・一部、流血描写があります。
上記条件が大丈夫な方のみ、どうぞ。
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いつもの寝室なのに、まるで別世界のようだとザックスは思った。
仰向けに寝ているベッドを果てしなく広く感じる。ベッドサイドの照明が、自分を見下ろしているアンジールの右半分を照らしていた。真っ直ぐに自分を見つめる蒼い瞳が酷く綺麗で、ザックスは思わず息を飲んだ。
「……、ん」
額やこめかみ、そして唇。優しく何度もキスを落とされて、肌の上を滑る掌の感触に震える。囁くように何度も名前を呼ばれて、その都度頭や頬を撫でられた。鼓動は早鐘を打って、耳の奥がドクドクとうるさい。
期待と不安、相反する感情がザックスを容赦なく襲う。頭の奥がジンとして、喉がクッと締め付けられるようだった。それでも、ゆるやかに体を愛撫されて全身が色めいて火照る。
『あっ、待っ……やっぱ……俺、』
アンジールの事が好きだった。大好きだった。抱かれたいと思った。
それなのに。
自分の気持ちとは正反対に、ザックスはその脚で彼の体を蹴飛ばしてしまったのだった。
「本当なのか?」
作戦中のザックスがモニターからロストしたという連絡をアンジールが受けたのは、任務を終えてミッドガルへ帰還中のヘリの中だった。アンジールはザックスの教育係に就いており、その所為もあってほぼ彼と行動を同じくしていたが、ここ数日はお互い別行動だった。
『ザックス……』
アンジールは静かに拳を握った。
お互いの気持ちを確かめ合っているふたりは、秘めた関係とはいえ恋人同士であった。一緒にいて、そっと寄り添って、いつしか自然にキスを交わした。そうなると、お互いが相手に「もっと触れたい」と思うようになる。
しかし、ザックスは思いの外恥ずかしがり屋で、自分からアンジールにその先の快感を求める事はしなかった。恥ずかしくて言えないのだ。なのに、ザックスはいつしかキスをする度に肌をゆるゆると熱くして、本人に自覚はないのだろうが悩ましげに潤んだ瞳で、アンジールをじっと見つめるのだった。
そんなザックスの姿は、アンジールの内に秘められた情欲を激しく揺さぶる。このまま奪い去るように、ザックスを抱いてしまおうかと幾度となく思った。しかし、彼にとってザックスはとても愛しい存在で、故に大事にしたくて、そして何より決して無理強いはしたくなかった。結局、ザックスの体を愛撫して、彼の白濁の熱を掌で受け止めてやる事しか出来なかった。
お互い好きで堪らないのに素直にねだる事が出来ず、お互いがどうしようもないもどかしさに陥るという、果てのない螺旋を回り続けるような状況がずっと続いていた。
だが、一週間程前のオフ、遂にアンジールはザックスを抱こうと試みた。ゆっくりとザックスの体に触れて、優しくキスをして、彼の唇から熱い吐息が零れ落ちるようになった頃。そっと抱き締めて、腰を撫でた掌が更に下を辿り、秘められた最奥に触れようとした時。
『あっ、待っ、て……、わあっ!!』
ザックスの脚が、勢い良く自分の胸を蹴飛ばしていた。あの時の一瞬驚いて、すぐに泣き出しそうになったザックスの顔が、今でも脳裏に焼き付いていた。
突如、足元がぐらついた。気流の乱れでヘリが不安定に上下左右に揺れる。アンジールは思考を現実に引き戻した。
ザックスが参加した作戦は、2ndのみで構成された少人数の部隊によるものだった。反神羅を掲げ最近グループ化してきている者達の、拠点と思われる場所を把握する事。携帯端末等の普及による世の中のネットワーク化で、ネット上でグループを作る場合もあるのだが、やはり同志が一箇所に集まって活動するのが大半であった。
今回の作戦はあくまでも敵情視察であり、その部隊構成からも、決して深入りはしない事が鉄則とされた。しかし、当たりを付けていた場所が拠点であるとほぼ断定されると、ザックスはつい奥へと踏み込みすぎてしまった。そして不意を突かれ、捕らえられてしまったのである。これは「つい」や「うっかり」で済む問題ではなかった。
