玄関のドアを開ける音が聞こえた気がする。
『帰ってきたかな?』
シャワーの水量を弱めて、ザックスは耳を澄ませた。ゴトリと剣を立て掛ける音の後に、廊下を歩く足音が聞こえる。間違いない、アンジールが帰ってきた。ザックスは水量を元に戻して、全身の泡を素早く洗い流すと、バスルームを後にした。
「おかえり。お疲れ様」
大雑把に水気を拭いて、バスタオルを巻いたザックスがリビングを覗いた。
「あぁ、ただいま……って、お前、きちんと拭いてから来い」
「あー……っとぉ」
髪の毛から水滴がポタリポタリと、床に止め処なく散らばる。このまま部屋の中を歩き回られたら、ザックスの後を拭いて歩かなければならない。「へへっ、ごめん」と言いながら、ザックスは脱衣所へ逆戻り。棚から適当なタオルを引っ張り出して頭に掛けると、ガシガシと髪の毛を拭き始めた。
「だから、擦るように拭くなと毎回言ってるだろう」
不意に背後からアンジールの声がして、手を退かされる。代わりに彼の手が、自分の頭を柔らかく包むようにして、髪の毛を拭き始めた。
ザックスは髪の毛を拭かれる心地良さに、そっと瞼を閉じた。アンジールに髪の毛を拭かれるのが、好きだった。だからといって、ワザと擦るように拭いている訳ではない。自分では面倒なそれも、アンジールがしてくれるのは大好きだ。
「うん……ごめん」
「ごめん、じゃなくて」
「うん……ありがと」
その言葉に、アンジールが微笑む。ゆっくりと優しく、髪の毛の水気を拭き取る。ほんの少し俯き加減の頭は、項と耳の後ろを綺麗に晒して、それが風呂上がりでほんのり上気していてとても艶っぽい。
「…………」
手にしていたタオルを床に落とす。まるで吸い寄せられるように、目の前の滑らかな白い項に、アンジールは自分の唇をそっと押し当てた。途端に、ザックスの体がビクリと跳ねる。温かく水気を含んだような、しっとりとした肌の感触を味わう。唇はゆっくりと、滑らかな肩のラインをたどる。静かに離して、そのまま耳の後ろへ。ザックスが、おもむろに首を傾けた。彼が首筋へのキスが好きなのは、当然知ってる。自ら「口づけて」と意思表示するザックスに、アンジールはクスリと小さく笑った。石のはめ込まれていない耳朶を唇で挟むと、ようやく彼の口から吐息めいたものが零れた。それはまるで、蕩けそうに甘く熱い吐息。
「ん……アン、ジール……」
名前を呼ばれて気を良くしたアンジールが、ザックスの耳朶に甘く歯を立てた。
「あっ」
ザックスの頭が、天を仰ぐようにして反らされる。喉のラインが綺麗に現れて、アンジールは指先を、つつと這わせた。そっと撫で上げると、くすぐったくも気持ち良さそうに頭を動かす。それはまるで、猫のよう。
「ザックス……」
甘く名前を呼びながら、アンジールがザックスの腰に腕を回す。肩口に顎を乗せて頬を擦り寄せると、ザックスが静かに首を反らす。色付いた頬に手を添えて、その艶めかしい顔をこちらに向かせて口づけようとした時。
グルルルルー……
何とも言えない低音が響く。
「あー……、えーっと……」
ザックスがしどろもどろになりながら、別の意味で頬を赤くした。アンジールは良い雰囲気が途切れてしまった事に、心持ち項垂れる。しかし笑いながら、腰に回した腕でそのままザックスの腹部を撫でた。
「腹減ったよな? 胃袋は正直だ」
「ごめん、うん……腹減った」
体ごと振り返って、アンジールを見上げる。実は、自分でも結構良い雰囲気だな、と思っていた。風呂上がりでさっぱりして気持ち良かったし、アンジールのキスは好きだから。でも、空腹なのも事実だった。ザックスはアンジールの頬に、ちゅっと音を立ててキスをした。そして、眩しいまでの笑顔。
「オムライス、楽しみ」
アンジールも、お返しのように頬にキス。
「お前も手伝えよ」
「りょーかい!!」
取り敢えず、まずは着替えをすますべく、アンジールは寝室へと向かった。
20101002