きみからのおくりもの 10


●ザッくんね……、●


 『あんねー、ザッくんねー、あんじーゆといっしょだよ』
 『んじゃ、ザッくんとあそぼー』
 『ザッくん、かっこいいー?』
 『ザッくんねー、けちゃっぷねー、しゅきー』
 『あんじーゆ、おんなじー。ザッくんとおんなじー』
 『ザッくんも、あんじーゆ、だいしゅき!!』
 『それ、ほしい。ザッくん、それほしい……』
 『あんじーゆ、しゅき……』
 『あんねー、ザッくん、おっきくなりたい』

 『ザッくん、いますぐおっきくなりたい……、あんじーゆといっしょがいいー』


 「う、ん……」
 ザックスはぼんやりと目を覚ました。リビングで遊んでいたら、ラグマットの上でそのまま寝てしまったらしい。きょろきょろと辺りを見回すと、アンジールが優しげに微笑みながら自分を見つめていた。
 「あんじーゆ」
 大きな両腕はザックスを優しく抱き上げて、一緒にソファに座る。アンジールの上に乗っかったザックスは、小さな手で目を擦った。
 「遊んでたら、寝ちゃったな。ベッドでお昼寝するか?」
 「うぅん」
 首を横に振るものの、ザックスは目を閉じてその体をアンジールに預けた。
 最近ずっと、こんな調子が続いている。
 ザックスはいつも眠そうにしている。単純に、昼寝が増えた。以前は余り日中には寝なかったのに、最近は遊んでいる途中でも、気付いたらいつの間にか眠っていたりした。当初、アンジールは具合が悪いのではないかと酷く心配して、体温計で熱を測ってみたりしたけれど、特に熱がある訳でもなかった。ザックス本人に聞いても、「へーき」と言うばかり。ただ、眠たくなってしまうだけのようだった。
 アンジールはいつもより注意深く、ザックスの様子を観察した。
 時折、宙の一点を見つめていたりして、まるでアンジールには見えない何かを見ているような仕種。聞こえない何かを聞いているような仕種。持ち前の明るさと元気さが際立つだけに、ザックスのこのような多少不思議とも思われるような仕種は、アンジールの胸に酷く焼き付いた。そして、何処か彼を不安にさせた。
 それでもアンジールは、そんなザックスを見守りそっと抱き締める事しか出来なくて、それが酷くもどかしかったけれど、どうしようもなかった。


 その日の夜ご飯は、ザックスの大好きなオムライスだった。
 「あんじーゆ、あんねー」
 キッチンでオムライスを作っているアンジールの足元に、ザックスがぎゅーっとしがみついて見上げてくる。その顔はとびきりの笑顔だった。
 「大丈夫。ケチャップ、沢山だよな」
 「うんっ!! ザッくんねー、けちゃっぷ、だいしゅきだもーん!!」
 アンジールの言葉に喜び跳ね回りながら、再びリビングへ戻る。その姿を微笑ましく見つめながら、アンジールは手元のフライパンに視線を戻した。ケチャップで炒めたライスを、薄く焼いた卵でくるりと包んで出来上がり。ウィンナーは敢えて入れず、タコの形にして別に添えた。
 リビングのローテーブルにアンジールがふたり分の皿を並べる。オムライスにコンソメスープ、それにサラダ。クッションを積み上げて、その上に座ったザックスの目がキラキラとしている。「おいしそー」と呟きながら、アンジールが座るのを今か今かと待っている。
 「さぁ、食べような」
 「いただきまーしゅ!!」
 するとザックスはケチャップを掴んで、ニコニコしながらアンジールに差し出した。オムライスの上に、ケチャップをかけて貰いたいのだ。
 「今日は何にしようかな……」
 アンジールがケチャップのキャップを外して、ちょっと考える素振りをする。そんなアンジールを、ザックスはワクワクしながら見つめる。やがてアンジールはオムライスの上に、ケチャップで何やら書き始めた。
 それは、寄り添うふたつのハートだった。大きいハートと小さいハート。
 「どうだ?」
 「はーと……ザッくんと、あんじーゆ?」
 「勿論。いつも一緒だもんな」
 そしてアンジールは、思わずザックスをきゅっと抱き締めた。何だかどうして、少しだけ胸が切なかった。ザックス。大事なザックス。小さくても、大事な大事なザックス。
 「しゅきー」
 ザックスもきゅっと抱き付いた。オムライスは大好き、ケチャップも大好き。でも、もっともっと大好きな、アンジール。
 一緒に食べるご飯はとっても美味しくて楽しくて、ザックスもアンジールも終始笑顔だった。オムライスが乗った皿は、あっという間に綺麗に空になった。


