05 公衆の面前で


 秘めた関係だから、街の中で手を繋いで歩くなんて事は出来なかった。
 でも一度、たった一度だけ……、手を繋いで歩き、人前でキスを交わした。


 あれは何処の街だったか。ずっと前からお互いの予定を綿密に調整して、漸くもぎ取った四日間のオフで旅行に出掛けた。旅行と言っても特に観光はせず、ふたりで街の市場を巡ったり、ホテルでのんびり過ごしたりするだけ。ふたりでいれば、それだけで良かった。
 行き先は彼が決めた。自分が特に希望を出した訳ではなく、強いて言えば「行った事のない場所」くらいは言ったと思う。その時の彼は「そうだな」と言いながらクスリと笑った。
 車での移動は好きだった。交代で運転しながらの道中、たわいのない話をしたり、ラジオから流れてくる曲を口ずさんだり。時折そっと手を握り合ったり、信号待ちの間、前後に車がいないと素早くキスを交わしたり。窓の外の見慣れない景色、知らない街。隣には、大好きな彼。
 自ずと気分は高揚して、いつもより沢山笑って、沢山喋っていたのかもしれない。彼の「子供みたいな、はしゃぎっぷりだな」という言葉に頬を膨らませつつ、何故だか急に切なくなった。寂しさにも似たそれに、胸の奥がきゅっと締め付けられるようだった。彼の指先に目元を拭われる。
 「くだらない事、考えるな」
 「あっ、いや……、ご、めん」
 「お前だけじゃない、俺だって凄く心待ちにしてたんだ」
 「うん……」
 彼がそっと手を握った。今度は嬉しくて泣きそうになった。
 あちこちで休憩を取りながら走ったら、宿泊先のホテルへの到着が思った以上に遅くなってしまった。フロントでチェックインを行う彼の姿を、ロビーの柔らかなソファに座って眺めた。少し遅めの時間だからだろうか、他には誰もいなかった。
 大きくて広い背中。
 以前、自分の不注意から彼の背中に傷を負わせた事がある。モンスターの攻撃に気付くのが遅れた自分を庇って、彼はその背に傷を負ったのだ。彼は傷を負いつつもモンスターを難なく斬り倒し、事もあろうに自分に向かって開口一番「大丈夫か?」と言った。そして、咄嗟の出来事に頷く事しか出来なかった情けない自分に「良かった」と言うと、心底安心したように微笑んだのだ。
 その瞬間、自分はどうしようもなくこの人が好きだと思った。息が止まりそうだった。
 彼の傷は幸い酷いものではなく、回復マテリアとソルジャーの驚異的な治癒力で痕にならず治った。でも暫くの間、着替え中露わになった彼の背中を見る度に、自分の目には一瞬生々しい傷が浮かび上がった。堪らず掌をそっと彼の背中に押し当てる。その突拍子のない行動に、「どうしたんだ?」と笑いながら首だけ振り返る彼。でも、すぐに気付いたらしく、彼は笑うのを止めた。
 「気にするな。もうすっかり平気なんだから」
 「…………」
 「それより、お前の唇の方が心配だ」
 「えっ、」
 知らず知らずのうちにきつく噛み締めていた唇に、淡くキスを落とされた。胸が怖い程に震えた。
 チェックインを済ませて足早にエレベーターに乗り込む。目的の階で下りると静まり返った廊下を無言で歩く。ロックを解除して用意された部屋に入ったと同時に、キスの嵐。彼の熱い掌が髪の毛を掻き上げ、多少の性急さで以て服の上から肌をまさぐる。
 気持ちとは裏腹に「待って」と言う唇を塞がれながら、「待てない」と低く熱く囁かれる。尚も「待って」と言う俺に彼は「嘘つきだな」と言いながら、その深く蒼い双璧をゆっくりと細めた。
 その眼差しに、体の奥が疼いた。


