きみからのおくりもの 11


●おかえり●


 お前、ザックスだろ?
 うん。ザッくん?
 あぁ。俺、ザックス。お前……俺だろ?
 ……うん。ねー、ザッくんは、おっきくなったザッくん?
 何だかややっこしいな。でも、俺はお前が大きくなった姿だ。分かるだろ?
 ……うん。ザッくんわかゆ……しってゆもん……。

 ねー、あんじーゆのこと、しゅき?
 え? あぁ、好きだよ。
 だいしゅき?
 大好き。お前もだろ?
 うん、だいしゅき……。
 だよな。
 …………。
 どうしたんだよ。
 ……あんねー、はやくいってー。
 え?!
 まってゆから。
 誰が?
 あんじーゆ。
 アンジール?
 うん。ザッくんねー、もうかえゆの。だから、はやくいってー。
 帰る? でもお前、一人で大丈夫なのか? 帰れるのかよ。そもそも、何処だか分かるのか?
 ……へーき。ザッくん、へーきだから。はやくー。
 あ、うん。でも……、
 あんじーゆ、まってゆ。もーっ、はやくいくのーっ!!
 ん、分かった。俺、行くな。……ありがとな。

 オムライスにケチャップ。ハンバーグにもケチャップ。おやつのアップルパイにプリン。それからそれから……。どれも美味しくて大好き。
 この青いパーカーでお出掛けした。公園にも行った。一番好きな色は、青色。
 「あひゆしゃん、わしゅれた……」
 お風呂場でぽつんと、寂しがっているかもしれない。でも、きっとアンジールがお風呂に浮かべてくれるから、大丈夫だよ。ザックスは小さく笑った。
 大好き。大好き大好き大好きだもん。
 アンジールが大好きだと思ったら、目がじわっと熱くなった。小さな滴が溢れた。
 「ザッくん、つおいもんねー。なかないもん……」
 ズズッと鼻を啜って、小さく息を吐いた。
 体が酷くフワフワしてる。温かくて、まるでお風呂の中にいるみたいだった。
 とってもとっても眠たくて、ザックスは小さな体を丸めて目を閉じた。
 「あったかい……あんじーゆみたい」
 小さく呟いて、そっと微笑んだ。

 
 


 「う、ん……」
 ザックスは、ほんの少しの息苦しさで目を覚ました。目の前には、アンジールの寝顔。彼の腕が、自分の体に包み込むかのように回されていた。それはまるで、何かから自分を守るように。指先が握られている。ザックスがそっと握ると、アンジールが気付いた。
 「ザッ、クス……?」
 少し掠れた声で、確かめるように名前を呼ばれた。
 「うん」
 アンジールの腕が解かれて、ゆっくりと頭を撫でる。そのまま、するりと頬に触れた。
 「お前……」
 ようやく頭がはっきりしてきたアンジールは、ベッドの上に起き上がった。ザックスも続いて体を起こす。彼はブランケットを小さく持ち上げた。
 『何で俺、素っ裸なんだろ……』
 パジャマはともかく、下着まで着けていないだなんて。疑問を感じながらも、アンジールの方を見た。蒼い瞳が、じっと自分を見つめている。
 目の前にいるザックスは、子供ではなくて、紛れもなく青年の体つきをしていた。まだ全体的に細さはあるものの、肩から腕に綺麗に流れるように筋肉が付いている。身長も自分より僅かに低いだけ。何もかもが小さかったザックスとは、まるで正反対だ。
 自分をじっと見つめる視線に気恥ずかしさを感じたのか、ザックスは頭を小さく掻いた。
 「俺、どうしてた? ずっとずっと、眠っていたような気がするんだけど……」
 アンジールの表情に、驚きのそれが加わる。
 「何も、覚えていないのか?」
 「う、ん……」
 ザックスは思い出そうと試みるものの、さっぱり何も出てこない。
 「何か、夢を見た。小さい頃の自分が出てきた」
 目覚める直前に見た夢なのか、それともずっと前に見た夢なのか、ザックスには分からなかった。でも、夢を見た事は確かにはっきりと覚えている。
 アンジールがザックスの体を引き寄せた。枕を背当て代わりにして、ベッドの上でふたり寄り添う。
 「どんな夢だったんだ?」
 アンジールがザックスの指先を手にして、そのまま静かに唇で触れた。確かに触れて感じたあの小さな指先が、今はまるで嘘のようだった。同じ彼の指先なのに。
 「うん……、俺に『アンジールが待ってるから、早く行け』って言ってた」
 「そうか……」
 「俺ら、お互いに『アンジールの事大好き』って」
 ザックスは目を細める。小さな自分が、彼を大好きと言った時のあの表情。小さくても凄く真剣な表情だった。でも、ほんの少しだけ寂しさを漂わせていた。
 アンジールは目を伏せる。瞼の裏に、眠る直前の小さなザックスの姿が鮮明に浮かび上がる。あの、柔らかな笑顔。天使みたいな笑顔。
 アンジールは迷った。でも、思い切って聞いてみた。
 「小さいお前……、どんなだった?」
 「笑ってたよ。でも、少し寂しそうな顔、してた……」
 言いながら、ザックスはいつの間にか涙を零していた。透明な滴が、ぽろっと目縁から零れ落ちる。一粒、また一粒。ぽろぽろと零れ落ちる涙。何故自分が泣いているのか分からなくて、ザックスは戸惑う。
 「あ……れ? 俺、ど……して」
 「ザックス」
 アンジールは彼を、そっと胸に抱き寄せた。アンジールは静かに涙を流すザックスの肩を抱きしめ、彼のこめかみに唇を寄せた。
 もしかしたら、あの時の小さなザックスは、とてもとても寂しかったのかもしれない。
 『……ザッくんね、もうしゅぐ、かえゆ』
 健気にも笑っていた小さなザックス。こうして本来のザックスを連れて来てくれたけれど、お前はひとり、何処に行ってしまったんだ?
 あんなに笑って、泣いて、そして怒って。小さな体で精一杯自分を表現して、俺に何度も「大好き」と叫んで。
 まるで、眩しい光。
 「忘れないさ。いつも、ずっと一緒だ……大好きだ」
 ザックスは分かった。これは、小さな自分に向けられたアンジールの言葉。自分を連れ戻してくれたのは、あの小さな自分。夢の中で、小さな手を伸ばしてくれた、自分。
 「ありがと……」
 ザックスは何度も何度も、「有り難う」と呟いた。アンジールと、小さな自分に。そんなザックスをアンジールは、ずっと抱きしめ続けた。


