しゅわしゅわ


 「ねー、あんじーゆー」
 遊んでいた手を止めて、ザックスは隣に座っているアンジールの膝にしがみついた。アンジールは手にしていた雑誌、それは隔週で刊行されている料理雑誌で、今号の特集は「冬の手作りほっこりおやつ」だった、を暖かなラグマットの敷かれた床に置いた。
 ザックスは胡座をかいていたアンジールの膝の上にせっせとよじ登ると、両足の間にその小さな体をすっぽりと収めてしまう。そして見上げながら言った。
 「あんねー、おふろはいゆー?」
 アンジールはわざと少し驚いたような顔をして答える。
 「ザックス、もうお風呂に入るのか? まだ夕方前だぞ」
 アンジールの言葉にザックスはちょっと唇を尖らせた。喜怒哀楽の感情表現が豊かなザックスは、その時の気持ちがすぐ表情に出る。それは目まぐるしくくるくると変わり、見ていて面白い。特にすべすべの頬を膨らませた時なんて、本人は怒っていたりするのだがアンジールにはただ可愛い事この上ないのだ。
 「ザッくんねー、しゅわしゅわしたーい」
 そして、「しゅわしゅわー」と言いながら笑った。


 最近のザックスは、「おふろのしゅわしゅわ」がお気に入りなのだ。この「しゅわしゅわ」とは、発泡入浴剤の事である。事の発端は、遊びに夢中になってそのまま眠たくなったザックスが、お風呂に入りたがらなかった事だ。その時アンジールは、以前スーパーの福引きで当てた入浴剤を浴槽に入れてみた。普段は使う習慣がないので棚の奥にしまい込んでいたが、少しでもザックスがお風呂に入りたがるきっかけになればと試しに入れてみたのだ。
 入浴剤を溶かした薄緑色の湯からは爽やかな香りがした。包装には「森の香り」と書いてある。アンジールは少々ぐずるザックスを抱き上げて浴槽の中を覗かせて言った。
 「今日のお風呂は、不思議なほかほかお風呂だそ」
 アンジールの予想通り、ザックスは入浴剤で色と香りの付いたお風呂に夢中になった。温浴効果を高めるから、入浴後も湯冷めしにくいとあって、今やお風呂にはいる時には必ず入浴剤を使うようになったのだ。
 ある時、アンジールは雑誌に紹介されていた手作り入浴剤を作ってみる事にした。重曹やクエン酸、エッセンシャルオイルやハーブを使って作るそれは、万が一ザックスが口に入れても安心なので一緒に作る事にした。ローテーブルに材料を広げている段階でザックスは興味津々。ビニール袋に重曹やエッセンシャルオイルなどの材料を入れて、口の部分をアンジールが持つ。ザックスの小さい手は一生懸命にビニール袋をふにふにと揉んで材料を混ぜた。保湿効果を出すために入れるハチミツを、ザックスは思わず指先に付けて舐める。
 「んー」
 「コラ」
 「はちみちゅ、あまーい」
 嬉しそうに笑うザックスに、アンジールは怒るどころかついつい笑顔になってしまった。
 混ぜ合わさった材料をきゅっきゅっと団子状に丸めて乾燥させると手作り入浴剤の出来上がりなのだが、ここでアンジールは星形のゼリーカップを用意した。それに入れて乾燥させると、星形の入浴剤が出来上がる。ザックスはこれまたせっせとカップに材料を詰めた。粘土遊びのようでとても楽しいのだ。
 そうしてローテーブルに置かれたトレーの上には、色々な形の入浴剤がいくつも並べられた。少し形がいびつだったり、ザックスの小さな指の跡が付いていたりして、それがまた何とも言えない手作りならではの良い味を出している。
 「これ、おふろにいれゆの?」
 「そうだ。どんな風になるかお楽しみだな」
 「おたのしみー!!」
 そして、風通しの良い日陰で乾燥させて入浴剤が出来上がった。一見それは何だかお菓子のようだった。鼻を近づけると、ハーブや柑橘系のオイルの良い香りがする。
 いよいよ入浴剤をお風呂に入れる時。ザックスは星形の入浴剤を、どぼんと浴槽に入れた。途端にしゅわしゅわと賑やかな音がして沢山の細かい泡が出てくる。
 「わあぁ!! しゅわしゅわー!! あんじーゆ、おふろしゅわしゅわ」
 「しゅわしゅわだな。凄いな、ザックス」
 「しゅごーいっ!!」
 入浴剤はみるみるうちに小さくなる。ザックスとアンジールはずっと湯の中で溶ける入浴剤を眺めていた。いつの間にか浴室は良い香りに包まれていた。