 荷物を放り投げたままで服を脱ぐ事さえもももどかしく、熱い吐息を漏らしながら「早く」と言ったあいつの中へ沈んだ。車を降りてからずっと、お互いにそうしたくて堪らなかった。
 温かい湯の張った広いバスタブに、向かい合いようにしてふたりで浸かりながら、俺は目を閉じた。全身を包み込む湯の感触と温かさ、時折聞こえるちゃぷんという柔らかい水音。どれも心地良かった。
 不意に湯が動いて揺れる。そっと薄目を開けると、目の前にはあいつの顔。薄紅の唇が微かに開かれている。気付かないフリをしたら、ふわりと唇が押し当てられた。
 「なぁ……」
 「何だ?」
 「もう一度……、」
 断る理由なんて何処にもなくて、俺は目の前のあいつの頭を引き寄せると深く口づけた。このまま繋がっても良いかなとも思ったが、湯あたりしてしまうのは明らかだったので、碧い石のはめ込まれた耳朶に唇を寄せてそっと囁く。するとあいつは一瞬驚いたような顔をしつつ、すぐにその頬を更に紅く染めて微笑んだ。その表情がとても艶っぽくて、それは風呂に入っていて全身が濡れているからだと思っても、俺の情欲を激しく揺さぶる。湯上がりのしっとりとしたあいつの肌に吸い付きたかった。
 一度快楽に身を投じて乱れると、あいつは駆け引きなしの素直さで求めてくる。
 ごく稀に酷く淫らな事をして全身を朱に染め上げても、その妖艶な表情とは裏腹に、何処か澄んだ水のように透明で決して初々しさを失わない。とても不思議だった。
 普段はキスでも恥ずかしがるクセに、ベッドで乱れたら眩暈がする程に大胆。その落差が堪らなかった。
 「もっと……」
 「随分とねだるんだな」
 「だって、」
 旅先ではいつもそうだ。日常と切り離された空間。誰も知らないふたりだけの場所。密やかに行われる濃密な行為。
 俺は底なしの熱さの中へ、再び身を投じた。


 翌日は昼近くから、街の中をふたりで歩いた。平日なので、さほど混雑していない。それでも表通りは通りに沿って店が並んでいるので、買い物客や行き交う人々で賑わっていた。
 ホテルのエントランスをくぐり、石畳の通りに出たところで、俺は隣に立つあいつの手をそっと握った。
 「えっ?! ア、アンジールッ」
 驚き慌てて、思わず手を離そうとする。無理もない。自分達は世間的には秘めた関係で、外では決して手を繋ぐ事なんて出来なかった。離れようとする手をきゅっと握る。俺は通りの端に寄って、そっと小声で言った。
 「この街は、寛大だ」
 「え……」
 俺が言った言葉の意味が良く分からなかったのか、あいつは不思議そうな顔をした。俺はさりげなく通りに目を遣る。同じようにあいつも俺の視線の先を追った。
 通りを歩く人々の中に、同姓同士で手を繋ぎ、あるいは組みながら歩くカップルらしき人達が数組いた。彼らは男性同士だったり、女性同士だったり。でも、その誰もが、とても楽しそうで幸せそうな表情だ。
 「意味が分かったか?」
 「うん……」
 この街は法的に認められているのだ。同姓同士の婚姻が。その事は前々から知っていたので、あいつと共に一度来てみたかったのだ。
 人目を気にせず、街中をふたりで手を繋いで歩いてみたい。
 たわいのない事でも、俺達が普段生活している街では出来ない事だった。
 「さぁ、行こう」
 あいつの頭を一撫でして歩き出す。左手をきゅっと握られる。僅かに低い場所から、あいつが俺を見上げてきた。その顔を眩しいまでの笑顔にして。


