〜2011 Halloween
「あーんじーゆーっ!!」
『来たな』
アンジールは手にしていた鍋をガス台の上に置いた。万が一の場合がなきにしもあらずなので、念のためガスの炎も消した。幸い、調理のキリが良かった。
パタパタパタッと可愛らしげな足音を立てながら、ザックスがキッチンに勢いよく駆け込んできた。案の定、そのままの勢いでアンジールの足にどーんとぶつかり、そのままぎゅーっとしがみつく。明らかに顔面をアンジールの腿にぶつけていそうなものだが、全然平気らしい。
しかもしがみついたまま、何やらくんくんと鼻を鳴らしている。洗濯したばかりのスウェットから、柔軟剤の良い香りがするのだろう。
「あんじーゆ、おしぇんたくのにおーい!! いーにおーい」
「ザックスのパーカーも、良い匂いだぞ」
屈み込んで小さな体をひょいと抱き上げると、ザックスは「きゃあ」と嬉しそうに声を上げて笑った。アンジールはザックスの着ているパーカーに顔を近づける。ふんわりとした優しい石鹸のような香りがする。そのままザックスのすべすべの頬に頬を寄せると、髭が当たったのかザックスは「じょりじょりー」と言いながら、アンジールの頬をぺちぺちと叩いた。勿論、全然痛くない。
「どうした、ザックス。体操のコーナーは終わっちゃったのか?」
朝ご飯も終わって落ち着いて、お昼にはまだ時間があるこの時間帯は、子供向けの教育番組が連続で放送されている。ザックスが好きな体操のコーナーが組まれている番組は、まだ放送真っ最中のはずだが……。
「ザッくん、たいそーした!!」
「そうか。頑張ったな」
頭をぐりぐりと撫でる。ザックスは満足そうに笑った。
「んでね、あんじーゆ、あんねー……、きょう、『おかしのひ』?」
「ハロウィンか? 秘密の呪文でお菓子がもらえる日だな」
「そーそー!!」
「今日だぞ」
「ほんとー!! やったー!!」
本当も何も、間違いなく今日だ。アンジールは思わず笑ってしまう。それからもザックスは、かぼちゃお化けのジャックの事や、コウモリや魔女、お化けの話を興奮気味に話した。どうやら、番組の中でハロウィンの事を取り上げていたらしい。
勿論、アンジールとザックスもハロウィンの準備はしてきた。部屋にはジャックや黒猫などをモチーフにした小さなオブジェがあちらこちらに置かれていたし、お化け提灯も作った。そしてキッチンではつい今し方までハロウィン仕様の料理を作っていたのだ。
「ザックス、今日はハロウィンだから、いつもと違うパイを焼くぞ」
「あっぷーぱいじゃないの?」
ザックスが不思議そうな、でも何処か興味津々な顔で尋ねる。
「今日はアップルパイじゃなくて、パンプキンパイだ」
「ぱんぷーきん、ぱい……」
何故だか妙な発音だ。アンジールがカボチャのパイである事を説明すると、ザックスの中では「ジャックのパイ」となってしまった。
「ザックスも一緒に作るか? パンプキンパイ」
「じゃっくのぱいー、ちゅくる!!」
既にパーカーの袖をまくる仕草をしている。やる気満々だ。アンジールはザックス用の小さなエプロンを、布巾などを入れている引き出しから取り出すと、ザックスを床に降ろしてエプロンを着させる。大きなポケットには、フォークとナイフのアップリケが付いている。勿論アンジールの手作りだ。
「ねー、あんじーゆ」
「何だ?」
「ザッくん、おかしもらえゆ?」
唐突に聞いてくるザックスに、アンジールは優しく笑った。
「暗くなってきたら、いつも行っている公園でお祭りがあるから、そこで沢山貰えるさ。ザックスも行くだろう?」
「うん、いくー。あんねー、でもねー、」
「でも?」
しゃがみ込んでザックスと同じ目線の高さになっているアンジールの前で、ザックスは心持ちもじもじしている。アンジールに促されると何だか心配そうな、ともすれば少し泣きそうな顔でこう言った。
「あんじーゆも……、ザッくんにおかし、くれゆ?」
「勿論だ!! ザックス、それを心配していたのか?」
目の前のアンジールに抱き付きながら、「うん」とか「んー」とか何だかもにゃもにゃ言いながら、ザックスはこくこくと頷いた。
アンジールはザックスの顔を覗き込みながら、殊の外楽しそうに、そして少しオーバー気味に言う。
「ザックスのために、今日は沢山お菓子を用意してるぞ!! もう、いっぺんに食べきれないくらいこーんなに沢山だ」
そして、両腕を大きく広げて円を描くようにした。
「あんじーゆ、しゅごい!!」
「ザックスのために頑張って作ったから、お楽しみだな。でも、秘密の呪文をきちんと言わないと、あげないぞ」
「えー」っと言いながらもザックスはけらけらと笑い、両手を挙げながら、これは本人にとっては決めポーズっぽいものらしい、得意げに言った。
「ザッくん、じゅもんいえゆもんっ!! といっく……んー」
言いかけた口をアンジールの掌がそっと塞ぐ。小さな口がもごもごしていた。
「秘密の呪文は外が暗くなってからだ」
アンジールのウィンクに、ザックスが大きく頷いた。
「ねー、くっきーあゆ?」
「あるぞ」
「ちょこえーとは?」
「あるぞ。でも、食べ過ぎると虫歯になっちゃうから気をつけないとな」
アンジールの言葉にザックスは「いー」っと言いながら、自身の歯を見せた。小さな歯が綺麗に並んでいる。
「じゃー、ぷいんは?」
「勿論あるぞー!!」
アンジールはザックスの体を抱き上げると、高く高く持ち上げた。ふらりと体が浮かんで、視線が一気に高くなる。ザックスは歓声を上げた。
すべすべの頬にちゅっとキスをすると、ザックスも真似て「ちゅー」っと言いながらキスをする。
クッキーもチョコレートもプリンも、そしてパイも。ザックスが好きなものは、何でも用意してあるのです。
遊んでいたら、きっとあっという間に外が暗くなってしまうね。
葡萄色の空にオレンジの灯りがともったら、それが不思議な夜の始まりの合図。
今年も楽しく「不思議な夜」が迎えられそうです。
あ……。
勿論、不思議な呪文も忘れずに。
「といっく・おあ・といーと!!」
20111031