〜2009 Christmas
「一緒のオフが取れるなんて、奇跡的だな」
「お前が散々、『何が何でも、この日はオフ』と言い続けてきた結果だな」
「笑うなよ。でも、その分、頑張った事沢山あったし」
「そうだな。それは認める」
世の中は神の生誕を祝う前夜で、厳かだったり賑やかだったり、要するにお祭り騒ぎだ。ザックスの中では、「大切な人達と一緒に過ごす祝日」くらいの認識しかなかった。特に信じている神はいないし、例え便乗であろうと、楽しい事は楽しむべき、というのが彼の考えだ。
「もう、買う物ないよな?」
両手には、食材やらが入って重そうに膨らんだ袋が下がっていた。
「あぁ。ケーキはアップルパイで良いのか?」
この日に合わせて、ケーキ屋には沢山の種類のケーキが並べられていた。しかしザックスは、「アンジールの作るアップルパイが良い」と言って、混み合うケーキ屋の前を素通りしたのだった。
「俺はアップルパイが好きなんだ」
ほんの少し体を寄せて、「アンジールが作った」と小声で付け足す。見上げてくる顔には、眩しいくらいの笑顔。アンジールは思わず、両手に持った袋を放って、その体を抱き締めたくなった。
「なぁ、約束その一」
「そうだったな」
「このくらいの長さで……いっかな?」
シュルシュルと音がする。
「充分じゃないか?」
「……これで、良し」
「ほら」
シュルシュル、シュルシュル。流れるような音がする。
「気を付けろよ」
「大丈夫だって」
くるり、と回ってキスをした。
ローテーブルの上に置かれた、沢山の料理。今日はビールではなくて、シャンパンで。アップルパイは、いつもよりホイップを多めにして、クランベリーを添えた。
「では、乾杯」
お互いがグラスを掲げて、少し遅めの夕食が始まった。
いつもより照明を落としたリビングに、ローテーブルの上に置かれたキャンドルが暖かく揺らめく。
「約束その二、は実行するのか?」
「勿論」
「なら、こっち来い」
螺旋を描いて、ふわりと彼の隣へ。
アンジールが、くるくるとフォークを器用に回して、パスタを絡める。トマトの赤、バジルの緑が目に鮮やかだ。そっとザックスの口元に運ぶと、彼の口がゆっくりと開く。
「……どうだ?」
「ん……、美味し」
ザックスが満足そうに笑った。受け取ったフォークで、今度はザックスがパスタを絡める。最初に絡めた量が多かったので、フォークの先には大きなパスタの塊が出来た。
「もう少し量を考えろ」
「なかなか上手く……、って、自分でやるからいいっての」
思わず手を差し出してしまったアンジールに、ザックスは口を尖らせながら言った。苦笑いをしながら、アンジールはザックスの右足の踝を撫でる。滑らかな素足の肌触りが、手に心地良い。
「はい」
ザックスの差し出したパスタが、アンジールの口に入る。
溶けるようなテリーヌも、鶏肉のローストも、瑞々しい色とりどりのサラダも、滑らかに裏ごしされたポタージュも、お互いが丁寧に食べさせ合う。
フォークやスプーンを差し出す度に、うっすらと開かれる唇。その奥に見える、味わう舌先。食べ物を含んで咀嚼し、嚥下する。伴う顎の動き、上下する喉元。
「物を食べる」という日常的な行為に、とても艶めかしくてエロティックなものを感じてしまう。
時折、秘密めいたように笑い合いながら、次々と皿を空けていく。満たされる胃袋、満たされる感情。
シャンパンを口に含んでキスをする。小さな気泡がこそばゆくて、口端から零れた液体から爽やかな芳香が漂う。舌先で舐め取った。
ザックスが、アップルパイの皿に乗せられている、ホイップを指に取った。おもむろにアンジールに指先を差し出す。見つめてくる瞳が、微かに潤んでいた。