 いつもなら、風呂上がりは早めに寝てしまうザックスだったが、今夜は何故か寝付きが悪い。それは本人も理解しているようで、珍しくぐずった。アンジールがそっと抱き寄せると、触れた体が少し熱い事に気付く。風呂上がりと言っても、もうそれなりに時間が経っていたので、アンジールはザックスの額に掌を当てた。
 『少し、熱があるかな……』
 ザックスの顔を覗き込むと、特に苦しそうな様子ではなかった。
 「ザックス、熱いか?」
 「うぅん、へーき……」
 するとザックスは、着ているパジャマを掴みながら、「これ、いやー」と言って脱ごうとする。
 「着ていないと、風邪引くぞ?」
 「やだー、ザッくん、きたくない」
 ブランケットの中でバタバタ足を動かしているうちに、ズボンが少し下がってしまう。
 「どうして着たくないんだ?」
 アンジールの問い掛けに、ただひたすらに「いやだ」と言いながら、パジャマを脱ごうとする。ザックス本人にも、実は良く分からなかった。でも、良く分からないものの、着たくない事だけは確かだった。
 終いにはザックスがシクシクと泣いて嫌がるので、アンジールはベッドから下りるとブランケットをもう一枚出した。そして、シーツの上にも一枚大きめのタオルを敷いた。
 「ほら、万歳して」
 アンジールの声に、ベッドの上に起きたザックスが両腕を上げると、するりとパジャマが脱がされた。そのままズボンも脱いで、パンツまで脱ごうとするものだから、アンジールはちょっと驚いた。
 「ザックス、パンツは履いてような」
 「やだーっ」
 ザックスは叫びながら小さなパンツを脱ぐと、ブランケットの中にもぞもぞと潜り込んだ。どうしたものかと思いながら、アンジールはザックスが脱いだ物を纏めてサイドテーブルに置いた。そして、自分も横になるとブランケットをしっかりと引き上げた。
 ザックスの体が冷えないように、アンジールはその小さな体を抱き寄せる。掌に素肌の感触が心地良い。ザックスもアンジールの胸に顔を寄せて、気持ち良さそうに微笑んだ。小さな掌を、アンジールのパジャマの合わせ目からそっと差し入れて素肌に触れる。「あったかい」と呟いて、小さく撫でる。それはアンジールにとって、少しこそばゆかった。
 「ザックス、ちょっと待ってろ」
 アンジールは起き上がるとパジャマの上着を脱いで、再び横になる。するとザックスが、アンジールの上によじ登った。
 「あんじーゆ、あったかい……」
 素肌の胸元に頬を押し当てながら、ザックスは心地よさそうにうっとりと言った。すん、と鼻で空気を吸い込むと、仄かに石鹸の香りと混ざったアンジールの匂いがする。良く知ってる、安心する匂いだ。
 「ザックスも温かいな」
 掌で背中を何度も優しく撫でる。
 それはまるで、親子のスキンシップ。素肌のさらりとした感触と温もりが、ザックスを酷く安心させた。同時にアンジールも、満ち足りた気持ちになる。触れ合う部分からお互いの体温が混ざり合い、ゆっくりと穏やかな時間が過ぎる。
 アンジールの指先が、ザックスの頭に触れる。そっと撫でて髪の毛を梳くと、ザックスは気持ち良さそうに目を閉じた。やがて、するりとアンジールの上から下りると、お互い横向きになり、温かなブランケットにくるまれながら向かい合う。アンジールがザックスの頬に触れると、その指先をきゅっと掴んでくる。そのまま引き寄せて、小さな指先にちゅっとキスをすると、ザックスもそれを真似た。
 「あんじーゆ」
 「何だ?」
 「ザッくん、ちゅー」
