「おい、ザックス」
リビングを覗き込んだアンジールが、床に転がりながら映画を観ているザックスに声を掛けた。クッションと共に転がっている彼の周辺には、トレーに載せたカップや菓子、携帯端末やリモコンなど、必要な物が腕を伸ばせばすぐ取れる位置に置かれていた。
映画を観ている最中に声を掛けるのはどうかと思ったのだが、どうやら飽きてきているようだ。現に今も画面を気にしてはいるものの、手近にある雑誌やカタログを引き寄せてはパラパラと捲っている。
「んー、何?」
手にしていたカタログを閉じ、リモコンを操作して映画の再生を止めた。所謂SF映画の金字塔と呼ばれるかなり昔の作品を観ていたのだが、ザックスにはどうにも意味が分からない。難解すぎるのか、はたまた自分の理解力不足なのか。それでもやっと半分ほどは観たのだが、やっぱり良く分からないのが今のところの正直な感想だった。
ザックスは単純に、気兼ねなく観られる映画を好んだ。勿論ストーリーも重要だが、何も考えずに頭を空っぽにして観られるアクションやアドベンチャーの類いは大好きだ。画面一杯に繰り広げられる迫力に夢中になれる。だが、それ以外のジャンルが嫌いという訳では決してない。
「止めさせて悪かったな」
「いんや、丁度良かったかも。ちょっと飽きてきたところだったから……知ってる? この作品」
画面に映し出されているタイトルを見て、アンジールは「勿論」と答えた。
「この作品は映像と音楽が美しいな。内容は、俺にはあまり良く理解できなかったが……」
「へぇー、アンジールも?」
「“も”、とは何だ」
指先で額を小さく弾かれながら、ザックスはエヘヘと笑った。
「んで、何か用だったの?」
「あぁ、そうだ。今、ちょっと部屋の片付けをしていたんだが……、多分お前の荷物かと思ってその確認しようとしたんだ。日頃使っていないようだが必要ならそのままにしておくし、不要ならこの際処分してしまうが」
ざっと考えても思い浮かばない。どうやらザックス自身も忘れてしまっているもののようだ。
「何だろ……、取り敢えず確認するよ」
立ち上がったら、とても自然に頭を撫でられて頬にキスをされた。ザックスは小さく微笑んだ。
さり気なく触れたりキスをする事が、日常の何でもない動作に溶け込んでしまっている。それが、ふたりには自然だった。
* *
「このボックスなんだが……大きさの割にそこそこ重たいぞ」
床の上には小振りの段ボール箱くらいの大きさの、蓋付きの収納ボックスが置かれていた。
「あ!」
それを目にした瞬間、ザックスは思わず声を上げた。
「覚えがあるか?」
「あるあるあるあるっ! そっか、持ってきてたんだっけー」
ザックスは床にしゃがみ込んでコンテナの蓋を開けた。アンジールも思わず覗き込む。
中にはファイルがぎっしりと詰め込まれていた。資料か何かだろうか。きちんと並んだ背表紙には通し番号が書かれている。そのうちの数冊を引っ張り出す。表紙にはマジックで背表紙と同じように通し番号が無造作に書かれていた。
「ザックス、これは何のファイルなんだ?」
「これは俺のコレクション。結構凄いよ」
楽しそうにザックスがファイルを開くと、そこにはセフィロスがいた。正確には、「セフィロスの写真が載っている雑誌記事」だ。アンジールは少々面食らった。自分より些か細い指がパラパラとファイルを捲る。捲っても捲っても、様々なセフィロスの姿が続く。一般雑誌もあれば、神羅が広報用に作っているフリーペーパー、中には何処で手に入れたのか聞きたくなるような非売品のシートや切り抜きまで。大小様々な切り抜きがファイリングされていた。
所謂、セフィロスのスクラップブックコレクションである。
「お前、このファイル全部がそうなのか?」
アンジールはボックスの中のファイルと、ザックスの顔を交互に見つめる。ザックスは得意げに言った。
