clothes


 「なーアンジール、このシャツ貸して?」
 ザックスはアンジールがたった今羽織ったばかりのシャツの裾を掴みながら言った。
 休日の朝は時間がゆっくりと流れる。
 昨夜はいつも以上に甘えるザックスが殊更可愛らしかった。肌寒くなってくると、人肌が恋しくなってしまうという事だろうか。ベッドに入った途端にぴったりとくっついて、素肌に触れようとしてくるザックスに、アンジールはすっかり煽られてしまったのだった。
 胸元に鼻先を擦るようにしながらザックスは「なぁ、アンジール」と何度も名前を呼んだ。アンジールがその都度返事をしても、「呼んだだけ」とか「何でもない」と言うだけ。それはザックスのアンジールへの甘え方のひとつ。ただ目の前のアンジールの名前を呼びたくて、そして彼の声、自分への返事が聞きたいだけ。甘えている証拠に、たったそれだけの何でもない事なのに、アンジールが返事をする度にザックスはとても嬉しそうで幸せそうな顔をした。うっとりと、まるで透けてしまいそうな笑みを浮かべるのだ。
 アンジールはじれったいほどにゆっくりと、掌から体温を移すようにザックスの滑らかな肌に触れた。
 優しくて、ひたすら甘い夜だった。
 「このシャツか?」
 ベッドに座っているアンジールが振り返る。ザックスはブランケットにくるまり、シャツを掴んだまま「うん」と頷いた。胸元に散らされた赤い鬱血の跡がチラリと見えて、昨夜のザックスの痴態が思い出される。
 「ダメ?」
 「別にダメではないが……」
 アンジールは何だか良く分からないままにシャツを脱ぐと、ザックスに手渡した。
 「サンキュ」
 ベッドの上に起き上がり、両手でシャツを広げる。
 「俺さー、アンジールのこのシャツ、好きなんだよね。気持ち良いんだもん」
 そう言って笑いながら、ザックスはシャツに頬擦りした。洗剤の香りが微かに鼻を掠める。
 「なるほどな」
 アンジールはそんなザックスを見ながら小さく笑った。コットン素材でダブルガーゼのシャツは、水にくぐらせる度に生地が馴染んで風合いが良くなる。ふわりと肌触りが柔らかくて、アンジールはリラックスする時に好んで着用していた。そう言えばこのシャツを着ている時、ザックスは抱き付く度に「気持ち良い」と言って感触を確かめていたっけ。その時はいつも「小さな子供みたいだな」と思っていたのだが。
 ザックスがそっとシャツに腕を通す。窓からの逆光で淡く影が出来て、アンジールにはザックスがまるで薄衣を纏っているように見えた。
 「さらさらしてる……」
 素肌にガーゼの感触が心地良い。ザックスは少しだけ長い袖から出る指先で、確かめるように撫でた。その顔はとても優しげだ。
 「え、」
 不意にアンジールに抱き締められる。ふわりと、とても柔らかく。
 「どうしたの? 急に……」
 身動ぐザックスにアンジールは「別に」と言って、抱きしめる腕に少しだけ力を入れた。何も着ていない素肌に、ザックスが着たシャツの感触。布越しに伝わる体温。仄かな香り。アンジールは、今この腕に抱き締めているザックスがとても愛おしく思えて、頬を寄せると彼のこめかみに唇を押し当てた。


