あめのひ


 まるで水の中にいるようだと、アンジールは思った。昨夜から降り続いている雨は、激しくはないものの、しとしとと絶え間なく街を濡らす。全く止む様子がない。洗濯物が外に出せず、アンジールは浴室に設置されている乾燥機を使っていた。でも、太陽で乾燥させたものとは比べ物にならない。何故なら当たり前だが、あの何処か懐かしく、そして心落ち着く「お日様の匂い」には仕上がらないのだ。ザックスもあの匂いが大好きで、ブランケットを干した日はいつまでも顔を埋めている。そして太陽のような、にこにこの笑顔になるのだ。
 雨の公園には誰もいない。遊具も雨に打たれて、心なしか沈んで見える。
 防水のブレーカーを着て、足元は雨靴。大きめの傘を差す。雨対策はバッチリだ。バッグの中には大きめのタオルと麦茶の入った水筒。そして、ザックスがぐずった時の為にお菓子が少々。
 目線の先には、何処か霧掛かった風景の中、一際鮮やかな黄色が見えた。その黄色は先程から、植え込みの紫陽花付近から離れない。アンジールはそっと近付くと、周りに傘が触れないように気を付けて、身を屈めた。
 「何かいるのか?」
 「うん」
 少し大きめの黄色いレインコートを着たザックスは、目を離さないまま言った。足元は青い長靴。レインコートのフードから、雨の雫が静かに垂れる。
 「あんねー、ここー」
 ザックスが小さな指で紫陽花の葉を指す。アンジールはザックスの背後にしゃがんで、そっと覗き込んだ。
 紫陽花の葉の上に、カタツムリがいた。
 「でんでんむしー。かわいーねー」
 小さな指先が葉に触れると、ゆらゆらと揺れる。そのままカタツムリの伸びた触覚の先、目の部分に触れると、ヒュッと素早く引っ込んだ。ザックスは声を上げて喜んで、もう一度触れる。やっぱり同じように、すぐに引っ込む。
 「他にはいないのか?」
 「うーん、わかんない。いっぴきじゃ、さみしいかも……」
 雨の日、一匹だけのカタツムリ。その事がザックスには何だか寂しく思えてきて、周りの紫陽花の葉をきょろきょろと見回す。でも、カタツムリの姿はなかった。
 「この辺りはどうかな?」
 アンジールがザックスにはちょっと届かない、紫陽花の上の方を見る。すると、重なり合うように伸びている葉の部分に、隠れるようにしてカタツムリがいた。こちらも一匹。
 「ザックス、見つけたぞ」
 「ほんとー?」
 カタツムリには悪いと思いつつ、アンジールはそっと指先で摘む。そして、もう一匹のカタツムリの近くに置いた。一匹分の重さが増えて、紫陽花の葉が重たげに傾く。
 「これでさみしくないねー」
 向かい合うように並んでいるカタツムリを見ながら、ザックスは嬉しそうに笑った。そして、アンジールを見上げて「ありがとー」と言う。アンジールは微笑んで、ザックスの頭をフード越しに撫でた。


 ザックスは雨の日の公園も好きだった。
 まず、雨の日はレインコートを着せて貰える。この黄色いレインコートは本人曰く、「マントみたいでカッコイイ」らしく、お気に入りのようだ。青い長靴は少し大きそうだが、水溜りにもどんどん入れるのが楽しいらしく、公園では水溜りを移動しながら歩いていた。
 滑り台はしないけれど、ブランコには乗った。滑るといけないから、アンジールが支えながらゆっくりと揺らす。すると、雨の雫が顔に当たる。しかし全然気にせず、寧ろシャワーみたいで気持ち良さそうだ。
 息を吸う度に喉が潤い、そして雨の匂いがした。
 雨の日だとカタツムリもとても元気だ。一度、ザックスが「どうしても」とせがむので、一匹連れて帰った。ジャムの空き瓶の中にカタツムリとキュウリの輪切りを入れて、数日間、部屋で一緒に過ごした。しかし、やがてザックスが「さみしいかも」と言って、次の雨の日に紫陽花の上に戻した。
 葉っぱの裏側で羽を休めている蝶を見ながら、ふたりで「しーっ」と唇に指を当てた。ホタルブクロの花を見つけると、花の中を熱心に覗き込む、その可愛さに頬が緩む。池の辺でアマガエルを見つけ、そっと近付いたつもりなのに一斉に池に飛び込んだのに驚き、残念そうな顔になる。
 大きな木の下で雨宿り。雨に濡れた草の上に座っても平気なふたりは、誰もいない静かな公園を見ながら麦茶を飲んだ。
 「ザッくん、むぎちゃ、しゅきー」
 カップから、ぷはっと顔を上げる。アンジールはザックスの顔をタオルで優しく拭う。軽く汗をかいているようだ。気温はそんなに高くなくとも、これだけ湿度が高いので無理もない。
 「ザックス、暑くないか?」
 「ちょっと、あちゅい……」
 アンジールはザックスのフードを退かして、タオルで扇ぐようにした。
 「帰ったら、シャワー浴びような」
 「うん。……もう、かえゆ?」
 「まだ遊びたいか? もうすぐ、おやつの時間だぞ」
 外に出てから一時間は過ぎていた。雨の日は何となく時間の流れを遅く感じる。
 「おやちゅ、なにー?」
 「何だろうな? 冷たくて、ぷるぷるのものだ」
 アンジールの言葉を聞いた途端に、ザックスが笑顔になる。
 「ぷいん?」
 「アタリだ」
 嬉しさの余り「きゃあ」と叫ぶと、ザックスは「ぷいん、ぷいんー」とはしゃぐ。ザックスはアンジールが作ったプリンが大好物なのだ。さっさと立ち上がり、せっせとフードを被る。まるで、今にも走り出さんばかりの勢いだ。
 「あんじーゆ、おうちかえろー、かえろー」
 「良し、じゃあ帰ろうな」
 ふたりは再び雨の中を歩き出した。まだ空は雨雲に覆われている。暫く太陽はその姿を見せてくれなさそうだ。
 「ねー、あんじーゆー」
 「何だ?」
 「ザッくん、でんでんむし、みてくー」
 「良いぞ、見ていこうな」
 「うん!!」
 アンジールは笑顔で少し前を歩くザックスを見ながら、部屋に戻るのはもう少し後になりそうだなと思った。




 20100619