「勿論! 結構なコレクションだろ? 友達とかに協力して貰って集めたんだぜ。これとか、結構レアだろ?」
指先が示す切り抜きを見る。自分にも見覚えのある神羅の広報紙だが、随分と前のものだ。短い記事と共に掲載されている写真のセフィロスは、今と異なるコートを着ている。アンジールは懐かしさに思わず声を上げた。
「おぉ、これはまた随分と懐かしいな……」
「アンジール、知ってるの?」
「当たり前だ。セフィロスは一時期、このコートを着ていたんだ。まだ俺も1stの試験に受かったばかりの頃だな」
アンジールによると、この姿のセフィロスを知る者は余り多くない。特に一般市民では。
「なぁ、セフィロスのこのコート、何色だったの?」
ザックスのコレクションの中でも、この姿のセフィロスはこの記事のみである。だが、モノクロ印刷のため、今まで色が分からなかったのだ。
「濃い青だったな」
「えー、何だか意外……」
色が付いていない写真をザックスは見直した。今より幾分か若かりし頃のセフィロスが纏っている色は青だったらしい。
「そうか? 決して似合わんでもなかったのだが、本人が気にしたというか……しっくりこなかったんだろうなぁ。それで、今のコートを作ったんだ」
「ふーん」
アンジールはボックスの中からファイルを手に取った。捲って記事の日付を見る度に、当時の事が思い出される。写真はセフィロス個人のものが大半だったが、ごく稀に自分やジェネシスと一緒に写っているものもあった。当然の事ながら今より若い頃の自分を見て、何となく気恥ずかしくなる。
しかし、良くこれだけ集めたものである。この収集・整理能力、そして根気強さを、実際の任務に活かせないものかとアンジールは思案した。先日行われた簡単な筆記試験での、ザックスのちょっと残念な成績を思い出してしまったのだ。
「……ん?」
ボックスの中を覗いていると、その底面にファイルが横倒しで置かれているのが見て取れた。
「ザックス、底にもファイルが入ってるぞ」
「え、あっ……あぁ、うん、それは……えーっと、予備のファイルだからそのままでいいんだ」
妙にしどろもどろな口調が気になるが、本人がそう言うのならそうなのだろう。時にアンジールは深く追求しない。それよりも、実は少々胸中複雑なのだ。
ザックスが英雄、セフィロスに憧れてミッドガルに出てきたのは当然知っている。彼がセフィロスを目標にしてきたのも、知っている。それは、自分たちが恋仲となった今でも変わらない事も。
自分の持っているすべてを彼に教えたいし、伝えたい。そう思うようになったのは、ザックスの教育係に指名される直前の事だった。講義や演習でも貪欲に食らい付いてくるし、何よりも彼は「天性の素質」と呼ばれるようなものを持っている。まだ荒削りのものだが、磨けば磨くほど輝きを増すだろう。そう思ったのだ。これまで幾人もの2ndを見てきたが、そう思うの相手に出会ったのは初めてだった。
「自分のようになれ」とは、とてもじゃないがおこがましくて言えない。勿論、本心を言えば「アンジールみたいになりたい」とザックスに言って欲しいし、言って貰えるような存在になれればと思う。
だが、圧倒的な存在感を放つセフィロスが相手では、勝ち目も負ければ既に争う気にもならない。彼は自分にとって大切な友人でもあるのだから。
アンジールはファイルを確認しながら並べるザックスをそっと見つめる。
『それはそれ、これはこれ……だ』
さて、片付けの続きをしなければ。アンジールは立ち上がった。
「じゃあ、それはお前に任せた」
「あ、うん」
「またしまっておくなら、そこの開いてるスペースに入れておけ」
部屋を出て行こうとするアンジールに、ザックスは慌てて声を掛ける。
「ア、アンジール、あのさっ」
「ん、何だ?」
