ふしぎなよる


〜2010 Halloween

 今夜は不思議な夜。
 この地上から別れを告げて、お星様となった人々が還ってくるよ。
 花や草の根元、石の陰から木の洞から、羽根を震わせて悪戯好きの小さな彼らが覗いてるよ。
 ひそひそ、くすくす、いひひひひ。
 夜空に浮かぶ雲の向こう、月の影には隠された秘密のドアノブが現れる。
 燻し銀の妖しげに鈍く光るノブがゆっくりと回転するよ。
 その扉の向こうから、大きなとんがり帽子を被った魔女たちが、不思議な呪文を唱えながら箒に乗ってやってくるよ。
 さぁ、大変!!
 みんな、見つからないように仮面を被らなくちゃ。マントを被らなくちゃ。
 この世の空間が歪んでしまうと、不可思議なものがこっそりと入り込んでくる。
 災いがやってくる。
 火を!! みんなで火を!!
 魔除けの焚き火を煌々と。
 みんなの頬が林檎のように色付いて、見つめる瞳が朱く光る。
 静かで賑やかな夜が往くよ。


 ザックスはアンジールの手元をじーっと見つめている。
 アンジールの大きな手は、大きさがザックスの頭くらいはありそうなカボチャを持っていた。暖かみを感じるオレンジ色で、表面がゴツゴツとしていている。アンジールはその中身をくり抜いているところだった。
 「あな、あいたー?」
 「もう少しだな」
 カボチャの中を覗き込もうとするザックスに、アンジールはカボチャの底を向けた。既に中身は半分ほどくり抜かれている。
 積み上げたクッションの上に座って、ローテーブルにペタリと頬を付けたザックスは、じっとカボチャを見つめ続ける。
 「じゃっくーじゃっくー、じゃっくおー……」
 自分でメロディーを付けて歌っていたザックスが、暫し考えてからくるっとアンジールの方を見た。
 「じゃっく……、なんだっけ?」
 アンジールはカボチャをくり抜く手を動かしながら、小さく笑って言った。
 「ジャック・オー・ランタン」
 「そーそー! じゃっくおーらんたーん、じゃっくーじゃっくー」
 このミッドガルでも、すっかりハロウィンという行事が定着しつつある。クリスマスやバレンタイン程ではないものの、街中がハロウィン色に染まるのだ。ハロウィン商戦も盛んで、スーパーではハロウィンにちなんだデザインやパッケージの菓子が所狭しと並び、雑貨屋にはハロウィンの飾り付けやグッズが沢山並べられていた。
 そして、アンジールとザックスもハロウィンを満喫すべく、今日まで少しずつ準備をしてきたのだ。
 「ほら、出来た」
 手にしていたナイフを置いて、アンジールがカボチャをザックスの前へ置いた。中身がくり抜かれたカボチャには、目や口が刻み込まれている。中にロウソクを入れればジャック・オー・ランタン、つまりお化け提灯の出来上がり。
 「わぁーっ!! あんじーゆ、しゅごーい!!」
 くり抜かれた目や口から中身を覗き込んで、ザックスは小さな手でカボチャをくるくる回しながら、「じゃっくーじゃっくー」と鼻歌を歌う。その顔はとても楽しげだ。
 「後でロウソクを入れような」
 「うんっ!! ろうそくいれゆー」
 アンジールがナイフをキッチンの引き出しに片付ける。テーブルの上には大きな鍋と小さな鍋、冷蔵庫を開けると中にも食品保存容器が幾つか入っている。プリンの型には、勿論カボチャプリン。今夜の夕食はハロウィン仕様、もう準備はすっかり整っている。
 少し早めに食事を作っておくには訳があった。夕方から小さな子を対象としたハロウィンのイベントが、メインストリートとその先の広場で開かれるのだ。折角だから、アンジールはザックスを連れて見に行く事にした。だから、イベントから帰ったらすぐに夕食が食べられるように早めに作っておいたのだ。
 「あんじーゆー」
 リビングからザックスの呼び声がする。アンジールがリビングに入ったのと、アンジールの脚にザックスがしがみついて来たのはほぼ同時だった。
 「ねー、おでかけまだー?」
 両腕を伸ばしてくる小さな体を抱き上げ、滑らかな頬に自分の頬を寄せながらアンジールは言った。
 「よし、そろそろ着替えようか?」
 「うんっ!!」


