落花流水 01


 夏の暑さは、世界の境目を不安定で曖昧なものにする。

 * * *

 金属がぶつかり合う音が響く。時折、宙に火花が小さく散る。無機質な床には、所々に汗が落ちていた。
 「はぁ…はぁ……」
 ザックスが肩で息をする。額から伝い落ちた汗が目に入りそうで、素早くグッと腕で拭う。前髪や顎からもポタリポタリと滴が落ちる。
 「息が上がってるぞ。どうしたっ」
 自分が繰り出す攻撃を鮮やかに、いとも簡単に大剣でかわしながらアンジールが叫んだ。先程から何度も打ち込んでいるのに、呼吸を少しも乱さず涼しげな表情。ザックスは唇を噛んだ。
 「クッ」
 浴びせられる叱咤に、剣の柄を握る掌に力を込める。目の前の相手をグッと見据える。唇を噛んでも、下を向いたら負けだ。前を向け。その先を見ろ。
 『良い表情だな』
 アンジールは負けん気の強さを全面に出したザックスの表情に、心の中で合格点を出した。
 「来いッ」
 その瞬間、ザックスの体が弾かれたように、低い姿勢から伸びやかに前へ。アンジールの真正面から、その懐に飛び込むように突進する。瞬発力と素早さなら、2ndでは誰にも負けない自信がある。それは目の前の彼も認めるところだ。
 筋肉の無駄のない綺麗な動き。弾け飛ぶ汗と、流れる髪の毛。力強く前を見据える、鮮やかな碧い瞳。体中の細胞が全身の動きに歓喜して、楽しくて仕方がないと叫ぶ。
 「ハアァァッ!!」
 ザックスの叫びと共に、一際大きな金属音が鳴り響いた。
 『えっ……』
 それはまるでスローモーションのように、ザックスの脳裏に焼き付く。
 アンジールが素早く体を移動させて、その手に握るバスターソードで、ザックスの剣をなぎ払う。手から離れたそれは、回転して大きく弧を描きながら宙を舞った。勢いの付いた体は両足を以てしても止められず、ザックスは前のめりになりながら床に倒れ込んだ。ほぼ同時に、カシャンと剣が床に落ちる音がした。
 「ッ……痛ぇ……。クソッ」
 ザックスは床に伏せたまま呻いた。思わず、拳を床に叩き付ける。しかし、勢い付けて起き上がると、すぐさま後ろを振り返った。そこには、やれやれと言った表情でバスターソードを肩に担いだアンジールが立っていた。
 「今のも読まれて当然だな」
 「なっ……」
 何かを叫ぼうとしたザックスだったが、アンジールの言葉に思い当たる部分もあって、口を噤む。確かに、正面からの攻撃は相手に読まれやすい。今までも何度も同じような経験をした。しかし、自分の持ち味の瞬発力と素早さで、相手に読まれる前に攻撃を当てる事が出来ないか、はたまた自分以外には出来ない正面からの攻撃がある筈だと、ザックスなりに考えているのだ。
 だが、今回も失敗。むしろ、今日も失敗だ。トレーニングルームに入ってから、ずっと同じ事の繰り返し。さすがのアンジールも、「いい加減にしろ」と頭に来ているかもしれない。何も言わずに、何度も挑戦する自分に付き合ってくれているが、その何も言わないところが逆に怖い。
 ザックスは派手に宙を舞った剣を拾い上げた。刀身の中心部分が、大きく欠けている。またダメにしてしまった。
 『また支給申請出さねーとな……』
 小さく溜息を付いて、ザックスは欠けてしまった剣をまじまじと眺めた。
 「ザックス、またダメにしたのか?」
 アンジールが背中に剣を納めながら、呼び掛ける。ザックスの剣を手に取って眺めると、「これはダメだな」と呟いた。
 「ん……あぁ。それより、トレーニング付き合ってくれてサンキュ。忙しいのに長い時間……ごめんな」
 ザックスはアンジールを見上げた。さすがにあまり進歩の見られなかったトレーニング結果に、堪えているのだろうか。少しだけ、申し訳なさそうな顔をしている。笑顔をしても、それは無理矢理だって良く分かる。全く、しょうがないな。
 アンジールはおもむろに、ザックスの額に触れた。
 「なっ……何だよ、急に」
 「さっき、床で打ったな。赤くなってる……、大丈夫か?」
 「え……」
 アンジールがグローブを外して、ザックスの額を癒すように撫でる。碧い瞳が宙を彷徨うように動いて、やがて俯き気味になると、その瞼がゆっくりと閉じられた。額を静かに撫でる手は、そのまま上方へ移って頭を大きく撫でる。
 「お前にしか出来ない、正面からの攻撃がある筈だ」
 「アンジール……」
 ザックスが、同じ攻撃ばかり繰り出しているのではない。その事に、アンジールはとっくに気付いていた。ほんの僅かだが前に飛び出すタイミングを変えたり、剣を持つ腕の角度を変えたり、彼なりに試行錯誤しているのは良く分かる。正面からの攻撃はかなりの危険が伴う分、決まれば威力が高い。ハイリスク・ハイリターンだ。ザックスの身体能力を分かっているからこそ、アンジールも敢えてトレーニングを止めはせず、成功出来る攻撃を求めて自分も模索していた。ふたりで共に、攻撃の成功へ繋がるきっかけを掴めれば。
 労うように頭を撫でて、ザックスの肩をぽんと叩いた。
 「筋は悪くない。ただ、やはりもう少し何か足りないな……」
 「あぁ、そうなんだ。自分でも掴みかけてるようで、……まだ掴めない」
 無意識にザックスは、肩に置かれたアンジールの手に首を傾けて頬を擦り寄せた。
 「おい」
 「えっ……あっ、えっと……、ごめんっ」
 勤務中なのに、ついうっかりとプライベートな癖が出てしまった。アンジールに指摘されて、ザックスはあたふたしながら体を後ろに退けた。すると、ガシッと肩に腕を回されて引き寄せられる。そして、頭をガシガシと撫でられた。端から見れば、楽しいふざけ合いにしか見えないだろう。しかし、ザックスの耳元にアンジールの唇が寄せられて。
 「…………」
 「なッ!! 何言って……ッ」
 囁かれた言葉に、ザックスが顔を赤くして叫ぶ。その姿を見て、アンジールはするりとザックスの体から離れると、笑いながらトレーニングルームの出口に向かった。
 その時、アンジールの携帯が電子音を発した。
 「はい」
 暫し無言で相手の話を聞き、やがてアンジールが僅かに怪訝そうな表情をした。短い会話のやり取りが終わり、携帯がぱたんと閉じられる。
 「急用?」
 「あぁ、ラザードから呼び出した。時間も時間だし、今日は上がっていいぞ」
 「うん。えっと、」
 「夕食までには戻れると思う。今夜はオムライスだ」
 確かに「夕食は?」と聞こうとしたけれど、何だか子供扱いされたみたいでザックスは頬を膨らました。そういう態度を取る事自体が子供っぽいのだろうけれど、ザックスはそれに気付かない。アンジールには何でも読まれっぱなしだ。
 ひらひらと手を振りながらトレーニングルームを出る彼の背中を、ザックスは欠けた剣を手に見送った。  




 20100919