モニターからザックスがロストした。こうなると、最早2ndの彼等だけで事態を解決するには危険が大きすぎたし、場合によっては更に事態を悪化させてしまう可能性もある。現状を報告して応援を要請する事となり、ザックスの教育係でもあるアンジールに連絡が入ったのであった。
ヘリは急遽、現場付近へと向かった。無線で入る現場からの報告で、状況を大まかに把握する。グループは組織され始めたばかりでまだ小さく、系統が整備されたものではないらしい。装備も薄く、行動も過激なものではないとの報告に、アンジールは僅かに安堵の息を吐いた。しかし、油断は出来ないし、ここで見過ごす訳にはいかなかった。最初は小さな組織でも、場合によっては巨大なものへと成長する。「容赦なく叩け」が鉄則とされていた。
やがてヘリは現場付近へ到着、大きく空気を巻き上げながら着陸した。
「申し訳ありませんっ!!」
アンジールがヘリから降りるなり、駆け寄ってきた2ndが大声で叫ぶ。アンジールも何度か顔を合わせた事がある、ザックスの同期だった。
「大体の状況は通信で把握した。ロストのままだな?」
「はい……」
ぎゅっと唇を噛み締めながら俯く青年の肩を、アンジールは軽く叩いた。
「大丈夫だ、ちゃんと連れて帰る。それより、お前達はミッドガルへ戻れ」
「えっ? 後方支援として残りますっ」
回りにいた2nd達が一斉にアンジールを見つめた。しかしアンジールは、ぐるりと全員の顔を見回すと帰還命令を下した。こうなったら、もうどうしようもない。2ndにとって1stの命令は絶対だ。
回転翼の大きな音を轟かせて、ヘリが再びその機体を浮かび上がらせる。辺り一面の空気が掻き混ぜられて、アンジールの髪の毛を激しく靡かせた。アンジールは一度だけヘリを見上げ、すぐに目的の建物の方角へと向けられる。
「ここからは、あまり見られたくないからな……、特に今回は」
グローブをはめ直しながら、彼らしくなくポツリと呟く。ザックスが「綺麗」と言って止まない蒼い双璧が、鋭利な刃物のように冷たく光る。でも、その奥は激しく炎が燃えたぎっているようだった。
アンジールが、戦地で敵味方関係なく「悪鬼の如く」と形容される、ソルジャークラス1stの激しさと冷酷さを纏った瞬間だった。
「……ん」
ザックスはうっすらと目を開けた。頬に触れる床は、硬く無機質で砂っぽい。部屋の隅に、解かれた装備が無造作に転がっていた。一度目を開けた時から、景色は何も変化していない。今自分がいる場所は、見事に敵のど真ん中。反神羅を掲げるグループの拠点である、使われなくなって久しいと思われる建物の一室だった。窓がないので、もしかしたら地下かもしれない。入口の鉄扉は錆び付いていて、開閉の度に耳障りな嫌な音を立て、酷く重そうだった。
手足は拘束されていない。でも、体が鉛のように凄く重たくて、腕すら自由に動かす事が出来なかった。体力ではソルジャーに適わないとみた連中が、気を失っている間に薬でも打ったのだろうか。
「単独で深入りするな」という鉄則を忘れた訳ではなかった。しかし、ザックスは敢えて建物の裏側へ接近し、一番近くの窓からそっと中の様子を窺った。土埃で汚れたガラス窓、部屋の中には中央に大きな机が置いてある。その上には銃やナイフ、銃弾などが乱雑に置かれていたが、その種類は多くなく、決して殺傷能力に長けたレベルの物ではなかった。
突如、背後から頭部を力強く打ち付けられて、さすがに反撃する事が出来ずにその場で気を失った。何となくぼんやりと覚えているのは、数人の男達の声と足音と、金属音。砂埃の匂いと、乾いた地面の感触だった。
ギシリ。
突然、鉄扉が音を立てて開いた。数人の男達の声と足音で、静かだった室内の空気が乱れる。ザックスは目を閉じた。足音の数からして、入ってきた人数は三人程か。
「起きてんだろっ!! おいっ!!」
一人が俯せになっているザックスの体を蹴って、勢いで仰向けに返した。
『痛ってぇな……』
殴りたくても蹴飛ばしたくても、いかんせんどうにも体が言う事を聞いてくれないのだ。どうしようもないので、ザックスは目を閉じたまま沈黙する。しかし、男にはそれが気に入らなかったのだろう。ザックスの胸ぐらを掴むと、ぐいっと引っ張って乱暴に起き上がらせる。
