アンジールは手元のメモを見ながら、カートに乗せたカゴの中身を確認していた。
昼下がりの買い物は夕方ほどの混雑はなく、店内をゆっくり見て回れる。オフの日に食品やら日用品やらをまとめ買いするのは、もうずっと前からの習慣だ。アンジールはきちんと自炊しているので、冷蔵庫の中に何がストックされていたかを思い出し、あらかじめ作ったメモを見ながら足りない物をカゴに入れていく。
「パスタと塩と……ケチャップ、それからトマト缶」
すっかり自分の部屋で一緒に生活するようになったザックスは、トマト味のものが大好きで自分一人で生活していた時と比べると、ケチャップの消費量が断然増えた。「何にでも掛ける」という訳ではないが、例えばスクランブルエッグに掛ける場合でも何でも、とにかく量が多いのだった。
本人は「味覚が子供っぽい」という事を多少は気にしているようだったが、「でも好きなんだ」と言って今朝も目玉焼きにケチャップを沢山掛けていた。
「良し、こんなところだろう」
取り敢えず必要な物をカートに入れ終えて、レジに並ぼうとした時。一緒に来たザックスの姿を探して辺りをぐるりと見回すと、彼は乳製品が並んでいる冷蔵ケースの前で何やらじっと見ている。こちらには全然気付いていないようだ。
「ザックス、レジ並ぶぞ」
「あっ、うん」
急に声を掛けられて、ザックスが少し驚いたように顔を上げた。目の前には様々なデザートが並べられている。
「何か気になるものがあるのか?」
アンジールが覗き込む。物凄く甘い物が好きという訳ではないらしいが、ザックスは比較的甘い物が好きだ。そんな彼があれだけ熱心に見ていたのだ。何か珍しいものでも並んでいるのだろうか。
「あぁ、ほら、これ見て」
指差した先にはプリン。しかも何だか物凄く大きい。
「いつも売ってるのは、こっちのサイズだろ? でも、今だけ期間限定でこの大きなサイズも売ってるんだって」
通常のプリンの横に並べられているのは、確かに大きなプリンだった。2カップ分の容量は楽にありそうな大きさで、通常のプリンが何だかとても小さく見えてしまう。
「食べ応えありそうだなーって思って……。あ、全部揃った? ん……アンジール、ソース忘れてる」
「入ってないか? おかしいな」
「ほら、朝使い切ったばかりだし。んー、入ってないよ。俺、取ってくる」
ザックスはソースを取りに、店内の奥へ向かって歩き出した。
「うん、確かに大きい。物珍しいって感じだな」
アンジールはカゴの中に、大きなプリンを2つ入れた。
「ザックス、プリン食べるか?」
「プリン? もしかして大きいの買ったの?」
リビングのラグマットの上で、ごろりと寝転がりながら雑誌を捲っていたザックスは、起き上がってキッチンの方へ顔を向けた。アンジールが例の大きなプリンを掲げている。
「やった!! 食べる!!」
読んでいた雑誌を閉じてローテーブルに付くと、アンジールがプリンとスプーン、それにカップを持ってやって来た。ザックスの目の前に置かれる大きなプリン。
「あれ? アンジールは食べないの?」
ローテーブルの上に1つしか置かれていないプリン。その代わり、アンジールの前にはコーヒーが入ったカップが置かれている。
「その大きさだと、俺はさすがに食べ切れそうにないからな。少しだけ貰っても良いか?」
コーヒーを飲みながらアンジールは苦笑した。甘い物が苦手な訳ではないが、ザックスほど量は食べられないのだ。
「勿論! それにしても大きいよなぁ、何だか楽しいな」
ザックスはプリンのフタを剥がす。プルンと揺れる表面は柔らかい黄色、底面の茶色いカラメルソースの層がいつもより厚い気がした。
「この大きさだと、皿に出したら潰れそうだよな」
