最後の約束


・流血描写があります。
上記条件が大丈夫な方のみ、どうぞ。
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 彼と共にある。ずっと変わらず、一番近くにいるのだ。
 俺の中で、彼は生き続けている。



 「うっ……あ……、ああっ」
 体の内を満たす圧倒的な質量と熱に、ザックスは喘いだ。絡ませ合った指先をきつくきつく握り締める。お互いの指先が白くなってしまいそうだった。
 「やっ」
 絶え間なく押し寄せる快感に堪えきれず、ザックスは繋いだ手を振り払って、自分に覆い被さっているアンジールの体に縋るように腕を回した。汗に濡れる広い背中に指先を埋める。寄せた肩に額を押し付ける。そうすると、更に奥を強く突き上げられて、足先がピクリと跳ねて宙に大きく弧を描いた。
 歯を食いしばり、唇を噛む。すると、不意にアンジールの体が自分から離れた。
 「ほら、唇を噛むな……、血が滲んでる」
 「ふぁ……っ、……ごめ、ん」
 激しかった腰の動きが少し緩まり、アンジールは癒すようにザックスの唇を舐めた。きつく噛みしめて、小さく血が滲んでいる唇をそっと吸い上げると、小さな喘ぎ声と共に微かに鉄の味がした。
 頬に触れ、髪の毛を梳き、唇を舐められる。それにやがて水音が混ざり、再びふたりの熱が上がる。アンジールの舌がザックスの口内をきつく深く舐め上げると、熱を咥え込んでいる後孔がきゅうっと締まる。アンジールの低い呻き声がザックスの耳に伝わると同時に、再びベッドがギシリと音を立て始めた。
 目の前にはアンジールの肩があった。唇で触れた。舐めたら汗の味がした。
 「ん……、くっ……」
 「唇を噛む、な……辛かったら、構わないから」
 アンジールの肩に頭ごと押し付けられる。ザックスは堪えきれずに、目の前の肩を噛んだ。
 舌に触れる滑らかな皮膚、弾力のある筋肉に歯が食い込む感触。
 ザックスは今まで感じたことのない感情に襲われた。猛烈に泣きたくなった。体の奥底からアンジールへの愛しさが溢れ、この胸に次々と込み上げてくる。何の引き替えもなく、ただ自分の為だけに与えられた肩に噛み付いた事によって得られる安堵感、至福感。そして、途轍もない恍惚感。自分の体の中に、自分以外のものを取り込む為の入口を、彼で満たす喜び。このまま飲み込んでしまいたかった。
 「ふっ……、ん」
 瞼を閉じる。犬歯が一層深く沈み、アンジールの皮膚をプツリと裂く。唇が、皮膚が血の色を滲ませる。涙が頬を伝った。
 自分の体に、赤と白の体液が迸った。