 「……ん」
 ザックスがゆっくりと目を開けた。ぼんやりとした視界に映るのは寝室で、自分はベッドの上でブランケットを被って横になっていた。でも確か自分は、リビングのソファで雑誌を捲っていて……。
 「起きたのか?」
 静かにドアが開いたかと思ったら、アンジールが入ってきた。その手には綺麗に畳まれた洗濯物が乗っている。
 「なぁ、俺……」
 まだ眠そうな目を擦りながら上体を起こすザックスに、アンジールが小さくクスリと笑う。洗濯物をベッドの端に乗せて、ザックスの横へ座った。僅かに跳ねている彼の髪の毛をそっと手で梳いてやると、気持ち良さそうに目を閉じる。
 「ソファに突っ伏して寝てたから、ベッドに運んでしまった。あのままだと風邪を引いてしまうと思ってな」
 「そっか……ありがと」
 僅かに体を反らして、アンジールの頬にちゅっとキスをした。そして、おもむろにベッドの端の洗濯物が目に入る。
 「あ、ごめん。俺の分も畳んで貰っちゃって」
 休日の日は大抵一緒に家事をする事にしていたが、アンジールは時々こうして自分の分もやってくれる。確かに彼の性格からして、「自分の分だけ畳む」と言う事は有り得ないのだけれど。
 「気にするな。余りにも気持ち良さそうに寝てたし、寝顔が可愛かったからな」
 「あ……、もぉ……」
 ザックスは俄に頬を赤く染めた。寝ていた自分の顔を、きっと暫く見ていたに違いない。今までにだってそう言う事は何度もあったけれど、やっぱり今でも恥ずかしい。ザックスは恥ずかしさを隠すかのように、畳まれた洗濯物に腕を伸ばして引き寄せた。
 下着の類とTシャツ、制服の上着がふたり分。
 ザックスはアンジールの制服を手にして、そっと掌で撫でた。憧れて止まない、1stの制服。自分と同デザイン、同素材。でも、色が違う。その黒色を身に纏いたくて、ずっとずっと夢見て、その夢に近付けるように走り続けてきた。そして今も、憧れの黒色を纏う彼の隣でいつか追いつくべくずっと走り続けている。もう少し時間は掛かるかも知れないけれど、最近漸く現実味を帯びてきたような気がする。
 彼と同じ色の制服を着て、彼の隣に立つ事に。
 「制服……俺も、この色になりたい。早く、なりたい」
 「焦らなくても、お前ならなれるさ」
 「うん、ありがと……頑張る」
 「あぁ、楽しみだ」
 「同じ色……アンジールと、同じ……」
 制服を握っていた腕を掴まれると、そっと抱き寄せられて、唇が重ねられた。
 あぁ、どうしてこんなにも彼には分かってしまうのだろう。今、自分がして欲しい事を。胸の奥がきゅうっとした。
 小さな音を立てて、唇が離れる。頬を一撫でされて、瞼に触れる指先が切ないほどに優しい。
 「なぁ、アンジール」
 「何だ?」
 「今だけで良いから……一度だけで良いから……、その、」
 ザックスが迷いながら、躊躇いながら言葉を紡ぐ。その指先で制服をきゅっと握り締めながら。アンジールはそんなザックスを優しい眼差しで見つめ、彼の指先に自分の手を重ねた。
 「着てみるか?」
 碧い瞳が僅かに大きく開かれる。
 「良い、の?」
 「構わないさ」
 「うん……、あっ、でも」
 ザックスは迷っていた。黒色の制服を着るのは、自分が1stになった時。夢を掴んだ時だと決めている。だから、例えアンジールの制服を借りる事であろうと、2ndの自分が1stのみ着用する事が出来る黒色の制服を、今着てしまう事に躊躇いを感じているのだ。
 ザックスには、こうしたこだわりと言うか、芯の強い部分が時折見られた。ともすればそれは、何でもないような事だったりもするのだけれど。
 アンジールがザックスの指先を握り、反対の手で彼の頭を撫でる。
 「お前は必ず、自分の力でこの制服を着るようになる。今、お前が何を考えているか、俺にはちゃんと分かる。だから……、」
 ザックスがアンジールを見つめた。アンジールもザックスを見つめた。ふたりの視線が宙で合わさる。ふたりのあおい瞳は、混ざり合って溶ける。
 「今は、俺の我が侭だ」
 「アンジールの、我が侭?」
 「あぁ、そうだ。俺の制服を着ているお前を見たいという、俺の我が侭だ」
 そう言ったアンジールが小さく笑った。
 「アンジール……」
 「俺の我が侭、聞いてくれるか?」
 ザックスはアンジールに抱き付きながら、「勿論」と言って嬉しげに笑った。
 ベッドから下りて、着ているシャツのボタンに手を掛ける。少し俯きながらひとつずつボタンを外すザックスの様子を、アンジールはベッドに座って見ていた。
 「何か、恥ずかしいんだけど……」
 頬を少しだけ薄紅に染めたザックスが、アンジールをチラリと見る。
 「どうして?」
 「そんなに……見るなよ」
 「見たいんだよ」
 「アンジール、我が侭だ」
 「聞いてくれるんだろ?」
 「……もぉ」
 恥ずかしいのは事実だけれど、実はそれも何だか楽しくて嬉しくて、ザックスは再び指先を動かした。柔らかなガーゼの生地は、音もなくザックスの体からするりと離れる。アンジールが腕を伸ばした。手渡されたシャツ、手渡される制服。ザックスは制服を手にして、アンジールを見つめた。碧い瞳が一度だけゆっくりと瞬く。
 「着させて……くれる?」
 「勿論、と言いたいところだが……」
 顎に手を当てながら何か考えるような仕種をして、アンジールは蒼い双璧を細めて言った。
 「着させるより、脱がせたい」
 少しずつ会話の温度が上がる。それは駆け引きにも似て、心がざわざわしてくる。ザックスは小さく熱い息を吐いた。

