「ザックス、おうちに帰るぞ」
「やだー!!」
「夜ご飯の準備をしないと」
「やーだー!!」
小さな足でばたばたと地団駄を踏む。
『やれやれ、これは少々厄介だぞ』
アンジールはその場にしゃがみ込む。ふたりの間の距離、およそ五メートルほどに変わりはないが、ふたりの視線は同じくらいの高さになる。いつも思うのだが、この位の高さからザックスは世の中を見ているのかと思うと、アンジールには新鮮に感じる。普段は気にもしないようなものが、とても大きく思えたりした。
夕方、「よい子はおうちへ帰りましょう」を告げる哀愁漂うメロディーは、もうとっくの前に鳴った。賑やかだった公園には、ザックスとアンジール以外誰もいない。まだまだ遊び足りないザックスは、家に帰るのが嫌なのだ。
「ザッくん、まだあそぶのー!!」
ザックスは地団駄を踏み、その場でくるくる回り出す。数回回ると目が回ったのか、足元がふらふらとして尻餅を付いてしまった。アンジールにとっては全く以て微笑ましい事この上ない。
「お腹空かないのか?」
「うん」
アンジールは冷蔵庫と冷凍庫の中身を思い出す。作り置きしてあるおかずの種類は豊富だし、あとはサラダとスープを作り足せば十分だと判断する。大して時間はかからない。
よし。
「そうか、じゃあもう少し遊ぼうか」
ザックスは満面の笑みを浮かべた。
*
誰もいない公園は色々な遊具で遊びたい放題だ。
四つ並んでいるブランコをひとつずつ揺らし、最後のひとつにザックスは座った。アンジールが支えながらそっと背中を押す。夜の匂いを含んだ風が、柔らかな髪の毛を靡かせる。
すべり台は大小二つ並んでいて、大きなものは大人も一緒に滑る事ができる幅だった。ザックスがひとりで滑ったり、アンジールと一緒に滑ったりした。滑り降りては再び階段を上る事を何度も繰り返した。
鉄棒も砂場も、ジャングルジムもロケットも、今は全部がザックスのものだった。
公園の街灯がいつしか明るさを主張し始める。ザックスは街灯の下に立つと、上を見上げた。
何だかとてもキラキラして見える。光の帯と小さな粒がゆらゆらと目の中を移動する。夜だけど夜じゃない、だけど昼でもない不思議な空の色。不思議な時間。
『…………』
小さな胸は何だか急に寂しさを覚えた。
「どうした、ザックス。疲れたか?」
「あんじーゆ」
隣に来たアンジールの脚にザックスはぎゅっとしがみついた。アンジールは手元の時計を確認した。いつもだったら夜ご飯の時間だった。
「そろそろ帰ろうか」
「うん」
「よし、帰ったら夜ご飯にしような」
アンジールが公園の出口に向かってゆっくりと歩き始める。しかし、ザックスが着いてこない事にすぐ気付く。振り返るとザックスはさっきの場所から動かずに佇んでいる。アンジールは、どうしたものかと小さく笑った。
「どうした、ザックス? おうちに帰るぞ」
「あんじーゆー」
「ん?」
「ザッくんねー、あんよがいたくて、あるけなーい」
そしてザックスはその場にしゃがみ込んでしまった。「はぁー」と大きく息をついたりもしている。しかし、アンジールは余り心配している様子ではない。
これはザックスの「合図」なのである。このような時は、疲れてしまっているのでもあるが、それ以上にアンジールにおんぶや肩車をして欲しい時なのである。
「あんよが痛いのか?」
「うん。ざっくん、もーあるけなーい」
「ザックス、ほら、おうちまで頑張ろう」
「いたくて、あるけなーい。ねー、あんじーゆー」
そう言いながら、地面に近い場所からアンジールを見上げて呼ぶ。当然の事ながら根負けするのはアンジールで、ザックスの元へと戻る。根負けするも何も、最初からおんぶでも肩車でもしてやるつもりなのだが。ザックスが小さな両腕を目一杯伸ばしてきた。まずは抱き上げる。
「甘えん坊だな、ザックスは」
「あんじーゆ!!」
ザックスはアンジールの胸元に額をぐりぐりと押し当てた。
「おんぶか? それとも肩車がいいのか?」
「かたぐゆま」
アンジールは器用にしかも危なげなく、ザックスの体を肩に乗せた。
「たかーい!!」
嬉しそうな笑い声と共に小さな手がアンジールの頭や額を掴み、時々頭全体にきゅっとしがみついてくる。
「ほらザックス、お月様が見えるぞ」
見上げると、空にはふたりを優しく見下ろすように、月が柔らかな光を発しながらその姿を現わしていた。
「ザッくん、とどきそー」
小さな手が月に向かって伸びる。アンジールはザックスの体を支えながら、いつもよりゆっくりとした足取りで家路についた。
20130522