 唇に、小さくて柔らかい感触。アンジールも「ちゅっ」と言いながらキスをして、そのまま頬擦りすると、ザックスはうふふと笑った。
 優しくて温かい時間を過ごしているうちに、気付くともうすぐ日付が変わろうとしていた。ザックスにとっては、かなりの夜更かしだった。一頻り触れ合って、ザックスは既にぐずった様子もなく、満足そうに微笑んでいる。さすがに眠たくなってきたのか、瞳もとろんとしてきた。
 「あんじーゆ……」
 指先を握り合ったまま、ザックスがアンジールに小さく話しかける。
 「何だ?」
 「あんじーゆ、ザッくんのこと、しゅき?」
 「あぁ、大好きだ」
 小さな額にキス。
 「ザッくんも、あんじーゆ、だいしゅき」
 小さな頭を優しく撫でた。
 「あんじーゆ……」
 「ん?」
 「ザッくんいないと、さびしい?」
 「あぁ、寂しいな」
 そっと抱き寄せた。胸元に少し高めの体温と、規則正しい鼓動が響く。
 「……ザッくんね、もうしゅぐ、かえゆ」
 ザックスの言葉に、アンジールはきゅっと瞼を閉じた。何処かで、分かっていた気がする。この時が来る事を。
 「帰るって……何処にだ?」
 「…………」
 ザックスは何も言わなかった。泣きそうな顔をしているかもしれないと思い、アンジールはそっとザックスの顔を覗いた。アンジールの心配を余所に、眠たげな顔はどこか笑っているようにも見えた。それが却ってアンジールを切なくさせた。
 「でもねー……、おっきなザッくん、くるよ」
 「えっ!?」
 「だから、あんじーゆ……、さびしくないよ……」
 「お前は?」
 「…………」
 何も言わない代わりに、寄せた指先がきゅっと握られた。この小さな手に、これ程の力があるのかと思わせる程、力強くきゅっと握られる。そしてザックスは無言のまま、目尻に小さく透明な涙を滲ませた。
 ふぅ、とザックスが息を吐く。胸元でそれを受け止めたアンジールは、ザックスのこめかみに唇を寄せる。目尻に触れた時、唇に小さく湿った感触。アンジールは舐め取るように、ちゅっと音を立ててキスをした。
 時折、ぱちぱちとゆっくり瞬きをするものの、ザックスの瞼は重たげで、今にも眠ってしまいそうだった。
 「ザックス?」
 「ザッくんねー……、あんじーゆ、だいしゅき」
 「ザックス」
 「……あんじーゆ、いっしょ……いつも」
 「ザックス!!」
 アンジールは思わず大きな声を上げた。するとザックスは閉じかけた瞼を上げて、空の色にも似た碧い瞳でじっとアンジールを見つめる。そして、ふんわりと笑った。何だか今にも消えてしまいそうな儚さを含んだ笑顔に、アンジールは胸が締め付けられて、いよいよ泣きそうになった。小さな頬に、愛しさを込めてキスをする。くすぐったかったのか、ほんの少しだけ身じろいで、ザックスは嬉しそうに、うふふと笑った。
 「ありがとー」
 そしてゆっくり目を閉じながら、「ザッくんねー、ねむいの」と呟く。抱き寄せた小さな体は、いつもと何ら変わりはなくて、ただ僅かに高いと感じる体温が今はとても心地よい。
 ザックスはアンジールの腕の中に体温と呼吸と、全ての感覚、自身の存在を委ねる。一つずつ、そっと置いていく。
 小さな唇が、そおっとそおっと薄く開いて、夜に溶けてしまいそうな声音で、

 「ばいばい」


 それから先の事は、良く覚えていない。
 気付いたら、自分も眠ってしまっていた。
 まるでザックスが眠りの魔法をかけたかのように、いつの間にか眠ってしまっていた。
 腕の中に、とても愛しい存在を感じながら。





 わすれないでね
 いつもいっしょだよ
 だいすきだよ




 20100626