ふたり


 「すまない」と言ったアンジールの背中を、ザックスは強く叩いた。
 「謝るの……、禁止っ」
 顔を真っ赤にして、両の目に涙を浮かべて。
 その姿が酷く俺を煽っているという事を、こいつは知らない。
 自分を見上げてくるザックスを、アンジールは両腕で抱き締めた。
 「分かった……もう、謝らない」
 「ん」
 アンジールはザックスの頬や耳元に、ちゅっちゅっと啄むようなキスをする。
 それを少しくすぐったそうに、そして何よりも嬉しそうに受けるザックスを見ながら、アンジールは囁いた。
 「お前、本当に……可愛いな」
 次の瞬間、繋がった箇所がきゅっとアンジールを抱き締めた。





 正面に座る彼をじっと見た。
 「何だ、どうした?」
 「何でもない。見てるだけ」
 「そうか」
 うん、理由なんてない。ただ、見てるだけ。
 見惚れてるだけ。
 彼の手が、すぐ近くにあるカップを取る。まだ少し、湯気が出ている。良い香り。
 唇がそっと、カップの縁に当てられて……。
 あぁ、自分の唇もあんな風に触れ合うのだろうか。
 舐めたいと思った。彼の唇を。
 そう思った次の瞬間、

 熱くて、
 僅かに苦い、彼の唇。





 キーボードを叩く音と、時折紙の上をペンが走る音がする。
 気付けば少し前に、日付が変わった。
 ザックスはベッドに横たわりながら、デスクワークをしているアンジールを見つめている。
 彼が時折、少し横を向く。机上に資料の類を置いてるのだろうか。
 その角度に、ドキリとした。

 * *

 モニターがオフにされて、部屋が暗くなる。ベッドサイドに置かれた間接照明の小さな灯りのみが、部屋を淡く照らす。
 アンジールが漸くデスクを離れ、軽く体を解してベッドに上がろうとした時。
 「……!! 起きていたのか?」
 「えへへ……、気付かなかった?」
 ザックスはブランケットに埋もれながら、まるで悪戯が見つかってしまった子供のように小さく笑った。
 「あぁ、分からなかった」
 「集中してたもんね」
 「お陰で書類はすべて仕上がった。……っと、もうこんな時間か。先に寝てても良かったんだぞ」
 アンジールは欠伸をするザックスの頭を撫でて、彼の隣に横たわる。
 「ん……、見ていたかったんだ。アンジールの事……」
 ザックスは眠そうな目で、ふわりと微笑んだ。

 集中してるあんたの事、見ていたかったんだ。
 だって、凄くカッコイイんだもん。





 眼下に広がる滑らかな背中には、細かい粒となった汗が散らばっている。
 うっすらと薄紅に色付いた肌は、甘く匂い立つようだった。
 自分の律動に合わせて、情欲をそそる蕩けそうに甘い嬌声が、熱い吐息と共に部屋の中に零れ落ちる。
 それが耳から入り込んで鼓膜を震わせて、頭の芯が溶けそうになる。
 体を屈めて、誘われるように愛おしい背中に口づけた。
 「あっ……ん、ぁ」
 途端に悩ましげな声が上がり、背中が小さく跳ねた。その声と仕種に堪らなくなって、なだらかな曲線に忙しなく唇を這わせる。
 酷く甘い味がした。





 「アンジー、ル」
 ザックスは自分を抱き締めている男の名前を呼んだ。それは自分の声なのかと一瞬疑ってしまうほど、甘い音をしていた。
 甘いのだ、何もかもが。甘くて溶けてしまいそうだった。
 「アンジール……」
 「……呼ぶ、な」
 それは、少し苦しげな声だった。
 俺の事を呼ぶな。呼ばないでくれ。
 これ以上、煽らないで欲しい。自分の中に潜む欲望を抑えきれなくて、お前を酷くしてしまいそうだ。
 「な、ぁ……アン、」
 「呼ぶなっ! 止めろ、ザックス……」
 これ以上、その愛おしい声で俺を呼ばないでくれ。
 傷付けたくなかった。
 だから、繋がった腰を激しく突き動かしたいのを我慢して、アンジールは体中を駆け巡る衝撃をやり過ごそうとしていた。潜められた眉がそれを如実に現している。
 そんなアンジールを見上げながら、ザックスは思った。
 彼は今、何て魅力的な顔をしているのだろう、と。背筋がゾクリとした。
 体は苦しいけれど、凄く辛いけれど。
 でももっと、きつく激しく抱いて欲しいと切望した。





 「ちょ……っ」
 背後からいきなり抱き締められて、ザックスは手にしていた食器を思わず落としそうになった。
 「洗い物、後にしないか?」
 アンジールはザックスの項に鼻先を擦り付けながら、そっと囁いた。
 「え? だって、先に洗っちゃった方が、後で……」
 ザックスはその後の言葉に詰まって、思わず黙り込んだ。手にしているスポンジから、泡の塊が音もなくとシンクに落ちた。
 「後で……何だ?」
 小さく笑いを含んだような声音で、アンジールがザックスの耳朶を甘く噛んだ。背筋がゾクリとする。
 ザックスには分かる。己を抱き締める彼が、今一体どんな表情をしているのか。大人の男の色気が醸し出されているその表情を思っただけで、体の奥がジンと火照るようだった。
 「後、で……」
 自分から求めているようで、恥ずかしかった。でも、それは紛れもない事実だ。背中越しに伝わってくるアンジールの体温を、もっと感じたくて……。
 手にしていたスポンジと食器が、小さな音を立ててシンクに置かれた。手に残る泡を流そうとしたのと、首筋が吸われたのは同時だった。





 20120115/初出20111010〜14・23

期間限定開設サイト「afterburner」のmemoより再録