pure 05


 ザックスは自室の鏡の前で、髪の毛を整えながら、今日一日の予定を頭の中で確認した。
 『午前中は屋外で合同演習、昼飯挟んで、っと、今日のランチは何かなー……、午後からはトレーニングルームでヴァーチャル・システム使って……』
 前髪の一房を整えながら、ふと指を止める。
 「今日はアンジールとは、一日別行動、か……」
 ザックスは知らず知らずのうちに、小さく溜息をついていた。
 自分の教育係であるアンジールとは、行動をほぼ同じくする場合が多い。しかし今日のように、一日別行動という時もごく偶にあった。ほぼずっと一緒に行動するという事に慣れてしまっているので、一日別行動だと却って変な感じがしなくもない。
 一緒にいる事が、当たり前になってきているのだった。
 お互いにお互いを「好き」と言う気持ちを持っていて、それは恋愛感情としての「好き」だった。
 ザックスは当初、自分の気持ちに戸惑った。自分のアンジールに対する「好き」と言う気持ちは、友達や先輩としての「好き」とは明らかに違うと言う事に。それに気付いたのは、果たしていつ頃だったのか。気付いた時には、もう彼が大好きだった。彼の事を思うと、嬉しくもなったし切なくもなったし、胸が痛くもなった。暫く忘れていたような気持ちになった。
 やがてアンジールも自分に対して同じ気持ちを抱いていて、それを確認し合って、ふたりだけの秘めた関係が始まったのだ。
 恋人と言うには何となく気恥ずかしくて、でも恋人には違いなくて、ふたりだけの時はそっと寄り添い合い、手を繋ぎ合ってキスを交わした。その都度、鼓動は高まって、頬が赤くなって、恥ずかしさと嬉しさに満ち溢れる。胸の中で何度も「好き」と言いながら、繋いだ指先を握り締めた。
 一緒にいたい一緒にいたい、一緒にいたい。
 『ずっと一緒にいたい』
 たったそれだけが、その一言が、ザックスには言えなかった。
 もう自分でも情けなくなるほど、どうして良いか分からなくなるほど、恋しているのだった。
 まさに何も知らない純粋な、「初恋」の如く。


 「腹減ったー」
 響き渡る終了の合図と共に、抜けるような青空を見上げながらザックスは思わず声にしてしまった。隣にいたカンセルが、「さっさと食堂行くか」と笑った。
 屋外での合同演習を終えて、そのまま食堂へ移動する。時間が時間なので、どこもかしこも人が溢れていた。顔見知りと何度も擦れ違う。これから任務だと言う友人に「頑張れよ」と声を掛け手を振り、「演習お疲れ」の声に「おうよ」と笑顔で応えながら、ザックスはカンセルと先程の演習の話題で盛り上がった。
 「ザックス。お前、結構良くなったな」
 「んー? 何が?」
 「剣を構える時の姿勢。前はちょっとクセがあったけど、今日見たら綺麗になってたからさ」
 「そっかな……」
 ザックスは自分では分からなくて、剣を構える時を思い出して自然と腕が動いた。
 「自分じゃ分からないかもな。他にも色々、細かいところが良くなってると思った。きっと、教育係のアンジールさんの教え方が良いのかも」
 「え」
 ザックスは急にアンジールの名前を聞いて、思わずドキッとしてしまった。カンセルがザックスに笑いながら、「羨ましいぜ」と言った。
 「そっか……お前に褒められると、ちょっと嬉しい。へへっ、サンキュ」
 その時、携帯の電子音が響いた。カンセルがごそごそと携帯取り出し、画面を確認して「マジかよ」と呟く。
 「悪い、ザックス。俺、午後の任務の打ち合わせ入った。くっそー、俺の昼飯っ!!」
 悔しそうに叫ぶカンセルに苦笑いするしかない。急な呼び出しや任務は、自分達の間では日常茶飯事だった。
 「そっか、頑張れよ」
 「悪いな、今度は一緒に昼飯食べようぜ」
 ザックスの肩を叩きながら、カンセルは廊下を足早に駆けていった。


 ランチに「ナスとエリンギのトマトソース」というパスタがあったので迷わず注文したら、顔見知りのおばちゃんが「あんた、相変わらず好きだね」と笑いながらトマトソースを多めにかけてくれた。
