09 SとM


・蝋燭(ロウソク)
上記単語が大丈夫な方のみ、どうぞ。
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 痛みは、時として快感となる。
 それを教えてくれたのは、彼だった。

 初めて手の自由を奪われた時、今まで感じた事のない快感を知った。それはリボンで緩く両手首を結ぶ程度のものだったけれど、そんな俺の姿を見たアンジールが耳元で「堪らない」と言った時の声音が、いつも以上に酷く興奮していて忘れられない。
 彼はいつも優しく抱いてくれる。俺の事を大事にしてくれて、決して無理強いはしない。時々、「もっと強引にさらってくれて良いのに」と思ってしまうけれど、そんなもどかしい愛撫に俺はいつも啜り泣いてしまう。
 でも時々、本当に時々だけれど、お互い獣じみて交わる時があった。それは狂気的でもあったし、お互いに何だか酷くしたくてされたくて、そんな胸の奥底に密かに眠る衝動みたいなものが、前触れもなく現れてお互いにシンクロする時があった。
 そんな嵐の中にいるような時間は、物凄く淫らで堪らなく気持ち良くて、いつも「このまま死んでも良い」と思ってしまう程だった。

 あれは、時々覗く骨董品店で見つけたものだった。
 あの頃、俺も彼も何故か蝋燭に凝っていた。部屋で過ごす時に間接照明的に使ったり、食事の際にテーブルの上で灯してみたりして、日常生活で蝋燭を使っていたのだ。蛍光灯の明かりとは異なる柔らかく揺れる灯りは、見ていて癒され心落ち着くし、何より雰囲気が出て良かった。小さなものから、燃焼時間の長い少し大きめのもの、灯すと仄かに香るものなど、気に入ったものを見つけては買い集め、少しずつ数は増えていった。増えても消耗品だから使う限り減るので、どんどん溜まって場所を取る事もない。
 その日、骨董品店の店先で、鮮やかな朱色の蝋燭を見つけた時は、迷わず手にとって思わずまじまじと見つめた。やや太めで、灯心が紙で出来ている。目に鮮やかな見事な朱色で、黄色の水仙が全体に緻密に描かれていた。これはもう芸術作品だ。こんなに綺麗な蝋燭があるのだと、俺はいたく感激した。
 かなり年老いた店主に値段を尋ねると、やはりいつも使っている蝋燭より少し値が張った。しかし、どうしても欲しくて、何より彼に見せたくて、俺はその蝋燭を買った。店を出る時に店主が、「それは和蝋燭と言って、ここでは滅多に見られない珍品だ」と教えてくれた。
 部屋に戻ると、俺はすぐに彼に和蝋燭を見せた。幾重にも重なる薄手の紙の中から現れた朱色に、彼は「素晴らしいな」と漏らして、じっと見つめた。俺はそんな彼の姿が嬉しくて、満足げに笑った。すると彼が、「本物の和蝋燭を見るのは初めてだ」と言ったので驚いた。彼は和蝋燭を知っていた。
 その灯りは俺達がいつも使っている蝋燭とは異なり、光は強く、炎は静かに燃え、時には瞬きをしているが如く揺らぐらしい。俺は早く和蝋燭に、火を灯してみたかった。彼が「寝る前に灯そう」と言い、「楽しみだな」と言い合ってそっとキスを交わした。