 後日。
 リビングには色んなものが並べられていた。その脇には、少し小振りの衣装ケース。
 「うおっ!! うさぎ耳が付いてる。これ、可愛いなー」
 ザックスは黄色いうさぎ耳付きパーカーを手にしながら、まじまじとそれを見ていた。
 「可愛いよな。小さなお前に着せたら、物凄く喜んでた。『うしゃたん』だそうだ」
 「うしゃたん……」
 思わずポツリと呟いた。
 小さなザックスが使っていたものは、こうしてアンジールの手元に残ったまま。アヒルもバスルームに残ったまま。ただ、小さなザックス本人だけがいなかった。
 「なぁ、小さな俺に……、青いパーカー着せてた?」
 「あぁ、着せてたぞ。そこに一緒にあるだろ?」
 ところが、アンジールが衣装ケースの中を探しても、色鮮やかな青色のパーカーが見あたらない。
 「……おや? ある筈だが……」
 ザックスは、衣装ケースの中を探るアンジールの背中にそっと抱き付いた。そして、額を背中に当てながら「あいつ、それ着てた」と言った。言ってから、何故か胸の奥がきゅっとした。
 それはきっと、小さなザックスが感じた寂しさ。大好きなアンジールと離れなければならなかった、あいつの胸の痛み。多分、きっと何処かで、俺達は繋がっている。だから今、こうして胸が痛いのだ。あいつが感じている寂しさと切なさが、静かに緩やかにこの胸に流れ込んでくるのだ。
 「ザックス……」
 アンジールが振り返り、ザックスをふわりと抱き締めた。額にそっと唇を当てる。
 「信じられないけれど……、あいつを、夢まぼろしに……、しないで」
 「そんな事しないし、思ってもないさ……」
 説明出来ない。証明出来ない。でも、小さなザックスは確かにいた。片時も自分の側から離れず、小さな手で必死に抱き付いてきたのだ。それを、「夢まぼろし」にしてしまう事は、小さなザックスを消してしまう事。そんな事、出来る筈がなかった。
 「あいつが、お前を連れ戻してきてくれたんだ。小さいのに、ちゃんと分かってたんだな……」
 「うん」
 「あいつに会えて良かった。楽しかったぞ」
 「ありがと」
 そして、ザックスは柔らかく笑った。弾みでポロリと涙の滴が零れる。今、とても嬉しかった。きっと、あいつが嬉しいんだ。
 『ありがとー』
 舌っ足らずの声がどこからともなく聞こえた気がして、アンジールは無言で頷いた。
 大きくても小さくても、ザックスはザックスなのだ。同時に存在しないふたりを共に抱き締めるように、アンジールは腕の力を少しだけ強めた。




 20100724