「マジ、疲れ、た……」
部屋のドアを開けて中に入った途端に、ザックスはフラフラと床に座り込んだ。
「おいおい、入り口で座り込むな」
後から続いたアンジールが、ともすればザックスを跨ぐ形で中に入る。
遠征5日目。狭くて簡素ながらも、清潔な部屋で眠れるのは有り難かった。
アンジールは自身のバスターソードをドア付近に立て掛けると、装備もそのままにバスルームへ直行する。バスタブに勢い良く湯を注ぎ始めると、柔らかな湯気が立ち籠める。
「ほら、寝るなら体の汚れを落としてから寝ろ」
「んー」
見ればふたりとも、あちこち土や砂埃で汚れている。アンジールが装備を解くのを視界の隅に見ながら、ザックスものろのろと自分の装備を解き始める。壁にもたれ掛かって、半分眠りながら防具を外しているザックスに呆れながらも、アンジールはしゃがみ込むと、そっと手を差し伸ばして手伝った。
『無理もない、か……』
「1stの見込みが充分ある」として、自分が教育係に就く事になったこの2ndは、本格的な遠征は今回が初めてだった。2ndでも能力と素質面では彼は他の者より優れていたが、今までは後方支援部隊に回る事が殆どだった。だが、自分が教育係に就いた事もあって、今回は前線へと連れ出したのだ。
アンジールはザックスを自分のサポート役に就かせた。教育係になってからは、公私を含めてほぼ行動を共にしていたので、お互いに相手の事が自ずと分かるようになっていた。
相手が何をしようとしているのか、どのように動こうとしているのか。また、自分はどうしたらいいのか。
時折、危うくなる場面もあって、その都度アンジールはザックスを叱咤した。素直に自分の否を認める時もあれば、アンジールに食って掛かる時もあった。そんな時、アンジールは頭ごなしに怒鳴ったりはせず、ザックスの言い分を最後まで聞いた。その上で、彼にきちんと状況を説明し、彼が納得するまで話をした。
ザックスは基本的に、素直な性格だった。
恥ずかしさを隠すように拗ねてみたりするけれど、暫くするとすぐに笑顔になった。空みたいに碧い瞳をくるくると動かして、良く笑う。眩しいまでの笑顔は、年相応に瑞々しくて爽やかだった。
そんな彼に時折、アンジールは胸の奥がこそばゆいような気持ちになったりした。
「ザックスッ!!」
「ッ!! ごめ、んっ」
アンジールの声に、ザックスがハッと顔を上げる。装備を解きながら、うとうとと眠ってしまったらしい。気付くと傍らに防具類が置かれ、自分は制服だけになっていた。
「大丈夫か? 眠いのは分かるが、さっさと風呂だけ入ってこい。湯は張ってあるが、寝てしまいそうならシャワーだけでも良いから」
目の前のアンジールは、困ったような顔で小さく笑っていた。ザックスは、その笑顔をじっと見つめた。
『やっぱ、全然違う……、こんなに、優しい……』
日中の、あの鋭い眼差し。冷静に目の前の戦況を分析し、自分を含める周りの状況をきちんと把握して、各々に適切な指示を出す。必要以上の破壊行為と、例えモンスターでも無駄な殺生を行わない彼。
自分を叱咤する時の厳しい眼差しを思い出すと、正直今でも少し怖くなる程だ。でも、その後必ずこんな風に優しく微笑んで、そっと頭に触れてくれる。それが、何だかとても嬉しかった。
「アンジール、俺……」
そっと俯いて、ザックスはぽつりと言った。アンジールの制服の裾を、何故だかいつの間にか握っている。
「どうした? 気分でも悪いのか?」
ザックスは小さく首を振る。そして、まるで懇願するかのように言った。
「待ってて」
「え?」
「俺、あんたと同じ……この色の制服着るから、さ……」
制服を握る手に力が込められた。
「絶対追いつく。必ず、横に立つ。だから、」
ザックスがゆっくりと顔を上げた。綺麗に澄んだ碧い瞳が言葉以上の力で以て、アンジールの蒼い瞳に訴えていた。見た事もないような彼の真摯な眼差しに、アンジールは思わず息を止めた。
「待ってて……」
アンジールは小さく頷く。そして、ザックスの頭にぽんと掌を乗せた。
「だが……、俺は立ち止まらないぞ」
「うん、分かってる」
「あくまでも、お前が俺に追いつけ」
「うん」
大きな掌がザックスの頭を撫でた。それはザックスの疲れた体には、酷く優しくて温かかった。
「きっと、」
アンジールの掌が、するりとザックスの頬に滑る。蒼い双璧が眩しそうに、嬉しそうに細められた。
「お前は似合うさ、この色の制服が」
「う、ん……」
自分の頬に触れる掌に、ザックスがそっと指先で触れた。
分かる。彼が何をしたいのか、何をしようとしているのか。自分がどうしたいのか。もうふたりは、いつからか自然に分かるようになっていた。
部屋の中が、静まり返る。狭い部屋を妙に広く感じた。いつの間にか、バスルームからの水音も消えている。床にしゃがみ込んでいるふたりには、もうお互いの息遣いしか聞こえないようだった。
アンジールの顔が微かに動いた、その時。ザックスの唇が言葉を紡ぐ。それは、静けさに溶けてしまいそうに、ゆっくりと小さく。
「約束、して」
「あぁ」
分かる。お前が何を言いたいのか、俺にはもう分かる。
「俺以外……誰にもしない、と……」
「しない。もう、お前しか……」
音もなく唇が重なる。少しひんやりとして、何処か砂っぽい唇の感触。
忘れない。この、始まりを。
最期まで、俺だけ。
最期まで、お前だ。
はじめからおわりまで
from A to Z
20100503