ごろりと寝転んだ体は、足を下に緩やかに斜めになった。視線の先には、星空。「満天の」とまではいかないが、ミッドガルの夜空と比べたら雲泥の差だ。第一、ミッドガルでは星が見えない。地上を覆い、時には空に向かって伸びる人工の光。その光が多すぎて、また明るすぎるから、星の光が消えてしまうのだ。手っ取り早く星空を見たかったら、科学博物館のプラネタリウムに行けばいいと言う事か。
「眠らない都市」、この形容詞がミッドガルにはぴったり当てはまると、ザックスはいつも思う。生まれ故郷からミッドガルにやって来たばかりの頃は、空の狭さに息苦しさを感じた。さすがに今ではすっかり慣れてしまったけれど、当然好きにはなれなかった。やはり肌に合わないのだ。
寝転んだこの場所は屋根の上。この二階建ての簡素な建物は、神羅の保養施設。周囲にも似たような造りの建物が数棟並んでいる。普通の住宅と何ら変わらない。むしろ、そのものだ。ザックスは「住宅展示場みたいだな」と思った。他に明かりが点いている建物は見当たらなかった。どうやら自分達しか利用者がいないらしい。
同じ敷地内にある事務所のような棟に管理人が常時在中しているので、手入れは行き届いている。勿論、電気とガス、水道は使える。基本的な家電も備わっているので、長期滞在も充分可能だ。車で一時間程走れば小さな町があって、そこで食料や日用品も手に入れられる。
空気は綺麗だし、喧騒とは無縁の静けさ。緑も多い。少し下ったところを流れている川の近くには、温泉が湧いている。それ以外、何もない。「何もしない」をするには最適だ。
心地良い夜風が、ザックスの前髪を緩やかに撫でた。
一週間のオフが取れたので、昨日からアンジールと共にこの地に来ていた。オフの長さは任務の過酷さと比例している。ここに来る前の任務はそこそこ厄介なもので、ザックスにとって学ぶべき事も多々あったから結果として充実したものだったが、やはり体力的にも精神的にもそれなりに疲労した事に変わりはなかった。
そんな状態にも関わらず、任務終了後早々に部屋、それは自室ではなくアンジールの部屋に戻り、お互い大して休みもせず必要な荷物をさっさと纏めて車に積み込むと、ここを目指して出発した。確か、日付が変わろうとしていたと思う。一度休むと再び動くのが億劫になってしまいそうだったし、それ以上に気分が高揚していたのかもしれない。自分も彼も。
2ndになったと同時に義務で免許は取得しているから、「交代で自分も運転する」と彼に言っても、「疲れているのだから休め」と言われた。彼はハンドルを握り続ける。「自分だって同じなのに」と心の中でぼやいたが、正直疲れていたので素直に彼の言葉に従った。
まだまだ明りの消えない市街地からハイウェイに乗る。夜中だから景色は良く分からないけれど、オレンジ色の光がどんどん後ろへ流れる。光の筋をずっと目で追うと、軽い眩暈のようなものを感じた。体の感覚がふわふわする。ザックスは一度目を閉じた。
いつしか高層ビル群はその姿を消した。交通量も格段に減った。助手席から彼の横顔を見る。見慣れている筈なのに、ほんの少しドキリとした。多分、今が任務中ではなく、彼が制服ではなくて洗いざらしのシャツだから。不意に彼の首筋に触れたくなって、そう思った自分を恥じた。気を紛らわそうと窓の外を眺める。微かに頬が熱かった。
いつもそうだ。こうして自分はいつも、何でもない事でドキドキしてしまう。何故なら、彼が好きだから。
喉の奥が締め付けられるように、きゅっとする。彼が隣にいても急に切なくなったりして、自分でもおかしいのではないかと思う。でも、それが事実だった。
握ろうとした指先が、彼によって握られた。ちょっと驚いたけれど、嬉しくて小さく笑い、そっと握り返す。
いつしか気付けば、目的地付近を車は走っていた。正確には「気付けば」ではなく、「起きたら」だが。
フロントガラスから差し込む朝日が眩しくて、思わず目を細めた。「おはよう」と声を掛けられて首を反らして彼を見ると、サングラス越しの彼の瞳が小さく笑っているのが分かった。多分、妙な寝癖が付いているに違いない。俺が頭に触れようとしたら、彼はハザードも点けずにおもむろに車を止めた。同様の事をミッドガル市内で行えば、たちまち大迷惑だ。でも、ここは違う。前後に車の姿は見えもしないし、車道の幅も行き交うには十分過ぎる程だから、こうして車を停車させても誰も何も言わない。