 「午後も頑張りなよ」
 「サンキュ!!」
 グラスに水を入れ、広い食堂をぐるりと見回すと、窓際の席が空いていたのでそこに座る。「いただきます」と小さく言ってから、ザックスは目の前のプレートに乗っているパスタを食べ始めた。少し濃いめの味付けは、体を動かした後には塩分補給として丁度良かった。
 窓の外からは、演習場が見下ろせた。ザックスとカンセルが午前中に演習を行った場所とは異なり、少人数向けの少し狭めのものだった。そこに良く知った人物を見つけ、ザックスはフォークを持つ手を止めた。
 『アンジールだ』
 数人のソルジャーに囲まれている。制服の色から3rdだと分かる。どうやら彼等に剣を教えていたらしい。一人が自分の剣を構えると、それを確認してアンジールが腕の位置を修正している。それを見ていた残りの者達も次々と剣を構え始めた。アンジールは一人ずつ構えを確認して、時には修正し指導する。
 『あ、バスターソード構えるんだ』
 ザックスは思わずワクワクしながら窓の外を見続ける。いつしかフォークは皿の上に置かれていた。
 アンジールがその背に背負ったバスターソードを、滑るように鮮やかに抜いて構えた。きっと目の前の3rd達は、憧れの眼差しでその姿を見ているに違いない。事実、自分もそうだった。1stは憧れそのもの。アンジールの力強くも美しい構えに、当時の自分は鳥肌さえ感じた程だった。むしろ、今だってそうだ。
 アンジールのバスターソードはとても大きくて重たそうに見えるが、彼が構えるとそれを微塵も感じさせない。でも実際はそれなりに重たいんだと、アンジールから聞いた事がある。
 何度か剣を振って、アンジールは背中にバスターソードを納めた。そして彼等に何か話している。やがて彼等はアンジールに一礼すると、その場を後にした。しかし、まだ一人だけ残っている者がいた。一番最初に剣を構えた3rdが、引き続きアンジールと話していた。自分の剣を構えて、何度か振り下ろす。アンジールが指示を出しているらしく、その後も何度か振り下ろした。
 ザックスは再びフォークを手にして、少し冷えてしまったパスタを絡め取り口に運ぶ。
 少しだけ胸が痛かった。どうして痛いかなんて、気付きたくなかった。これ以上気持ちが込み上げてこないように、パスタを飲み込む。大好きなトマトソースなのに、どうしてこんなに味気ないのだろう。パスタを食べても、ゴムの固まりを飲み込んでいるみたいだった。食堂のおばちゃんに申し訳ないと思いつつ、美味しく食べられない自分が嫌だった。
 『俺、最低だな』
 自分が嫌だった。見なければ良かった。
 あの掌が、自分以外の頭を撫でたところなんて。


 午後はトレーニングルームで、予約時間いっぱいまで過ごした。ヴァーチャル・システムを起動させると、片っ端からプログラムを読み込ませてひたすら剣を振るった。砂漠、南国、洞窟に無機質な室内。次々と変わる景色に眩暈すら感じながらも、ザックスは目の前に現れるターゲットであるモンスターを、矢継ぎ早に鮮やかに地面に沈ませる。
 既に何体目だろうか。
 「やっべ……」
 僅かな油断が、ザックスの腕から剣を跳ね上がらせた。バランスを崩して倒れそうになるのを何とか堪え、自分の後方に落ちた剣をすぐさま拾いに走る。柄を力強く握った瞬間、左腕に痛みを感じた。しかし、そんな事に構っている場合ではない。右腕を思いきり突き上げる。同時に、刀身を伝って鈍い手応えを感じた。
 「クッ……」
 間一髪の状態に息が止まる。空間が歪み、自分を包み込む全てがピースとなって、バラバラと崩れ落ちた。刀身から重みが消える。ヴァーチャル・システムの起動音が、ブンと静かに響いた。ザックスはゴーグルを外すと床に落とし、そのまま仰向けに倒れた。