 「まずこっちの脚からだ」
 「はーい」
 しゃがみ込んだアンジールに向かい合うようにザックスが立つ。アンジールの肩に掴まりながらザックスが右脚を上げると、足の先からするりと服が通された。
 ザックスはアンジールに手伝って貰いながら、いつもとは異なる着慣れない服を着る。モコモコとしたフリースのような生地でシルバーグレーを少し色濃くしたようなそれは、上下が合わさっている。つまり「つなぎ」だ。
 「ザッくん、できゆー」
 両脚を通したら、ザックスは自分で着るべく腕の部分を探し出す。上下繋がっているからいつもと勝手が違い、なかなか上手く腕を通せない。アンジールが何でもない素振りで、さり気なくそっと布を持ち上げて空間を作る。少ししてそれに気付いたザックスは、上手に腕を通した。
 「ひとりで着られたな、ザックス。凄いぞ」
 「ザッくん、ひとりでできゆもーん。ザッくん、えらいー?」
 「あぁ、偉い。上手だな」
 アンジールが頭を撫でると、ザックスは「えへへ」と嬉しげに笑った。何でもひとりでやりたがるものの、やっぱり上手く出来ない時もある。そんな時、アンジールはザックスに気付かれないようにそっと手伝ってやるのだ。あくまでも「ザックスがひとりで出来た」と言う事が大事だから、決して手を貸した事が本人に気付かれないようにそっと。
 前にはファスナーが付いている。「布を挟み込まないように」とザックスに告げて、ファスナーの下の方をアンジールが軽く引っ張った。ザックスがファスナーをゆっくりと引き上げる。ジジジと小さな音を立てながら、胸元を通り過ぎて首元まで引き上げると着替え完了。
 「できたー!!」
 ザックスが両腕を上げながら、その場でくるりと回った。アンジールがフードを被せると、ザックスはフードに付いているふたつのフサフサした大きめの耳を持つ。お尻の部分にはこれまたフサフサとした、大きめの尻尾が付いていた。
 「ザッくんおーかみー、おーかみー」
 そう、この着ぐるみは一応「オオカミ」らしい。雑貨屋で「君も僕もハロウィンは楽しく可愛く変身しよう」とか何とかのポップが立っていた売り場には、色々な種類の子供用着ぐるみが売られていたのだ。ディスプレイを見たザックスが「ザッくんも」と言い出したのであれこれ見ているうちに、アンジールの方が真剣に選び始めていた。
 どれもザックスに似合いそうで、しかも着たら可愛いに違いない、と。
 カボチャお化けやガイコツ、コウモリや黒猫と色々見て最終的にザックスが決めたのは、オオカミだった。しかし、オオカミと言ってもアンジールには「犬とどう違うんだ?」と思ってしまうようなデザインで、しかもザックスが着たら小犬以外の何者でもない感じだ。
 オオカミの鳴き声らしき声真似をしながら、ザックスはアンジールの周りをぴょこぴょこ飛び跳ねる。耳も尻尾もぴょこぴょこ跳ねる。
 「ザックス捕まえたっ!!」
 アンジールが笑いながらザックスの体をひょいと抱き上げて、天井に届いてしまいそうな程に持ち上げる。
 「きゃあーっ!! あんじーゆー」
 突然の事にビックリしつつも、ザックスは手足をばたつかせて大喜びをする。アンジールがしっかり支えているから、ザックスは全く危なげない。尻尾がふわんふわんと揺れて、アンジールの頭上を掠める。
 「よーし、お出掛け行くか?」
 「いくーっ!! おでかけー」
 ザックスはアンジールの首筋にぎゅーっと抱き付いた。


