桃色の唇は、何だか桃の味がしそうな気がした。
静かで深い口づけ。アンジールに唇を吸われて、その小さな音が耳に届く。体の奥が、ジワリと熱くなった。彼の指先を探す。触れると握り返されて、きつく絡ませる。
自分の体の、どの場所の味も知っている彼の口。
『も……どう、しよ』
彼の口づけは、体の奥底に眠る快楽を揺さぶり起こす。待って。ホントに、もう……、。
ザックスが微かに身動ぐと、アンジールはその唇を漸く離した。唾液が細い糸となって、ふたりの間をつなぐ。
「ぁ……、ん」
鼻に掛かった声を漏らしてしまい、ザックスはさすがに恥じた。そんな彼を察して、アンジールはその頭を優しく撫でる。
「このまま、どうしようかと思った」
「……うん」
「可愛いな」
「……ん」
実はこの時、ザックスはアンジールに触れたくて触れられたくて堪らなかった。要するに口づけの間に、体の奥の情欲に火が付いてしまったのだ。
『アンジールが、あんなキスするからいけないんだ』
伺うようにして見たアンジールは、何だか妙に涼しげな顔をしているように見える。余裕たっぷりという感じだ。そう言う自分は、正直恥ずかしながらもすっかり欲情してしまい、今すぐにでも彼に抱いて欲しかった。
アンジールが自分の上から体を起こす。触れていた体温が離れて、うら寂しい。すると腕が伸ばされ、手首を掴まれた。その部分の皮膚が粟立つ。そのままゆっくりと引き起こされた。
『こんなに肌を熱くして』
ザックスの変化に気付いたアンジールが、気付かれないように笑った。もうどんな小さな変化も見逃さない。恐らく、ザックス自身よりも彼の体を知っている。その自信がアンジールにはあった。
だって、もう何度抱いたか分からない。皮膚の表面の細かい変化や体温の上昇、漏れる吐息と情欲に潤む瞳、彼の全てをこの体で感じてきたのだ。
ザックスは俯きながら、指先を小さく動かしている。アンジールの体温を求める指先。その姿を見つめられている事に気付かずに、体は小さく身動いだ。
やがて、ザックスがもぞもぞと動き出す。アンジールのすぐ側に寄って、彼を跨いで上乗りしようとした。そのまま抱き付きたかった。しかし。
「ザックス、待て」
「え?!」
いつもなら何も言わないのに。ザックスはアンジールが発した制する言葉に、怪訝そうな表情を浮かべた。そんなザックスを尻目に、アンジールは彼の肩をそっと撫でた。案の定、ピクリと跳ねる。正直な反応に、思わず笑みが零れそうになった。
「なぁ、ザックス」
「何?」
耳元にアンジールの唇が寄せられる。
「…………」
「ッ?! えっ、ちょ……」
ザックスが動揺する。その顔はみるみる内に赤くなった。
「言ってみろよ」
「い、嫌だよ」
「恥ずかしがるなよ。俺しかいない」
優しく言い聞かすようにしながら、その掌で背中を撫で上げる。尾てい骨の辺りに、ぞくりと何かが這い上がってくるような感覚に襲われた。瞬時にそれは、快感に変わってしまう。自分の体なのに、今はそれが恨めしい。
「でも……。うっ……」
「な? ほら、」
『早くその愛らしい桃色の唇で、俺に聞かせてくれ』
ザックスはアンジールから逃れるように視線を泳がす。でも、それが成功した試しは今の一度だってない。
『恥ずかし……、でも、でも……触れたい』
意を決したように、ぎゅっと目を瞑る。
そして、ゆっくりゆっくり瞼を開くと窺うようにアンジールを見つめて、ザックスはともすれば消えてしまいそうな声で言った。
「だ……、抱っこしてくんない?」
物凄く可愛い。眩暈がしそうな程可愛い。上目遣いで見つめる瞳が、熱で潤んでゆらゆら揺れている。アンジールは体の奥がジンと疼いた。
「勿論。……おいで」
ゆっくりと両腕をザックスに伸ばすと、胴体に回して自分の上に引き上げる。少しだけザックスの位置が自分より高くなって、いつもと違う視界。真っ赤になっている顔に微笑んだ。
「アンジールのバカッ!!」
突然ザックスは叫ぶと、両腕でアンジールを叩く。それはちっとも本気じゃなくて、むしろ体に甘く響く。
「バカバカバカーッ!!」