 アンジールの肩にザックスの歯形がくっきりと残った。不思議なもので、歯形というものはなかなか消えない。
 幸い制服で隠れる部分だからさほど気にならないと言って、アンジールは止血する程度の回復マテリアを使用したのみだった。彼はいつもそうだ。情事の際にザックスが付けた跡、特に爪跡と噛み跡は消そうとしなかった。回復マテリアを使えばすぐに消えるのに、決してそれをしなかった。
 生々しい跡を体に残したままで、着替える度にそれをザックスの目の前に晒す。任務中、さり気なくそっと自分の肩に触れる。たったそれだけの動作が、制服の下に自分が付けた情交の跡が残っている事を、否応なしにザックスに意識させるのだった。
 体を重ねる度に、ザックスはアンジールの肩に噛み付いた。
 ある時は、それこそ仔犬がじゃれつくように甘く。またある時は、愛撫を焦らす彼への抗議のようにほんの僅かに強く。そして、まるで本能に従うかのように彼を求めて激しく。
 ひとつになりたかった。
 ふたつである事がとても悲しくて切なくて、彼とひとつになりたかった。お互いの傷口を重ね合わせて血を混ざり合わせるように、彼と溶けてひとつになりたかった。
 そして、あの日。
 ザックスは酷くアンジールを求めた。乾いた砂が水を際限なく吸い込むように、何度も何度も熱を求めた。最初は落ち着かせるように優しく抱いていたアンジールも、ザックスがまざまざと見せ付ける痴態に、否応なしに劣情が強く刺激される。
 「酷くして」と叫んだザックスの内に、半ば強引に熱を打ち込んだ。卑猥な言葉を耳元で囁き、その唇で言わせる。普段は決してしないような恥ずかしい体位で繋がり、羞恥を上回る快楽に啜り泣く体を散々暴いた。汗と涙と体液で濡れた顔は凄艶さを極め、同時に愛しくて愛しくて堪らなかった。
 馬鹿みたいに何度も「愛してる」と囁いた。言葉では伝えきれない思いを、でもこうして言葉で言わずにはいられなかった。例えそれが、在り来たりの言葉でも。
 ザックスは無数の爪跡をアンジールの体に刻み込む。彼の上に跨り、最奥を突き上げられながら、胸に赤い筋を刻んだ。体を起こしている事に堪えられず、前のめりになるとアンジールの肩に噛み付く。そしてアンジールの頭を抱き、噛み付きながらくぐもる声で、「欲しい……欲しい……」と譫言のように何度も言った。
 全て、お前にやる。
 アンジールがザックスの滑らかな背筋を撫で上げた。
 「お前のだ……」
 刹那、強い痛みが肩を襲った。焼けるように熱い。ブチブチと筋繊維が切れる音がしているかのようだった。そして、肉を強引に抉り取られるような痛み。
 「くうっ……、ぁ」
 痛みに堪える呻き声がアンジールの口から漏れた。眉間の皺が一層深く刻まれる。しかし今、自分に襲いかかっているこの苦痛は、この上なく甘美なものでもあるのだった。
 「っ……」
 ザックスがゆっくりと体を起こす。肩から埋めていた顔を上げて、碧い瞳がアンジールを見た。その唇は生温かい赤にまみれていた。うっすらと開かれた唇の端から、赤い滴が細い糸となって流れ出て顎を伝い、ザックスの色白の首筋を血色に染めている。
 くんっと喉元が小さく上下に動いた。口内に広がる鉄の味。甘くて眩暈がしそうだった。ザックスはふわりと綺麗に微笑んだ。とても嬉しそうに、とても幸せそうに。
 微笑みながら泣いているザックスを、アンジールは力の限り抱き締める。ふたりの熱が放たれて、混ざり合った。


