02 キスマーク


 「吸引性皮下出血」が全身至るところに出来てしまった。要するに、キスマークだ。

 ガシャガシャと派手な音と共に、廊下を駆ける足音が徐々に近付いてくる。「来るぞ」と思ったと同時に、ドアが派手に開く音がした。
 「アンジールッ!!」
 「廊下は静かに。お帰り、ご苦労だったな」
 「あ、うん。ただいま。で、あのなっ」
 アンジールはザックスの全身をチェックして、怪我がないことを確認する。そして、彼の急いた声を遮るように言った。
 「ザックス、まずは装備を解いてからにしろ」
 「う、うん」
 さっきまでの勢いは何処へやら。ザックスは玄関先で装備を解き始めた。自身の剣をアンジールのそれの隣に立て掛ける。防具類も全て外して丁寧に置くと、洗面所で手を洗う。アンジールのおかげで、すっかり身についてしまった習慣だ。
 リビングに入ると、アンジールが夕食の準備をしていた。大きな鍋がコンロの上で湯気を噴いて、良い香りが漂っていた。
 「で、どうした」
 「あ……、あぁ。あのさっ、これどうすんだよっ!!」
 ザックスが首を右へ傾けた。そして、首を指差す。そこには鮮やかな朱い鬱血。キスマークが付けられていた。
 「どうすると言われても……何か問題でもあるのか?」
 アンジールが腰に手を当てながら、不思議そうな顔をする。それは間違いなく自分が昨夜、彼に付けたものだ。首まで覆う制服だから、普段は見えないギリギリのところに付けたつもりだった。ザックスの日に焼けていない部分の肌は、とても綺麗で色白で唇で吸うとそれは鮮やかに朱の跡が残る。アンジールはザックスの肌にキスマークを付けるのが、情事の際の密かな楽しみだった。
 ザックスは徐々にその頬を赤くしながら叫んだ。
 「何か問題でもって……散々だったのっ!!」


 今日の合同演習開始前。ヴァーチャル・システムの空間は灼熱の砂漠。システムを起動して準備をしていた時、その暑さに思わず制服の首部分に手を掛けて、熱を逃がすように空間を作った。その時、同期の一人が目ざとくキスマークを見つけたのだ。
 「おっ! 色っぽいの付けてるじゃん」
 「なっ、何だよ、いきなり」
 「何なに? ザックス、お前昨夜はお楽しみ?」
 わらわらとザックスの周りに集まり、次から次へと質問攻め。突然の事にザックスは慌てた。正直、その時は自分の首に、鮮やかな鬱血が付いている事に気付いていなかった。「ここだよ、ここ」と同期が自らの首を指差しながら言う。ザックスはやっと状況を理解して、急いで首を手で覆った。同時に頬を赤くする。
 「もしかして、気付いてなかったのか?」
 「いや、……さぁな」
 いつの時代も、年頃の青年男子は色めいた話題で盛り上がるもの。自分達だってそうだ。ザックスは一気に話題の的となった。制服を捲ろうとする者から必死で逃れる。勿論、気が知れた仲間同士の冗談半分、面白半分の事とは分かっている。それでも、ザックスにとっては一大事だ。「誰に付けられたんだよ」なんて聞いてくる者に、間違っても本当の事は言えない。熱い砂漠地帯で演習前から大汗をかきながら、ザックスは大声で叫ぶ。
 「お前ら、いい加減にしろーっ!!」