振り向いた彼の洗いざらしの髪の毛が揺れた。いつもは緩めの整髪料でまとめられているが、今は額に煩くない程度に前髪が散っている。洗い馴染んで柔らかくなったコットンのシャツに、ラフなカーゴパンツ。片付け中の汗拭きのためだろう、バックポケットにタオルが無造作に突っ込まれていた。いつもはソールの頑丈なブーツに包まれている素足は、爪が綺麗に切り揃えられている。
何でもない普通のオフの日の格好なのに、見惚れてしまう。蒼い瞳が静かに自分を見つめている。今はあの厳しさも激しさも姿を潜め、ただひたすらに穏やかで優しい蒼。その奥にほんの僅かだけ憂いの色が浮かんでいる事に、ザックスは気付かない。自分を見つめるアンジールに胸が切ないようにきゅんとした。
「えっと……ん、ごめん……何でもない」
「そうか? まぁ、何かあったら呼んでくれ。向こうの部屋にいるから」
小さく手を振ってアンジールは部屋を後にした。ザックスは床に広げたファイルと共に、ひとり残された。おもむろにボックスの底に横たわるファイルを引っ張り出した。番号の類いは振られていない。この一冊だけだから。
「……別に、隠してる訳じゃないんだけどさ」
表紙を撫でるように触れて、開く。そこにはアンジールの写真が貼られていた。何となく恥ずかしくて、隠すように入れておいた事を思い出す。
ページを捲る毎に、大小様々な切り抜き記事が丁寧にスクラップされている。それはファイルの全ページを埋める事なく、半分より少ないくらいを残していた。
「集め始めたのは、あんたの演習に初めて出てからだから……、あんまり数がないんだ」
広報紙のバックナンバーをチェックして、可能な限り現物を集めた。神羅の一般市民への広報活動として雑誌に記事が載ったりしている時は、本屋へと急いだ。講義や演習で直接会う事があるのに、なのに気付けばせっせと集めていた。勿論、セフィロスやジェネシスと比べるとメディアへの露出は少ないし、地味だ。でも、だからこそ、ごくたまに彼が紙面で大きく取り上げられていたりするととても嬉しかった。
セフィロスは自分の中では変わらずに「英雄」だ。でも、自分が目指したい人、尊敬する人は気付けばもう、いつからかアンジールになっていたのである。
そして、それが淡い恋心にも似た感情を伴っている事に気付き、嬉しくなると同時に戸惑った。
でも、あの日。
差し出された彼の手を掴んだ瞬間、戸惑いも不安も何もかもが、まるで霧が晴れるかのように自分の中から消え去ったのだった。それからは、彼の記事を集めるのを止めてしまった。もう、いつも側にいるから。
アンジールの姿も仕草も言葉も、彼のすべてをザックスは自分の心の中に丁寧にひとつずつ綴っていく。
「このファイルの事は、多分ずっと……内緒」
ザックスはファイルを大事に胸に抱いた。
* *
『しかし、何ともみっともないな』
不要となった古布類を纏めて紐で縛りながら、アンジールは小さく溜息をついた。先程から頭の中には、ファイルを捲りながら目を輝かせていたザックスの顔ばかり浮かんでいる。
「やきもち、とはな」
「誰が? んで、誰に?」
「ッ!!」
肩越しに振り返ると、いつの間にか部屋の入り口にザックスが立っていた。起き上がろうと思ったら、背中に勢いよく負ぶさってきてバランスを崩し、思わず前のめりになりかける。
「コラッ、急に危な……っ!」
「やきもちって、誰が? もしかして、」
「何でもないっ!」
ザックスを引き剥がそうとしても、首筋に両腕を回されているのでさすがに容易ではない。焦れば焦るほど明確な返答をしているようで、アンジールは早々に諦めた。
「別に隠さなくてもいいのに……」
「…………」
この時のアンジールの観念したような表情を、ザックスは残念ながら見る事はできなかった。抱き付いてくる腕の力がふと弱まった。そして唐突に、
「アンジールが、大好きだ」
「あぁ」
「大好きだから……俺はいつか、あんたを超える。必ず」
「ザックス……」