「そんな事して、誘ってるのか?」
「……だとしたら?」
ザックスは思った。物を食べるという行為は、セックスに似ている、と。
物を食べて自分の血肉にするように、彼と繋がって彼とひとつになりたい。考えただけでも、歓喜のあまり震えそうだった。
沈黙。
……シュルシュル。シュル。
流れる音と、小さく漏れる吐息。
差し出されたザックスの指先が、ついとアンジールの前から去る。赤い唇がおもむろに小さく開いて、指先のホイップを含む。咥えられる指、舐める舌先、白く染まる口元。その目はアンジールを、熱くいやらしく見つめたまま。
アンジールは、「自分が白く汚してやりたい」と強烈に思った。
「食べて」
ザックスの言葉にアンジールは皿を引き寄せて、その指先にホイップを取ると、ザックスの口から指先を引き抜いて、自分の指先をねじ込んだ。上顎や歯茎を擦り上げると、ザックスがくぐもった声を上げる。甘い香りに満ちた唇に、自分のそれを重ねた。舌を舐め合って絡ませ合って、ホイップと混ざった白い唾液が溢れる。うっすらと開けた瞼の先にそれを見てザックスは、飲みきれなかった精液のようだと思った。
「今、いやらしい事、考えてたな?」
アンジールが、上気したザックスの顔を覗き込んでいた。意地悪そうな笑みを浮かべる時の彼は、酷く色香に満ちている。
「うん、白い唾液が……まるで」
「欲しいか」
ザックスが頷くと同時に、その体が力強く抱き締められた。
食べて。食べたい。食べられたい。
嗚呼、何て素敵な聖なる晩餐。
サイドテーブルの上で、ゆらゆらと揺れるキャンドルの灯りが、いつもの寝室をまるで別世界にした。
オレンジ色の柔らかい小さな灯りが、絡まり合うふたりの影を壁に大きく映し出す。
「アンジール……、三つめの約束……」
背中にキスを受けながら、俯せのザックスが顔を後ろに反らせた。体全体が桜色に色付き、ふんわりとした芳香を放っているようだ。
「忘れてなかったのか」
そっと肩口に顔を寄せて、耳元で囁く。いつもと異なる紅い色の石が煌めく耳朶を、唇で挟んだ。寝ている間そっと付け替えたそれに、「さて、いつ気付くかな」と思いながら、アンジールはザックスの項を撫で上げる。
シュルシュル、シュルシュル、シュル。
シーツの擦れる音と、流れるような滑らかな音が重なり合う。
「ねぇ、約束を……」
言いながら、こそばゆさと気持ち良さに、ザックスは目を細めた。
「良いんだな?」
「ん……良いよ」
ザックスの返事に、アンジールは彼の体を仰向けに返した。足元で幾重にも重なり合っているリボンを手繰り寄せる。シュルシュルと、紅い繻子が線を描く。
リボンの先は、お互いの右足首に結ばれていた。
『ずっと、繋がっていたい』
そう言って、ザックスが持ってきたのは、かなりの長さがある幅二センチ程の紅いリボンだった。取り敢えず、部屋の何処に行っても不自由しない分の長さのそれを、お互いの足首に結んだ。食事を作っていた時、引っ張られるのを感じてリビングに行くと、「ちょっとやってみたかっただけ」と言って無邪気に笑うザックスに、内心呆れつつも「可愛いな」と思った。
動く度にシュルシュルと静かな音を立て、視界の片隅に自分たちを結ぶ鮮やかな紅。
「ザックス……」
アンジールの呼び掛けに、ザックスはその両手首をゆっくりと差し出した。手繰り寄せたリボンの、充分な長さの真ん中辺りで、ザックスの両手首に交差させながら巻き付ける。決してきつくなく、でもすぐには解けないように巻かれた紅いリボン。
『ベッドで、縛って』
リボンを差し出しながら小声で請うたザックスに、アンジールは眩暈がしそうになった。