 「ふむ、状況は分かった。で、それで俺にどうしろと言うんだ?」
 アンジールはあくまでも冷静だ。合同演習の内容の方が気になっていたくらいだ。
 「あ……うん。だから、今度付ける時は、目立たないとこ、ろに……」
 何だかこれだと、目立たないところに付けて欲しいって言ってるみたいじゃないか。まぁ、その通りなんだけど。何かまるで、キスマークを付けてくれと言ってるようにも聞こえる……?
 「ザックス」
 「何?」
 いつの間にか鍋の前に移動したアンジールが、ガスの火加減を調節している。そう言えば、腹減った。
 「キスマークだが……俺は制服を着ても見えない場所に付けた筈だ。今日の一件は、お前が制服をある意味捲ったから見えたんだろ?」
 「そうだけどさぁ」
 確かにそうだけど、でもその理屈は変じゃないか? ザックスは少しだけ頬を膨らませて俯いた。その様子を見てアンジールが微笑んで、クシャっと頭を撫でた。
 「分かった。悪かった、ごめんな。もう付けない」
 ザックスが、ガバッと音がしそうな勢いで顔を上げる。アンジールの手をぎゅっと握りながら、ぽつりぽつりと言う。
 「ちがっ……、もう付けないのは、嫌だ……だから、その」
 「じゃあ、付けても良いか?」
 「う、ん……でも、見えやすい部分は、ダメ」
 「分かった」
 突然アンジールがザックスの制服を、勢い良くたくし上げた。突然胸元が空気に晒されて、肌が粟立った。色白の肌には、朱の花が沢山散らされている。所々、折り重なるように付けられた跡がある。その部分はザックスが敏感に感じるところ。素直に反応するのが可愛くて、アンジールは何度も何度も肌を吸ったのだ。
 「結構派手に付いてるな」
 「あんたが付けたんだろっ!!」
 恥ずかしいやら何やらで、もうどうしようもなかった。自分ですら、この胸元を正視するのが恥ずかしいのに。
 アンジールの指先が、散らされた花を線で結ぶように指先で辿る。時折、クッと指先で押されて、くすぐったさと気持ち良さに体が小さく震えた。
 「ほら、ここ押さえてろ」
 「えっ……」
 いつの間にか、自分の手をたくし上げた制服に添えられる。これではもう、自分で胸元を晒しているようにしか見えない。アンジールが前屈みになって、そっと胸元に顔を寄せた。彼の息を感じたと思ったら、肌に生温かい濡れた感触。ザラリと舐められて、そのまま緩く吸い上げられるのが分かった。思わず逃れようと体を後ろに引くと、アンジールの腕が自分の腰に回されて、それを許さない。ちゅっ、ちゅっと何度も吸い付く音がする。
 「う……ん、ぁ」
 閉じてしまった瞼を上げると、目線のほんの僅か下にアンジールの顔があった。肌から唇を離した彼と目が合う。うっすらと微笑む彼に、カアァっと顔が熱くなるのが分かった。恥ずかしくて目を瞑ると、「目開けて、見てろ」と言われた。そして、胸の一際朱い部分を唇で挟まれる。
 「ふぁっ……ああぁ、やっ……ぁっ」
 ザックスは強すぎる刺激に膝が震えそうだった。舌先で弄ばれて押されて、小さく歯を立てられる。微かな痛みが走っても、それはすぐに快楽へと変化した。アンジールの唇に胸を吸われて、どうしようもなく気持ち良かった。恥ずかしい事に、胸で感じてしまうのだ。きっと彼には、もうとっくに知られてる。気付けばザックスは、アンジールの頭を両腕で抱え込むようにして、胸元に押し付けていた。
 「気持ち良いんだろ?」
 「うん、気持ち……良い……もっと」
 「もっと?」
 「もっと、吸って……」
 すぐに望む快感が与えられると思っていたら、アンジールはザックスの胸元から顔を上げた。ザックスは思わず、怪訝そうな顔でアンジールを見る。
 「もっとしたいところだが、お前、腹減ってないか? 今夜はビーフシチューなんだが……」
 アンジールが笑った。それは、ほんの少し意地の悪い笑みだ。この状況で、そんな事をわざわざ聞くなんて。
 「減った……。でも、後で食べる」
 「折角の出来たて、冷めるぞ?」
 「温め直し、て」
 「でも、」
 「もーっ!! こんなにしといて、そんな事言うなーっ!! アンジールのバカッ!!」
 ザックスは叫びながらアンジールの首筋に噛み付いた。そして仕返しとばかりに、きゅうっと強く吸い上げた。
 「ちょっ……おまっ、そこはマズイだろっ」
 「そんなの知らないっ。早くしてよっ!!」
 何とまあ、大胆な。ザックスは腕をブンブン振り回したと思ったら、アンジールに強く抱き付いた。
 「全く、お前は」
 我慢出来ずにククッと笑った。チラリと見遣って、ガスが消えている事を確認する。まだ何か喚いているザックスを、半ば担ぎ上げるようにして寝室へ連れて行く。キッチンに残された鍋が、しゅんと小さく音を立てた。




 20100113