「しらばっくれるなっ、目ぇ開けろ」
後ろからもう一人が髪の毛を力任せに引っ張り、グッとザックスの顎が上がる。ザックスは閉じていた瞳をゆっくりと、殊更ゆっくりと開いた。碧い光を放つ魔晄の瞳が、その姿を現す。
「ほぉ……これが『魔晄の瞳』って奴か。見事なもんだな」
目の前で物珍しげに覗き込んでくる男が、下卑た笑みを浮かべた。吐き気を催すような顔だった。ザックスの顎を掴んで、じろりと碧い瞳を見ている。ザックスは嫌悪感を覚えて、男をギリギリと睨みつけた。突如、頬に痛みが走る。「殴られた」と認識したのは、口の中に血の味が広がったからだった。
「指先さえ満足に動かせないのに、目だけは威勢が良いな。お前、ソルジャーでも2ndだろ?」
「……だったら、何だって言うんだ」
ザックスは血が混じった唾を床に吐く。鉄扉の近くにも一人男が腕組みをしながら立っていて、こちらの様子を面白げに窺っているように見えた。
「動けないくせに……」
視界の隅で何かが光ったと思ったら、頬に冷たい感触。そっと目を動かすと、鋭利なナイフが押し当てられていた。
「ソルジャーは不死身なんだっけ? この体、切り刻んでも死なないか試してみるか? クククッ」
押し当てられたナイフに力が込められて、プツリと音が聞こえた気がした。ザックスの頬に赤い一筋の線が現れる。
「それよりも」
自分の後ろから髪の毛を引っ張り続けていた男が言った。同時に首筋に掌が這わされる。気持ち悪い感触で、ザックスは眉を顰め嫌悪感を露わにした。何も抵抗できない自分が、情けなくて悔しかった。
「肉体的ダメージよりも、精神的ダメージを与えた方が良いんじゃないか? 俺達も楽しめて、一石二鳥……」
「なるほど、そうだな。良く見るとコイツ、整った顔してるし、今なら抵抗せずにさせてくれそうだな」
言い終わるか終わらないかの内に、目の前の男の手が自分の体をまさぐり始める。手っ取り早く精神的ダメージを与える一番の方法は、陵辱してしまう事だった。同時に肉体的ダメージも与えられる。人としての尊厳を踏みにじる、愚かしく許し難い行為。
「なっ……、やめ、ろっ!!」
叫んで目の前の男を跳ね飛ばして、飛び起きたかった。それでも体が重くて動かない。縛られていなくても、拘束されているのと同じだった。
「最後まで抵抗を続けるか、それとも諦めて楽になるか……どうせならお前も、楽しんだ方が良くないか?」
眼前の濁った瞳が細められたと同時に、強引に口づけられる。ザックスは耐えきれず、せめてもの抵抗と思い、力強く噛み付いた。男が叫び声を上げて口元を押さえながら、後方へ飛び退いた。
ザックスの口元が血で汚れている。再び唾を吐き出した。気持ち悪くて、汚らわしい。
「コイツっ!! ふざけんなっ」
叫び声と、頭への衝撃。グラリと視界が揺れた。強引に手足を掴まれる。感覚はあるものの、自分の意志で動かせない体。
ザックスは瞼を閉じた。
諦めた訳ではない。見たくなかったのだ。
きっと、自分の居場所はすぐに見つけられる。だって、ソルジャーだから。仮にこの体が生命活動を止めて遺体となってでも、新羅は機密保持の為に回収に来る筈だ。生きていようが死んでいようが、必ず誰かが来てくれると確信していた。
来て欲しい人を、思い浮かべてしまった。
『迷惑掛けて、ごめん……』
ザリッと嫌な音が耳の近くで聞こえた。前髪を強く引っ張られたので、そのままナイフで切られたかもしれないと思った。首筋を辿る濡れた嫌な感触。
『あ……っ』
動きとしては同じ事をされているのに、それは物凄く気持ち悪くて、吐き気すら催してくる。
『い、や……だっ』
どうしてどうしてどうして。どうしてあの日自分は、彼を蹴飛ばしてしまった? あの腕だけが、あの胸だけが、自分を包み込んでくれると思っていたけれど、自分の所為でその思いが儚く消えようとしている。
ねだる一言すらも言えない、臆病な自分。
素肌が空気に触れる。一瞬、ひんやりとした。胸元を這う手の動きに、背筋がゾクリとした。気持ち悪くて堪らない。それと同時に、微かに感じる得体の知れない恐怖。
