特に問題なく無事に仕事が終わり、夕食を終えて寛ぐ。適当なところでアルコールを飲み始め、たわいもない話をする。戯れのようにキスをして、そっと手を握り合う。このまま抱き合っても良いかな、とお互いが思いながらも、何となく今夜はそんな雰囲気ではなかった。ただ、隣に体温を感じられれば良かった。そういう夜も好きだ。
バスルームから微かに水音が聞こえてくる。先にシャワーを使ったザックスは、何気なく寝室の棚を見た。何冊かの本が収まっているそこに、気になるタイトルのものを見つけたので、そっと取り出す。大判のそれは草花の写真集で、装丁が凝っていた。ザックスは図鑑を開くような気分で、表紙を開く。目の前に様々な草花が咲き乱れる。
「あ、これゴンガガに良く咲いてる」
見覚えのある花を見つけた。更にページを進めると、バカリンゴの花が載っていた。その部分に付箋が貼ってあったので、思わず微笑んでしまう。パラパラとページを捲っていると、間から何かが床に散らばった。
「やべっ……、写真?」
床に散らばったのは、写真だった。表裏バラバラに散らばったそれらを、ザックスはしゃがみ込んで拾い始める。
これは、幼い頃のアンジールだろうか。背景にバカリンゴの木が写っているので、バノーラで撮られたものと分かる。幼くても、何となく今の彼の面影がある。はにかんだ笑顔が可愛らしい。ザックスは散らばった写真を、一枚ずつ拾う。見るつもりはないのだが、好奇心からかつい見てしまう。いつしか本の続きよりも、写真に夢中になっていた。
「おっ。この人、アンジールのおふくろさん?」
女性が写った写真だった。雰囲気が何となく、アンジールと似ている部分がある。優しそうな笑顔だ。もしかしたら、この写真を撮ったのはアンジールかも知れない。カメラを構える息子に、母親が優しく笑う。そんな感じだろうかと、ザックスは思い描いた。さて、次の写真は。
裏に何か書かれているものがある。手に取ると、「A・G 2nd」と読めた。もしかして、と思い表に返すと、2ndの頃のアンジールとジェネシスが写っていた。
「うわぁ! 2ndの頃のアンジールって、こんな感じだったんだ。今の俺と同じくらいかなぁ……、ジェネシスも何となく幼い……」
とてもじゃないが、今のジェネシス本人には言えないと思いつつ、ザックスは少し興奮気味に写真を見つめた。2ndの頃のアンジールの姿を見るのは、初めてだった。今の自分と同じ色の制服を着て、当然だがジェネシスも制服を着ていて、その二人が物凄く楽しげに笑っている。当然だが今よりも幼くて、体の線も若干細い。でも当たり前だが、やっぱりアンジールだった。初めて見る2nd時代の彼が、何だか物凄く新鮮、且つ何となく気恥ずかしかった。写真は、遠征先での一コマだろうか。背景がミッドガルではない事は確かだ。
「凄く楽しそうに笑ってんのな」
思わずザックスも笑ってしまった。残り数枚を纏めて拾い、表裏を揃える。
「これは、1st昇格時……かな」
アンジールの制服の色が、黒になっていた。ザックスには馴染みのある姿だ。写真の中のアンジールは、どことなく緊張したような、でも何処か誇らしげな表情で写っている。今よりも髪の毛が短めだ。自分と同じくらいかも知れないな、と思う。早く自分もこの色の制服を着て、彼の隣に立ちたい。
「これって……」
最後の一枚に、ザックスの手が思わず止まった。その写真でアンジールは、一人の女性と一緒に写っていた。目立つ華やかさはないけれど、纏う雰囲気が柔らかく、控えめな笑顔が素敵な女性だった。神羅の制服を着ているので、社員に間違いないだろう。場所は神羅ビル・エントランスの受付だった。受付業務の女性だろうか。しかし、ザックスには見た事のない顔だった。アンジールの制服は1stのものだ。自分が良く知っている姿なのに、写真に写っているアンジールは全然知らない、まるで別世界の人のように感じる。彼と同時期に神羅に入った人なのか、それとも同郷なのか。はたまた。
「…………」
ジリッ。
胸の奥で音がした。嫌な音だ。何となく、今の自分にいらついた。
『クソッ』
ザックスは、沸々と湧き上がる得たいの知れない感情を振り払うように、写真を急いで本に挟んだ。そのまま棚の中へ戻す。一度頭を大きく振って、そのままベッドに突っ伏した。「落ち着け」と何度も自分に言い聞かせながら、不覚にも上がってしまった呼吸を鎮める。
「何でもないったら」
