pure 10


 何て世界はこんなに眩しくて、綺麗なんだろう。
 君が隣にいるだけで。


 パサリと音を立てて、着ていたものが床に落ちる。明るい中で一糸纏わぬ姿を晒すのが妙に恥ずかしくて、ザックスはブランケットを被った。今はアンジールの体さえもまともに見られなくて、ただただ恥ずかしくて緊張するばかり。
 「ザックス」
 自分を呼ぶ声にブランケットの中から顔を出すと、優しいキスをされた。唇を啄むようなキス。柔らかい感触が心地良く、時折聞こえるちゅっという音に体温が上がる。そうしている間にもアンジールの手によってするりとブランケットは退かされて、触れ合う素肌から彼の体温を感じた。
 口づけは深みを増して、濡れた音を発する。絡ませ合うざらりとした舌の感触を、今は酷くリアルに感じた。ザックスはその感触と気持ち良さに酔い痴れる。やがて唇は首筋に下りて、皮膚をそっと吸われた。耳の近くをそうされたら、ザックスは切なげな吐息を漏らした。
 ザックスの体のラインを、アンジールの掌がなぞり始める。脇腹から腰に触れて、そっと腿の付け根を撫で上げられると、背筋をゾクリとしたものが這い上がった。不快ではないそれに、ザックスは息を飲む。
 そして、アンジールの掌がザックスの熱に触れようとした時。
 「ア、アンジール……ッ」
 「何だ?」
 アンジールは手を止めて、肩口から顔を上げた。
 「……は、恥ずかし……い」
 ザックスが両の掌で顔を覆う。
 「大丈夫だ、俺しかいない」
 アンジールが掌をそっと退かすと、ザックスはその瞳を潤ませて、頬を薄紅色に染めていた。何て初々しく、そして艶めかしい。アンジールはザックスの両頬を包み込むようにして、鼻先が触れ合いそうな距離で囁いた。
 「恥ずかしがる事はないさ」
 「で、でも……」
 そうは言われても、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。ザックスが困ったような表情になると、アンジールはその耳元でこう囁いた。
 「ふたりでする恥ずかしい事は、気持ちいい事だ」
 そのまま耳朶を甘噛みされて、ザックスは微かに喘いだ。


 『ザックス……』
 アンジールは指先で、掌で、ザックスの肌を丁寧に愛撫した。ずっと、染め上げてみたかった。この手でその滑らかな肌を、艶めかしい薄紅色に。ずっと、欲しかった。彼の全てを。彼をこの腕で守りたいと思う気持ちと、激しく奪うように抱いてしまいたいという気持ちが、ずっと自分の中でせめぎ合っていた。それでもアンジールは、自分でも情けなくなってしまう程、じっと時が来るのを待ったのだった。
 自分の下で横たわるザックスは、普段の彼からは想像も出来ない程、色香を帯びていた。それなのに妙な淫猥さは微塵も感じさせず、清らかな水のように澄んで、その潤んだ碧い瞳でそっと見上げてくる。
 「……っ」
 アンジールは思わず息を飲んだ。自分の指先が微かに震えている事に気付く。ザックスは、宙に浮いたままのアンジールの指先に触れる。
 「どうした、の?」
 握った指先から微かな震えがザックスに伝わる。「震えてる」と呟くと、ザックスは優しく包むように握った。
 「参ったな、緊張してる……。情けないな」
 変に誤魔化したりしないで、アンジールは困ったように笑った。彼のこういう笑顔が、実はザックスは好きだった。ザックスは自分の掌をアンジールの左胸に当てた。彼の鼓動を確かめるように。押し当てた掌から伝わる鼓動はどことなく早い。
 「良かった……」
 ザックスがクスリと笑った。
 「何が良かったんだ? 俺が緊張している事が、か?」
 「うん。だって、」
 ザックスの両腕がアンジールの首筋に回されて、その体をそっと引き寄せる。そして、肩口に顔を寄せて囁いた。
 「俺ばかり緊張してるのは、ちょっと悔しい……」
 お互いの体温が上がった気がした。


 とても丁寧に、静かに体を重ね合う。躊躇いや不安、ほんの少しの怯えが、まるで浄化されるようにお互いの間から消えていく。
 ザックスは熱い吐息を漏らす。背骨をひとつずつ数えるようになぞられて、そのもどかしいまでの気持ち良さに驚いた。自分の体がこんなに感じ易いだなんて、知らなかった。アンジールはザックスの体に、自分が与える快感を教え込むかのように触れた。ザックスが今この時の全てを、ずっと忘れないように。
 「なぁ……、アンジー……ル」
 「何だ?」
 「俺、アンジールの事……」
 ザックスの唇が言葉を紡ぐ前に、アンジールは掌でそっと彼の口元を覆った。
 「ザックス……、好きだ」
 掌を退けて、唇にキス。唇を触れ合わせたまま、「愛してる」と囁く。ザックスは瞼を閉じて小さく口を開いた。まるで、愛の言葉を飲み込むかのように。


 熱くて、肌がしっとりと汗ばむ。抱き締め合うと、薄い皮膚越しに伝わる体温が愛しい。秘められた箇所でお互いの存在を感じ、内に刻み込む。
 朝の白い光の中でひとつに溶ける体。
 「ずっと、こうしたかった……」
 「うん……俺、も」
 指先に、力を込めた。


