033.放す


 「またこの部分か……」
 セフィロスが手元にある一枚の紙を眺めながら、ある一箇所を指先で弾き小さく溜息をついた。それに続くように、ジェネシスも同様に自分の前に置かれている紙を手元に引き寄せたが、フンとつまらなさそうに一瞥しただけだった。詳しく見るまでもない。紙面には細かな数値やグラフが印刷されていた。
 「あの仔犬は人が良すぎるんだ。毎回ここで引っ掛かっている……バカだな」
 「…………」
 ふたりの反応を見ながら、アンジールは無言のまま息を吐いた。その眉はやや顰められている。
 ここは1st専用のミーティングルーム。今、先日行われたヴァーチャルシステムを利用した、シミュレーションの結果を三人で検討しているところである。シミュレーションを受けたのはザックス。アンジールのように、セフィロスとジェネシスは誰か特定の2ndの教育係には就いていなかった。代わりに、アンジールのザックスの間で行われる指導方法やプログラムの進行状況等に、第三者的な立場で客観的に意見を述べてくれるのだった。
 些か重苦しい沈黙を破ったのはジェネシスだった。
 「アンジール、このシミュレーションを仔犬が受けるのは何回目だ?」
 「三回目、だ」
 「三回目……ね。三回受けて三回とも同じ場所でドロップ、か。やっぱりバカだな」
 セフィロスが何か言いかけたが、続くアンジールの声に開きかけていた口を閉じた。
 「ジェネシス、そんなに何度もバカと言わないでくれ」
 チラリと幼馴染みを見ると、面倒くさそうな顔をしている。口ではあんな事を言いながらも、結局は彼もザックスが心配なのだ。でなければ、この場にさえもいないだろう。
 銀色の髪が小さく揺れた。セフィロスが静かに話し始める。
 「アンジール、この結果はさすがに些かマズイ。早急に対策プログラムを組むべきだ。でなければ、結果を見た上層部がザックス自身のソルジャーとしての適正云々レベルの話になってしまう」
 「あぁ、そうだな……」
 シミュレーション結果の数値を睨みながら、アンジールは腕組みをして黙り込んでしまった。
 「…………」
 セフィロスとジェネシスは無言で顔を見合わせた。別にそうするつもりなどなかったのに、変なところでタイミングが合ってしまうのである。
 これ以上、此処にいても意味はない。今暫くは、アンジールが自身で考えなければならない時だ。次に此処に集う時は、彼が考えてきた対策プログラムの概要について説明を受ける時である。
 「そろそろ、時間だな」
 次の予定を頭の中で反芻しながら、セフィロスは静かに席を立った。ジェネシスもそれに続く。ミーティングルームにはアンジールがひとり残された。


 * * *


 『何があっても自身が生き延びる事を最優先とすべし』
 その肉体そのものが神羅の機密事項でもあるソルジャーは、敵方に捕らえられる訳にはいかなかった。それが例え、既に生命活動を止めた肉体であろうとも。
 基本的なバイタルは常にモニタリングされていた。万が一、その肉体に多大な損傷を受け、バイタルの急激な変化が見受けられると生命維持活動が困難な状態であると判断され、すぐさま救援部隊が出動するのであった。場合によって、それは遺体回収部隊となった。
 しかし、ソルジャーが瀕死の状態に陥る事は滅多にない。綿密に計算された作戦に基づいて行動しているし、困難なミッションの場合は必ず複数人で行動する事が原則とされていた。一般兵を含めたバックアップにも抜かりはない。
 「少々酷なのは分かっているが……、乗り越えなければならないんだぞ」
 アンジールはザックスのシミュレーション結果の、E判定の部分を指先でトンと叩いた。
 任務を共にしていたバディと、断崖にロープで宙づり状態となってしまった。ロープは出っ張った岩に絡まっている。バディは足に怪我を負っていた。視線を下に移すと底の見えない谷。ロープの耐久度は低く、千切れるのも時間の問題だ。MPの残量は双方ゼロ、装備はナイフのみ。
 『この状況で自身が取るべき最善の行動をせよ』
 ザックスはいつもシミュレーションのこの部分でドロップアウトしていた。バディ役にはシステムが無作為に抽出したデータから作られた架空の人物を充てているが、それでも潔くロープを切れないのである。自身が生き延びるためにはロープを切って、一人分の重さを減らさなければならないのだ。もし自身が谷底に落ちても、負傷しているバディが断崖を登り切る事は不可能だ。自分がバディのロープを切って、断崖の上に這い上がり、救援部隊を呼ばなければならない。
 しかし、ザックスにはこれができなかった。先日のシミュレーションでも、心の葛藤を続けているうちにロープが切れて強制終了となったのである。
 根が優しくて素直なザックスには、何よりも厳しい課題なのかもしれない。しかし、1stを目指すなら乗り越えなくてはならない壁である事は間違いないのである。
 アンジールは時折思うのだった。ザックスは、ソルジャーとは無縁の世界に生きた方が幸せなのかもしれない、と。太陽のような眩しい笑顔をする彼を、硝煙や血に塗れた戦場に立たせたくなかった。
 椅子の背もたれに体を預け、アンジールは天井を見上げながら息を吐いた。
 「……少々、荒療治が必要だな」


 * * *


 その夜、ザックスはアンジールの手を掴んで放さなかった。
 夕食が終わり、リビングのソファに座りながらコーヒーを飲んでいたアンジールの隣に、ザックスは無言で座った。手にはカフェオレが入った大きめのマグを持っている。その中身を一口飲んで、マグをローテーブルへ静かに置いた。
 そして、そっとアンジールの腕を掴んだ。
 「どうした?」
 「んー……、何でもない」
 「そうか?」
 「うん、何でもない。何となく、だから」
 こういう時、ザックスは本当に敏感だ。アンジールは自身がザックスに行おうとしている、荒療治の内容を知られてしまったのではないかと内心ドキリとしたくらいだ。
 近日中に再度行う例のシミュレーションで、アンジールはザックスのバディ役に自身を設定するつもりでいた。勿論、ヴァーチャルシステム内なので、プログラムによるヴァーチャルな自身である。
 取り敢えず、シミュレーションはクリアしなければならない。だから、クリアするためと割り切ってロープを切ってくれ。
 アンジールは心の奥でそう思わずにはいられないのであった。
 ふと気付けば、ザックスが自分をじっと見つめてた。空色をした澄んだ瞳が、まるで心の奥を探るかのように見つめてくる。
 「……アンジール」
 「なんだ?」
 「俺はあんたを……放したくない……、あんたに、放されたくない」
 「お前……、もし“どうしても放さなくてはならない”状況の時はどうする?」
 俺か、お前か。どちらかが、放さなくてはならないならば。
 蒼い瞳が静かにザックスを見つめた。その口調は穏やかだったが、問いに対する返答の拒否を許さない色を含んでいた。アンジールの意図を理解したらしく、ザックスは小さく息を吐いた。
 「あのシミュレーションの事なら……バディがあんたなら迷わず切るよ」
 「切れるか?」
 ほんの数呼吸の後。
 ザックスは静かに微笑んだ。
 その危ういまでの笑みは狂気にも似た何かを孕んでいた。細められた碧い双眸に、瞬間アンジールの背筋に竦むような何かが走った。


 放したくない、放されたくない。
 放されるくらいなら、
 自分から




 20131221