 部屋が静まり返る。それはまるで儀式のようにも思えて、アンジールは目の前のザックスから目が離せなかった。身動きすら出来ない。

 空間に浮かぶ白い肌と黒い生地のコントラスト。
 腕が制服へ通されて、頭上へとしなやかに伸ばされる。肌の上を滑る黒色。上半身を僅かに屈めて黒色へ潜るザックス。上半身の表面が白から黒へと移ってゆく。
 指先が生地を掴み、空間を作るように首元の部分を少しだけ引っ張ると、まるで水中から浮かび上がって来たかのようにザックスの顔が現れる。小さく首を振るのに合わせて、髪の毛がふわりと揺れる。
 黒色が胴を滑り下りて、肩からウエスト部分までをきちんと覆う。首元を確かめるように押さえながら、閉じられていた瞳が漸くゆっくりと開かれた。
 確かめるように自分の上半身をゆっくりと見る。
 憧れの黒色。大好きなアンジールの制服。体格に多少の差があるので、ザックスには少し大きめの制服。全体的に一回り大きくて、ゆったりと大きめのドレープが現れる。首周りはタートルネックと言えども隙間が出来ていて、腕ぐりの部分も大きく開いてしまい体の側面がいつもより多く見えてしまう。当然、丈も長めだ。
 「……デカい」
 ザックスがぼそっと呟く。さすがにちょっと不格好かもしれないと思ったのだ。アンジールの方を見ると、無言で手招きされた。側まで寄ると、彼の手が制服に触れて形を整えるようにする。
 「変……だよな」
 「そうか? 多少サイズが合っていないが、そればかりは仕方ないだろ」
 「そうだけど、さ」
 「……お前、この色似合うな」
 アンジールの両腕がザックスを抱き寄せた。アンジールはベッドに座ったままなので、ザックスの腹の辺りに彼の頭があった。その頭にザックスがそっと触れたら、少しだけ腕に力が込められた。
 「アンジール……ありがと。俺、嬉しい」
 「俺もだ」
 ふたりでクスクスと笑い合う。アンジールの手が制服の上からザックスの背筋をなぞり始める。ザックスが小さく身動ぐと、アンジールは顔を上げて彼を見上げた。
 「ザックス、怒るなよ?」
 「え? 何に?」
 「お前、可愛い。今、凄く可愛いんだよ……」
 「ア、アンジール?!」
 パッと頬を染めるザックスを横目に、アンジールの手が制服の中へするりと滑り込んで直接肌を撫で上げる。腰の辺りを彷徨う掌に、尾てい骨の辺りがゾクリとした。
 「俺の制服を着て、少し大きめのこれがお前の体を覆って……丈だってこんなに長くて、首や腕の部分だってほら……ぶかぶかだ。それがお前を少しだけ小さく華奢に見せて、それが俺には溜まらなく愛くるしいんだ……」
 「…………」
 「決してお前の体格の事を云々言っている訳じゃない……。ただ、俺にはお前が……もうどうしようもなく可愛くて……」
 制服をたくし上げられる。晒される腹に頬を寄せられた。
 「可愛すぎて……どうにかしてしまいたい」
 ちゅっ。
 啄むようなキスを柔らかい腹に何度も何度もされる。その間も彼の掌は肌を優しくも意味ありげに愛撫する。
 「ぁ……」
 息が上がる。肌に感じる彼の湿った体温。唾液で濡れた腹がひんやりとした。それなのに、体の奥はジンと熱くなるばかり。ザックスは堪えきれなくて、ベッドに座るアンジールの膝上に跨ぎ乗った。
 首に腕を回して口づけると、すぐに応えてくれた。
 「んっ……」
 そう、あんな風にキスをされたら、自分だってキスをしたくなる。「可愛い」って言って。何度も言って。もう、あんたに「可愛い」と言われると怒るどころか嬉しくて堪らない。
 唇同士を透明な細い糸で結びながら、ザックスは碧い瞳を揺らめかして囁いた。
 「脱がせてよ……」
 「もう?」
 「意地悪」
 アンジールの首筋に顔を埋めて、ザックスは小さく歯を立てた。そんな彼の背中をなぞりながら、アンジールは小さく笑う。そっと体を引き離して、ザックスの頬を両手で包み込んだ。キスまであと少しの距離で甘く艶めいた囁きを交わす。
 「脱がすだけで良いのか?」
 「嫌だ」
 「いやらしい事、したい?」
 「……したい」
 「本当に……可愛いなぁ……」
 そうしてアンジールは制服に手を掛ける。ザックスが両腕を挙げると、殊更ゆっくりとたくし上げられる。
 「なぁ、アンジール……アンジール」
 好き好き好き。あんたにするのもされるのも、大好き。全部、大好き。
 呼吸と囁き、布が擦れる音。熱い体を抱き締められて、倒れ込むベッドのシーツの感触を思い描く。さらりとしているのはほんのつかの間で、すぐに熱くなって濡れて乱れる。
 「ザックス……ザックス……」
 「ん……アンジール……、アンジール」
 あと少し、もう少し。
 脱がされた制服が床に落ちる音と、ベッドに倒れ込んだ音が重なった。ザックスは重ね合う口づけの、唇が離れた僅かな合間に囁いた。

 「可愛がって、よ」




 20101010