 いつもだと帰る時間からのお出掛けは、何だかワクワクドキドキだ。
 時間はそんなに遅くないけれど、もうすっかり黒い夜空、所々に薄い雲。そして黄色の月。通りにはオレンジ色の灯りが溢れて、みんなをいつもと違う色にする。
 ザックスはアンジールに抱かれて、通りをゆっくりと進んだ。擦れ違う人たちは、知っているのに知らないような感覚。
 素敵なものが沢山入ってくる特別な袋をあげましょう。
 風船をあげようね。
 お花もあげましょう。
 次々と差し出されるそれらを受け取って、ふたりは通りを進む。
 突然、アンジールとザックスの前に手提げカゴを持った魔女が現れた。ザックスは真っ黒で大きな帽子を被った魔女がほんの少し怖くて、アンジールの胸にきゅっとしがみつく。フードに付いた耳が、心なしか下がっているようにも見えた。
 「可愛い可愛いオオカミさん」
 魔女は歌うように言いながら、優しげに笑う。そしてカゴの中に手を入れると、ザックスに聞かせるかのように何やらカサカサと音を立てた。アンジールがザックスの顔を覗き込む。
 「ザックス……ほら、秘密の呪文を言わないと」
 「じゅもん……えーっと……、んーっと」
 その呪文はちょっと聞き慣れない難しい言葉だった。アンジールに教えて貰った秘密の呪文。ザックスは一生懸命思い出そうとするけれど、なかなか思い出せない。泣きそうな顔になりながらアンジールを見た。
 「トリック・オア・トリート」
 アンジールが小さな声でザックスにそっと教える。途端にザックスの顔が笑顔になる。その様子を見ながら、魔女はまた優しげに笑った。
 「じゅもーん!! といっく・おあ・といーと!!」
 「その通り! 可愛い小さなオオカミさんに、美味しいお菓子をあげましょう」
 魔女がカゴの中から手を出すと、ザックスの首に掛かっている袋にキラキラしたものをバラバラと入れてくれた。ひとつ摘んで見てみると、それは包装紙の綺麗なキャンディーだった。
 「ありがとー」
 「小さなオオカミさん、楽しいハロウィンを」
 魔女はステップを踏みながら人混みの中に紛れて消えた。
 それからふたりは次々と声を掛けられた。妖精やドラキュラ、包帯がグルグル巻きの人や何だかカラフルで不思議な格好をした人。見た目はちょっと怖くても、みんな笑顔で優しい目をしていた。
 「といっく・おあ・といーと!!」
 ザックスが秘密の呪文を唱える度に、袋の中はお菓子で一杯になっていく。通りを抜けて広場をぐるりと一周する頃には、もう袋の口からお菓子が零れ落ちそうになっていた。
 「さぁ、袋も一杯になったし、帰ってご飯にしような」
 「うんっ」
 広場の出入り口で、カボチャお化けが手を振ってくれた。ザックスは「じゃっくーじゃっくー」と歌いながら、手を振り返す。すっかり重たくなってしまった袋は、アンジールの腕に下がっていた。


 「ただいまー」
 不思議で楽しいお出掛けを終えて、ふたりは部屋に戻ってきた。フルーツの香りがする石鹸で手を洗って、アンジールがザックスを着替えさせようとする。しかしザックスは「これがいい」と言って、オオカミの着ぐるみを脱ごうとしなかった。 
 「お気に入りか?」
 「うん。おーかみー!! あっ、ふくろー」
 ローテーブルの上に置かれた袋の中身をザックスが広げ始める。沢山のお菓子が詰め込まれた素敵な袋には、可愛らしいコウモリや猫が描かれていた。ザックスは真剣な顔で、その小さな手でお菓子を並べる。
 「沢山貰えたな」
 「たくしゃんだねー。ザッくんのじゅもん、おかしたくしゃーん!!」
 「ザックス、ご飯前だから食べたらダメだぞ」
 「はーい」
 「良い子だ。ご飯の用意をしてくるな」
 アンジールが立ち上がり、キッチンへ向かおうとする。するとザックスはお菓子を並べる手を止めて立ち上がった。
 「あんじーゆー」
 「ん、何だ?」
 アンジールが立ち止まり振り返る。
 「あんねー……」
 ザックスはもじもじしながらアンジールをチラッと見て、恥ずかしげに顔を手で覆ってしまった。その仕種がとっても可愛らしくて、アンジールはザックスをふわりと抱き上げた。
 「どうしたザックス、何かあるのか?」
 「んとねー……」
 「ん?」
 ザックスがローテーブルの上のお菓子をチラッと見て、アンジールの胸元に額を押し付けた。実はアンジールにはザックスが何を言いたがっているのか分かっている。早く言ってくれないかなと待ち遠しいのだ。
 「えーっとねー……」
 「何かな?」
 「あんねー……あんじーゆー……、といっく・おあ・といーとー」
 ザックスの頬がふんわりと桃色になる。アンジールは笑顔でザックスに頬を寄せると、少し目を閉じているようにと言った。そしてザックスを抱いたままキッチンへ向かい、棚の中から何やら取り出す。それをザックスの首にそっと掛けて……。
 「目、開けて良いぞ」
 ザックスが目を開けると、首にはキャンディーやチョコレートをリボンで繋ぎ合わせた首飾りが掛けられていた。所々に大きなクッキーも混ざっている。
 「わあぁ……」
 嬉しくてザックスの大きな碧い瞳がキラキラと瞬く。
 「あんじーゆ、ありがとー!!」
 きゅーっと抱き付いてくる小さな体をアンジールが抱き返す。着ぐるみの所為で、まるでぬいぐるみのような感触だ。モコモコのフサフサ、そしてこの温かさ。アンジールは「どういたしまして」と言いながら、ザックスの額に小さくキスをした。
 「あんじーゆ、だいしゅきっ!!」
 今度はザックスがアンジールの頬にちゅっと可愛らしいキスをする。リビングにふたりの幸せな笑い声が響いた。


 不思議で楽しい夜はもう少し続くのです。
 Trick or treat!!




 20101023