融点〜2010 Valentine Day


〜2010 Valentine Day

 少しでも早めに用意しておく事にしてる。人気のものは売り切れる事もあるし、その日が近付けば近付く程、混雑は必死。そうなると、さすがにちょっと行きにくいし買いにくい。
 ザックスは自室のデスクの引き出しに忍ばせた、リボンが掛けられた可愛らしい小箱を見ながら微笑んだ。
 小箱の中身はチョコレートが3粒。ビターとミルク、そしてホワイト。
 貰ったのではない。今日これから、自分があげるのだ。
 大好きな、彼に。
 バレンタイン・デー。今やすっかり「好きな人にチョコレートを贈る日」だが、本来は異教徒の迫害にあって殉死した聖人の記念日らしい。詳しい事は知らない。
 こういうイベントに一生懸命になっているつもりはないけれど、世の中で「愛を告白する日」なんて位置づけらていると、それに便乗してみても良いかな、とは思う。
 とは言うものの、大好きな彼とは相思相愛だから、俺にとっては「改めて愛を告白する日」。
 ちょっと、ドキドキするな。


 ローテーブルに置かれたふたつのカップには、それぞれ半分程コーヒーが残っている。
 「ん……」
 ソファに座りながら食後のコーヒーを楽しんで、たわいのない会話をしていたら何となく見つめ合って、気付いたら手を繋ぎ合っていた。
 絡め合った指先に軽くキスされて、ザックスが思わず瞼を閉じたものだから、アンジールはその愛しい唇に自分の唇を重ねた。
 さり気ないのも、激しいのも、触れ合うのは好きだ。温かくて心地良いし、とても安心する。お互い体をピタリと寄せ合う。それだけで嬉しくて幸せな気持ちになる。
 「アンジール」
 「何だ?」
 ザックスはソファから降りると、ローテーブルの下に置かれていた紙袋の中から、例の小箱を取り出す。再びソファに上がって、小箱をアンジールにそっと差し出した。
 「これ、貰ってくれる?」
 アンジールはザックスの掌の上に乗っている小箱と、少し俯き気味のザックスの顔とを交互に見た。
 「もしかして、チョコレートか?」
 「……う、ん」
 ふわりと体が温かさに包まれる。気付いたら、アンジールにそっと抱き寄せられていた。耳元で「有り難う」と優しい声がする。ザックスは微笑みながら、アンジールの肩口で頷いた。
 「開けても良いか?」
 「勿論。むしろ、開けて」
 アンジールの指先がリボンを解く。するりと外されて、そっと箱を開ける。一列に並んだ三色のチョコレートが姿を現した。一口大でつるりと滑らかな球体のそれは、とてもシンプル。
 ザックスがアンジールの腕に触れて、優しい蒼い瞳を覗き込む。ちょっとドキドキするし、きゅんとする。
 「……好きだよ」
 小声だけどしっかりと響く。ザックスは照れ隠しか、アンジールの頬にちゅっと素早くキスをした。
 「ザックス」
 小箱をローテーブルに置くと、アンジールはザックスを抱き寄せた。頭を撫でて、そのまま頬に触れる。ほんの僅かに色付いている頬が、初々しくて可愛らしい。
 「もう一度、聞かせて」
 指先がザックスの唇に触れる。ザックスはアンジールに抱き付いた。
 「好き。好きだよ、アンジール……、大好きだ」
 「ザックス……俺もお前が、大好きだ」
 キス。キスキス。もう一度、ぎゅっと抱き締める。そしてまた、キス。
 ザックスは心の中で「好き」と何度も言いながら、アンジールの肩口に頬を押し当てる。頭を、背中を撫でてくれる手が心地良くて気持ち良い。
 一頻り抱き締め合って、ザックスはそっと体を離した。そして、ローテーブルに置かれたチョコレートを見遣る。
 「あのな……、あの三つの味は、俺の気持ち」
 「お前の気持ち?」
 「うん。食べてみてよ」
 ザックスが小箱を取って、差し出す。アンジールは左端に入っている、一番色の濃いチョコレートを摘むと、律儀に「いただきます」と言って口に入れた。
 少し苦みのあるビターチョコレート。噛むと中にローストされたコーヒービーンズが入っていて、更に苦みが増す。しかし、チョコレートの甘さとミックスされて、丁度良い感じだ。
 「好きって気持ちは、時々切なくなったり……苦しくなったりする」
 ザックスが自分の指先を見つめながら、まるで独り言のように話し始める。
 「俺はアンジールが大好きだ。とても大好きで……、だからこそ、この気持ちをどうしたら良いか時々分からなくなる。上手く言えないけれど、この溢れ出てくる気持ちを自分でどうしたら良いか分からなくて、もどかしくて……、苦しくなる」
 「ザックス……」
 ザックスの話を聞きながら、アンジールはそっと彼の手を握った。きゅっと握り返してくる。
 「大好きって気持ちは、嬉しくて楽しくて幸せだ。でも、それだけじゃない。時には、切なくて苦しくて、もどかしい……。甘いのに苦い、ビターチョコレートみたいに」
 不満がある訳じゃない。不安がない訳じゃない。ただ、時々自分のこの気持ちをどうして良いか分からなくなる。
 そういう気持ちになるのも、全てはみんな「彼が好き」という気持ちからだ。
 「何言ってるか自分でも良く分からなくなっちゃったけど……。うん、これだけは変わらない。好きだよ、アンジール」
