きみからのおくりもの 09


●おっきくなりたい●


 静かな寝室にキーボードを叩く小さな音が響く。デスクライトのみが点けられ、手元が明るい分、部屋の隅の暗さが一層際だった。ベッドにはブランケットにくるまったザックスが、静かに小さな寝息を立てて寝ていた。
 ザックスの面倒を見るために休暇扱いとなっているアンジールの元には、日々の状況が各部署からメールで報告されてくる。2ndと3rdの演習の進み具合、現在遂行中の任務、その他諸々。逆にこちらの状況も、主にラザード宛にメールで報告していた。ザックスが子供の姿になってしまったのは極秘とされたので、一般の各部署にはアンジールもザックスも「休暇」とのみ伝達され、それ以上でも以下でもない事が暗黙の了解とされた。ザックスの教育係はアンジールだから、2ndだがザックスの扱いも同様だ。アンジールが1stだからこその待遇だった。
 アンジールが手元のファイルを開く。バインダーには数枚の書類が挟まれており、アンジールが書き込みを加える。そしてファイルポケットから、写真を取り出した。それは、ザックスの写真だった。以前、諸処の申請用書類に添付する為に撮影されたものだ。制服姿のザックスは、真っ直ぐにこちらを見つめている。僅かに口角を上げて、誇らしげな表情にも見えた。碧い瞳、長めの前髪、小さく覗く左耳のピアス。見慣れていた筈なのに、何だかもうずっと長い間会っていないような気がして、アンジールは目を細めた。
 「ザックス……お前、何処にいるんだ?」
 アンジールが思わずポツリと呟く。
 「ん……、んー」
 その時、ベッドからザックスの声が聞こえた。何だか苦しそうな声に、アンジールはすぐにベッドサイドに寄った。小さなザックスはほんの少し額に汗を浮かべて、苦しそうに眉を寄せている。
 「ザックス、ザックス……」
 アンジールが頬に触れながら声を掛けると、ザックスがそっと目を開けた。そしてアンジールの顔を見た途端に、泣き出してしまった。その体を優しく抱き上げると、アンジールはあやすように背中をとんとんと叩きながら、話しかける。
 「どうした? 怖い夢でも見たか?」
 「うん……、ふえっ」
 アンジールに抱き付きながら、ザックスはひっくとしゃくり上げる。
 「あんじーゆ、どっかいっちゃう……、ザッくん、ひとり……うっうっ」
 再び「うわーん」と泣き出してしまったザックスを抱き直しながら、アンジールがそっと顔を覗き込む。そのこめかみに唇を寄せながら、優しく話しかける。
 「大丈夫だ、ザックス。お前を置いて、何処かに行ったりしないさ」
 「ほんっ……と? ひっく」
 「あぁ、本当だ。だから、安心しろ」
 「ん……、ふぇっ」
 ザックスが落ち着くまで、アンジールは小さく体を揺らしながら、彼の小さな背中をさすり続けた。時折、「大丈夫だ」と声を掛けながら。壁に映るふたりの影が妙に大きく感じた。やがて、ザックスは再び小さな寝息を立て始める。
 「大丈夫だぞ……」
 まるで自分にも言い聞かせるように呟いて、ザックスが寝付いてもアンジールは暫く彼を抱いていた。