正直ザックスが、自ら言った事を忘れていてくれれば良いな、とアンジールは少し思った。紅いリボンで拘束されたザックスの姿を脳裏に描いて、どうしようもないくらいに彼の体を滅茶苦茶に犯したくなってしまったのだ。優しくなんてしてやれないだろう、と。
アンジールは、ザックスの結ばれた両手を彼の頭上でベッドに繋ぎ止める。既に朱い跡が幾つも散らされた白く滑らかな肌に、紅い繻子が強烈なコントラストを描く。揺らめくキャンドルの灯りに照らされて、この上なく扇情的、且つ退廃的な雰囲気さえ漂っている。
愛しくて甘く熱い、拘束。
「あ……あまり見るな、よ」
自分を見下ろすアンジールの視線に耐えられず、ザックスは顔を横に反らした。
「何故?」
「何故って……恥ずかし、い」
「そうか?」
「そうな……のっ」
膨らんだ頬に、静かにキスを落とす。熱を移すように、そっと舌先を押し当てるように、場所を変えながら何度もキス。やがて唇に触れると、アンジールはザックスの下唇をそっと噛んだ。緩く吸うと、ザックスの吐息が漏れる。小さく口を開けたのを見計らって、舌を滑り込ませた。温かい口内をゆっくりと舐め上げ、応えるように絡ませてくる舌を受け止める。
徐々に熱を帯びる口づけ。漏れる吐息に煽られる。身動ぐ度に、シーツと繻子の擦れる音。隠したくても、隠せない欲情をお互いが晒け出して、熱を求める。
敏感な箇所への愛撫に、切なげに眉を寄せながら応えるザックス。伏せられた瞼の縁に綺麗に並んだ睫が、揺らめく灯りを受けて、ゆらりと影を落とす。まるで幻のように。時折、甘い言葉を紡ぐ唇に、アンジールはキスを繰り返す。
「ザックス」
「な、に?」
情欲に潤んだ瞳で、アンジールを見上げる。アンジールは息を付き、声音を落として言った。
「すまない、今夜は……優しくしてやれない」
ザックスは、じっとアンジールの蒼い瞳を見つめた。その奥に、熱く燃え盛る炎を見た。自分を求め、焼き尽くす炎。
頭上からゆっくりと腕を動かして、目の前のアンジールの首に回す。唇が触れ合いそうな距離で、ザックスが熱く囁く。
「優しいのなんて、いらない」
優しいのも好きだ。でも、優しいばかりじゃ嫌。我が侭でごめん。
そんなにヤワじゃないから、あんたの激しさで俺の全てを奪ってくれ。
甘く切なく、激しく酷く愛して。
「でも……ひとつだけ、お願い」
ザックスが、ほんの少し困ったような顔になった。
「何だ?」
「……灯り、消して」
ベッドサイドのキャンドルを見遣った。アンジールが腕の中からそっと出ると、キャンドルの灯りを吹き消す。ジッと微かな音を立てて、後には白い煙とロウの匂いが漂った。
ベッドが軋む音と、熱い吐息の漏れる音が、室内をゆっくりと満たし始めた。
嗚呼、聖なる夜にひとつのふたりに祝福を。
「大丈夫、か?」
「……ん。なぁ、足……結んだまま?」
「あぁ」
「良かった……、今日、神様の誕生日なんだって。メリークリスマス」
「そうらしいな。メリークリスマス」
アンジールの腕の中で、ザックスはその額にキスを受けた。「愛してる」と囁かれながら。
「アンジール……俺、ずっと……離れたくない」
「離さない」
離れたくないくらいお互い、引き合ってる。惹かれ合ってる。この世界で、ただふたり。
結び合ってるから、何処にいても平気。
「なぁ、キス……して。朝が、来るまで……」
「あぁ、いくらでもしてやる……」
愛しい唇に、おやすみのキスを。
アンジールは毛布を引き上げ、そっとザックスを抱き寄せて、規則正しい呼吸音に耳を傾けた。
嗚呼、愛し合うふたりに優しい夜を与え給へ。
20091226