 あ、キスされる。そう思った時には、もう唇が苦くて甘かった。
 差し出されたカップの中のコーヒーを一口飲んで、ザックスの「次はどっちにする?」の声を聞きながら、アンジールは右端のチョコレートを摘んだ。
 まろやかな色のチョコレートは、その味も甘くて優しい。中にはとろりとしたキャラメルソースが入っている。甘くて甘くて、溶けてしまいそうだ。
 「とっても甘いな」
 「嫌だった?」
 「いや。甘くても、ただ甘いだけじゃなくて美味しい」
 さぁ、この甘いチョコレートの味に託された、お前の気持ちを教えてくれないか。アンジールはザックスの額に降りた前髪を、そっと退けた。
 「『甘い』って言葉は、色々な意味合いがあるけれど……、温かくて優しい感じがする。アンジールと一緒にいると、そんな風に感じる……」
 ザックスがアンジールの腕を取って、きゅっと掴み、掌を自分の頬に寄せる。さり気なく体を寄せて、肩を触れ合わせながら、頬で彼の体温を感じる。
 時々こうして、ザックスはアンジールに甘えたがる。つつと体を寄せて、ぴったりとくっつく。させたいようにさせてやる。ただそれだけで、ザックスはとても幸せそうな顔をするのだ。
 アンジールにとってそんなザックスは、物凄く可愛くて仕方がなかった。まるで小動物のようだと言ったら本人は怒るに違いないが、それに似たように無条件に可愛がりたくなってしまう程だった。
 小箱に残るのは、真ん中のホワイトチョコレートのみ。アンジールはじっと見つめたままで、食べる気配がまるでない。
 「なぁ、食べないの?」
 「最後は、食べる前に教えてくれないか?」
 「え……」
 蒼い双璧がじっとザックスを見つめる。綺麗だな、と思ったのは刹那。熱くじっと見つめられて、そのまま気持ちまで読まれてしまいそうで、頭の奥がジリッとする。耳が熱い。
 ザックスは何だか恥ずかしくて、そっと目を伏せた。そのまま、小さく唇が動く。
 「ホワイトチョコレートは、当たり前だけど色が白くて……他のチョコレートやソースと混ぜたりすると、その色になる……」
 「そうだな」
 「だから、その……。あっ、中にフランボワーズのソースが入ってるんだけど、」
 「そうみたいだな、ほら」
 いつの間にかアンジールが、指先でチョコレートを摘んでいる。既に柔らかくなったチョコレートに指が沈み、中から紅いフランボワーズのソースがとろりとその色を覗かせる。
 反対側の掌にチョコレートを乗せると、ソースがじれったい程ゆっくりと広がる。甘くて酸っぱい白と赤。
 アンジールがチョコレートを摘んでいた指先を舐めた。ザックスは体の奥がきゅんとする。どうして、熱い。
 「甘酸っぱくて、美味しい。なぁ、ザックス、知ってるか?」
 「ん?」
 掌に乗せたチョコレートは今も溶け続ける。アンジールが指先で、チョコレートとソースを混ぜるようにすると可愛らしいピンク色になった。「お前の頬の色みたいだ」と言って微笑むと、ザックスは無言でその頬を更に赤くした。
 「チョコレートの融点は、体温とほぼ同じだ。だから口の中で溶けるし、こうして触れていると溶ける……」
 指先に溶けたチョコレートを絡ませて、ザックスの口元へ。何も言わずとも、その唇は静かに開いてアンジールの指先を舐める。甘酸っぱい。きゅんとするこの気持ちと似ている味。
 名残惜しげに指が引き抜かれると、アンジールはそれを舐めた。掌に僅かに残ったチョコレートを舐めようとしたら、その手首を掴まれて、そっと唇を寄せられて。
 ザックスの舌先が、掌を這う感触。僅かにくすぐったく、しかしそれを遙かに上回る高揚感が瞬時に全身を駆け巡る。
 ちゅっ。
 音を立てて掌から顔を上げたザックスは、唇を半開きにしてアンジールを見つめた。
 熱い。頭の奥や体の中心が、さっきよりずっと熱くてきゅんとして、何だか切ない。
 「……溶けて、染まりたい」
 アンジールの腕が力強くザックスを抱き締める。そのままソファの上に倒れ込んで、口づけた。唇も舌先も甘くて、絡ませ合うともっと甘くて、ふたりで暫し夢中になった。
 「あのな、アンジール……」
 「ん?」
 アンジールの頬を両手で包み込むようにすると、ザックスは熱で潤み始めている瞳で目の前の彼を見つめる。
 「俺の融点は、あんただ……。あんたの熱が、俺を溶かす」
 「あぁ、知ってる。俺もお前と、溶けたい……溶かしたい」
 素肌を求める掌は、お互いが纏う衣服を取り払おうとする。もどかしげに脱ぎながらも、ザックスはその滑らかな首筋や項にキスを浴びる。
 「溶かして……、染めてよ……」
 譫言のように繰り返すザックスの脳裏に、先程の溶けたホワイトチョコレートが浮かび上がった。溶けて紅いソースと混ざり合った白いチョコレート。
 自分も彼と混ざりたい。溶けて混ざって絡まって、ひとつになりたい。
 「ザックス……、一緒に溶けような。……でも、その前に、」
 アンジールがザックスの耳元に唇を寄せる。囁きは、愛の言葉と感謝。思わず涙を零した彼に微笑んで、その目尻をあやすように小さく舐めた。
 熱い吐息がお互いの肌を掠める。融点を越えた体が、熱く溶けて絡み合う。
 今日は何度も、何度でも。

 愛の言葉と、キスを。




 20100214