プリンを持ち上げて、底を覗き込むようにする。いつもプリンを食べる時は、このままカップから食べるのだが、時々皿に出して食べたりもした。底に付いている突起を折ると、空気孔から空気が入り、プリンは滑らかにつるりと皿の上へ飛び出す。そっと皿を揺らすと、頂にカラメルソースを乗せた小さな黄色い山は、ヒンヤリと冷たくも可愛げにプルプルと揺れて、その様は幾つになっても楽しい気分にさせてくれるのだ。
「確かに重力に耐え切れなさそうだな」
大きなプリンが中心から四方へ広がるように潰れる様を思い描いて、アンジールは思わず笑ってしまった。
ザックスがスプーンを握る。
「いただきます」
味は変わらないのに、大きさが大きいだけで何だかとてもワクワクする。碧い瞳を子供のように輝かせているザックスを見て、アンジールは胸が温かくなるのを感じた。
スプーンの先がプリンの表面に触れる。そのままスウッと飲み込まれるように浅く沈んで、そっと持ち上げると回りのプリンを持ち上げながら、スプーンの上にプリンが乗っかった。プルプルと揺れる小さな固まりが、ザックスの口へ入る。
「んー、美味しい。いつもと変わらない筈なのに、何だか特別な感じ。食べる?」
「一口、貰おうかな」
ザックスが真剣な手付きでスプーンでプリンを掬う。つるりと滑り落ちないように気を付けながら、正面に座るアンジールの口元へスプーンを運んだ。
「……うん、相変わらず美味しいな、このプリンは」
「な!」
ザックスはプリンの表面を削るように食べた。何だかそうしたい気分だった。それはこのプリンが、特別に大きなプリンだからだろうか。
アンジールが無言でザックスの手からプリンとスプーンを取り上げた。「いきなり何だよ」と思ったのは一瞬で、彼の意図を解するとザックスはアンジールの隣に移動した。アンジールがザックスの唇にキスをする。少しだけ舌先で唇を割ったら、甘い味が広がった。
「甘い」
「プリン食べてるんだから、当たり前だろ……」
少し拗ねたような口調は、恥ずかしさの裏返し。そういう部分が、アンジールにとっては可愛くて仕方なかった。俯いたザックスはいつの間にかアンジールのシャツの裾を小さく握っている。
こうしてお互いが近くに寄りそう時、ザックスは必ずアンジールの何処かに触れている。それは今みたいにシャツの裾だったり、若しくはアンジールの腕だったり、膝だったり。無意識にさり気なく、そっと触れさせるのだ。それにアンジールは勿論気付くのだけれど、何も言わずにそのまま好きにさせてやる。敢えて指摘すると、恥ずかしがってパッと離れてしまうから。
「ザックス」
アンジールがプリンを掬う。ザックスの唇がプリンと触れ合って、口の中へ滑り込む。嚥下する喉の動きが生々しく目の前に晒された。
「ん、美味し。アンジールも食べなよ」
アンジールがプリンとスプーンをザックスに差し出した。受け取ると、アンジールの口にプリンを運ぶ。
漸く三分の一ほど食べた時、ザックスがおもむろに言った。
「なぁ、アンジール。下のカラメルソースと混ぜて良い?」
プリンを食べる時は、大体半々くらいの割合で、そのまま食べたり混ぜて食べたりするのがザックスの食べ方だった。特にこだわっているつもりはないのだが、最後に残ったカラメルソースを満喫するのも好きだったし、プリンと混ぜて食べるのも好きだった。ただ、今回はカラメルソースの量が多そうなので、プリンと混ぜて食べようと思った。
「お前の好きにしたら良いさ」
アンジールが甘くなった口内にブラックのコーヒーを含んだ。いつもより苦みを強く感じた。
「うん、じゃあ混ぜよっと」
ザックスはスプーンを真っ直ぐカップの底まで沈めた。底に当たったスプーンを僅かに混ぜるように動かして少し斜めに引き上げると、黄色い表面に茶色のカラメルソースが姿を現した。更にカラメルソースを底から表面に出そうと、スプーンを沈めて底の部分を掬い上げるように引き上げる。いつもの大きさの倍以上の深さに、スプーンが柄の部分までプリンに沈んでしまう。
