「ザックス。急で悪いが、明日は帰りが遅いから、夕食先に食べててくれ」
「うん、分かった。急用?」
「あぁ、人数が足りないらしくて呼び出された」
「うわー」
「お偉方の護衛と警備ってところか?」
「へぇ……」
アンジールは少々うんざりしながら、シーツを整えた。ザックスが毛布を敷く。大きな枕を抱えて、もぞもぞとベッドに上がる。太陽の匂いが、微かに鼻腔をくすぐった。
朝から天気が良かったので、少々早起きして全て洗濯したのだ。午後の空き時間を使って、わざわざ取り込みに戻った自分に苦笑した。乾燥機を使えば良いのに、ザックスが太陽の匂いが好きなのだ。今も毛布に顔を擦り付けている。まるでマーキングをしている子犬みたいだ。
「良い匂いだな」
「うん。太陽の匂いって、良いよなー」
「お前の匂いもな」
そう言ってアンジールはザックスを、ぎゅっと腕の中に抱き締めた。首筋に顔を埋めると、彼の匂いがする。太陽のそれに似ているとアンジールは密かに思う。「急に何するんだ」なんて言いながら嬉しそうに腕を回すザックスに、アンジールはキスをした。ワザとちゅっと音を立てると、ザックスがその頬を微かに染める。
「何を恥ずかしがってるんだ?」
「えっ……いや、別に」
情事の最中はあんなに乱れるのに、こんな軽いキスを恥ずかしがる。そんな姿が初々しくて、本当に可愛らしくて堪らない。
「もっと恥ずかしい事、あんなにしてるのにな」
「なっ、なっ……ッ!!」
「俺はな……、恥じらうお前も好きだが」
笑いながら、頭を優しく撫でる。
「大胆なお前も……大好きだ」
頭を撫でていた手が、いつの間にか顎に移って、顔を上向かされたと思ったら口づけられた。深く長い口づけは、ゆるゆるとザックスの思考を溶かす。頭の奥に甘い霧が掛かる。
「ん……ぁ」
漸くお互いの唇が離れた時、ザックスはアンジールの腕の中でくったりとしていた。肌が敏感さを増して、触れられている部分が熱い。熱に浮かされかけている瞳で、ザックスはアンジールを見つめる。
「なぁ……好きだよ、アンジール」
「知ってる」
アンジールが抱き締めるより前に、ザックスはアンジールを抱き締めた。「大好き」と何度も呟きながら。
翌日。
一日の仕事を終えて部屋に帰り、夕食を作ろうかなと思っていた矢先の事だった。携帯にアンジールからメールが入る。「仕事中なのに珍しいな」と思いながら、内容を確認をする。その文面を見て、ザックスは首を傾げた。
「何、で……?」
メールの内容は、要するに待ち合わせだ。しかし、その場所が問題だ。
指定された場所は、ミッドガルなら誰でもその名を知っているホテル。しかも、最高級の意味で。自分には全く無縁の場所だ。それだけでも驚くのに、部屋番号まで書いてある。当然の事ながら、部屋を取ってあるという事に間違いないだろう。
『一応、小綺麗な格好して来い』
確かにデニムでは中に入れて貰えても、自分が酷く浮きそうだ。ザックスは、自分の手持ちの服をザッと思い返す。取り敢えず、ジャケットとパンツと……。自室まで取りにいかないとな。
アンジールが指定してきた時間は、今夜21時。時間的には余裕だ。
「一体どうしたんだよ」
携帯の画面を見つめながら呟く。でも、その表情はワクワクとして楽しそうだった。
一体どうしたら良いのか分からない。
ここは待ち合わせに指定されたホテルの一室。重い扉を開いて入った部屋は、足元の絨毯は厚く、歩く度にふかふかとした感じた事のない感触。入っただけでは部屋の全てが見えない広さ。室内の調度品はどれも高級で、触るのさえ躊躇われてしまう。好奇心から一通り部屋の中を見て回ったものの、何もかもが豪華すぎて驚くばかり。任務で利用するホテルとは、当たり前の事ながら雲泥の差だ。
待ち合わせ時間に合わせて、取り敢えず当たり障りのない無難な格好で部屋を出た。久し振りに羽織るジャケットの着心地に、何となく窮屈さを感じてしまう。
ホテルの建物を前にして、ザックスは思わず上を見上げた。
「すっげ……」
次にこのエントランスをくぐる時が来るのだろうかと思いながら、建物の中へ入る。少し緊張しながらフロントで部屋番号を告げると、すぐにルームキーが渡された。床はピカピカに磨かれて、まるで鏡面のよう。天井は高く豪奢なシャンデリアが下がっている。エレベーターに乗っていても、フロアを歩いていても、情けないことに緊張して歩き方がぎこちない。部屋に入って、漸く息を付いたところだった。
大きなガラス窓の側に立って、外を眺める。何もかもが自分の下にあって、キラキラと無数の光が煌めいている。とても綺麗だった。
時計を確認すると、21時を10分程過ぎたところだった。
「何が何だか、さっぱり分かんねーよ、アンジール」
その時、ガチャリとドアが開く音がした。振り返り、思わず身構えてしまう。しかし、良く知った声が部屋に響いた。
「ザックス、いるか?」
アンジールの声に、ザックスはドアへ向かう。リビングに入ってきたアンジールを見て、ザックスは思わず立ち尽くした。
彼は正礼装だったのだ。いわゆる、タキシード姿でそこに立っていた。
