■7.08a.m.
「ん……」
ベッドの上の毛布が、微かに動く。ゆっくりと眠りの淵から浮上する。そろりと寝返りを打って、隣に腕を伸ばしすと、シーツはほんのりと温かい。隣で寝ているはずの彼はいなかった。
毛布から、そっと顔を出して部屋を覗く。朝の光の眩しさに、ザックスは思わず目を細めた。開け放たれた窓際に、さっきまで隣で寝ていたと思われる彼が立っていた。全体の輪郭がぼんやりとしている。自分がまだはっきり目覚めていない所為なのか、それとも逆光の所為なのか、良く分からない。
窓の外を眺めているのだろうか。ザックスが目覚めた事に、気付いた様子はない。腕組みをする右手の指先には、煙草が挟まれている。思い出したように吸って、静かに吐き出される紫煙。
煙草を挟んでいるあの指先が、紫煙を纏うあの唇が、昨夜は。
「ッ…………」
昨夜の、平日故に軽い戯れをひとり思い出し、ザックスは頬が上気するのを覚えた。思わず、毛布に顔を埋める。
『何で朝からこんな……』
きゅっと唇を噛んだ。その時、脇腹をするりと撫でられる感触。
「わっ!!」
突然の事にザックスは、ガバリと毛布を跳ね退けた。目の前には、少し驚いた表情のアンジールがいた。
「な、なななっ」
「何をそんなに驚いているんだ? おはよう」
唇に、煙草の香りのキス。
「だって、急に……。お、おはよ」
ザックスは少し俯く。その目元を、微かに赤くして。
見とれていたなんて、言えない。
昨夜の情事を思い出して、恥ずかしくなったなんて、言えない。
言わなくても、ばれてるだろうけれど。
■10.45a.m.
「あー、腹減った」
ザックスは、思わず声に出してしまい、今日の昼食は何にしようかと考えた。それを聞いた隣のカンセルが、呆れたように言う。
「お前、もう腹減ったの? もしかして朝飯抜き?」
「いんや、食べたけど」
少人数による野外訓練を終えて、ザックスとカンセルはソルジャーフロアへ向かう途中だった。時折擦れ違う、同期の2nd達と挨拶を交わす。
建物の間を通り、広い演習場の横へ。フェンスで囲まれた演習場では、3rdの全体演習が行われているらしい。
『あ、アンジール』
何気なく見たフェンスの先には、規則正しく整列した彼等の間を移動する、アンジールの姿があった。時折歩みを止めては、自ら剣を構えて指導している。面倒見が良いアンジールが教官役として参加する演習は、3rdの中でも人気があるという話は、隣を歩くカンセルから聞いた。そんな彼は、途中から合流した同期と、先程終えた演習について何やら話している。
教官としての立場のアンジールを、こうやって自分が直接関わらないところから見るのは久し振りだった。自分の教育係でもあるアンジールとは、いつも殆ど一緒に行動しているので、今日みたいに別行動で過ごす方が今では珍しくなっていた。
『あの3rd、かなり緊張してんなー』
今、アンジールから直接指導を受けている3rdは、憧れの1stを目の前にして緊張しているようだった。剣を構える動きが、ぎこちない。何より表情そのものが、緊張で強張ってる感じだった。ザックスは自分も似たような経験をした事を思い出し、思わずクスリと笑う。
『お疲れーッス』
声に出さない、ザックスの呼び掛け。まるでそれが聞こえたかのように、アンジールがザックスの方を向いた。
瞬間、二人の間の距離がなくなる。
アンジールが、ザックスに向かってそっと笑い、すぐに教官の顔に戻る。この間、僅か二歩。それでもザックスは、思わず歩みを止めてしまいそうになった。
だって、こんなに人がいて、これだけ離れてるのに。
フェンスの向こうの彼が眩しくて、ほんの少し胸が高鳴った。
■8.53p.m.
うるさい。
何がうるさいって、この自分の心臓の音が、だ。絶対アンジールにも聞こえてるって。
だって……だって、何でこんな事になってるんだ?
ザックスは背後からアンジールの口づけを、首筋に受けていた。同時に、シャツの下から手を入れられて、ゆるゆると脇腹を撫でられる。
ここはベッドではなく、キッチン。照明に照らされたシンクが、まるで自分達を照らすように光っている。目を瞑っても、瞼の裏が妙に明るい。手を付いた先はひんやりとして、それがザックスの思考を無慈悲に現実に繋ぎ止める。もどかしい手付きで、ゆっくりとでも確実に煽られて、ザックスは焦る。胸元に回された手を、押し付けられる。
「何をそんなに緊張してるんだ?」
「えっ……だって、やっ……」
もうこんなに体は熱いのに、なけなしの理性が邪魔をする。完全に飛ばせてしまったら、どれだけ楽だろうか。でも、ここはあまりにも日常が満ちている。
ザックスは耳朶を甘噛みされながら、息も切れ切れに願う。
「お願い……ここは、嫌……」
願いはすぐに、叶えられた。
■10.37p.m.
「なぁ、アンジール……」
「何だ? ……平気、か?」
「頼むから、あんまり俺を……ドキドキさせないでくれ」
「は?」
「早く、死んじゃう」
「…………。どういう事だ?」
「生きてる間の鼓動の回数は決まってて、あまりドキドキすると、その分早く死んじゃう」
「ほぉ」
「あんたと長く一緒にいたいから……、俺をドキドキさせんな」
「その言葉、そのまま返すぞ」
「え?」
「俺だって、お前と一緒にいて、ドキドキしないなんて無理だな」
そして、キス。
俺も結構、間抜けだな。
あんたの存在、それ自体がドキドキなんだ。
なぁ、知ってる?
20091226