昼前の透明さを含んだ陽光が、窓からリビングに差し込む。そこにアンジールとザックスが、向かい合うようにして立っていた。いや、立っているのはザックスのみで、アンジールはそのザックスの目線の高さに合うようにしゃがんでいる。ザックスは少し緊張したような、それでいてわくわくする気持ちを抑えきれないような顔をしていた。
アンジールが小さな咳払いをひとつして、至極真面目な口調で目の前の小さなザックスに告げた。
「ザックス、準備は整ったか?」
「はいっ!!」
びしっと音がしそうな勢いで、小さな腕が挙がる。
「装備も大丈夫だな?」
「うんっ!!」
手にしたほうき、それはアンジールから見ればとても小さく、でもザックスが持つと丁度良い大きさだ。プラスチックでできていて、水色の柄に先端のゴミを掃く部分は黄色。柄にはアンジールによって「ザックス」と書かれたネームシールが貼ってある。そのほうきをアンジールに見せるように差し出した。
「よし。では、本日の任務を説明する」
「はいっ!!」
「ザックスの本日の任務は、この部屋のゴミや埃をそのほうきで取り去る事だ」
アンジールの説明をこくこくと頷きながら聞いている。
「ゴミや埃が残っていたら、今夜の節分の豆撒きができなくなる」
「えーっ!! やだー」
一気に残念そうな表情になり、その場にしゃがみ込まんばかりのザックスを見て、アンジールは小さく笑った。
「豆撒きしたいだろう?」
「うん、したーい」
「今夜の豆撒きを行えるかは、ザックスの任務の頑張りにかかっている。くれぐれも怪我に注意して、任務にあたってくれ」
小さなザックスの両肩に手をかけて、「いいな?」と言うようにアンジールは頷いた。ザックスは真剣な表情で、髪の毛がふわんとなるくらいに大きく頷く。そして、満面の笑みを浮かべて、大きく手を上げて、
「りょーかーいっ!!」
「良し。では任務開始だ」
アンジールの合図と同時に、ザックスはリビングの床をきょろきょろと見渡す。
「あった!!」
近付いてしゃがみ込むと、そこには紙片が落ちていた。アンジールがこれまた彼が持つには小さすぎるちりとりを紙片の近くに置く。するとザックスが少しおぼつかない手付きで以て、ほうきで紙片を掃き、ちりとりの中へ入れる。
「早速発見だな」
「うん」
満足そうに笑みを浮かべているザックスの頭を撫でる。
「あっ!! あっちも」
「あったか?」
こうしてザックスとアンジールはリビングをちょこちょこと移動しながら、確実に任務を遂行していったのである。
実はリビングに落ちている紙片の類いは、ザックスのこの任務のために予めアンジールが置いたものであった。昨日の内にリビング全体には掃除機をかけているので、掃除はできている。しかし最近、ザックスは子供向けのテレビ番組の影響で「ほうきで掃除をする事」がマイブームになっていて、しかも今日は節分、撒いた後の豆をザックスが拾って食べる事は十分に予想できる。よって、掃除の良い理由にもなるし良い機会だとアンジールが考えたのである。
* *
「これが本日、ザックスが回収したゴミだ」
任務……掃除を終えたアンジールとザックスが、再びリビングで向かい合っている。アンジールが手にしたビニール袋には、紙片が幾つも入っていた。
「いっぱーい」
「部屋もきれいになったし、良く頑張ったな」
小さな頭を優しく撫でると、ザックスは満面の笑みを浮かべた。再びアンジールが、しゃがみ込んだ姿勢を正す。ザックスも真似て、気をつけの姿勢でびしっと立った。
「では……」
ゆっくりと腕時計を確認する振りをする。そんなアンジールの姿を、ザックスはやはり何処か緊張した面持ちで見つめている。
