気扇のスイッチを入れて、ザックスの手から包丁を退かすと、自分の反対側へ彼を移動させた。
「これはうっかり、だな」
「痛ぇ……」
そろりと瞼を上げて、でもまだ痛いのか再びぎゅっと瞑る。すると目尻に涙が溢れて、それは自らの重みに耐え切れず、今にも零れ落ちようとしている。その涙を、アンジールがそっと舌先で舐め取った。それはふたりにとって、とても自然な動作だった。
ザックスの目元に口元を寄せたまま、アンジールは目縁を静かに舐める。
「ありがと……。なぁ、アンジール」
「何だ?」
ザックスが、アンジールのシャツを小さく掴んだ。
「普通は、こういう風にしない、よな……」
「普通は、な。……嫌だったか?」
アンジールの言葉に、ザックスは首を横に振った。
違う。嫌じゃない。嫌なんかじゃない。もう、こういう風にするのが、自分の中では当たり前の事だから。ふたりの中では、当たり前の普通の事だから。
「うぅん……嬉しい」
両の目縁に浮かぶ涙を拭って、「もう大丈夫か」と頬を撫でる。ザックスは潤みの残る瞳で頷くと、夕食の準備は再開した。
フライパンで油を熱して、ソーセージと玉葱を炒める。焦がさないように注意しながら炒め、玉葱がしんなりしてきたらピーマンを加える。棚の中にあった、マッシュルームの水煮の缶詰も加えた。
「なぁ、そろそろ調味料入れる?」
「そうだな、もう良いだろう」
待ってましたとばかりに、ザックスがケチャップを手渡した。
「多めに入れて」
「分かった」
多めのケチャップと、ソース、そして塩コショウで味を調える。適当なところで、ふたり分のライスを加えて炒める。キッチンには美味しそうな良い香りが漂う。ザックスが「早く食べたい」と言いながら、皿を持ってきた。
「一緒で良いのか?」
「うん、勿論」
嬉しそうに楽しそうに頷くザックスに、アンジールは彼を抱き締めたくなった。大皿に炒めたライスを盛る。ザックスがスプーンで、その形をアーモンド型に整えた。アンジールはそのままフライパンに、バターを落とす。バターが溶ける間に手早く溶き卵を作ると、フライパンに一気に注いだ。キッチンが一気に賑やかになる。卵の黄色がとても目に鮮やかで綺麗だ。
「半熟が良いんだよな?」
「うん」
頃合いを見計らって、アンジールがフライパンを火から下ろす。卵がとろとろの半熟状態で、フライパンの中で揺れている。先程のライスの上に乗せて、出来上がりだ。
「良し、出来た。持って行ってくれ」
「美味そう!!」
ザックスはいそいそと出来たてのオムライスを、リビングのローテーブルに運んだ。アンジールはスプーンと冷えた水、そしてグラスを運ぶ。飲みかけのビールも忘れずに。
「そう言えば今日は、サラダもスープも作らなかったな」
「良いよ、たまにはシンプルにさ」
「そうだな」
アンジールはザックスの隣に腰を下ろした。
「あっ、ケチャップ忘れたっ」
ザックスが慌てて立ち上がると、冷蔵庫からケチャップを持ってくる。今日はソースを掛ける代わりに、ケチャップなのだ。キャップを開け、オムライスの上にいざ掛けようとして、ザックスは手を止めた。そろりとアンジールを見遣る。アンジールは、小さく息を付いて言った。
「好きなだけ掛けろ」
「サンキュ」
ふたり分の大きなオムライスに、端からケチャップで波のようなラインが描かれる。半分程でそれはハートになって、再び波を描いて終了。ケチャップのキャップを閉めながら、ザックスが満足そうに笑った。
「可愛い事をしたな、全く」
アンジールはザックスの頭を撫でた。
では、改めて。
「いただきます」
ひとつの大皿に形良く盛られたオムライスを、それぞれのスプーンで崩しながら食べる。食事の形態にも拠るが、いつからかふたり分を纏めてひとつに盛るようになった。
「アンジール」
ザックスが、オムライスを掬ったスプーンを差し出す。さも当たり前に、アンジールがそっと口を開ける。こうして時折、自分のスプーンを相手に差し出しながら食事をした。
「やっぱり半熟が美味しいな」
「だよな、だよなっ!! ケチャップも最高っ」
「ほら、ケチャップ多めだ」
「ん……」
差し出されたスプーンの前で、ザックスが口を開く。とろりとした黄色い卵に赤いケチャップが重なって原色鮮やかなそれは、ゆっくりとザックスの口に入る。アンジールは思わず目を細めて見つめた。
「楽しく会話をしながらの食事」に、いつしか自然に加わった「お互いに食べさせ合う」という行為。恥ずかしさなんて最初の僅かだけで、それを遙かに上回る何とも言えない感情が生まれる事に、お互いが気付いた。それはまるで、お互いの体に触れ合って暴き合っている、ベッドでの行為にも似て。
ザックスの口端に付いたケチャップを、アンジールは指先で拭って舐める。
「まるで子供だな」
「子供じゃない」
「あぁ……知ってる」
カラン、とスプーンが乾いた音を立てた。アンジールが、ザックスの耳元で囁く。
「そんなに色っぽく、食べるな……食べたくなる」
「お前を」と付け足されて、ザックスが小さく息を吸った。
「後で、食べてよ……」
返事の代わりに、深く口づけられる。視界の片隅で、黄色と赤が混ざり合う。まるで、後の自分達みたいだと、ザックスはぼんやりと思った。
20101031