「で?」
「それで、俺がシャワーを浴びて寝室に戻ってきたら、お前の体は元に戻っていたんだ」
「元に戻った時なんて、覚えて、ない……」
「そりゃそうだろ。お前は寝てたんだから」
リビングでブランチを食べながら、ふたりは今朝の不思議な体験について話している。
「あの、さ……もしかして、……見た?」
「何を?」
「その、えっと……あー……」
目の前でケチャップがたっぷりかかったオムレツを、美味しそうに食べていたザックスの手が止まる。そして自分で言いながら恥ずかしくなってしまったのか、頬を赤くして俯いてしまった。今の彼はもうすっかり、いつも通りの見慣れた姿だった。間違いなく、男性だ。
アンジールは手にしていたフォークを置いた。
「安心しろ。見てない」
「ホントに?」
「ダメだと言ったのはお前だろう?」
「う、ん」
安心したような、でも何処かがっかりしたような複雑な気持ちになった。自分でも良く分からない。自分の体で、アンジールが触れていない場所など何処もないのに。
アンジールはシャワーを浴び、ザックスに煽られてしまったと言っても過言ではない体の熱を鎮め、冷水を浴びて寝室に戻ってきたらザックスの体はもうすっかり元に戻っていたのだ。小さく声を上げながら気が付いた彼に、アンジールはシャワーを浴びるように勧めた。ぼんやりと何処か夢うつつの表情で言われるがままに頷いたザックスは、その体を起こしてのろのろとバスルームへ向かった。そして、暫く出てこなかった。
アンジールがブランチの用意をしていたら、シャワーを浴びてさっぱりとしたザックスがキッチンに入ってきた。その顔を酷く恥ずかしそうに赤くして。
気を失うまでの出来事を徐々に思い出したのだろう。居たたまれなさそうな顔をして、何か言いかけては止め、ひとりブツブツ呟いては更に顔を赤くする。その様子はアンジールから見れば思わず笑ってしまいそうなものだったが、当のザックス本人はそれどころではなさそうだった。
アンジールは皿の上を綺麗にして、コーヒーを飲みながらザックスを見つめた。髪の毛の隙間から覗く耳朶がほんのりピンク色だ。
「可愛かったぞ、お前」
「なっ……ッ」
飲みかけていたカフェオレで咽せそうになるのを、寸でのところで堪えた。苦しくて堪らない。
「今も勿論、可愛いがな」
「アンジールッ!!」
「でも、あの薬はまだまだダメだな。寧ろ全然ダメだ。不安定すぎるし、改良の余地がありまくりだ。科研も大体どうしてあんな物を……それより、ザックス」
アンジールの声音が変わった。ザックスは持っていたカップをテーブルの上に置く。
「もう、治験のバイトはするな」
「う、ん……」
そう返事をしつつも、ザックスは思った。実はもう一度、今度はもっと長い時間、あの姿でアンジールと一緒にいてみたい、と。ベッドの中で抱き締められて、もっと彼の熱を感じてみたいし、普通に一緒に外に出掛けてみても楽しいかもしれない……、なんて。
ザックスの歯切れの悪い返事にアンジールの蒼い双璧が細められ、眉がピクリと微かに上がった。
「もうするな」
「……分かった。もうしない」
ザックスはアンジールを窺うように見た。その厳しい眼差しが和らぐのを見て、ホッと息を付いた。
「お前、今回の薬で、もし元に戻らなかったらどうするつもりだったんだ?」
半ば呆れたように尋ねたアンジールの言葉に、ザックスは俯き気味になった。恥ずかしげな表情で、でも何処か微かに嬉しげに見えるのは気の所為だろうか。
「元に戻れなかったら……その時は、アンジールと、」
「俺と?」
ザックスは顔を上げて、じっとアンジールを見つめた。
「……やっぱ言わない。怒るかも知れないから」
アンジールが肩を上下に動かして息を吐いた。
「あのな……もうお前のそれには慣れた。そう言ったお前に、俺が怒った事あったか?」
ザックスがふるふると首を左右に振るのを見て、「そうだろ」とアンジールは言った。
「ほら、怒らないから言ってみろ。俺と、何だ?」
「結婚しようかなって……」
「ッ!!」
さすがのアンジールも、ザックスの発言には声を詰まらせ、その顔を赤くした。滅多に見られない彼の驚いた表情に、ザックスはひとり嬉しくなる。テーブル越しに手を伸ばしてアンジールの指先を掴むと、そのままきゅっと握り締めながら嬉しそうに、でもほんの少し不安げに彼の顔を覗き込むようにして話す。
「やっぱ……怒った? 嫌だった?」
「いや、そういう訳では……」
全然嫌ではない。寧ろ大歓迎だ。さすがに少し驚いてしまったのだ。
「良かったー」
ザックスはホッとしたように息を吐いた。
「んでさ、子供作ろうよ。俺達ふたりの子供、きっと可愛いぜ」
ここまで言ってしまえば、もう後は楽しくなってくる。アンジールが驚きと嬉しさの入り交じった表情で、自分をじっと見つめていた。
もし、体が元に戻らなかったその時は、本当にアンジールと結婚して彼の子供を産もうと思ったんだ。本当に。
突然、アンジールが無言のまま立ち上がった。そして、ザックスの腕をむんずと掴むと、半ば引きずるようにリビングを後にした。よろけそうになるのを必死に堪えて、気付けばベッドの上に転がされていた。
そのまま、力強く抱き締められた。思わず息が止まってしまいそうな程、とても強く。
「ア、ンジー……ル?」
「…………」
アンジールは何も言わない。やがて、少しだけ抱き締める力が緩められた。でも、時折きつくザックスを抱き締め直す。
「アンジール……」
ザックスはそっと腕を動かすと、彼の広い背中をゆっくりと撫でた。彼が何も言わなくても分かる。彼の気持ちが伝わってくる。
そう、自分はこんなにも彼に愛されているのだ。
「ずっと一緒にいて、いい?」
再びきつく抱き締められた。ザックスは嬉しくてとても幸せそうに笑う。
「あのさ……ずっと一緒にいて、くれる?」
「当たり前だっ!!」
アンジールが後から小さく「バカ」と言ったのが聞こえた。凄く凄く嬉しかった。
『全く以てお前は、どうしてこんなに……』
どうしようもなくザックスが愛しくて愛しくて、胸が張り裂けてしまいそうだった。この腕の中の温もりをいつまでも感じていたくて、アンジールはずっとずっとザックスを抱き締め続けた。
20100911