 「んー」
 ザックスが小さく身じろいだ。うっすらと瞼を開くと、目の前には大好きなアンジールの寝顔があった。
 『あんじーゆ、ねてゆ……』
 ザックスはそーっと指先でアンジールの顎に触れた。小さな指先にザラッとした髭の感触。
 『おひげー』
 撫でながらザックスは「ふふふ」と笑った。大好きな大好きなアンジール。美味しいご飯とおやつを作ってくれて、一緒に遊んでくれる。嬉しい時や楽しい時は一緒に笑って、悲しい時はきゅっと抱き締めてくれる。寝る時には優しく頭を撫でてくれて、朝起きると必ず隣にいてくれる。どんな時でも、いつも一番近くにいてくれるアンジール。
 小さくても、ザックスは一生懸命アンジールの事が大好きだった。
 『ザッくん、あんじーゆ、しゅきー』
 そう思ったら知らず知らずのうちに嬉しくなって、ザックスはブランケットに顔を埋めながら、くふんくふんと微笑んだ。
 そんなザックスにアンジールは気付いていた。
 実は少し前に起きていたのだ。自分のすぐ隣で、高めの体温がもぞもぞと動くものだから、アンジールが気付かない訳がない。こっそりと薄目を開けると、目の前でザックスが嬉しそうな顔で自分に触れてきたり、可愛らしい独り言を言っては微笑んだりしている。とても可愛くて愛しい。すぐにでもきゅっと抱きしめたかったが、そんなザックスを暫し見ていたくて、アンジールはずっと寝たふりをしていたのだ。
 「んー」
 ザックスが小さな手足をいっぱいに伸ばす。そのままくるりと寝返りを打って、丁度アンジールに背を向ける状態になった。何やら手足をもぞもぞと動かしている。アンジールはクスリと笑うと、ザックスに気付かれないように、そーっとブランケットから腕を伸ばす。そして、そのままガバッとザックスを抱きしめた。
 「捕まえたっ!」
 「ひやあぁ!!」
 甲高い素っ頓狂な声を上げて、ザックスはアンジールの腕の中で、驚きの余りその体をビクッと大きく振るわせた。アンジールがザックスの体をくるりと返して、「おはよう、ザックス」と微笑む。そのまま額にちゅっとキス。しかしザックスは喜ぶどころか、今にも泣き出してしまいそうな顔になった。ビックリし過ぎてしまったのだ。
 「ふっ……、ふぇっ」
 みるみるうちに涙がにじんでくる。今度はアンジールが驚いてしまった。
 「あ、あ……」
 「ザックス? 悪かった、ビックリしたよな」
 「あ……、あんじーゆの、ばかぁぁ」
 そのまま「うわーん」と声を上げて泣き出してしまった。何やら昨夜の状況に戻ってしまった感じだ。
 「すまない、ザックス。ごめんな。ほら、俺が悪かった」
 アンジールはザックスの体を抱き寄せて、あやそうとした。しかし、ザックスは抵抗するかのように小さな手足をバタバタと動かす。アンジールの頬にも、ペチペチと掌が当たる。
 「びっくり、したぁぁ……、ひっく……」
 ずずっと鼻を啜って、ザックスはようやくアンジールにしがみ付いてきた。それでもまだしゃくり上げる毎に、肩がひくりと揺れて、アンジールは背中を何度も何度も擦った。
 「ごめんな、ザックス。俺が悪かった」
 「ん……」
 「もうしない。ごめんな」
 「ん……」
 そしてアンジールは、涙で濡れに濡れてしまったザックスの頬に、そっと唇を押し当てた。そのまま小さく「ごめんな」と呟くと、ザックスが頷きながら小さな掌でアンジールの頬に触れる。
 「あんじーゆ……」
 「何だ?」
 顔を上げようとしたら、ザックスがしがみ付いてくる。
 「あんじーゆ、しゅき……」
 「俺もだぞ」
 いつしかザックスの呼吸は落ち着いていた。温かくて柔らかい小さな体が、自分にぴったりと寄り添って、それはアンジールにとってこの上なく心地好いものだった。
 「あんじーゆ……」
 「何だ?」
 「……おなか、しゅいた」
 ザックスの顔を覗き込むと、「えへへ」と照れたように笑っている。もうご機嫌はすっかり元通りのようだ。
 「よし、じゃあ朝ご飯食べような」
 「うん。ザッくんねー、おにぎりがいいー」
 手でおにぎりを握る真似をしながら、ザックスが笑顔で言った。アンジールはザックスの頭を一撫でして「了解」と答えると、ベッドから下りてキッチンへ向かった。
 寝室がしんと静まる。窓の外からは、眩しいまでの光が差し込んでいた。
 「おきゆよー」
 ザックスがもぞもぞとベッドから下りる。そのままリビングへ向かおうとしたら、いつもアンジールが使っている机の上から、今にも紙が落ちそうに飛び出ているのに気が付いた。
 「なにー?」
 ザックスが椅子によじ登ると、机の上にはファイルやら書類やらが広げられたままになっていた。その中の一枚に、ザックスの目が留まる。
 それは、本来の姿のザックスの写真だった。
 見覚えがある服。アンジールのと色が違う服。碧い目。ザックスは、じっと写真を見つめた。知ってるような知らないような奇妙な感覚が、頭の奥でゆらりと動く。
 「……おっきい、ザッくん?」
 自分と同じ名前の、アンジールの友達。
 ザックスが頭をふるふると左右に振る。知らない、知ってる、知らない、知ってる……、知らない……?
 「ザッくん……?」
 ザックスは何だか怖いような不安なような気持ちになって、急いで椅子を降りた。そして一目散に、アンジールがいるキッチンへ駆け出した。


