やっと言えた「一緒にいたい」の一言を、ザックスは何度も繰り返す。
「一緒にいたい」
「あぁ、一緒にいよう」
「ずっと……、一緒にいたい」
「俺もだ」
浴室のドアを開けて中を覗くと、ザックスは驚きの声を上げた。
「うわー!! 1stの部屋の風呂って、こんなに広いのかよっ」
まじまじと見つめながら驚くザックスの背後で、アンジールは「そんなに広いか?」と言う。
「広いってば。俺の部屋とは比べ物にならない」
1stと2ndでは、こんなにも違うものなのかと思った。アンジールの部屋の浴室は、洗い場だけでもかなり広い。それにバスタブは座って脚が楽に伸ばせる大きさ。それに比べてザックスの部屋の浴室は、本当に申し訳ない程度のものだ。ゆったりと湯に浸かりたかったら、宿舎の大浴場へ行けという事だろうか。
「ザックス、タオルと着替え、ここに置いておくな」
「あ、うん。ありがと」
ザックスが部屋に着替えを取りに戻ろうとしたら、「お前が構わなければ」と前置きしてアンジールが自分の予備を出してくれた。取り敢えず、今夜はそれを借りる事にして、明日自分の部屋に取りに行く事にした。
今夜はもう部屋から出たくなくて、アンジールから離れたくなかった。
「ザックス、シャワーで良いのか? 湯を張っても構わないのだが」
「うん、ざっと汗流すだけだし……それにしても、ホント広いのな」
飽きもせずに浴室を見るザックスに、アンジールがその体を背後からそっと抱きしめる。そして、耳元で楽しげに囁いた。
「何なら、一緒に入るか?」
「えっ!! あっ……っと」
途端に慌てふためくザックスにアンジールはクスリと笑うと、彼の頭を撫でながら「さっぱりしてこい」と言って脱衣所から出て行った。
湯気で浴室が煙り始める。
頭から勢い良くシャワーを浴びて、ザックスは髪の毛を洗う。手にしたシャンプーの知った香りに、「いつもアンジールが使っている物」と意識する。爽やかなシトラス系の香りに包まれながら、ザックスは頭を泡でもこもこにした。
すすぎ残しがないように全体からシャワーを浴びて、ふと足元を見る。排水溝に泡が流れていく様が何だか面白くて、暫し見つめてしまった。
「ふぅ……」
タオルで大雑把に体の水気を拭き取って、ザックスは浴室を出た。用意されたバスタオルを頭から被ると、ふんわりと洗剤の良い香りが鼻腔をくすぐる。バスタオルの柔らかさと良い香りに、ザックスは思わず頬擦りしてしまった。
「お借りしまっす……」
着替えを借りる事が何となく気恥ずかしくて、それを誤魔化すようにひとり呟いてみる。自分より体格の良いアンジールのものだから、多少はサイズが大きいかなとは思っていたが、スウェットに脚を通してザックスは暫し呆然とした。
「マジかよ……」
「お先に」
ザックスは頭からバスタオルを被ったままの状態で、のろのろとリビングに入ってきた。ソファで寛いでいたアンジールが、手にしていたグラスをローテーブルに置く。
「さっぱりしたか?」
「うん、ありがと……ってゆーか、アンジール、脚長すぎ!!」
ザックスが自分の足元を見た。長すぎる裾が床にズルズルと落ちている。15センチもないのだろうが、ザックスにしてみれば少しショックだった。自分だって決して背が低い訳ではないのに、これだけ差があるものだと見せ付けられた気がして。
「長すぎと言われてもなぁ……、お前より身長があるんだから、当たり前だろ?」
「う、ん……まぁ、そうだけどさ。あーぁ、俺ももう少し身長欲しい」
俯いて何やらぶつぶつ言っている。その内、「アンジール、やっぱりカッコイイよ」なんて呟きが聞こえて、アンジールは思わずクスリと笑った。目の前で少し拗ねている彼を、ぎゅっと両腕で抱き締める。
「んっ、な、何っ」
「身長なんて、お前はこれからまだ伸びる」
「そっかな?」
アンジールは両腕をザックスの体から解くと、彼の頭に被せられているタオルでそのまま髪の毛を優しく拭いた。
「あぁ、お前はまだ伸びる。それに今は、」
アンジールがザックスの顔を覗き込むようにした。「何?」と言わんばかりの碧い瞳が、アンジールをじっと見つめている。アンジールの唇がザックスの額にキスをして、そのまま「この身長差が好きなんだ、俺は」と囁く。唇を触れ合わせたままの額がほんの少しだけこそばゆくて、ザックスは小さく笑った。
タオル越しに伝わるアンジールが髪の毛を拭く感触と、温かさがとても心地良かった。ザックスはうっとりと目を閉じて、その感触に酔い痴れた。
ふわりとタオルが離れる。アンジールが手櫛で、ザックスの軽く水気を含んだ髪の毛を整えた。
「こうすると……」
アンジールが楽しそうに、ザックスの前髪をいつもより多めに額に落とす。
「いつもより可愛く見えるな」
「なっ!! アンジールッ」