 「あまり早くお風呂に入ってしまうと、後で体が冷えてしまうぞ。夜になったらな」
 「えー、しゅわしゅわしよー、ねーあんじーゆー」
 ザックスがぐずる。このままだと鼻を啜りだして、いよいよ泣き出すに違いない。アンジールはザックスを優しく抱き上げると、頭を撫でながら顔を覗き込む。そしてまずはその額に小さなキスを。
 「じゃあ、小さなしゅわしゅわするか?」
 「ちっちゃいしゅわしゅわ?」
 不思議そうな顔をしたザックスにアンジールは微笑むと、ザックスをラグマットに積み重ねたクッションの上に下ろした。
 「ちょっと待ってろよ」
 そして、リビングから出ると少しして戻ってくる。その手に湯気の立ち上る洗面器と何かを持って。
 「今から、『足だけお風呂』をしよう」
 「あしだけおふろー!!」
 何やら聞き慣れない言葉に、ザックスは楽しげに声を上げる。その間にもアンジールはラグマットの上に大きめのバスタオルを広げると、その上にお風呂に入れる温度と同じくらいの湯が入った洗面器を置く。かつてはジャムが入っていた瓶の中には、通常の入浴剤と比べると幾分小さなそれが数個入っていた。その色や形から、それは何だか砂糖菓子のようだった。
 「洗面器の中に、二つ程入れてみよう」
 ザックスの小さな指が小さな入浴剤を摘むと、ぽとんと洗面器の中に落とした。途端にしゅわしゅわと音がして、良い香りが立ちこめてくる。
 「しゅわしゅわーしゅわしゅわー」
 ザックスが楽しそうに声を上げる。
 「ザックス、靴下脱げるか?」
 「うん、ザッくんぬげゆ」
 「脱いだら、ゆっくりと洗面器の中に足を入れるんだ」
 素足になったザックスが、そろりそろりと入浴剤の溶け込んだ洗面器の湯の中に足を浸けた。
 それは何だか不思議な感じだった。普段、遊んだりおやつを食べたりしている場所で、足だけお風呂に入ってる。そのいつもと違う感じが、ザックスにはとても新鮮だった。
 アンジールがザックスの小さな足をそっとマッサージをするように撫でる。小さな水音がちゃぷちゃぷと、湯気と共にリビングに広がる。じんわりと温かくて気持ち良くて、ザックスは嬉しげに目を閉じた。
 「どうだ?」
 アンジールの声に、ザックスは満面の笑みを浮かべる。
 「きもちー!! あしだけおふろ、きもちーしゅわしゅわー」
 「良かったな、ザックス」
 「ねー、あんじーゆもしよーあしだけおふろしよー」
 「俺が足を入れたら、お湯が溢れてなくなっちゃうぞ」
 「なくなっちゃう!?」
 ザックスがケラケラと声を上げて笑う。どうやら、彼にとって相当可笑しかったらしい。その可愛らしい笑い声を聞いてるとアンジールも何だか楽しくなってきて、いつしかふたりは一緒に声を上げて笑い合っていた。
 ふわふわと温かな湯気と、良い香りが漂うリビングで。




 20110321

 手作り入浴剤、一度作ってみたいと思っています。