恥ずかしい。あまりの恥ずかしさに耐えきれず、その目尻から涙の滴がポロリと零れ落ちた。グッと堪えているけれど、今にもヒクッとしゃくり上げそうだ。
「悪かった……やりすぎたな。すまない」
アンジールは零れ落ちた涙の滴を舐める。背中をあやすように優しくさすって、何度もザックスの耳元で「すまなかった」と詫びる。ザックスはアンジールの肩口に顔を埋めて、ぎゅっとしがみついた。
どの位時間が過ぎたのだろうか。
ザックスは、ずっとアンジールにしがみついたままだった。アンジールは、そんな彼の背中をさすり、時折頭を撫でては「すまなかった」と言った。
「……よ」
ザックスが何か言った。でもその声は小さくて、肩口に顔を埋めたままなので、くぐもっていて良く聞こえない。
「ザックス、何だ?」
「何だよ……」
ぽつりぽつりの呟き。
「アンジールは……、ああいう事言ってくれる子の方が……良いのかよ」
ちょっと拗ねたような口調で、こんな可愛い事を言う。全然分かっていないんだな、お前は。
「何言ってるんだ。お前の口から聞きたかったんだ」
自分の肩口に埋まったままの頭に、アンジールは頬を寄せた。
「お前が可愛くて……堪らないんだ」
最後の方は熱い吐息と混じりながら、アンジールはザックスの体をぎゅっと抱き締めた。強く、ぎゅっと。この溢れる想いが、少しでもお前に伝われば良いと思いながら。
「ん……ちょ、と……苦し」
ザックスの声にアンジールは腕の力を緩めた。お互い、見つめ合う。
「恥ずかしかった」
「あぁ……、すまなかった」
でも。でもでも。あの時のアンジールの顔と言ったら。
何だか物凄く嬉しそうで、楽しそうで、何より自分を見つめる眼差しに愛おしさが込められているのが良く分かって、物凄く恥ずかしかったけれど、嬉しかったのも事実だ。
ザックスはアンジールの肩に手を掛けて、額にキスを落とした。
「なぁ……、この格好の俺、可愛い?」
「可愛い。この格好じゃなくても、俺にとっては可愛いけどな」
「ちょっと、ドキドキしたりする?」
「するさ」
「なぁ、」
「ん?」
「……チューしてくんない?」
「ッ!?」
ザックスの予想を反して、アンジールはその頬を赤らめさせた。普段、滅多にない事にザックスの方が驚いてしまう。何だか嬉しくて、楽しい。
「なぁ、アンジール」
「な、何だ」
「してくれないのかよ」
『こいつ、絶対面白がってる……』
その通り、目の前のザックスはクスクスと笑っている。クソッ、迂闊だった。いきなりあんな事言うなんて、予想外も良いとこ。反則だ。さっきまで恥ずかしさの余り、涙まで零していたのは何処の誰だ?
「お望み通り、してやる」
言うや否や、アンジールはザックスの頬にキスをした。そのまま顎のラインを辿って、反らされて露わになった喉へ。首筋を唇で辿り、時折舐め上げる。ちゅっ、ちゅっと小さな音を立てながら露わになった肩を滑り、鎖骨に歯を立てた。
「んっ、あ……ぁ」
再びザックスの息が上がり始める。アンジールの唇が辿った場所が桃色に色付いている。頭上から漏れる熱い息に、アンジールはクスリと笑った。
『これで終わりと思うなよ』
ザックスの肩に掛かる細い肩紐に、指を掛ける。「邪魔だな、これ」と言いながら、音もなく外した。そして、唇を押し当てるときつく吸い上げた。
「あっ」
肌に、チクリとした小さな痛みが走る。色白の肌に、鮮やかな鬱血の跡が現れた。
「アンジール……」
「何だ?」
「……チューしてよ」
自分の少し下にある、アンジールの頭を抱き締めるようにする。
「してるだろ」
「してない……」
してない。肝心な場所にしてないじゃないか。呟きながら、自分の胸元からその頭を上げさせて、ザックスはアンジールの唇に口づけた。
やっぱり、唇へのキスが一番好きかも知れない。頭の片隅で思ったら、アンジールの熱い舌が口内に滑り込んで来た。待ち望んでいた感触に、体が震える。
唇が濡れて、唾液が端から漏れる。
頭の芯がぼぉっとしてくる。熱い。体の中心が、きゅんとする。
桃色が甘く熟れて、豊満な香りを漂わせて。
『食べてしまいたいな』
『食べられたいな』
桃色の指先が熱を求めるように、アンジールの腕に食い込んだ。
どうしよっか。
20100213