「現時刻を以て、ザックスの任務完了とする。ご苦労だった」
「はいっ!!」
「頑張ったな。えらいぞ、ザックス」
小さな体がふわりと宙に浮かぶ。アンジールがザックスを抱き上げて、自分の頭より上へ掲げる。途端に「きゃーっ!!」と歓声が上がり、けらけらととても楽しそうな笑い声が部屋に響く。その場でアンジールがくるくると回転すると、ザックスは手足をばたつかせて喜んだ。一頻り楽しんで、ザックスの体がアンジールの腕の中にすっぽりと収まる。
「まめまき、よるー?」
アンジールの顎髭にこちょこちょと触れながらザックスが聞いた。小さな指先が顎を撫でる感触がこそばゆい。
「あぁ、夜にやろうな」
「ごはん、たべてから?」
「そうだ」
「ザッくんねー、はやく、まめまきしたーい!!」
その日、ザックスは何度も「まめまき、まだ?」とアンジールに聞いた。その都度アンジールは笑いながら、「まだ」とか「もう少し」とか、「豆の準備をしている」などと答える。
「まめまーきー、まーめまきー」
お馴染みのちょっと妙なリズムをつけながら歌うザックスの姿を見る度に、アンジールは癒やされるような、満ち足りた気持ちになるのだった。
* *
いっぱい遊んで、お昼寝もして、あっという間に外が暗くなった。夜ご飯は美味しいカレーライスを沢山食べた。アンジールによってザックスが食べやすい大きさに切られたジャガイモやにんじんは、とても良く煮込まれていて柔らかだ。アンジールにはさすがに甘すぎるカレーは、ザックス用に小鍋で作る。口の周りをカレーでいっぱいにしながら、ザックスは「おいしーねー」を連発しながら食べた。
食後はちょっとひと休み。そして、いよいよ豆撒きの時間がやってきた。
「これがザックスの分だ」
「うわぁ……」
アンジールが手渡した小ぶりのボウルの中には、殻付き落花生と大豆の両方が入っている。小さな指先が殻付き落花生を早速摘んで興味深げに見つめた後、アンジールに差し出す。
「これ、なにー?」
「中にザックスが良く知っている豆が入っているぞ」
「このなか? ザッくん、みたい!!」
ザックスがその場でぴょんぴょんと小さく跳ねる。
「良し。ひとつ開けてみようか」
アンジールが殻を剥いて、中に入っている豆を見せた。
「……ぴーなちゅ?」
「当たりだ。良く分かったな、ザックス!」
ザックスは「えへへ」と笑った。
「さて、豆撒きをしようか。まずは外に向かって……、」
リビングの窓を開ける。冷たい夜の空気がひゅっと部屋に入ってきても、ザックスはへっちゃらだった。アンジールの部屋は高層マンションの一室だが、この日は街全体が外に投げられる豆に対して寛大だ。翌朝外を見ると、通りにはあちらこちらにぽろぽろと豆が落ちているのである。
「いいか、ザックス。せーの、」
「おにはーそと!!」
元気な掛け声と共に、幾つもの豆が綺麗な放物線を描いて夜空へと舞い、音もなく消える。ザックスが「みたい」とねだるので、小さな体をアンジールがしっかりと抱き上げてベランダの手すり付近に寄る。家々の窓の明かりや街灯が、ちかちか綺麗だとザックスは思った。時々、「おにはーそと」の掛け声が何処かから聞こえてくる。その事がザックスをわくわくさせた。
「しっかり掴まってるんだぞ」
「うん」
「おにはーそと」
アンジールが夜空に放った豆をザックスが目で追う。夜の街に吸い込まれてあっという間に見えなくなる豆を見て、ほんの少しだけ怖くなる。でも、すぐ側にアンジールがいるし、何より「夜、外に向かって豆を撒く」という今日だけの特別な行為がザックスの気分を高揚させた。
「まめ、おっこちた? おに、いない?」
「勿論。明日の朝、外にはザックスの撒いた豆があるはずだぞ。それに……」