 その日の夜、寝室で和蝋燭に火を灯した。小さな持ち手の付いた鉄製の燭台に和蝋燭を立て、彼がライターで火を灯す。俺はじっと見つめた。その光は確かに強く、炎は時折揺らめいて、神秘的で美しかった。何よりその朱色の本体に施された水仙が、灯りの中で幻想的に浮かび上がるようで、見ていて飽きない。俺は無意識のうちに、「綺麗」と呟いた。
 彼が燭台をサイドテーブルの上に置き、そっと俺を抱き寄せてベッドに横たわる。額に掛かる前髪を退かせて、彼はキスを落とした。手を繋ぎ合って、口づけを交わし合い、たわいもない睦言に笑い合う。
 そのうち、どちらから共なく口づけは深さを増して、指先はお互いの素肌を求めて彷徨い出す。着ているものを脱がされ、そして脱がし、俺は羞恥に頬を染めながらも、肌をまさぐる熱い指先に身を委ねた。彼は俺を俯せにすると、耳の後ろの辺りに息を吹きかけ、湿った音を立てながら舐め上げる。思わず身を捩ると、「ここ、好きだな」と言いながらクスクス笑っている。そう、俺はそこを舐められると、くすぐったさと気持ち良さで感じてしまうのだ。他にもそう言う箇所は体のあちらこちらに存在して、彼にそこを探し出される度に自分の体ながら驚いて、恥ずかしいと同時に喜んだ。
 俺の背中に掌を這わせ、指先を背骨の形を確かめるように沿わせる。「綺麗な背中だ」と言いながら、何度もキスを落とされて、時には肌を吸われた。そっと振り返ると、揺らめいた灯りに照らされる彼の顔が、同性から見ても性的な魅力に満ちていて、一層強く「抱かれたい」と思った。彼は元々整った顔立ちで、彼の寡黙な雰囲気に良く合っていた。でも、情事の際の彼は寡黙どころか、時として淫らに饒舌で、熱く激しく一層深く俺を求める。
 その夜も、そうだった。
 彼は俯せたままの俺の耳元に顔を寄せ、そっと囁く。その言葉を聞いた時、俺は驚くと同時に未知なる扉を開く興奮も感じて、躊躇いなく頷いていた。今思うと俺も彼も、和蝋燭の妖しいまでに美しい灯りの中で、不思議な熱に浮かされていたのかもしれない。彼は俺の頭を優しく撫でながら、「無理はさせないから」と言った。そして、おもむろに燭台に手を伸ばす。壁に映る影が、大きくゆらりと揺れた。
 彼は燭台から和蝋燭を外し、それを恭しく掲げ、ゆっくりと傾ける。灯心が燃える微かな音がした。炎で溶けた鑞が朱い一滴となって落下し、俺の背中に朱い染みを描いた。思ったより熱くなかったが、それでも、ちりっとした熱さと痛みが俺の背中に走り、唇から小さく声を漏らした。彼曰く、和蝋燭は融点が低いらしく、高い位置から落とせば落下中に鑞が冷えるから、火傷の心配はないとの事だった。
 鑞を垂らす高さを変えながら、俺の体が傷付かず、且つ快感を得られるような場所を探る。背中に点々と朱い染みが浮かび上がる頃、ある高さで俺は熱さと痛みを不快ではなく、気持ち良く感じるようになった。鼻に掛かった声を漏らす俺に、彼は手を止めて「感じるのか?」と問う。口を押さえながら頷くと、脇腹を撫で上げられた。
 徐々に垂らす鑞の量を増やし、時には同じ箇所に垂らし続けて、鑞と熱を留める。アンジールは、「色白の背中が朱く染まって、物凄く綺麗だ」と言ったと思ったら、すぐに「でも、物凄くいやらしい。淫靡な光景だ」と言う。その言葉に、俺は体の奥が疼くのを止められなかった。
 いつしか俺は耐えきれずに「欲しい」と懇願し、燭台に戻された和蝋燭の明かりに照らされながら、彼と背後から結合する。大して触れられていないのに、背中への刺激で感じてしまった体は濡れていて、すんなりと彼の熱を飲み込んだ。四つん這いで最奥を突かれる快感に、俺は体を支えきれずに崩れ落ちそうになる。すると彼が「少し我慢して、首を反らしてみろ」と言う。繋がっている時に彼が言う事は、俺に快楽をもたらしてくれる事ばかりだ。俺は腕に力を込めて、言われた通りに首を反らした。
 すると、彼が燭台から和蝋燭を取り、俺の背中に朱い鑞を注ぎ垂らした。その突然の熱さに、思わず声を上げる。尾てい骨の辺りに落ちた鑞は背筋の曲線を流れて、背中の中程で留まる。俺は耐えきれずに、シーツに肩を押し付けてしまった。熱さや痛みよりも、その気持ち良さに耐えきれなかったのだ。その証拠に、俺の後孔は咥え込んだ彼の熱い塊を、きつく締め付けていた。
 彼の呻く声を聞いたと同時に、高く上げた腰を激しく揺さぶられる。俺を責め立てながら、なおも背中に朱い鑞を垂らし続ける。俺は彼に抱き締めて欲しくて、「抱いて」と叫んだ。和蝋燭を燭台に戻し、彼は両腕で背後から俺を強く抱き締める。嬉しくて譫言のように「好き」と「良い」を繰り返す俺に、彼は「何が好きなんだ? こうされる事か?」といやらしく問う。俺が彼の名前を言って、付け足すように「でも、これも好き」と言うと、熱い塊が俺の内壁を抉った。
 その後、俺は何度も精を吐き出して、何度も彼の熱を受け止めて、夜通し果てしなく淫靡な戯れに耽った。じりじりと短くなる和蝋燭と対照的に、細かい鑞の破片がベッドに床に花弁のように散らばる。胸元で朱い鑞を受け止めながら、ふと和蝋燭に描かれた黄色い水仙が網膜に焼き付く。そう言えばこの和蝋燭を買った時に、骨董品店の店主が水仙の花言葉を教えてくれたっけ。思い出そうとする俺に、彼が「どうした」と顔を覗き込んでくる。俺は「水仙の花言葉」と、ぽつり呟く。彼は「知らないな」と言いながら、俺の唇にキスをして、甘噛みした。それだけで、体の奥が溶けそうだった。
 あぁ、思い出した。俺は彼の腕を掴みながら「花言葉……感じやすい心、もう一度愛して欲しい」と掠れた声で言った。彼は蒼い双璧を細めて、俺と手にした和蝋燭に描かれた水仙を交互に見た。そして燭台に和蝋燭を戻して、俺の頬を両手で包みながら顔を寄せる。「お前の場合は」と言って、俺の碧い石がはまった耳朶に唇を寄せる。そして、「感じやすい体、何度も愛して欲しい、だな」なんて言いながら、耳の中に濡れた舌先を差し込んだ。

 久し振りに取り出した和蝋燭は、もう水仙の姿はなくなり、すっかり短くなっている。あれから何度か骨董品店を覗いたけれど、一度も和蝋燭には出会えていない。年老いた店主ではなく、彼の息子らしき人が店に出ていた。
 時折、あの熱さと、針で刺したような小さな痛みが欲しくなる。目を閉じると、瞼の裏に朱蝋の花弁が浮かび上がった。妖しく揺らめく灯りは、良く知った空間を異次元に変えて、俺も彼もそこに迷い込んでしまったのだ。
 ドアの開く音がして、彼が寝室に入ってきた。今宵、彼と共に再びあの世界へ行って、この体と胸に、あの熱さと痛みと彼とを刻み込み、永遠に閉じこめてしまおうか。
 俺は掌に朱い和蝋燭を乗せて、ゆっくりと振り返る。そして、彼の蒼い瞳を熱く見つめた。




 20100129