「何が何でもないんだ?」
「うわっ!!」
独り言に返事をされて、ザックスは飛び起きた。アンジールが寝室のドアに凭れ掛かるようにして、こちらを見つめている。全然気が付かなかった。
アンジールが伺うように、こちらを見つめてくる。こういう時の彼のこれが、苦手というか弱かった。例えやましい事などなくても、何もかも見透かされているようで。
「ん……、何でもない。ただの独り言」
ザックスはアンジールに向かって、ニッと笑った。
「本当か? 日中、何かあったんじゃないのか?」
ベッドサイドに寄ったアンジールが、心配げにザックスの顔を覗き込んだ。本当に心配してくれているのが、良く分かる。アンジールがザックスの額に掛かる髪の毛を、指先でそっと払う。
『ごめん、大丈夫だから』
「何もないよ。問題なーし」
明るい口調がわざとらしく聞こえないか、内心ひやりとする。ザックスは、アンジールに向かって両腕を伸ばした。その胸に抱き寄せられて、そっと目を瞑る。風呂上がりのアンジールの体は、温かくて適度に水気を含んでいて、とても気持ち良い。心地良さに身をゆだねようとした途端、ふと先程の写真が脳裏をよぎって、嫌な醜い気持ちが蘇る。そんな自分を最悪だと思いながら、ザックスは逃げるようにアンジールの背中に回した腕に、グッと力を込めた。
「……一体、何があった?」
隣で眠るザックスを見つめながら、アンジールは怪訝な表情になる。
様子がおかしいのは、自分がバスルームから戻ってからだ。それまでの穏やかな雰囲気とは異なって、碧い瞳がどこか不安げに揺らめいていた。「どうかしたのか」と問うても、頑なに「何でもない」と言うばかり。縋るように回された腕でしがみつき、煽るようなキスを繰り返してきた。応えてはやるものの、ザックスのメンタル面が気になった。しかし、自分だって情欲を煽られてばかりでは、どうしようもなくなってしまうのが現実だ。
性急に自分を求めてくるザックスは、何度もキスをねだった。譫言のように「俺の事、呼んで」と繰り返し、「ザックス」とその名前を呼んでやる度に、泣きそうな顔で「もう一度」と言った。いつもは気にする口づけの跡も、自ら「付けて」と請うた。胸元に散らされた朱を見て、「アンジールの」と呟いた唇は酷く濡れていた。決して肉体的にも無理はさせていないはずなのに、繋がりながら涙を溢れさせていた。
「どうした?」「辛いか?」「止めるか?」、そのいずれにも、ザックスは首を横に振った。アンジールはザックスの様子を気にしながらも、彼が熱を求めてその先へいこうとするので、自分も共にいきたくて強く抱き締めた。
ただ、ザックスがその体をベッドに沈めようとした直前。耳元で「行かないで」と言った声が、切羽詰まったようでアンジールの胸を締め付けた。
ザックスの体が、小さく動く。頬をシーツに寄せて、ゆっくりと瞬く。首を動かし、視点の定まらない瞳でぼんやりとアンジールを見つめた。
「水、飲むか?」
「……いらない」
フイと目線を反らせて、そっと毛布を引き上げた。まるで、このまま逃げるかのように。アンジールがそれを制すべく、毛布を押さえた。
「さて……、何があったか聞かせて貰おうか」
毛布から上半分だけ顔を出しているザックスに、ゆっくりと顔を寄せる。
「何でもない」
「何でもない訳はないだろう?」
「…………」
じっと見つめてくるアンジールの蒼い瞳に、ザックスは観念したように目を閉じた。
「写真が……」
毛布の中でボソボソと喋る。アンジールが優しい手付きで、毛布を退けた。
「棚の本を見ようとしたら……写真が挟んであって」
「写真?」
アンジールが棚の方を見ながら、じっと考える。棚の前まで移動して本の背表紙を見ていると、「写真集。植物のやつ」とザックスが言った。当てはまるものを取り出して、再びベッドに戻る。
「これに写真が挟んであるって?」
すっかり覚えになかった。確かめるべくページを捲ると、確かに数枚の写真が挟まっていた。「あぁ、本当だ。こんなところに」とアンジールが写真を眺めると、ザックスはシーツに額を押し付けた。
『懐かしいな』
それにしても、どうしてこんなところに挟んでしまったのだろう。今の今まで、すっかり存在を忘れていた。
丁寧に一枚ずつ捲って眺める。幼い頃の自分、優しい母親、2ndの頃のジェネシス。突如、色鮮やかに蘇る思い出。そして最後の一枚を捲って、アンジールはその手を止めた。
