コイしたい。 03


 アンジールは数日掛けて、鯉のぼりの汚れを取り、破れたりしている部分を繕った。作業はザックスが寝てから、こっそりと内緒で。一度、トイレに起きたザックスに「なにしてんの?」と言われて、どぎまぎしてしまったりもした。
 「これで、良し」
 すっかり綺麗になった鯉のぼりを、アンジールはリビングの床に広げた。明日はもう「こどもの日」。結局ギリギリになってしまったが、ちゃんと間に合った。
 「喜ぶかな」
 ザックスの笑顔を思い浮かべながら、アンジールは鯉のぼりを眺めた。尾びれの部分に、小さく「ザックス」と名前が入っている。細部の確認をしてから鯉のぼりを畳むと、そっと寝室のクローゼットにしまった。
 ベッドサイドの間接照明を点ける。ベッドですやすやと眠るザックスの隣に、アンジールは静かに入った。ブランケットを上げると、温かな空気がふわりとアンジールを包み込む。滑らかで柔らかい頬に指先で触れると、ザックスは「んー」と声を漏らした。
 「おやすみ」
 優しく抱き締めるようにザックスの体に腕を回して、アンジールは瞼を閉じた。



 「できゆもんねー」
 小さなザックスは鼻歌を歌いながら、もそもそとパジャマを脱ぎだした。
 アンジールが朝食の準備をしている間、ザックスはリビングで着替えをしているのだ。ちゃんと着替えられているか、アンジールが時折キッチンから覗き込む。
 『よしよし、ちゃんと出来てるな』
 カットソーに首を突っ込んでいるザックスを確認して、手元に視線を戻す。頃合いを見計らってコンロからフライパンを下ろし、スクランブルエッグを皿に乗せた。ウィンナーは少し手を加えて、タコの形に切ってある。ザックスがお気に入りの「タコさんウィンナー」だ。
 もう一度リビングを覗くと、ザックスはテレビに釘付けになっていた。カットソーは着たものの、下はパンツ一枚のままだ。アンジールが声を掛けようとした時、ザックスがくるりとキッチンの方を向いて叫んだ。
 「きょう、こいのひー!!」
 そのままパタパタとアンジールの元に駆け寄ってくる。どうやらニュースで「こどもの日」の話題を流したらしい。確かに今日が「こどもの日」だった。
 「ねー、こいはー?」
 ザックスがアンジールの足にしがみつき、小さく跳ねながら見上げてくる。アンジールはしゃがみ込んで、ザックスの頭を撫でた。
 「大丈夫、ちゃんと来るさ。でもほら、きちんと着替えないと。パンツのままだと、来てくれないかもしれないぞ」
 「あーっ!!」
 ザックスは少し恥ずかしげに「えへへ」と笑うと、再びリビングに戻った。そして鼻歌を歌いながら、もそもそとズボンを履き始める。
 「やれやれ……」
 アンジールは小さく笑いながら、トレーの上にふたり分の朝食を乗せた。



 楽しくて美味しい朝食を済ませ、アンジールは洗い物を終えた。ザックスはリビングで、子供向けのテレビ番組を見ている。さっきから一緒に歌ったり、体を動かしたりしていた。本人は物凄く一生懸命で、それが見ていて面白い。
 『今のうちに……』
 アンジールはそっと寝室へ入った。クローゼットの中から例の鯉のぼりを取り出すと、ベッドの上に広げた。
 「あーんじーゆー」
 リビングからザックスが呼ぶ声が聞こえる。アンジールは慌てて寝室を出ると、静かにドアを閉めた。すぐに返事をして、リビングに入る。
 「どうした、ザックス」
 「みてー」
 そこには何やらポーズをとったザックスがいた。どうやら体操の時間らしい。テレビの中で、お兄さんが同じポーズをしている。
 「上手いな、ザックス。うん!!」
 アンジールは褒めて、拍手をした。ザックスが満足げな顔で、抱き付いてきた。
 『体を動かす事は、得意だもんな』
 本来の彼を思い出しつつ、今は自分に抱き付いてくる小さな彼を、愛おしげに抱き締めた。



 お昼過ぎ。
 ザックスは眠たいのか、ラグマットの上でごろごろしながら、小さな手で何度も目を擦った。
 「眠いのか?」
 「んー」
 どうやら少しご機嫌斜めらしい。しかめっ面になっている。
 「ほら、おいで」
 アンジールが両腕を伸ばして抱き上げようとすると、ザックスがしがみついてきた。抱きながら優しく背をぽんぽんと叩くと、ザックスはアンジールの胸に頭を擦り寄せた。そのまま寝室へ運ぶ。
 アンジールが寝室のドアを開けて、ザックスにそっと話しかけた。
 「ザックス、」
 「んー」
 アンジールの胸に顔を埋めたままだ。
 「ほら、来たぞ……。鯉のぼりが」
 「ふぇ?」
 ザックスが顔を上げて、部屋の中を見た。そこには、ベッドの上に横たわる青い鯉のぼりが。アンジールが下ろしてやると、ザックスがベッドに駆け寄る。まじまじと眺めて、くるっとアンジールを振り返った。
 「こい、きた……」
 相当驚いているのか、何だか間の抜けた呟きだ。鯉のぼりとアンジールを交互に見る。
 「良い子にしてたからだな。良かったな、ザックス」
 アンジールが微笑むと、ザックスはみるみるうちにその顔を満開の笑顔にした。
 「あんじーゆー!! こいきたー!!」
 そして、アンジールに飛びついた。一頻り喜びを表現すると、ザックスは鯉のぼりに掛かりっきりになる。
 「ながーい!!」
 鯉のぼりの頭の方を掴んで、ベッドからずるずると引きずり下ろす。そのまま寝室を出て、鯉のぼりと一緒にリビングまで歩く。ずるずる、ずるずる。ザックスにくっついて、部屋の中を泳ぐ鯉のぼり。
 リビングのラグマットの上に、ザックスはせっせと鯉のぼりを広げようとする。頭の方を引っ張っては、尾びれの方を引っ張り、また頭の方を引っ張る。何度か繰り返して、鯉のぼりは綺麗にラグマットの上に広がった。
 「こーい!! ザッくんも、こいー!! ひらひらー」
 鯉のぼりの隣にごろんと寝転がって、手足を伸ばす。ちらっとアンジールの方を見ては、目で「どう?」と聞いてくる。
 「一緒に鯉のぼりだな。上手いぞ、ザックス」
 ハッキリ言って、どう褒めたらいいのかアンジールにも微妙なところだが、当の本人はアンジールに褒められて大喜びで手足をピコピコと動かしている。
 全く以て、見ていて飽きない。
 ザックスは鯉のぼりの端に横たわり、ごろごろと転がる。すると鯉のぼりは、するするとザックスの体に巻き付いた。あっという間に『ザックスの鯉のぼり巻き』が出来上がる。思わずアンジールが大笑いすると、ザックスもつられて大笑いした。
 「ねー、みてみてー、あんじーゆー」
 トイレから戻ったアンジールが目にしたのは、鯉のぼりの頭の方から自分の頭を突っ込んで、足をばたつかせているザックスだった。まるで、鯉のぼりに食べられているようにしか見えない。滑稽なようだが、ザックスがやると可愛い以外の何者でもない。
 「ザックス、鯉のぼりに食べられているみたいだぞ」
 「きゃあー!! ザッくんねー、たべられたー」
 自分で大笑いしている。こうして日が暮れるまで、ザックスは青い鯉のぼりと一緒に遊び続けた。
 そう、今日は「こどもの日」なのだ。




 20120503/初出20100502