「ザックス!!」
食堂の入口で声を掛けられて、ザックスはメニューから顔を上げた。振り返れば、カンセルが手を振りながら走ってくる。
「お疲れ」
「おうよ、お疲れー」
ハイタッチをしながら、カンセルもメニューを覗き込んだ。
「これから昼飯だろ?」
「あぁ、マジ腹減った」
ザックスが腹部を押さえる。そんな仕種に苦笑しながら、「一緒に食べようぜ」とカンセルはザックスの肩を叩いた。
二人はトレーを持ちながら、窓側のテーブルに着く。混雑のピークを過ぎた少し遅めの時間なので、食堂は空いていた。
「しかしお前、本っ当に好きだよな」
「へへっ、まぁねー、ケチャップは最高の調味料だぜ」
にこにこ笑いながら応えるザックスのトレーには、本日のランチメニューでもある「ナポリタン」。食堂の顔見知りのおばちゃんの計らいで、ケチャップが多めに入れてあった。カンセルのトレーには、同じく本日のランチメニューでもある「鶏の唐揚げ定食」。数あるランチメニューの中で一番人気だ。
「カンセル、午前中は任務?」
フォークにナポリタンを絡めながら、ザックスが尋ねた。
「あぁ、モンスター駆除。すばしっこい奴で、結構大変だったぜ。ちょこまか動いてさー」
状況を思い出したのか、少しげんなりした表情でカンセルはコンソメスープを啜っている。
「ザックスは講義だったっけ?」
「あ、うん……、内容は面白いんだけどさー、ずっと座りっぱなしってのが苦手なんだよな」
とにかく体を動かす事が好きなので、じっと座って講義を聞くのが苦手だった。アンジールが「少しはデスクワークにも慣れろ」と言って、彼が報告書を作成するのに付き合った事がある。その時の自分は、パソコンの前でキーを打ってはうんうん唸り、そしてまた少しキーを打っては頭を抱え、報告書の字数はちっとも増えなかったのだ。さすがのアンジールも、あの時は腕組みをしたまま溜息をついていた。
「まー、少しは慣れないとダメだとは思うんだけどさ。伸び盛りの青年はじっとしてるのが苦手なのよ」
ニッと笑いながら、ナポリタンを口に運んだ。
「何言ってんだか。ま、俺もお前ほどではないけれど、座り続けるのは苦手だ……。んで、ザックス、今日の午後は? ちなみに俺はトレーニングルームに予約入れてあるんだ」
キャベツの千切りを頬張りながら、「プログラム、追加されたらしいぜ」と付け加えた。
「マジ? 俺は今日の午後からオフなんだ。先日、夜中に任務入ったから」
「そっか。良いなぁ」
その後ふたりは、目の前のランチを胃袋に納める事に専念した。時折、顔見知りに声を掛けられて、挨拶や会話を交わす。ザックスとカンセルが共に、「ごちそうさま」とランチを食べ終えたのは、ほぼ同時だった。
「んじゃま、俺そろそろ行くわ」
空になった食器を返却して、カンセルは時計を確認した。折角入れた予約だ、時間を無駄にはしたくない。
「おう、頑張れよ!! 俺はしっかり休むぜ」
ザックスはカンセルの肩を笑いながらバシバシ叩いた。ふたりは食堂の前で別れた。
午後からのオフの予定は決めていた。部屋の片付けだ。先日のアンジールの急な訪問の際に、あまりにも乱雑な自分の部屋を晒してしまった。アンジールは「気にするな」と笑っていたが、さすがに恥ずかしくなったのだ。
それに今後、いつアンジールが部屋に来ても大丈夫なように、一念発起して部屋の片付けをすると決めたのだ。
資材部からゴミ袋と掃除用具一式を借りて、ザックスは自室に戻った。装備を解いて、半袖のシャツにハーフパンツというラフな格好に着替える。前髪が邪魔になるので、クリップで留めた。
「おっし、始めるか……」
取り敢えず手始めに、洗濯物を纏め始めた。衣服は勿論、リネンの類も全て纏めてカゴに入れると、同じフロアにあるランドリー室へ持って行った。大きめの洗濯機に全て放り込んで、いつもより多めに洗剤を入れるとスイッチを入れた。後は仕上がる頃に取りに来るだけだ。
部屋に戻って、今度はゴミを纏める。貰ってきた指定のゴミ袋にそれなりに分別しながら、次々と放り込む。選択肢は、「いる」・「いらない」のふたつだけ。「いるかも」・「使うかも」は却下だ。その結果が今のこの乱雑な部屋だと思い、ザックスは不要と思われるものを思い切って処分する。
「それにしても、本っ当にいらない物ばかりだなぁ……自分でも呆れる」
空のペットボトルや缶、溜め込んでしまった雑誌、スーパーやショップの袋、何かが入っていた箱など、自分でも良く分からないものが部屋のあちこちから出てきた。ただ、腐敗した生ものや食品の類が出てこないだけマシだ。
なぜなら、ザックスは自炊をする習慣が皆無に等しいからだった。苦手ではないのだが、好きという訳でもないので、食事はもっぱら食堂のお世話になっている。だから食堂のおばちゃんとは、すっかり顔見知りなのだった。