カップの底に空気が入り、プリンと触れ合って、ぐぷっとくぐもった音を立てる。
「これだけ大きいと、いつもと勝手が違うよな。混ぜにくい……」
予想外に上手くいかなくて、ザックスの表情は何だか真剣だ。デザートスプーンではなくて、もう少し大きなスプーンを出せば良かったとアンジールは内心思った。
ザックスはゆっくりと、プリンを零さないように混ぜた。形をあまり細かく崩さずに、固まりを保ったままカラメルソースを上にしたいのだ。茶色と黄色が混ざり合う。
スプーンを沈ませて引き上げる度に、プリンは揺れて、少し濡れた音を出す。湿って、空気を含んだ音が小さく響く。
「…………」
繰り返すうちに、ザックスは思わず手を止めてしまった。思い出してしまったのだ。思い出してしまった自分が物凄く恥ずかしくて、「何やってんだ、バカ」と言いたくなった。
『だって……似てる……』
プリンを混ぜる時に発せられる音が、恥ずかしくも情事の際の淫らな水音に似ていて、思わず手を止めてしまったのだ。濡れて響く音、それを発する状況、体温と感触、すべてがザックスの脳裏で鮮明にフラッシュバックする。
「ザックス」
アンジールの呼び掛けに、そろりと顔を上げる。頬が熱い。間違いなく顔は赤くなっていて、アンジールには気付かれているに違いない。ザックスの予想通り、アンジールは意味ありげな表情でクスリと笑うと、ワザと「顔、赤くなってる。どうしたんだ?」なんて聞いてくる。
「えっ……いやっ、別に……」
「嘘つきだな」
ザックスの手からプリンを取り上げると、彼の唇に自分のそれを重ねた。心持ち色付いている唇を割って口内を舌で探ると、ザックスの舌が絡ませるようにアンジールの舌に触れてきた。
「んっ……、はぁ」
一頻り深い口づけを交わしてアンジールが唇を離すと、ザックスは濡れた唇を半開きにしながら、閉じていた瞼をゆっくりと上げた。
「思い出したんだろ?」
「あ……」
アンジールがザックスの前で、プリンをゆっくりと掻き混ぜる。スプーンが動く度に、ぐちゅっとプリンが音を立てて、それはゆっくりと何度もアンジールの手によって繰り返される。もう充分、カラメルソースと混ざり合った美味しそうなプリンが目の前に。
ザックスがアンジールの腕をそっと掴んで、プリンを覗き込む。
「似てると思ったんだ……」
じっとプリンを見つめたままの瞳は、僅かに熱に潤んでいた。碧が静かに揺れている。
「何に?」
アンジールは敢えてザックスに尋ねた。手にしていたプリンを、ゆっくりとローテーブルに置く。ザックスは目でプリンを追い、そして暫し考えるように俯いていた。やがてその体をそっとアンジールに擦り寄せて、肩口に顔を寄せると吐息混じりに囁いた。
「アンジールと……セックスしている時の、音」
言い終えたと同時に、目の前の首筋に口づけた。ちゅっと音が響く。アンジールが両腕でザックスを抱き締めながら、耳元に顔を寄せた。
「好きなんだろ?」
ザックスはアンジールの肩口から顔を上げて、目の前の蒼い瞳を熱く見つめる。一度情欲を表面に表すと、ザックスはいつもよりずっと大胆になる。腕の中で艶めかしさを纏ったザックスに、アンジールは思わず喉を鳴らした。
「好きだよ……プリンも……、あんたとのセックスも」
きつく抱き締められたかと思ったら、崩れるようにラグマットの上に押し倒された。指をきつく絡ませ合って、甘い唇を深く激しく味わう。
甘くて美味しくて、気持ち良くて大好きだ。食べさせて欲しい、いやらしく。もっと混ぜて、混ざり合って。聞かせてよ、あの音を。
やがて衣擦れの音と切なげな吐息が、リビングに漂い始める。徐々に空気の密度が増していくようだった。
ローテーブルに置かれたプリンのカップには、表面にうっすらと水滴が浮かんでいた。
20100305