「あぁ……。もしかして、この写真が気になったのか?」
隣でベッドに伏せるザックスに声を掛けると、頭が小さく頷いた。手にした、自分と女性が一緒に映っている写真を見て、アンジールは息をついた。
「結論から述べてしまえば、お前が懸念しているような事は何もない」
僅かな沈黙の後、ザックスの頭がゆっくりと動いて、アンジールを見上げた。
「…………」
「……全く仕方ないな。ほら、こっち向いてちゃんと聞け」
アンジールがザックスの肩を掴んで、仰向けに転がした。
「一緒に映っている彼女はな、俺と同じ頃に新羅に入社したそうだ」
アンジールは当時を思い出しながら、静かに話し始めた。
彼女と初めてあったのは、神羅ビルの廊下。大量の書類を派手にばらまいて、拾い集めているところに丁度自分が通り掛かった。拾うのを手伝い、集めた書類を手渡した時に、軽く会話を交わした程度だ。間もなく受付業務に配属された彼女とは、エントランスを通る度に挨拶をし、時折スケジュールの確認をして貰ったりもした。しかし間もなく、社員を対象としたメディカルチェックで胸に異常が見つかり、心配した両親が故郷へ戻るようにと彼女を説得。もともと余り体が丈夫ではなかったらしい。最後の出勤日に、一緒に写真に写って欲しいと頼まれた。「ソルジャーの方と一緒に写真に写るなんて、私の自慢です」と言って、彼女は笑顔を浮かべた。そうして彼女が神羅を去り数ヶ月経った頃に、聞いた事のない地名の差出人から、自分宛に封書が届いた。中には一枚の写真と、短い手紙。彼女の両親からで、娘が亡くなった事を告げる内容だった。
「両親からの手紙にはな、俺が彼女の兄と似ている、と書いてあった。遠く故郷を離れ、女性ひとりでミッドガルにやって来て、そこで自分の兄に似た人に会って、懐かしく思ったりしたんだろうな……」
アンジールが一通り話し終えて、隣を見やる。ザックスは、いつの間にかアンジールの指先をぎゅっと握り、じっと彼を見上げていた。その頭を優しく撫でて、「納得したか?」と尋ねる。
「……俺、」
ザックスは眉を寄せて、目を閉じた。
自分の知らないアンジールが、何だか嫌だったんだ。俺と出会う前の、俺が知らないアンジールが、何だか嫌だったんだ。上手く言えないけれど、自分の知らないアンジールを知ってる人が、物凄く羨ましくて、同時に物凄く悔しくて。「もっと早く出会ってたら」なんて、そんな事さえ考えてしまう。
写真を見るうちに、悔しくて、悲しくて……寂しくなった。
ザックスが微かに肩を震わせた時、ふわりとアンジールがその肩を抱き寄せた。ぎゅっと強く抱き締めて、ザックスの額に自分の額をくっつける。
「もう、そんな風に思うな」
「……ッ」
「お前の考えている事は分かる。もう、そんなに悔しがるな……悲しがるな。過ぎ去った時間は、二度と戻らない。過ぎてしまった時間は、お前には与えられない」
アンジールはそっと顔を上げた。ザックスの頬を両手で包み込んで、その碧い瞳の奥を真っ直ぐに見つめる。
「でも、これから先の時間は、お前と一緒だ」
「あ……」
「お前には、いつでも笑っていて欲しい。これからも、ずっと……隣で」
「……うん」
ザックスが、透き通るように微笑む。ほんの少しだけ目尻に滲んだ涙を、アンジールの指先がそっと拭うと、キスが落とされた。両の瞼にキスを受けて、ザックスが静かに目を開けると、アンジールがその目の前に小指を差し出した。
「何?」
「『指切り』、だ」
「『指切り』?」
「こうして、お互いの小指を絡ませ合って……」
ザックスの手を取ると、その小指を自分の小指と絡ませる。
「約束を守るしるし、だそうだ。さらに昔には、愛情の不変を誓う証だったとか」
「へぇ……何か、良いな」
ザックスが頬を淡く染めて、嬉しそうに言いながら、まじまじと絡ませ合った小指を見つめた。アンジールがその小指に口づけると、そのままザックスの唇にも。
「……ん」
ちゅ、と小さな水音を立てて、唇が離れた。小指を絡ませ合ったまま、ベッドに転がり合う。ザックスが、反対側の腕で目元を覆った。まるで、アンジールの視線から少しでも逃れるように。
「良く考えると何だか俺、格好悪いな……。要するに、『ヤキモチ』ってやつだよな」
アンジールは笑いながら、ザックスの腕を退かした。
「俺としては、嬉しいけどな」
素直にうっすらと開かれたザックスの唇に、アンジールは愛しさを込めて口づけた。
20091226