「ふぅ……ちょっと休憩」
額に浮き出る汗を腕で拭い、壁に掛けられている時計を見る。もうすっかり夕方だった。備え付けの冷蔵庫から水が入ったボトルを取り出して、喉を潤す。椅子に座って部屋を見渡した。
物が減り、随分スッキリとしていた。その代わりに、玄関先には大きなゴミ袋が幾つも積まれていた。これらは集積所に出しに行く。フローリングの床をモップ掛けして、シンクに少しだけ溜まっている食器を洗い、もう終わっている筈の洗濯物を取りに行って……。
「よっしゃ、取り敢えずゴミ捨て行くか」
ザックスは頬をパンと叩いて、勢い良く立ち上がった。
「では、本日はこれまで。以上、解散」
アンジールの声に、「有り難うございました」の声が響いた。部屋から一人、また一人と出て行く。教官として久し振りに3rdの講義を行い、90分間のそれを終えたところだった。どちらかと言うと、教壇で話をするよりかは自ら剣を振るって教える方が好きだった。しかし、そうも言ってられない。突如、「俺は人前で、しかも大人数の前で話すのが嫌いなんだ」と言いながら、するりと講義を拒否した友人を思い出す。「代わってくれないか」と悪びれもなく言う彼に、「何を言ってるんだ」と思いつつ交代してやった。今頃彼は演習場で派手に暴れ回っているに違いない。同郷の幼馴染みだ。我が侭で感情的に行動したりもするが、何だかんだ言っても大切な友だった。
教壇にセットされている端末を操作して、正面のスクリーンに映し出されていた映像を終了させる。携帯を開いて時間を確認すると、間もなく十九時だった。そのまま教壇の椅子に座り、手短にメールを打つ。送信完了を確認しパタンと携帯を閉じた。ぐるりと一通り室内を確認すると、アンジールは部屋を後にした。
「はいはい、俺を呼ぶのはどなたー」
ベッドに洗い立てのシーツを敷いていた手を止めて、机の上で電子音を発している携帯を確認する。メール着信を知らせる表示、差出人はアンジールだった。ザックスは自然と笑顔になった。すぐさま本文を確認する。
(お疲れ。夕食食べに来るか? 今ならまだ希望を聞ける)
「やった!! 行く行く!!」
ザックスはメールの返事を打つ。
(お疲れ様。夕食食べに行く。トマト味パスタ希望。片付け終わったら行くよ)
ピッと言う音と共に、「送信完了」の文字が表示された。携帯を閉じて、ザックスは再び片付けに戻る。後は洗濯物を畳めば、取り敢えず終了だ。窓に掛かったままのカーテンも洗ってしまおうと思ったが、それは次回に持ち越しだ。
「やれば出来るじゃん、俺……さっさと終わらせて、アンジールの部屋、行こ」
予想以上に片付いた部屋と夕食の楽しみに、ザックスは嬉しそうに笑った。
慣れてきたとは言え、まだ少し緊張する。
エレベーターを降りて、フロアの相変わらずの静けさに、意味もなくザックスは唾を飲んだ。迷わずアンジールの部屋の前へ行き、そっとチャイムを押す。ドアの向こうに人の気配を感じたと思ったら、ガチャリと音を立ててドアが静かに開いた。
「お疲れ、思ったより早かったな」
エプロンを着けたアンジールが笑顔で迎え出る。
「あ、うん。夕食作るの、俺も手伝うな」
ザックスは玄関先まで漂うトマトソースの香りに、嬉しそうに笑った。
背後でドアが閉まる音がしたのと、アンジールの掌が頭を撫でたのは同時だった。そっと前髪を退かされて、額にキス。
「おかえり」
額に唇を触れさせたまま発せられたアンジールの言葉に、ザックスは胸がきゅんとした。「おかえり」という言葉が、何だか気恥ずかしくて同時にとても嬉しくて。アンジールは額から唇を離して、ザックスの顔を覗き込む。優しくて温かい笑顔だった。ザックスは、はにかむように微笑んだ。
「た……、ただいま」
大好きな彼に、きゅっと抱き締められた。
夕食のパスタは「ベーコンと茄子のトマトソース」だった。ザックスの希望通りのメニューだ。彼がトマト味が大好きなので、アンジールはトマト缶の類のストックを切らさないようになった。
「どっちで食べる?」
スープをカップに盛り付けていたザックスに、アンジールはパスタを皿に盛り付けながら聞いた。キッチンのテーブルか、リビングのローテーブルかを尋ねているのだ。
「んっと、テーブル。何となく」
「よし、じゃあ、このまま置いて良いな」
テーブルの上に向かい合わせで、ふたり分の食事が並べられる。グラスに冷えた水を注いで、アンジールはエプロンを外した。揃って席に着く。
「いただきます」
ザックスはパスタを一口食べて、途端に嬉しそうに笑った。感情をストレートに表現するのがザックスだ。本人は自覚していないが、アンジールの前だと尚の事だった。
「美味しいっ!! なぁなぁ、何でこんなに美味しく作れるの?」
