リビングに掛けられたカレンダーを見て、ザックスは手元の携帯端末に目を落とす。カレンダーに「A・オフ」と書かれている日は、さて自分の仕事の予定はどうなっていたっけ。端末で予定を呼び出す。その指先は軽やかだ。
「……、よっしゃッ!!」
午後から空欄になっていたので、仕事は午前中のみ。代わりに前日の夜からが、かなりハードな内容になっている。この辺りはある意味、気力でカバー可能だった。楽しみがあれば、大変な事でも何とか頑張れてしまうものだ。そう、複雑なようで、人間は割と単純に出来ている。
「A・オフ」と書かれている隣に、「Z・オフpm」とマジックで追記した。
オフが重なる日がなかなかないので、例え午後のみでもふたりにとっては貴重だ。ザックスは何をしようかと、既に予定をあれこれ考え始める。
『久し振りに映画……、でもこれといって気になる作品がある訳じゃないし。んー、買い物かな? でも、この間のオフで行ったし……』
こう考えてみると、頻繁ではないものの、アンジールとあちこち行ってる事に気付く。その殆どが、ザックスの希望で決まったものだった。アンジールは出不精ではないものの、ザックスと比べると、そんなにあちこち出歩くタイプではない。
『何しよっかなぁ、折角だし。……今のところ、特に何もする事が浮かばない』
まだ少し先の事なのに、まるで明日の事のようにザックスは考えた。時折、うんうん唸っている。その様子を、アンジールが不思議そうに後ろから見ている事に、気付きもしないで。
オフの日に天気が良いと、やっぱり何となく嬉しい。今日は朝から、物凄く天気が良い。この晴れを有効に活用しなければと、アンジールはリネンの類を全て替え、全ての部屋に掃除機を掛け、溜まっていた洗濯物を全て干した。もちろん、ザックスのも含まれる。
ザックスは、宛がわれている自室には殆ど戻らず、もうずっとアンジールの部屋に転がり込んでいる状態だ。ふたりの関係からして特に支障はないし、都合が良い事の方が多かった。それに狭い2ndの部屋より、倍以上広いと思われる1stの部屋の方が、居心地が良いのは分かる。しかも、掃除・片付けが苦手なザックスは、ただでさえ狭い部屋が更に狭くなっていた。アンジール曰く、「お前の部屋は、迷いの森」だそうだ。
「さて、今日の昼食は何にするかな」
作業が一段落して、コーヒーを飲みながらアンジールはメニューを考える。午前中上がりのザックスが、「腹減った」と言いながら帰ってくる姿を思い描いて、ひとり小さく笑ってしまった。夜勤明けにも近い状態だから、適度にボリュームがあって……いやいや、ここは案外割とあっさりとした味付けの方が……。
アンジールは、残り少ないコーヒーを飲み干して、あれこれ呟きながらキッチンへと向かった。
「ただいまー、腹減ったー」
ザックスの声には、さすがに疲労が感じられた。玄関先で装備を解き、リビングへ向かう途中でアンジールが出迎える。
「おかえり。ご苦労だったな」
ざっと全身を見て、特に怪我等ない事を確認して、額にキス。当初に比べれば落ち着いたものの、相変わらず後先考えないで飛び出すクセがある。自分と一緒の時ならともかく、今日みたいに別行動の時は心配なのだ。自分が教育係に就いているので、尚の事だった。
「ん、ただいま。これから昼飯? 俺の分ある? マジ腹減った……」
「当たり前だ。用意してるから、シャワー使ってこい」
「うん」
ザックスはふらふらと、バスルームへ向かう。後ろから「着替えは置いておくからな」とアンジールの声が聞こえた。
「んー、生き返ったぁ!」
シャワーを終えて、ザックスが髪の毛を拭きながらテーブルにつく。いつもは彼なりに整えて立たせている毛先が、今は水分を含んで大人しく下りていた。その所為か、若干幼く見えてしまう。
「いただきまっす」
アンジールが用意してくれた昼食は、まるで朝食のようなものだった。「今朝は、『朝食らしい朝食』を食べていないだろうと思って」との事らしい。米かパンかの選択肢は、当然前者にした。スクランブルエッグにベーコン、トマトの色が鮮やかなサラダ。これに味噌汁が付いた。デザートは、ヨーグルトにバカリンゴで作ったジャムが添えられていた。
食事をしながら、ザックスが仕事の報告をした。特に問題なく終了したようだ。アンジールも、午前中にこなした事を報告した。洗濯の話をした時、律儀にザックスは「任せちゃってゴメン」と言った。アンジールはそんな彼に「気にするな」と告げ、頭を撫でた。
食後のコーヒーを飲みながら、ザックスは向かいに座っているアンジールに尋ねた。
「なー、今日なんだけどさ」
「行きたい所でもあるのか?」