『ごめん……、ごめん、なさい』
ザックスは目尻に涙を滲ませた。それは嫌悪や恐怖からではなくて、ただひとり、大好きな彼に申し訳ないと思う気持ちからだった。
「ぁっ……あ……、あぁ」
か細く漏れる声に、男達が動きをゆるめてにやける。
「ん、何だ? 感じてきたのか?」
刹那。
「うあああぁぁぁーっっ!!」
ザックスは髪の毛を激しく振り乱しながら、体の底から絶叫した。透明で綺麗な滴が、粒となって零れ落ちる。閉じられた瞼の裏には、もう愛しい彼しかいなかった。
ガンッ。
突然、低く重たい音が部屋に響いた。ザックスの絶叫を打ち消すように。
ガンッ。
間髪入れずもう一度音が響き、瞬間重い鉄扉が壁から外れて、室内に倒れる。大きな音を轟かせながら、床の砂埃が舞い上がった。外からは砂煙が室内に入り込み、入口付近がぼやけていて良く分からない。
「何だっ!? おいっ」
近くに立っていた男が咽せながら声を上げる。すると、ザシュッという聞き慣れない音が響いて、男は足元から床に崩れ落ちた。良く見ると、みるみる内に床が赤く染まる。
砂埃が落ち着いてくると、大剣を手にした男が立っていた。刀身が派手に赤く染まっている。アンジールはゆっくりと振り向いて、部屋の奥を見た。ザックスが目を閉じたまま、男達に組み敷かれていた。アンジールの中で、ソルジャーとしての本能が一層強く覚醒する。蒼い双璧が激しく光を放つ。
「貴様……、ソルジャー!? クソッ、外の奴等は一体どうしたっ」
無謀にも、男達が一斉にアンジールへ襲いかかった。押さえつけられていた体から急に重さが消えて、ザックスはゆっくりと目を開けた。滲んで霞む視界、見慣れた大剣が鮮やかに弧を描き宙を舞う。その様をこの状況でも、綺麗だと思った。断末魔が響き渡り、血飛沫が勢い良く飛ぶ。ボタボタっと鈍い音がして、床に体の一部だった物が落ちる。
「うぁっ、く、来るな……っ、うわああぁっ」
腰を抜かしながら、ついさっきまで鉄扉が付いていた入口に向かって、残された男が床を這う。完全に戦意喪失状態だったが、今のアンジールにそんな事は関係なかった。切っ先がズブリと肉に食い込む鈍い感触。勢い良く振り上げると、壁に鮮やかで生々しい赤が散った。
部屋が、そして建物全体が、妙な静けさに包まれた。血でまみれた部屋は、まるでそこだけ幻のようだった。
ブンッと剣を振るって、アンジールは刀身に付いた血を払い落とし、顔に飛び散った血をグイと腕で拭う。アンジールはすぐにザックスの元へ駆け寄り、その体を抱き起こした。
「ザックス、おい、ザックスッ!!」
「アン、ジール……」
受け答えはするものの、体は弛緩していて手足はだらりとしたままだった。二の腕に数個の僅かな赤い点を見つけて、そこに注射を打たれた事が知れた。
「あ……っ」
自分を覗き込んでくる蒼い瞳は、良く知った優しげな色だった。ザックスはアンジールへ懸命に腕を伸ばそうとした。でも、薬の所為で上手く動かせない。こんなにも抱き付きたいのに、今の自分はそれすら出来ない。ザックスが尚も、苦しげな顔で震える腕を持ち上げようとする。そんな様子に、アンジールは強くザックスの体を抱き締めた。
「安心しろ、もう大丈夫だ……俺がいる」
「あっ……アンジール、アンジールッ、ごめん……ごめんっ、」
堰が切れたように、ザックスは声を上げて泣いた。何度も何度もアンジールの名を呼びながら、時折咽せては泣き続けた。アンジールは回した腕で、ザックスの背中をそっと優しく撫でる。ヒクッとしゃくり上げて、ゲホッと咳き込んでも、アンジールの胸に額を押し付けて泣いた。
「ごめんっ……ごめ……なさ、いっ、……はっ、っ」
「ザックス、大丈夫だ。ゆっくり息をしろ」
ザックスの呼吸が荒い。過呼吸状態に陥りかけていた。今は少しでも落ち着かせるべく、アンジールはザックスを優しく抱き締め続けた。掌でそっと瞼を覆う。
『もう、ここでは何も見るな』
散らばる肉塊と、血と埃の匂いにまみれた凄惨な部屋の隅で、ふたりは数日振りの再開を果たしたのだった。
20100312