ザックスはフォークにクルクルとパスタを巻き付ける。ベーコンと茄子、良く見たらドライトマトも入っている。アンジールもフォークにパスタを巻き付ける。
「俺は普通に作っているつもりなんだが……強いて言えば、」
「強いて言えば?」
ザックスは美味しいパスタを作る秘密を知りたくて、アンジールの答えをそわそわと待つ。そんなザックスにアンジールはクスリと笑った。
「お前が美味しそうに食べる顔を見たいから、かな」
そう言いながら、アンジールはパスタを巻き付けたフォークを、ゆっくりとザックスの前に差し出した。
「あ、あの……アンジール?」
ザックスは瞬時に頬を赤く染めた。だって、目の前にフォークを差し出されたという事は……。ザックスは思わず呟いてしまった。
「もしかして、面白がってる……?」
「いや、全然。俺は至って真面目だが。……食べさせたいんだ、お前に」
ザックスの頭の中で、「食べさせたいんだ」という言葉が何度も響く。どうして、酷く恥ずかしい。チラリと見たアンジールの目は優しげ且つ真摯で、ザックスは手にしていたフォークを皿に置くと、そっと身を乗り出した。
テーブル越し、差し出されたアンジールのフォークに巻かれたパスタが、ザックスの口にゆっくりと入る。アンジールがフォークをカーブに沿わせるように口から引き抜くと、ザックスはそのままパスタを咀嚼する。やがて喉元が上下して、パスタは胃袋へ収まる。
口元を拭きながらザックスが小さく言った。
「恥ずかし……、でも、楽しい。そして、何だかとても美味しい」
照れ隠しのようにフォークにパスタを巻き始めた。あっという間に大きな固まりが出来上がり、「口に入るのか?」とアンジールが笑う。
ふたり一緒の食事は、楽しくて美味しい。お互いに、大好きで大切な時間になっていた。
夕食後のゆったりとした時間は、あっという間に過ぎ去る。ローテーブルの上に置かれたカップは、底に僅かに残ったコーヒーが乾いて固まっていた。
寄り添いながらソファに座り、一日の出来事をお互い話す。ザックスが部屋の掃除をした話に、「どれだけ綺麗になったか、今度見に行こう」とアンジールが言った。繋ぎ合った手をきゅっと握って、指先にキスをする。ザックスもアンジールを真似た。
気付けば間もなく日付が変わろうとしていた。ザックスはそっと時計を確認すると、一瞬少しだけ切なそうな顔をした。すぐに笑顔になったけれど、アンジールは見逃さなかった。
ザックスはアンジールの頬に、ちゅっとキスをしてソファから立ち上がった。アンジールも立ち上がる。
「夕食、ごちそうさま。いつも、有り難う。凄く美味かった!!」
床に置いていたパーカーを拾い上げて羽織った。
「あれだけ美味しそうに食べてくれると、俺も作り甲斐があるさ」
アンジールはザックスの頭をガシガシと撫でた。そしてそのまま、髪の毛をそっと整える。気持ち良さそうに目を閉じるザックスに、アンジールの中で「帰したくない」という思いが強まる。
頭から温かさが離れて、ザックスはそっと目を開ける。アンジールが静かに自分を見つめていた。ザックスは、さっきまで自分の頭を撫でていた手を取る。感触を確かめるように撫でて、きゅっと握って、また撫でる。
『もう少しだけ……あと少しだけ、一緒にいたい』
喉の奥が締め付けられるようにきゅっとした。ともすれば、涙が込み上げてきそうだった。自分の手を取ったまま俯いて無言のザックスに、アンジールは気持ちを決めた。
『俺も全く以て、情けないな』
目の前のザックスの体を、両腕でぎゅっと抱き締める。急な事にザックスが驚いて、その体をビクッと震わせた。耳元でアンジールの言葉が響く。
「ザックス……今夜は、一緒にいないか?」
ザックスは胸がドキドキして、同時にジンと熱くなった。アンジールに伝わってしまうに違いない程、鼓動が早まる。自分を抱き締めるアンジールの腕に、更に力が込められたと同時に、「お前を帰したくない」と言う声が聞こえた。
目尻に涙が滲んだ。そっと瞼を閉じたら、ぽろっと頬に涙が零れる。ザックスは嬉しくて、アンジールの胸に額を押し付けた。
『一緒にいたい一緒にいたい、一緒にいたい』
今はもう、ただそれだけだった。ザックスが僅かに身動ぐ。アンジールが腕の力を緩めると、ザックスは彼の胸からゆっくりと顔を上げた。強く一途な思いが言葉となって、唇からまるで今にも泣き出してしまいそうな声音で零れ落ちた。
「一緒に、いたい……、ずっと一緒に……いたい」
ふたりの唇が静かに熱く重なる。今は沢山の言葉を重ねるより、こうしてキスをして。
好き、好き、大好き。
頬を触れ合わせる。
「好きだよ」
「好きだ」
お互いに何度も囁きながら、まるで体温を分け合うように優しく抱き締め合った。
20100411