   * * *


 嘘だ。
 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ、嘘だ。
 目に映る全てが作り物のように、妙に乾いて貼り付いて見える。
 迫り来る慟哭の予感に震え、ザックスは自分で自分が分からなくなり、取り乱しそうになった。きつく目を瞑り、何度も頭を激しく振り、拳を地面に叩き付け、空に向かって喉が切れて血を吐きそうな程に叫んだ。
 どのくらい時間が過ぎたのだろう。とてつもなく長い時間のような気もするし、ほんの僅かな時間のような気もした。
 やがて、嘘みたいに気持ちが静まる。ストンと落ち着く場所に落ち着いてしまったかのように。思わず、自分がおかしくなってしまったのではないかとさえ思った。
 ザックスは目の前のアンジールの手を取る。握っても、もう握り返してはくれない。まだこんなにちゃんと温かいのに。それが、酷く悲しくて切なかった。
 そっと頬に触れる。額に掛かる前髪を退かし、キスを落とした。そのまま唇で閉じられた瞼に触れ、綺麗に通った鼻筋を辿り、柔らかい唇に自分のそれを重ねる。舌先でそっと舐めて、上唇と下唇を交互に緩く吸って、ちゅっと小さな音を立てた。
 胸の上に耳を寄せる。もう、音はしない。信じたくなくても、それが今、目の前にある逃れようもない事実だった。
 緩く風が吹いた。
 『……ザックス』
 彼に名前を呼ばれた。確かに彼の声だった。ザックスは空を仰ぐ。
 『…………』
 「うん、覚えてる……最後の、約束」
 ザックスは体を起こした。そして、横たわるアンジールの上に跨った。彼の両頬を包み込むようにして、唇が触れ合いそうな距離で囁いた。
 「好きだよ……大好きだ。誰よりも、何よりも……愛してるよ、アンジール」
 そして、側に転がっている剣を手に取ると、アンジールの首から肩口に掛けての制服を切り裂いた。露わになった肩には、ザックスが付けた噛み跡。何度も同じ場所を噛んだ所為で、その部分だけ皮膚の色は異なり、盛り上がって縫った傷跡のように残されていた。
 指先でそっと触れて、確かめるようになぞった。
 「ずっと、一緒にいられる……最後の、約束……」
 覚悟していたけれど、それでも喉の奥がきゅーっと締め付けられるようだった。涙が込み上げる。指先が震える。
 「……出来な、い……出来ない、よ……最後にな……んて、したくな……いっ」
 堪えきれず嗚咽が響く。見下ろしたアンジールの頬にザックスの涙が零れ落ちた。ぽたぽたと、その滴は静かにアンジールの頬を濡らす。
 彼と交わした、最後の約束。
 それは、お互いがずっと一緒にいられる、究極の約束。
 『ザックス……愛してる』
 「う、んっ……」
 『ずっと愛してる……ずっと側に……』
 一緒にいよう。だから、最後の約束を。
 「ああぁぁっ……愛してるっ、ずっと……ずっ」
 ザックスは泣き叫びながら大きく口を開けると、そのままアンジールの肩に噛み付いた。途端に、あの安堵感と至福感に襲われる。皮膚が裂け、口の中に鉄の味がみるみる広がると、俄に恍惚感が沸いた。
 彼と共に過ごした日々と共有した記憶が、色鮮やかに脳内に次々と現れては消えてゆく。
 合同演習、擦れ違った廊下、交わした挨拶、過酷な訓練、共に行った遠征先、一時の休息、叱咤と激励、久し振りの休日、告白と初めてのキス、繋いだ手、寄せた肌、抱き締める腕と見つめる瞳、何気ない会話、初めての夜、重ねる肌と体温、前髪を退ける指先、耳をくすぐる声、ふたりだけの秘密……。
 肉に歯がズブズブと食い込む。血が溢れ出しても、ザックスは尚一層ギチギチと歯を深く食い込ませた。噛んで噛んで、何度も噛んで。肩に顔を埋めたまま、ザックスの頭が時折不規則に小さく揺れる。ズズッと啜るような音が幾度も響き、地面にじれったい程ゆっくりと、でも確実に鮮やかな血の海が広がる。いつしか周囲は生温かく甘い匂いに包まれた。
 残されたひとりが最後に辿り着く、愛の極地。
 「っ……、んっ……」
 ザックスがゆっくりと顔を上げ、上体を起こす。血まみれの口元を拭う事もせず、ただその頬が静かに小さく震えるように動いている。やがて、喉元が何かを飲み込むように上下に動いて、ザックスは血で赤く染まった唇を小さく舐めた。
 「アンジ、ールッ……アンジール……あっ、あああぁっ、あぁ……っ」
 両腕で自分自身を抱き締めるようにして、何度もアンジールの名を呼ぶ声は、いつしか心が裂けんばかりの悲しみの叫びとなって空へと響く。
 急速に温もりを失ってゆく体から、少しでも長くそれを感じるべく必死に触れながら「ひとりにしないで」と嗚咽を漏らす。
 『……お前は、ひとりじゃない……』
 胸の奥が痛いくらいにドクンと大きく脈打ち、鼓動が重なる。胸がとても熱かった。

 彼がいる。

 自分の中で、これから彼は生きる。彼の血と肉が、自分の体と溶け合ってひとつになる。ひとつになる。
 「ここに、いて……」
 『一緒にいる……ずっと……』
 ザックスは涙を溢れさせながらも、綺麗に微笑んだ。涙と血にまみれた顔で、とても綺麗に微笑んだ。




 20100809