 無機質な天井と硬い床。つい先程まで、ここは草原だったのに。左腕をそっと見遣ると鋭い爪による一筋の傷が付いていた。大して深くはないから心配ないと判断しつつも、シャワーを浴びる時には染みそうだなと思った。
 トレーニングの結果はログとなって残り、否応なしにアンジールに伝えられる。ともすれば説教だなと思いつつ、ザックスは唇を噛んだ。
 こめかみを伝う滴は、汗なのか涙なのか分からなかった。


 自室のドアをノックする音に気付いて、ザックスは目を覚ます。時計を確認したら二十一時を少し回った頃だった。部屋に戻ってからシャワーを浴び、気付いたらそのままベッドで眠ってしまったらしい。横になっていたベッドから起き上がって、ザックスは目を擦りながらドアのロックを解除した。
 目の前にはアンジールが立っていた。
 「アンジール……」
 「急にすまないな、邪魔するぞ」
 ザックスの返事を待たずにアンジールは部屋の中に入る。
 「あ、うん……ごめん、俺、片付けてなくて」
 乱雑に物が散らばっている部屋に少し恥ずかしさを感じながら、ザックスは備え付けのデスクの椅子を勧めた。アンジールは「気にするな」と小さく笑うと、椅子に座る。
 「夕食、食べたのか?」
 「まだ……。帰ってからすぐ寝ちゃって」
 「そうか」
 ザックスはベッドに座ると小さく頭を掻いた。髪の毛は僅かに湿り気を帯びていた。アンジールはそんなザックスの様子を静かに見つめ、同時に左腕の傷に気付く。
 「その傷、トレーニングでやったのか?」
 アンジールの指摘にドキリとした。無言で小さく頷くと、そっと傷を掌で覆った。アンジールは小さく息を付いて話し始めた。
 「今日の午後のヴァーチャル・システムのログを確認させてもらった。率直に言うと……、お前らしくないな。『クリア』と言う結果としては良いが、俺としては闇雲に剣を振るっていたとしか思えん。読み込ませたプログラムのレベルと量からも。違うか?」
 アンジールの声音は穏やかだ。しかし、有無を言わない厳しさをその裏側に隠している。ザックスは小さく首を横に振って、「違わない」と呟いた。
 「どうした、ザックス。何がお前をそうさせた?」
 「…………」
 ふたりの間に沈黙が訪れる。
 アンジールは向かいに座っているザックスを見つめる。ザックスは俯いたまま、床の一点をひたすらに見つめているようだった。
 「ほら、ザックス」
 アンジールが椅子から立ち上がりザックスの頭に触れると、ザックスは思わずその手を払い退けた。
 「あっ」
 自分のとった行動に自分が一番驚いていた。ザックスが顔を上げると、目の前のアンジールと目が合った。
 「ごめんっ、俺……」
 泣きそうに顔を歪めたザックスはすぐに再び俯く。アンジールは怒りもしないでゆっくりザックスの正面にしゃがみ込むと、掌をザックスの頬に触れさせた。ビクッと震えたものの拒絶はせず、アンジールは安堵の息を漏らした。
 「黙っていたら分からないだろ。何かあったなら、言ってみろ」
 碧い瞳を覗き込むと、ザックスは躊躇いながらも見つめ返してきた。僅かに涙を湛えて揺れる碧色。どの位そうしていただろうか。やがて、ザックスが小さく呟いた。
 「きっと……怒って、呆れる」
 「怒らないし、呆れない」
 漸く話し始めたかと思ったら、こんなまるで子供のような事を言う。アンジールには可愛くて仕方なかった。こんな彼は自分しか見られない、そう思うと尚の事だった。
 「ザックス……」
 アンジールがザックスの頬を両手で包み込んで、滑らかな額にキスを落とした。そして額に唇を寄せたまま、「言わないと、俺もどうして良いのか分からない」と言った。ザックスはきゅっと目を瞑った。そして、アンジールの手に自分の手を重ねた。
 「……嫌だったんだ」
 アンジールがそっと顔を離す。ザックスの手を握って正面から彼を見つめると、ぎゅっと手が握り返された。
 「俺、嫌だったんだ……そう思う自分も嫌だった……、でも、それでも嫌なんだ」
 「何が嫌だったんだ?」
 「見たく、なかった……。お願い、怒らないで……呆れないでっ、」