 通りの先には大きな広場があり、マーケットがあった。沢山のテントやワゴンが集まり、様々なものが並べられている。人通りも多く非常に賑やかだ。
 崩れてしまうのではないかと言う程、山盛りになっている果物。見た事もない花。不思議な形をした野菜。食欲をそそられる香辛料の香りに、甘い甘い砂糖菓子。色とりどりの布のカーテン、古めかしい壷に、何か分からないガラクタの山。ベールの向こうでうっすらと微笑むエキゾチックな占い師、重厚な装丁で紙が茶色く色あせた古書の山。大鍋で煮込まれているスープに、種類が豊富な乾麺の束。
 沢山の声と音、漲る活気。生き生きとした人々の表情。
 賑やかな迷路に紛れ込んでしまったような錯覚。
 時折、行き交う人とぶつかりそうになるのをうまく避けながら、それでも手は繋いだまま。でもいつの間にか、ザックスの右手はアンジールの肘を掴み、そしてスルリとさりげなく組んでいた。
 マーケットを抜けて、ザックスは空を見上げた。青い空に、所々白い雲が浮かんでいる。マーケットはテントと、縦横に張られた布の所為で少し薄暗く、空が遠く狭く感じたのだ。
 「凄く面白い場所だったね」
 ザックスが両腕を上げて体を伸ばす。
 「珍しいものが沢山あったな。特に香辛料とか」
 日ごろ自炊をするアンジールには、興味深い食材が沢山あったのだ。帰る日に纏めて買うのも良いかもしれないと思った。
 頬を撫でる風に、ひんやりと涼しさを感じた。ザックスは辺りを見回す。通りの少し先に大きな噴水が見えた。風に乗って、細かな水飛沫が飛んできたようだ。
 「なぁ、あそこでちょっと休憩しない?」
 ザックスがアンジールの肘を掴み、「あそこ」と噴水の方を指差す。周辺には幾つかのワゴンが出て、飲み物などを売っている。簡易テーブルと椅子も並び、ちょっとした移動式のカフェみたいだ。
 「そうだな、何か飲むとするか」
 噴水池は直径がかなり大きい。中央付近では勢い良く水が吹き上がっているが、縁の近くでは小さく波立つ程度で、水がかかる心配もない。水面を覗き込むと、時折小さな魚が見えた。キラリと光ったのは、水底に沈むコインのようだ。
 噴水池の縁が丁度ベンチの役割を果たしている。そこに座って本を読む人、飲み物を飲む人、横になって昼寝をする人など様々だ。
 「何が良いんだ? 俺はアイスコーヒーにするが」
 「俺はアイスティー……でも、待った。ジュースでも良いかも……」
 あれこれ迷いだしたザックスの頭を、笑いながらガシガシと撫でる。「先に座ってろ。何かは飲むまでのお楽しみだ」と言って、アンジールはワゴンに向かって歩き出した。ザックスは何だか楽しくて笑った。
 迷わず噴水池の縁に座った。一瞬簡易テーブルにしようかと思ったが、水の近くに座りたかった。くるりと周りを見ると、自分達と同じ男性同士のカップルが噴水池の縁に座り、ごく自然に楽しげに会話をしている。
 『俺とアンジールも、あんな風に見えるのかな』
 ぼんやりとそう思っていたら、そっとさりげなく彼らがキスを交わした。何だか恥ずかしくて、ザックスは慌てて視線を逸らす。同時にちょっと羨ましかった。この街に住んでいたら、あれも彼らにとって何でもない日常の一部なのだ。
 『ミッドガルでは、そうもいかないよな』
 ザックスは小さく笑った。街中では、大っぴらに手を繋ぐ事さえも出来ないのだ。ましてや、キスだなんてとんでもない。
 別に不満がある訳じゃない。ミッドガルに住むのが嫌な訳でもない。好きな部分だって幾つもあるし。ただ、ほんの少しだけ、この街に住む彼らが羨ましかった。
 足元から視線を上げると、両手にカップを持ったアンジールがこちらに向かって歩いてくるところだった。こうして遠目に見ても何処となく目を引くのは、彼の身長が高い事とバランスの取れた体付きだからか。それとも、何気に整った顔立ちだからか。
 自分は見慣れているから特に意識する事はないが、アンジールはかなり整った顔立ちをしている。それでいて柔らかい雰囲気を醸し出しているので、道を歩くと女性が時折彼をさり気なく見たりした。
 そんな時、ザックスの胸に微かに生じる優越感。下らないと思う。馬鹿だとも思う。でも。
 「待たせたな」
 不意に影が落ちる。気付けば、アンジールが目の前に立っていた。逆光で彼の顔がほんの一瞬、良く見えなかった。
 「ほら。中身が何か当ててみろ。きっと美味いと思うんだ」
 少し前屈みになって、彼が笑顔でカップを差し出す。
 ザックスは小さく息を吸った。そして、アンジールを見上げると、声に出さずに言った。
 『…………』
 唇の動きを読み取ったアンジールが、僅かに目を見開く。どうしたものかと、迷うなんて野暮だ。だって、目の前の碧い瞳は既に瞼の裏に隠されて、唇はうっすらと開かれているのだから。
 アンジールはゆっくりと身を屈めて、そっと顔を近づける。唇が触れ合う直前、「大好き」という彼の囁きを聞いた。
 鳥の羽音が響いて、街の喧騒が一瞬、消えた。
 重なり合った唇。
 風景に解けるふたり。時が止まったようだった。
 目にした光景に優しく微笑む者がいたかもしれない。何処からともなく口笛が聞こえ、ふたりは唇を離した。
 「ん、」
 隣に座ったアンジールから、ザックスは無言でカップを受け取る。差し込まれたストローで中身を飲んだ。口の中が一気に冷える。酸っぱさに蜂蜜の甘さが溶け合う、レモネード。
 「美味いだろ?」
 アンジールが微笑みながら、ザックスを覗き込む。自身のアイスコーヒーをストローで掻き混ぜた。
 「うん。……キスはレモネードの味」
 そう言いながらザックスは、素早くアンジールの唇にキスをした。
 「っ!!」
 気付いた時にはもう唇は離れていて、目の前にはニッと笑うザックスの顔があった。その笑顔はまるで悪戯が成功して喜ぶ子供のよう。
 「楽しいな!!」
 ヘヘッと無邪気に笑う碧い瞳を、アンジールは隣でいつまでも見ていたいと思った。




 20100711