「アンジールは?」
「俺は特にないが……。食材もあるから、買い物に出る必要もないし」
さて、今日は何処に行きたいと言うのか。アンジールは、ざっと考えを巡らした。しかし、ザックスの口から出てきたのは、予想外の言葉だった。
「んー……『何もしない』をしようかと思って」
マグカップを持ったまま、リビングのローテーブルに移動する。ザックスは床のラグの上に、アンジールはソファに座った。丁度アンジールの膝の辺りに、ザックスの頭が来る。ここが、ふたりの定位置だった。
「どこにも行かないで、何もしないで……ただ、」
言い掛けて、ほんの少しだけ中身の残ったカップを、ザックスは静かにローテーブルに置く。そのまま、アンジールの膝に自分の頭を乗せるようにした。まるで猫のような動作だと、アンジールは思った。
「ただ?」
先を促しながら、掌で髪の毛を撫でる。もう殆ど乾いていて、さらさらとした感触が心地良い。ザックスが頭上に腕を伸ばす。アンジールはその腕を掴んで、指先に口づけた。首を後ろに反らすザックスが、目を閉じた。
「ただ、こうして一緒にいたい」
アンジールが静かにソファから下りて、ザックスの隣に座った。
「そうだな。今日は、ずっとこうしていよう」
どちらからともなく、手を繋ぐ。ザックスはアンジールの肩にもたれ掛かって、繋いだ手をじっと見る。自分より、大きな掌。決して無骨ではない、でも男性らしくスッと節が綺麗に出た指。剣の柄を握る時は力強く、そして今は繊細で優しくて、温かい。この指が好きだ。そっと撫でて頬に寄せて、キスをした。
そんなザックスを、アンジールは何も言わずに静かに見つめる。時折、反対側の手で頭を撫でてやると、その度にザックスは嬉しそうに微笑んだ。
「なぁ、アンジール」
「ん?」
「あの……さ、」
普段、割とハッキリものを言うザックスが、珍しく歯切れが悪い。アンジールは、じっと待つ。促すのは簡単だが、こうして待ってやりたい気分だ、今日は。
「えっと……、あのさ、その……」
チラリとこちらを伺って、目が合うとフイと反らす。髪の毛の間から覗く耳朶が、ほんのりと色付いている。
「んっと……、その、ギュッって……、してくんない?」
繋いだ指先を見つめながら、頬を微かに赤く染めて、それでこんな事を言うなんて。可愛い事、この上ない。
「いくらでも」
アンジールは、そっと包み込むようにザックスの体を抱き締めた。温かくて、ほんのりとバスソープの香りに包まれる。ザックスが、安心したように息をつく。そのままふたりして、ラグの上に寝転がる。胸元に抱き寄せて、額にキスをした。ザックスはアンジールの胸元に、まるで鼓動を確かめるようにそっと掌を押し当てる。アンジールはザックスの髪の毛に、顔を埋めるようにした。シャンプーの香りが、鼻腔をくすぐる。可愛らしい頼み事をした腕の中の彼が、愛しくて堪らない。
「こうしたかったのか?」
「うん」
「可愛いな」
「可愛い、言うな」
口では怒ってみるものの、アンジールに「可愛い」と言われるのはさほど嫌ではなかった。そう思ってしまう辺り、自分はかなりどうしようもないと思う。それに「可愛い」と言うのは、アンジールなりの愛情表現なのだと分かっているから。
ザックスの頭を撫でながら、そっと頬に触れる。滑らかなそこに、ちゅっとキスをした。こめかみに、瞼に、柔らかく触れる。ザックスがそっと胸元から顔を上げて、小さく唇を動かしてキスをねだる。優しく、ふわりと重ねる。ザックスは満足したのか、再び胸元に額を擦り寄せ、体全体で寄ってくる。アンジールは優しく微笑みながら、その背中をあやすようにさすった。
暫くそうしていると、ザックスが何か呟く。
「…………」
「どうした」
「ん……、眠い」
ゆるゆると目を擦る。落ち着いたところで疲れが出たのだろう、重そうな瞼を上げてアンジールを見上げる。
「少し寝るといい。ほら、ベッドで寝ないと、」
アンジールが寝室へ行くように促すと、ザックスは横に首を振る。しかも、アンジールのシャツをぎゅっと掴んだ。
「このまま、いて? 側に……いて」
「ザックス。お前、眠たいんだろ?」
うん、と素直に頷く。もう瞼は閉じたまま。
さて、どうするか。ザックスが寝付くまで、このままでいるか。それとも、ザックスを寝室に運んで……。
「俺も昼寝……するか」
独り言にも思えるアンジールの呟きに、ザックスは微笑んで、額をそっと胸に押し付けた。
シャツを掴んだまま離さないザックスを抱えて、アンジールは立ち上がる。
『悪くないな、こういうオフも』
愛しい重みと熱を腕に感じながら、アンジールは寝室のドアを静かに閉めた。
20091226