随分と長いキスをして、漸く唇が離れる。温かさが去ってしまい、何だか少し寂しい感じだ。
「ザックス」
「ん?」
自分より少し背の高いアンジールを見上げたら、額にキスされた。
アンジールがザックスの手を取り、ふたりでベッドに座る。
「あれこれ付けなくても、充分だな」
袋の中から覗いているアクセサリー類を見ながら、アンジールはザックスの髪の毛を撫でた。
「当日、盛り上がるかな?」
「皆、驚くと思うぞ」
その様子を想像して、ザックスは笑った。この格好で剣でも振り回したら、かなり面白そうだ。
「だが……」
アンジールが僅かに声のトーンを落とす。それに気付いたザックスの頬にそっと触れて、静かに囁く。
「今のお前を、誰にも見せたくないな」
「アンジール……」
何だかザックスは、胸の奥がきゅんとして仕方なかった。ついさっきまであんなに恥ずかしがっていた自分が、まるで嘘のようだ。どういう訳か今は、この姿をアンジールだけにもっと見て欲しいと思ってしまう。
『どうしたんだ、俺……』
そう、ドキドキしているのだ。それが凄く不思議で、驚く事に少し嬉しかった。
「あ、あのな」
「何だ?」
「……その」
「ん?」
「……折角、だから」
そう言ってザックスは、袋の中から化粧道具が入っているポーチを取り出した。それを見て、アンジールの瞳が細められた。
ポーチの中身をごそごそ探りながら、「アンジールにだけ」とひとり呟く。その頬はほんのりと赤くて愛らしかった。
「と……、取り敢えず、これから」
そう言いながら取り出したのは、つるりとした小瓶。爪を色付けるマニキュアだった。濃い柔らかな色の桃色は果実を思わせる。
ザックスは蓋を捻って開けると、ブラシに付いたマニキュアを瓶の口で扱く。アンジールが無言で瓶を受け取ると、ザックスは「ありがと」と笑った。そして、おもむろに慣れない手付きで爪に色を乗せ始める。
「…………」
思いの外、難しい。マニキュアをブラシに含ませすぎてもはみ出るし、少なすぎてもいけない。ザックスは息を止めて、左手の小指を桃色に染めた。何となく、指先がひんやりする。
ザックスが真剣な表情でマニキュアを塗る姿に、アンジールは思わず魅入ってしまった。
横顔の輪郭が美しい。やや俯き加減で、息を吹きかけるように僅かに唇を尖らせている。さらりと落ちる前髪。碧い双璧を少し細めて、自らの指先を一心に見つめながら、爪を可憐な桃色に染める。時折その身に纏ったシフォンが、さらさらと乾いた音を立てた。
ザックスが中指まで桃色に染めた時、アンジールがその手からブラシを取った。そして代わりに、瓶を手渡す。
「俺が塗る」
「うん、良いよ……」
ザックスの左手をアンジールは恭しく取ると、まずその甲にキスを落とした。唇をつけたまま、殊更ゆっくりとザックスを見つめると、彼はとても綺麗に微笑んだ。
「お前、綺麗な指してるな」
アンジールがザックスの指を桃色に染める。はみ出さないように、ゆっくりと丁寧に。
「そう? でも、それって褒め言葉か?」
「当たり前だろ」
「そっか。ありがと」
剣を扱う手として、「指が綺麗」と言われるのはどうなのだろうと思った。でも、嬉しかった。アンジールに「綺麗」と言われた事が。例えそれが、指の事だとしても。
『あんただって、綺麗じゃないか』
自分の手を取るアンジールの指先を見て、ザックスは思った。
彼の手によって、桃色に染められる指先。触れ合う部分が温かい。節が綺麗に出るアンジールの指先を、ザックスは静かに見つめる。
この指先が優しく、時には無慈悲に自分に触れる。この体で、彼の指先が触れていない部分などなかった。探って暴かれて、それはとても気持ち良くて、彼の指先の動きひとつで自分は歓喜の涙を流しもする。
「ぁ……」
体の奥が熱くなって、思わず吐息めいたものを漏らしてしまった。それに気付いたアンジールは顔を上げずに、ザックスの指先を小さく撫でた。息を飲む音が聞こえる。アンジールは唇の端を微かに上げた。
「ほら、出来た。反対の手も貸してみろ」
「もう……良い、かな?」
「まだじゃないか」
「そ、う? ……ぁ」
頬を両手で包まれて、唇にキスを受ける。何度も何度も。
マニキュアが乾くまで触れないように、ザックスは両手の指先を広げるようにしている。この時間が結構不便だ。だって、何も出来ない。だからさっきから、こうしてアンジールのキスを受けるばかり。自分だって、アンジールに触れたいのに。
アンジールがマニキュアの乾き具合を確認する。
「もう少し、かな。乾くまで触るなよ」
「ん」
ちゅっ。こめかみにキス。瞼に目尻にキス。そのまま唇は耳元へ。
「可愛い」
甘い囁きを吹き込んで、僅かに染まった柔らかい耳朶にキス。
「何か……、ずるい」
「そうか?」
「そう、なの」
アンジールの指先が、ザックスの額に掛かった前髪を退かせる。そのまま指先で髪の毛を梳く。地肌に触れるアンジールの指の感触が、心地良かった。
「なぁ、ザックス」
「何?」
アンジールが左右の手で、ザックスの手首を掴む。ずるい。これだともう、何も出来ない。
「ホント、可愛いな」
「も、ぉ」
顎先や首筋に触れるだけのキスを何度も受けながら、「この指先、早く乾けばいいのに」と思う。
でも。
彼のキスをずっとずっと、この体に受けていたいとも思う。もっと、もっと触れて。
ザックスは首を反らせながら、「好き」と呟いた。視界の隅を、指先の桃色が掠めた。
20100207