 ザックスはその碧い瞳から、透明で綺麗な涙を零した。零れ落ちる涙をそのままに、目の前のアンジールを見つめて切なげに請うた。
 「俺、以外の奴の……頭を、撫でない……で」
 言い終えないうちに、ザックスはヒクッとしゃくり上げて泣いた。自分の心の狭さに情けなくて呆れながらも、どうする事が出来なかった。だって、こんなに苦しくて、こんなに切ない。彼の掌を独り占めしたくて、そんな風に思う自分が嫌で、でも、それでもやっぱり嫌なんだ。
 「ザックス」
 アンジールはザックスを抱き締めた。ザックスの腕がすぐに背中に回されて、ぎゅっとしがみつく。自分の肩に額を押し付けるようにして、嗚咽を堪え小さく震えている。
 昼間の事を思い出す。確かに自分は、熱心に教えを請う3rdの頭を撫でた。それを偶然ザックスが何処からか見たに違いない。時間が昼時だったし、恐らく食堂かなと思いつつ、そんな細かい事はどうでも良かった。
 自分がザックスにする時と同じようにあの3rdの頭を撫でた事が、彼に取っては凄く嫌だったのだ。それで午後のトレーニングは、あんなまるで感情任せに剣を振るっているとしか思えないような内容になってしまったのだ。
 要するに嫉妬だ。度が過ぎたそれは醜いが、ザックスのそれは何だか酷く可愛らしいし、アンジールにとっては嬉しい以外のなにものでもなかった。それに、彼は今までそんな事を自分に言った事がなかった。そう、それはザックスのアンジールに対する初めての「我が侭」みたいなものだった。
 『やっと言ったな』
 アンジールはザックスの頭を優しく撫でる。
 「ザックス、お前の気持ちは良く分かった。嫌な思いさせたな……、すまなかった。でも、これだけは覚えておいてくれ。同じ動作でも、お前に対してする時とは、全然違うという事を。分かるか?」
 「う、ん……」
 「良し。それに、俺はお前の事が好きだ……大好きだ。だから、心配するな」
 うん、知ってる。良く知ってる。アンジールが自分の事を好きだと言う事は、自分が一番知っている。なのに……。アンジールは1stで、俺達2ndや3rdの奴等にとっては憧れで、だから慕う人も多くて、そんな事は分かり切っている事なのに。
 「ごめん……、ごめんな、アンジール」
 「謝らなくてもいいさ。それに実を言うと……俺は少し嬉しかった」
 顔を上げたザックスの顔は、涙で濡れていた。目縁の涙をアンジールが小さく舐め取る。
 「初めて、お前が我が侭を言ってくれたみたいでな。ザックス、無理したり我慢したりしなくていい……言いたい事はいつでも言ってくれ。俺も言う。良いな?」
 「うん、分かった」
 「分かれば良し」
 アンジールの笑顔に、ザックスも自然と笑顔になった。その少し恥ずかしげな笑顔が涙に濡れている事も相まって、それは綺麗で愛おしくて、アンジールは引き寄せられるようにそっと唇に口づけた。
 「ん……」
 自分の唇に触れるアンジールのそれに、ザックスは恥じらいながらもそっと舌先で触れた。すぐにアンジールの舌先が応えるように触れて、その温かさと感触に酔う。歯列を舐められて皮膚が粟立った。アンジールが教えてくれて、ザックスが好きになった感触だった。自分の唇を湿らせるのは彼だけと思うと、目の奥がジンとした。
 ちゅっと音をさせて、お互いの唇が離れる。触れ合わせていた部分が空気に触れて、少しヒンヤリとした。
 『好きだよ、アンジール』
 ザックスはアンジールの頬にキスをした。頭を撫でてくれる掌が心地良い。
 「そう言えばザックス、お前、夕食まだって言ってたな?」
 「う、ん……」
 この時間では、食堂に残っているメニューも微妙だった。
 「一緒に食べないか?」
 「えっ」
 「簡単なカレーだけどな……お前の分もある。来るか?」
 返事をするより早く、ザックスはアンジールに抱き付いていた。アンジールは笑いながら、その体をぎゅっと抱き締めた。




 20100327