02 夕焼けが見てる


 「後は俺達だけ?」
 「あぁ。すまないな」
 「いや、別に構わないよ」
 少し高台の草原のような草地の上に座りながら、ザックスは目を細めて夕日に向かって飛ぶヘリを見送っていた。機体は徐々に小さくなって、やがて薄雲に紛れて分からなくなった。
 本日を以て遠征先での任務は終了。先程、撤収のヘリの最後の一機が飛び立ったところだ。明日からは久し振りのオフで、ヘリに乗って今日中にミッドガルに戻っても良かったのだが、こうしてアンジールとザックスは、ふたり残ったままだった。
 「折角だから、色々見て回ろうかと思ってな」
 草花に限らず植物自体に興味があるアンジールは、この地に自生する植物が以前から気になっていたという。一度、あちこち散策しながら色々見て回り、写真に納めたりしようと思っていたのだが、忙しさにかまけてなかなか機会がなかった。
 そして、今回。たまたま遠征先がこの地だったという訳だ。仕事だと分かりつつもそっと愛用のカメラを持参し、あれこれ撮影するのを全てが終わってからの楽しみにしていたのだった。
 「迎えのヘリ、明日のいつ?」
 ザックスが横を向いた。夕日に照らされたアンジールの横顔の輪郭は、まるで彫刻のように整っていて綺麗だった。
 「丁度、今頃かな」
 「1stともなれば、休暇にヘリも飛ばせるのな」
 「事後処理の為、一日遅れると言ってあるんだ。皆、疲れているだろうし、早くミッドガルに帰してやりたかった」
 自分の指揮の下、後方支援も含めて全ての人員が全力を尽くしてくれた。そのおかげで特に大きな問題もなく、予定より早く事態は収拾したのだ。そんな彼等に、アンジールはいつも労いの気持ちを忘れない。上に立つ者たる心得を、アンジールは決して饒舌になる事なく、自分の行動でザックスに伝えようとしていた。
 自分が持っている、全てを彼に。
 「さすがに……1stでも、私用でヘリを飛ばすのは難しいだろうな」
 アンジールは何処か楽しそうにクスクスと笑った。ザックスは自分の小さな勘違いを笑われたみたいで、その頬を小さく膨らませた。しかし、こうして自分の隣で楽しそうに笑うアンジールの姿を見ていると、いつしか自分も一緒になってクスクスと笑っていた。
 「お前も戻って良かったんだぞ? 疲れただろ、今回は」
 アンジールの何気ない一言に、ザックスはそっと目を伏せた。
 「別に、ひとり戻っても……」
 草地に突いていたアンジールの手に、ザックスの指先がそっと触れた。
 『あんたと一緒に、いたいんだ』
 アンジールがザックスの方を向くより前に、彼は顔を背けて遠くを見るような素振りをする。髪の毛の隙間から覗く耳が赤いのは、夕日の所為なのか、それとも……。
 「良く頑張ったな」
 「え」
 ザックスがアンジールを振り向くと同時に、指先がきゅっと握られた。もう一方の手が、ザックスの頭を撫でる。
 「多少厳しすぎる時もあったかもしれないが……、全てはお前の為だ。でも今回は、本当に良く頑張ったな」
 ガシガシと頭を撫でられる感触が心地良い。ザックスは「うん。頑張ったよな、俺」と呟きながら、少し気恥ずかしげに笑った。夕日に照らされたその笑顔が、思いの外幼く可愛らしく見えて、アンジールは思わず見とれてしまった。
 「ザックス」
 「何?」
 高台を緩やかな風が吹き抜ける。背丈の低い草が、まるで水面のようにさわさわと揺らぐ。茜色の雲が速度を速めて流れ、微妙な色合いを空一面に描く。
 「お前、……か……のな」」
 ザックスが風に踊る前髪を押さえる。一陣の風は僅かに肌寒さを感じさせた。
 「え? ごめん、良く聞こえな……」
 触れる指先、前髪を押さえる手を退かされた。額に彼の、唇。
 「可愛いのな」
 額の皮膚に触れたまま、唇が言葉を紡ぐこそばゆさ。ザックスは俄に頬を赤く染めた。それは決して、夕日の所為ではなくて。
 「かっ、可愛いって……」
 「怒ったのか?」
 腕をぶんぶんと振り回しそうな勢いのザックスを見ながら、アンジールはやれやれと言った表情だ。それが却って、ザックスを怒らせる。
 「当ったり前だろ!! 第一、俺は男で……っ」
 「ほら、そうやってムキになるのが、余計に可愛いんだ」
 「はあっ?!」
 ザックスは振り上げかけた腕を、中途半端に宙で止める。何だかもう、これ以上あれこれ言ったら自分で墓穴を掘ってしまいそうだった。
 「でも、すまなかったな……」
 アンジールがザックスの手を取って、そっと握った。掌から伝わる彼の温もりに、先程までのムキになっていた気持ちがあっという間に消える。
 「別に、もう……良いよ」
 目の前のアンジールをチラリと見て呟く。そして何かを思いついたのか、はたと顔を上げると、「えへへ」と笑いながら言った。
 「『ごめんのキス』、とか?」
 僅かにアンジールの瞳が見開かれる。彼は「全く、お前は」と言いながら、再度ザックスの額に唇を寄せる。すると、ザックスが頭を後ろへ引いた。
 「そこじゃ……、なくて」
 「見られるぞ」
 「夕日しか、見てな、い……」
 唇を触れ合わせたふたりの影が、夕日に照らされて長く長く伸びる。
 昼と夜とが同時に存在する、その僅かな時間に茜色のキス。迫り来る群青色に溶けそうに滲む。
 暮れゆく今日が少しだけ切なくて、ザックスは握る指先に力を込めた。

 
   * * *

    
 捲るアルバムには、植物の写真が幾枚も。花と葉と、風景。それだけのアルバム。
 アンジールがザックスにレンズを向けても、彼は敏感に気付いて、決してシャッターを切らせなかった。
 「写真を撮られるのが、嫌いなのか?」
 「嫌いって訳じゃ、ないけど……」
 自分が言うのも何だが、ザックスは何気ない表情がとても自然で、そんな彼の表情をレンズ越しに切り取ってみたいと以前から密かに思っていた。
 でも、彼の一言が、俺のそんな思いを永遠に打ち消した。

 「カメラじゃなくて……、あんたの瞳で……」

 瞬きする度に俺の網膜に焼き付く彼の表情、姿。
 何かに残さなくても良い。
 この体に全て刻み込めば、それで良いんだ。
 だから、俺は一度として、彼の写真を撮る事はなかった。
 全てはこの体、この心の中に。




 20100516