アンジールが室内の方を振り向いて、確認するようにきょろきょろとする。
「うん、悪い鬼も何処かへ逃げていったようだな。さて、今度は部屋の中に豆を撒こう。福の神が来るようにな」
「はーいっ!!」
室内に戻ったザックスは、今度は「ふくはーうち」と言いながらボウルの中の豆を撒く。豆が床に落ちる度にぱらぱら小気味良い音がする。ザックスはちょこちょこと動きながら、リビングのあちらこちらに向かって「ふくはーうち」と豆を撒き、手持ちの豆がなくなったらアンジールの分も貰って撒いた。
「あんじーゆ、もうまめなーい」
空っぽになったボウルを差し出す。
「もう全部撒いたから、これでおしまいだ」
「んー」
もう少し豆撒きをしたかったのか、ザックスが残念そうな顔をする。そんなザックスの頭を優しく撫でながら「豆を食べよう」と言うと、途端に嬉しそうな顔になった。
「たべゆたべゆーっ!!」
ザックスがくるりと体の向きを変えたと思ったら、「あった!!」の声と共に床にしゃがみこむ。
ぽりぽり、ぽり。
『予想通りだな』
アンジールが笑いながらその姿を見つめる。ザックスが撒いた豆を食べてしまうのではないかと思っていたので、やはり予め掃除をしておいて良かった。そして、念のため食べる分を少し取り分けておいたけれど、どうやらその必要ななかったようだ。
「こっち」
ぽりぽり、ぽり。
「あ、こっちも」
ぽりぽり、ぽり。
「あった!!」
ぽりぽり、ぽり。
しゃがみ込んでは豆を拾い、食べ、そしてまたちょこちょこと歩いては、またしゃがみ込む。ザックスがリビングを動き回った形跡を図面に落としたら面白そうだと、アンジールはおもむろに思った。しかし一粒は小さいといえども、豆は栄養価も高いし食べ過ぎは良くない。
「ザックス、そろそろ食べるのはおしまいだ」
「ザッくん、もうちょっとー……あった!!」
「こら」
アンジールがザックスの体をひょいと持ち上げてしまう。手足がぶらーんとした状態で、それこそまるで子犬のように宙に浮いている。
「やだーっ!! あー、まめー」
小さな手足が、じたばたじたばた。
「デザートのプリンはいらないのか?」
アンジールの言葉、特に「プリン」に反応したザックスの動きが止まる。大人しく抱っこされた状態で、ザックスがアンジールを見つめる。
「ぷいん?」
「あぁ、今日のデザートはプリンだ。でも、ザックスは豆の方が良いみたいだなぁ」
わざととぼけたような表情で言うアンジールの頬を、ザックスがぺちぺちと叩く。
「ぷいんー、ザッくん、ぷいんがいいー」
「そうなのか? まめが良いんじゃないのかなー」
「やーっ!!」
「んー、そうなのか?」
そんな遣り取りを何度か繰り返す内に、ザックスがいよいよ泣きそうになる。その前にアンジールはザックスをきゅっと抱き締めて、「よーし、プリンを食べよう」と笑う。なのにザックスはやっぱり泣いてしまって、でも泣き声はすぐに笑い声に変わった。すべすべの頬にちゅっとキスをして、アンジールはザックスの涙を拭った。
「ザックスはプリンが好きか?」
「うん。あんじーゆのぷいん、しゅきー」
「そうか。それは良かった」
ふたりは散らばった豆がまだ沢山残るリビングから、ゆっくりとキッチンへと移動する。冷蔵庫が開く音がするのと、ザックスの歓声が上がるのはほぼ同時だった。
鬼は外、福は内。
今年も沢山の笑顔と、笑い声があふれますように。
* * *
……さて、リビングに散らばった豆はあの後一体どうなったのでしょう。
20130210/初出20120205
FFシリーズオンリーイベント「F〜novum〜X」無料配布ミニ冊子より再録