黒のタキシードジャケットとパンツに、白の立衿シャツが映える。襟元は黒の蝶ネクタイ、ウエストにはカマーバンド。足元は光が反射する程の光沢を持った、エナメルの靴。髪の毛は後ろに撫で付けられ、無造作に見えながらも色香に溢れている。手には真紅のバラの花束。何もかもが絵になるような出で立ちだ。
「…………」
「どうした?」
「えっ……と、何で?」
状況が飲み込めないザックスに、アンジールは手にしていた花束をソファの上に置いて、彼を抱き寄せる。
「このホテルで上層部のパーティーだったんだ。その護衛と警備。直前で人員が足りなくなって、急遽呼ばれた。驚かせて悪かったな」
「そう、だったんだ……」
ザックスはアンジールの腕の中から、そっと体を抜け出す。改めて、アンジールの格好をまじまじと見た。まるで着慣れているかのようにタキシードを着こなしている彼に、思わず見とれてしまう。そんなザックスを見ながら、アンジールはクスリと笑った。
「そんなに見つめて……、惚れ直したか?」
「あ……、うん。すげー……格好いいな」
ザックスの素直な感想に、アンジールは胸の奥がくすぐったくなった。自分で聞いておきながら、少し恥ずかしく思ったのだ。
「やっぱ、格好いい……こういう服、着こなしちゃうって凄い……」
ザックスがアンジールの袖を少しだけ掴む。すると、その手を取られて指先に口づけられた。じっと自分を見つめるアンジールの視線に気恥ずかしさを感じて、思わず視線を反らしてしまう。
「ザックス……」
「ん……えっと、」
アンジールはザックスの恥ずかしがりように、思わず笑ってしまう。一度ぎゅっと抱き締めて、頭をグシャグシャと撫でた。急な事に、ザックスがぽかんと口を開ける。
「ほら、部屋の中は見たか? 広いよな」
この任務を聞いた時に、まさか部屋まで用意してくれるとは思っていなかった。しかしこれは、共に任務に当たった親友達が、上層部に無理矢理言って実現したものだった。彼等が任務と言えども、護衛と警備の類が嫌いな事は知っている。だから、「せめて部屋くらい用意しろ」と掛け合ったらしい。全く以て、無茶苦茶だ。アンジールはそれを聞いた時、眉間に皺を寄せてしまった。彼等らしいと言えばそれまでだが、今はむしろ感謝するくらいだ。
アンジールは部屋の中を移動しながら見て回る。ザックスはリビングから彼を目で追った。流れるような動きに、優雅ささえ感じる。きっと華やかな会場でも、目を引いたに違いない。
「今夜は予想外の贅沢、出来るな」
アンジールが笑いながら、ザックスの顔を覗き込む。その碧い瞳が揺らめいていた。アンジールは、ザックスのこめかみに口づける。そのまま耳元へ唇を滑らせると、そっと名前を囁く。ザックスの体が小さく震えて、タキシードジャケットの裾を握った。
「キス……して良いか?」
アンジールの問い掛けに、ザックスは小さく頷いて瞼を閉じた。薄く唇が開かれる。軽く重ね合わせるだけで離すと、物欲しげな目でアンジールを見つめた。
「アンジール、ずるい」
「ずるい? 何故だ?」
ザックスはアンジールの手を取る。そして、その温もりを確かめるように、そっと自分の頬に寄せた。
「格好良すぎる……俺ばっかり、ドキドキするのは……、ずるい」
少しだけ拗ねたような顔をして、そんな事を言いながら指先を噛むなんて。俺の方がドキドキするじゃないか。ほら、その小さく見え隠れする赤い舌先に、触れたくて堪らなくなる。
「キス、して」
「キスだけ?」
「…………」
無言で首を横に振る。キスだけじゃ嫌だ。もっと俺に触れてよ。熱く触れて。こんなにも熱い体が恥ずかしくて、でも彼が欲しくて堪らない。黒い礼服でストイックなまでにその身を包んだ、その姿で抱き締めて欲しかった。一糸乱れぬさまを、この手で乱してみたかった。
ザックスはアンジールの頭に手を伸ばして、その整えられた髪の毛をグシャグシャにした。
「折角整えたのに……乱したな」
「ごめん……乱したい」
ザックスは自分からアンジールに口づけた。唇を割って、舌先を口内へ差し入れる。すぐに絡め取られて、飲みきれない唾液が顎へ伝い落ちる。アンジールはザックスのジャケットを脱がせながら、その手をシャツの下へ滑り込ませる。粟立つ肌を撫で上げると、ザックスは鼻に掛かった色めいた吐息を漏らした。
「大胆だな。……欲情したか?」
「ん、した。あんたが欲しくて……堪らない。その格好で、抱いてよ」
「勿論。でも、その前に……」
ザックスの手を引いて、寝室のドアを開ける。ベッドにザックスを上げると、ゆっくりと見下ろした。
「せっかくだから、豪華なベッドも堪能しないとな」
ザックスの伸ばされた腕に惹かれて、アンジールは彼の上に覆い被さった。
「格好良かった、本当に」
「そうか?」
「うん。俺、凄くドキドキした」
「そこまで言われると、さすがに恥ずかしいな」
「惚れ直した、マジで」
「そんなお前に、俺も惚れ直した」
「なっ、何言ってるんだよっ」
「ほら、そういうところが堪らないんだ、お前は」
「ふっ……ぁ」
零れ落ちる吐息と、シーツの擦れる音。口づけを交わす度に、湿った音が響く。
「なぁ……もっかい、しよ?」
「言われなくても」
小さな笑い声の後に、ギシリとベッドが音を立てた。
20100110