 ほんの僅かな時間なのか、それともかなり長い時間なのか。
 「……ん、」
 ザックスはそっと目を開けた。目の前のアンジールは、その瞳を閉じている。自分は、彼に抱え込むように抱き締められていた。アンジールの綺麗に揃った睫をぼんやりと見ながら、ザックスは思い出す。
 感じた事のない熱い快感がジワリと体の奥底から込み上げてきて、唇から吐息がひっきりなしに漏れ、信じられないような甘い声を上げてしまった。自分を見下ろすアンジールが酷く性的な魅力に溢れていて、「彼に抱かれている」と思ったら恥ずかしい程に、そして切なすぎる程に体が熱くなった。
 熱を放って、彼の熱を受け止める。その瞬間は頭の中が真っ白になって、このまま溶けてしまうのではないかと思った。
 「…………」
 じっとアンジールを見つめる。微かな呼吸音しか聞こえない。自分だけ目を覚ましてしまった事を悔いる。早く彼のその蒼い瞳を見たくて、自分の事を映して欲しくて、ザックスはアンジールの頬に静かに触れた。
 「ん、……どうした?」
 アンジールはすぐに目を覚ます。そのままザックスの掌にキスをした。ザックスは「綺麗な蒼だな」と思いながら、体をそっと擦り寄せる。
 「自分だけ起きてしまったのが……、ちょっと嫌だったんだ」
 恥ずかしげに視線を反らしたザックスに、アンジールは「可愛い事を言ってくれるな」と言う。そして、その体をぎゅっと抱き締めた。
 「大丈夫か?」
 アンジールが気遣うように、そっとザックスの腰をさすった。決して無理強いはしていないが、体に相当な負担をかけた事には間違いない。ザックスは微かに頬を染めて、はにかむように微笑んだ。
 「ありがと、平気……」
 そのままアンジールの耳元に顔を寄せて、「優しくしてくれたから」と言う。アンジールは愛おしくて堪らなかった。
 穏やかに時間が流れる。時折、短い睦言を交わしながら、クスリと笑い合う。アンジールの掌がザックスの髪の毛に触れて、サラサラと何度も梳く。その心地良い感触にアンジールは微笑み、ザックスはうっとりと瞳を閉じる。
 「なぁ……、アンジール」
 「何だ?」
 「……一緒に、いよう。ずっと」
 「あぁ。ずっと、な」
 ザックスがアンジールに体を寄せると、逞しい腕が自分を抱き寄せた。
 「好きなんだ……、ずっと。もうずっと」
 「知ってるさ。俺も、お前がもうずっと好きだ」
 ザックスはきゅっと瞼を閉じる。苦しかった。好きすぎて、胸を締め付けられるなんて。あぁ、こんなにも、こんなにも彼の事が好きで、今にも窒息してしまいそうだった。
 「好、き……うぅん、違う」
 微かに涙の跡が残る碧い瞳でアンジールを見つめる。
 「愛してるんだ……」
 誰かに向かってこの言葉を伝えるのは初めてで、ザックスは恥ずかしさと照れくささでいっぱいになった。アンジールの顔が近付いたと思ったら、額にキスされた。こめかみに瞼に、そして頬に。少しのこそばゆさと、彼の体温に心満たされる。
 「愛してる……、お前だけを、ずっと」
 ゆっくりと唇を重ね合う。それはまるで、はじまりのキスだった。


 もう少し、こうしていたい。声に出して言わなくても、お互いがそう思っていた。
 アンジールの手が、ザックスの髪の毛を梳く。指の間をサラサラと髪の毛が滑る感触が、とても心地良い。ザックスは気持ち良さそうに目を閉じていた。すると、こめかみに柔らかい感触。
 「ザックス」
 「ん?」
 「……お前、凄く可愛かった」
 「え……、あ、の……、っ……」
 照れて慌てるザックスに構わず、ちゅっと音を立ててこめかみにキス。そっとザックスの顔を覗き込むようにすると、彼は顔を赤くしながらも、はにかむように微笑んでいた。それはとても嬉しそうで、幸せそうで。
 『ほら、そうやって照れて……。物凄く可愛いじゃないか』
 「可愛いな」
 「……俺、一応男だよ」
 そうは言いつつ、「嬉しいけどさ」なんてぼそぼそ呟いている。彼の腕の中に包まれている間、何度も何度も「可愛い」と言われた。優しく甘く、心地良い低音の響きで。その度に胸は高鳴り、体がきゅんとした。そして、「彼に抱かれている」と強く意識した。
 「なぁ、アンジール」
 「何だ?」
 「俺さ、今……凄く幸せ」
 自分で言っておきながら恥ずかしくなったのか、ザックスはへへっと笑うとくるりと体を反転させて、アンジールに背を向けた。やっぱり恥ずかしいのだ。髪の毛の隙間から覗く耳が、微かに赤くなっている。アンジールは思わず触れたくなった。でも、今はそっとしておく。
 「俺もお前と一緒で……凄く、幸せだ」
 アンジールは背後から腕を回して、ザックスをふわりと抱き締めた。言葉はいらない。何も言わなくても、分かっている。
 太陽がゆっくりと高くなる。窓から光が差し込んで、ふたりを包み込む空気がキラキラと輝いて見えた。




 20100618