アンジールはゆっくりと振り返った。そこには真剣な眼差しのザックスがいる。碧い瞳がまっすぐにアンジールを見つめていた。
「今の俺の目指す先には、あんたがいる。でも、いつか必ず超えてみせるから……だから……」
その先の言葉を紡ぐより先にザックスはアンジールに唇を塞がれ、力強く抱き締められた。胸の奥が熱い。
「俺に追い付いて、追い越せ。その先の世界を見ろ。お前ならできる」
「うん……」
その暁には、あの大剣をお前にやろう。
アンジールとザックスはお互い、静かに熱く誓い合った。
* * *
辺りが薄闇に包まれ始めた。群青と橙が混ざり合う空には、薄雲がたなびいている。日中とは異なる虫の声が、遠慮がちに響き出す。時折吹く静かな風に乗って聞こえるその鳴き声に、何故だか無性に切なくなる。蚊遣りの香りが鼻腔を掠めた。
素焼きの皿に載せた麻幹が小さく燃えている。そのいくつもの赤い点はまるで呼吸をしているようで、じっと自分を見つめているように感じた。目を離せず、そのまま違う世界へと引きずり込まれそうになる。ザックスはしゃがみ込んだまま、思わず目を閉じた。瞼の裏に残る、小さな赤。
庭の手入れが行き届いているとは言えない。さすがに彼のように上手くはできなかった。ふたりで植えた幾つもの植物は、自らの逞しい生命力で増えたり減ったりを繰り返している。
「…………」
何かを決めたように一度だけ小さく頷いて、ザックスは手元に置いていたファイルをおもむろに手に取る。そして表紙をゆっくりと開いた。久し振りに目にする彼の姿は、今の自分よりもずっと若い。思わず小さく笑ってしまった。
スクラップしてあるすべてのページを確認するように捲ってから、中身を一枚取り出した。紙質の差だろう、切り抜きによっては周囲が薄茶色に変色しかけているものもある。
「漸く、決心がついたんだ」
そして、麻幹の燻る皿の上へと、そっと投じた。一ヶ所に火が付くと、薄い紙はあっという間に燃える。ザックスは途切れさせないように一枚、また一枚と切り抜きをファイルから取り出しては、火の中へと投じる。
白い煙が細く静かにゆっくり、天へと昇っていく。見上げた空にはもう星が瞬いていた。
「すべては、心の中に……それでいいよな?」
誰にも知られたくないから。自分だけがその存在を知っているものを、ザックスは今この世から物理的に完全に消し去る作業をしている。それは同時に、自分の心の中にその存在を永遠に焼き付けさせる作業でもあった。決心したはずなのに、いざこうして実際に行ってみると、思っていた以上に切なくて苦しい作業だった。
アンジールさえも知る事のなかった、自分だけのファイル。あの頃の甘く切ない思いも一緒に綴じたファイルだ。
最後の一枚は、紙焼き写真だった。同じ色の制服で彼と一緒に写った、たった一枚の写真。
「俺の中に、全部ある」
その瞬間、写真がザックスの指先から離れて小さな炎の中へと落ちる。雑誌の切り抜きより紙が厚いので、すぐには燃えない。だがやがて、紙の縁に小さな炎が燃え移り、全体へと広がりだす。
ザックスはすべてを見届けるため、炎から目を逸らさずに見つめ続ける。彼が愛した碧い瞳の奥に、幻想的に映り込む赤い揺らめき。やがてその瞳が透明な膜に覆われたと思ったら、それが自らの重さに耐えきれず滴となってポロリとこぼれ落ちた。一滴がこぼれ落ちると、それを合図にしたかのように次から次へとこぼれ落ち、乾いた砂地に幾つもの点を描く。
「……ッ……ぅ、」
ひとり小さく啜り泣く声に、虫の音が重なる。しゃがみ込み、微かに震える背中を包み込むように緩やかに風が吹く。ザックスの頭を撫でるように髪の毛が揺れた。天の星々が優しく見つめている。
涙を拭いもせず、ザックスは空を見上げた。無数の輝く星、何て遙かな。昇りゆく細く白い煙に乗って、彼の元へ行けたら……。
ザックスは泣きながらも、微かに笑った。薄闇だけが見た、それは綺麗な笑みだった。
20130826