サイドブレーキを引いた彼の手が、自分に伸びてくる。大きな掌がぽんと頭の上に乗り、そのまま髪の毛をくしゃくしゃと撫でる。
「寝癖、付いてるぞ」
優しい声音が起き抜けの耳に心地良い。それに、頭を撫でられる感触も好きだ。
「ごめん、寝ちゃった……運転代わるよ」
「もう一時間もしないうちに着くから、大丈夫だ」
彼の指が頬のラインをするりとなぞる。俺はほんの少し身を乗り出して、彼の唇にキスをした。いつしか彼の手が、自分の項に添えられていた。
閉じていた瞼を上げる。星は変わらずに瞬いていた。
今自分が見ている星の光は、どれ程の距離を越えてやってきたのだろう。もうずっとずっと前に放たれた光が、長い時間をかけてぐんぐんと突き進み、宇宙の闇を抜けて、今こうして自分の瞳に差し込む。とても不思議な感じがした。
ザックスはひとつの星をじっと見つめた。
もしかしたら、あの星はもう存在しないのかもしれない。自身の存在が消えても、消える前に自らが放った光は変わらぬ速さで闇を進んで、こうして「星の光」として存在し、認識される。
「ん?」
ザックスは起き上がる。アンジールが自分を呼んでいる声が聞こえた。自分のすぐ脇にある天窓から下を覗くと、アンジールが薄暗い屋根裏への小さな階段を上ってくるところだった。
「そこにいたのか」
アンジールはその手に二本の缶を持っていた。ビールらしい。屋根の上で星を見ながらの乾杯も良いなと思った。
「うん、星見えるよ」
ザックスは窓枠に手を添えて、天窓から上半身をぶらんと逆さにした。まるで鉄棒をしている時みたいな視界。アンジールも逆さまだ。
「頭に血が上るぞ。それに、気を付けろよ」
アンジールが「全くお前は」と言いたげに笑っている。そのままザックスの頬に冷えた缶を押し当てた。
「冷たっ」
ザックスの上半身が引っ込む。その様がおかしくて、アンジールは笑いながら上を見上げた。水滴で僅かに濡れた頬を手の甲で拭いながら、ザックスも笑った。再びぶらんと上半身を下ろす。
「俺さ、小さい頃から木登りばかりしてたから、こういう姿勢は慣れっこなんだ」
「なるほどな」
納得したように小さく頷くアンジールを見て、ザックスはニッと笑った。逆さまになっているので、髪の毛が床に向かって下がる。少し体を揺らすと、髪の毛もゆらゆらと揺れた。
アンジールが手にしていた缶を床に置く。その少しだけ冷えた掌で、逆さまのザックスの頬に触れた。丁度、並んで立っている時と同じくらいの高さに彼の顔があるのだが、如何せん逆さまなので勝手が違う。本来なら顎がある位置に今は額がある。アンジールは少しだけ体を屈めて、ザックスの滑らかな額にちゅっとキスをした。
「……逆さまだと、何だか妙だな」
「うん」
ザックスは頷きながら瞼を閉じた。今度は唇にさらりとしたキスを受ける。そっと離れたと同時に、ザックスは上半身を起こした。ほんの少しだけ、屋根に投げ出している足を広げると、心持ち力を入れて踏ん張る。そして、両腕を窓枠から離すとアンジールに向かって伸ばした。アンジールには一瞬、ザックスの体がずるりと滑り落ちるかのように見えて、咄嗟に腕を伸ばした。お互いの掌が掌を受け止める。
「危ないだろっ」
「平気、落ちない」
「そうは言っても、」
「言っただろ、慣れっこだって……」
ザックスは上半身を反らすようにして、アンジールの頬に滑らせるようなキスをする。
「それに、仮に落ちたとしても」
「……落ちたとしても、何だ?」
「受け止めてくれるって信じてるし」
アンジールは蒼い双璧を静かに細める。ザックスは目の前の耳朶をそっと舐めた。くすぐったかったのか、彼は首を微かに竦めた。
ザックスは引き寄せるように、アンジールの首筋に両腕を回した。熱い唇を寄せて、触れ合わせた瞬間の痺れるような感覚に酔う。唇だけじゃなくて体のあちこちで感じたくて、そう思っただけで吐息が熱を帯びた。彼の指先が自分の髪の毛をまさぐる。地肌を撫でられて背筋がゾクリとした。「もっと」とねだりたい。
戯れが熱を帯びる。
『あんたはもうとっくに、受け止めてくれてるじゃないか……』
恋に落ちた俺を。
『でも、』
ザックスは深みを増す口づけに酔い痴れながら、屋根に投げ出している足の力を抜いた。
20100612