存外に「子供っぽい」と言われた気がして、ザックスは心持ち頬を膨らませながらアンジールを睨んだ。でも、そっと頬に触れられて、「そんなお前も好きだ」と囁かれて、唇に微かにアルコールの香りのするキスをされたら、そんな事はもうどうでも良くなってしまった。
もう、どうしようもなく、彼が好きだった。
浴室から微かに響いてくる水音を、ザックスは寝室のベッドの上で聞いていた。部屋の照明は落としていて、間接照明だけが点けられている。サイドテーブルの時計を見遣ると、もうすぐ午前一時。リビングのソファでアンジールを待とうとしたが、「眠かったら寝室行ってろ」という言葉に負けて、こうしてベッドの上で横になっている。
「…………」
手を伸ばしてもはみ出さない大きさのベッドは、肌触りの良いシーツで覆われていて気持ち良い。薄いブルーグレーの様な色をしたブランケットは、とろんと溶けそうな程に滑らかですべすべしている。凄く気持ち良くて、ザックスは頬を寄せた。
彼の匂いがした。
ここがアンジールの寝室だと、改めて強く思う。それと同時に「今夜は一緒にいる」という事実に、何だか恥ずかしさが込み上げてきて、ザックスはひとり頬を微かに赤く染めた。
清潔で綺麗に整えられた、寝るためだけの空間。ここにもやはり植物の鉢植えが置かれていて、耳を澄ますと彼等の声が聞こえてきそうな気がした。
「アンジール……、好きだよ」
ザックスは小さく呟いて、微かに眠気の降り立った目でそっと寝室のドアの方を見た。小さく開けられたドアの向こうから、アンジールが浴室の扉を開ける音が聞こえてきた。
「……っ」
思わずドアに背を向けると、ザックスはおもむろにブランケットを被った。
「ザックス?」
リビングにザックスの姿がない事を確認すると、アンジールは寝室の方を見遣った。小さく開いたドアの向こうは、間接照明だけが点けられているようだった。ローテーブルに置かれたままの先程使っていたグラスに、少しのアルコールと氷を入れる。グラスに氷のぶつかるカランとした音が、キッチンに小さく響いた。唇を湿らせる程度に口に含んで、アンジールは照明を落とした。
寝室のドアを静かに開けると、ザックスがブランケットにくるまってベッドの上に丸くなっていた。アンジールはその姿を目を細めて見つめ、サイドテーブルにグラスをコトリと置く。そっとザックスを覗き込むと、顔をブランケットに埋めるようにしており、その瞼は閉じられていて静かな寝息が聞こえてくる。ベッドに座ってそのまま暫く、ザックスを見つめながらグラスの中身を飲んだ。
『起きてる……な』
自分に背を向けるようにして丸くなっている彼。でも髪の毛の間から覗く耳の端が、微かに赤くなっているのを見つけて、アンジールは静かに笑う。氷だけになったグラスの表面に、細かい水滴が付き始める。間接照明の灯りを落として、アンジールはベッドに入った。そっとブランケットを持ち上げると、温かい空気がふわりと流れる。
薄闇に徐々に目が慣れると、アンジールはザックスの背中向かって、そっと小さく声を掛けた。
「もう、寝たのか?」
「…………」
ザックスは何も答えない。でも、起きているのは明白だった。だって、微かに肩が震えてしまったから。アンジールはそれを見逃さなかった。目の前のザックスの背中に、そっと掌を押し当てる。温かい。むしろ、少し熱い。体が眠りに向かって体温を上げているのだ。でも、彼は間違いなく起きている。
「一緒にいるのに……お前に背を向けられるのは、寂しいな」
暫くして、ザックスはもぞもぞとアンジールの方に体を向けた。恥ずかしそうな顔でブランケットの中から、そっとアンジールを窺う。
「お前の顔を見ながら眠りたい」
「ん……、俺も」
ザックスはアンジールにつつと体を寄せた。そんな彼をアンジールは静かに優しく抱き寄せる。ブランケットの中に、ふたり分の温かさが広がる。
「眠いか?」
「……ん、ちょっと」
そう言いながらも、ザックスの瞼は今にも上下がくっつきそうで、アンジールは惹かれるように目尻にちゅっとキスをした。すると「ふふ」っと小さな笑い声がザックスの唇から零れる。アンジールはザックスの背中を、あやすように何度も何度もさすった。
夜はこんなにも優しくふたりを包む。寂しくも切なくもなく、ただひたすらに優しい。
「……一緒に、寝よ?」
もう半分以上眠っているのか、まるで舌っ足らずで子供のような話し方をするザックスが、アンジールには酷く可愛らしくて堪らない。
「あぁ、一緒に寝ような、ザックス」
「う、ん……」
瞼を閉じたまま、凄く嬉しそうに微笑んだザックスに、アンジールは思わず唇に触れるだけのキスをした。
「おやすみ」
ブランケットを少し引き上げると、アンジールはそっと目を閉じた。
20100425