 その日の午後、ザックスはおやつを残した。
 大好きなホットケーキだったのに、半分程食べると「ごちそーさま」と言って、フォークを置いたのだ。
 「ザックス、どこか具合悪いのか? お腹でも痛いのか?」
 いつもなら必ず全部食べるので、アンジールは心配になってザックスに尋ねた。しかしザックスは、首を横に振るばかり。
 「熱があるのかな?」
 アンジールがザックスの小さな額に掌を当てる。大丈夫、熱はない。掌を離そうとしたら、ザックスが小さく掴んで来た。
 「眠いのか?」
 「うん……、あんじーゆー」
 ザックスがしがみ付きながら「あんねー」と言うので、何かと思って耳を近づけて聞いてみると、「いっしょにおひゆねー」と言ってくる。アンジールは微笑んでザックスをそっと抱き上げると、静かに寝室へ移動した。
 「ザッくんねー、ねむいよ」
 「お昼寝しような」
 一緒にベッドに横になりながら、ふたりは手を繋いでいた。ザックスがアンジールの指を握ってきたからだ。
 「あんねー、ザッくん、おっきくなりたい」
 「大丈夫、ちゃんとご飯を食べて、ちゃんと寝たら、大きくなるさ」
 何とも可愛らしい事を言うなと思った。
 しかし次の瞬間、アンジールはドキリとした。同時に、奇妙な感情に襲われた。
 「ザッくん、いましゅぐおっきくなりたい……あんじーゆといっしょがいいー」
 繋いだ指先に、きゅっと力が込められて、ザックスが擦り寄ってきた。
 「ザックス、大丈夫だ。ほら、一緒にいるだろ?」
 アンジールが抱きしめて頭を撫でても、ザックスは暫く「一緒がいい」と呟いていた。そして、いつしか眠ってしまった。
 「『一緒がいい』って、まさか……」
 それはアンジールの想像通りだった。ザックスの言う「一緒がいい」とは即ち、アンジールと「同じくらいになりたい」という事なのだ。それはつまり、今のザックスからしてみれば、「アンジールと一緒の、若しくは同じくらいの大人になりたい」というものだ。
 「きっかけは『大きいザックス』か……?」
 本来の姿の自分を、「自分と同じ名前のアンジールの友達」と認識してしまったザックス。当然の事ながら見た事もない彼に、ザックスは憧れと嫉妬を感じてしまっているのだった。
 「ザックス、お前……、大きくなった自分なんだぞ……」
 アンジールはどうしていいのか分からなかった。ただ、自分以上に混乱しているのはザックス本人なのだと思うと、自分はどんな時でも彼の側にいて、その手を握ってあげようと思った。


 その日を境に、ザックスは眠る事が多くなった。
 まるで、急いで大きくなろうとしているかのように。


 いっしょにいてね いっしょにいたい




 20100528