029.抱きしめる


 「何、だって?」
 その報告に、均整の取れたジェネシスの顔が歪んだ。手にしていたカップが小さく震える。その様を見て、報告に来た2ndは背筋に冷や汗が伝う思いだった。隣に座っていたセフィロスが、見つめていた携帯端末から静かに顔を上げた。限りなく無表情に近いが、その瞳に微かな驚きが見て取れた。
 英雄が静かに声を発する。
 「それで、詳細は?」
 「至急ソルジャー司令室へ、との事です!」
 「早くそれを言えっ! チッ、ラザードの奴っ!!」
 ジェネシスがテーブルの上にカップを叩きつけるように置き、バサリと音がせんばかりに真紅のコートを派手に翻した。それとは正反対にセフィロスは小さく息を吐くと音もなく立ち上がり、緊張と少しの恐怖の余り直立不動でいる2ndに声を掛ける。
 「すまない。報告、ご苦労だった。自分の任務に戻ってくれ」
 「は、はいっ!! 失礼いたします」
 セフィロスは流れるような動きで、すぐにジェネシスを追い掛けた。


 * *


 その場から一瞬、すべての音が消えた。突然ぽっかりと、無へと通じる穴が開いたかのように。その無音を破ったのはジェネシスだった。
 「重、体……だと?」
 「あぁ。その第一報が入った直後、君たちを呼びにやった。今日に限って個人通信システムのメンテナンス中とはね」
 複数のモニターに目を走らせながら、ラザードは難しそうな顔でそう告げた。各個人に渡してある携帯端末は、本日早朝よりネットワークの緊急メンテナンスに入り、一時的に使用不可となっているのだ。
 「ラザード、それは確かな情報なのか?」
 セフィロスは双眸を細めた。
 「間違いなく確かな情報だ。外傷が酷いらしくて、何でも利き腕が……」
 ラザードが眉間に大きく皺を寄せて、彼らしくない表情で押し黙った。
 「あいつの利き腕が何だっ? さっさと言えっ!」
 マテリアを発動させんばかりの気迫でジェネシスがラザードに迫る。そんな友人を制止させるかのように、セフィロスがぽんとジェネシスの肩に手を置いた。
 「アンジールはどういう容体なんだ」
 「利き腕の上腕を噛み砕かれたそうだ。鋭利な牙で腕は持って行かれる寸前、骨は切断されて今は筋組織などでかろうじて繋がっているような状態らしい。傷口より体内に細菌が侵入後、血液の流れに乗り全身に移動。彼は現在、意識がほぼない状態との連絡だ」
 「衛生班がいるだろっ? 回復マテリアの類いはどうしたっ?」
 「既に衛生班の処置では限界なんだ。それに、高度な回復マテリアを使える者が現場にいない。いるならばアンジール本人だ。どうやらその彼自身が意識を失う寸前に、自分自身に回復マテリアを発動させたそうだが……」
 ジェネシスは何か言いかけたが、小さく舌打ちするに留まった。そんな彼をちらりと見たラザードは、キーを軽やかに叩きながらひとりのソルジャーの名を挙げた。
 「2ndのザックス・フェア。勿論、君たちも知っているね?」
 「あの仔犬には黙ってろっ!! 面倒な事になるに決まってる」
 突然の仔犬発言にラザードが些か面食らったような表情で僅かに首を傾げる。セフィロスが「気にしないでくれ」と小さく頷いた。
 「面倒な事、とは?」
 「あの仔犬はアンジールに懐いてる。この事態を知ったら、動揺して騒ぎ出すに決まってる。暴れ出したあいつは面倒この上ないんだっ! だから、暫く事実は伏せておけ」
 「しかし、そうもいかないんだよ」
 手袋に覆われた指を組んで手の甲に静かに顎を乗せたラザードは、考えるように目を伏せた。
 「そうもいかないとは、どういう事だ? ……もしかして、」
 長い銀髪が音もなく揺れる。セフィロスに向かって、ラザードはご名答と言わんばかりに頷いた。
 「アンジール本人が書面に書いているんだ。自身の身に何か起こったら、ザックスへすべて知らせてくれ、と」
 この瞬間、ジェネシスは頭の奥がまるで沸騰するかのようにカッと熱くなった。後頭部がじわりと痺れる。一瞬、視界が歪んだ。
 胸の奥にこみ上げてくる怒りや悲しみを含んだ複雑な感情。認めたくなくて、でも認めざるを得なくて、ジェネシスは瞳の奥に悲痛な色を浮かべながら唇を噛んだ。
 これは、嫉妬だ。
 幼い頃から今まで共に切磋琢磨して歩んできたのに、たかだか出会って一、二年ほどの2ndにお前はすべてを託すのか?

 自分のすべてを託すのか? 決して俺ではなく、あいつに。

 「……ッ」
 拳をギリギリと握り締める。全身の皮膚がゾワリと逆立つようだ。今にも目の前のすべてを切り刻んで、灼熱で燃やし尽くしてしまいたい衝動を抑えるのに必死だった。
 不意に背中に何かが当たった。それがセフィロスの掌だと分かるまで、物凄く時間がかかったような気がした。白い掌はジェネシスの背中を叩くでもなければ撫でるでもなく、ただ掌をそっと触れさせているだけ。しかし、たったそれだけの事が、ジェネシスの中に渦巻いていた醜い感情をいつしか霧散させた。
 「セフィロス……」
 ジェネシスの声に何も答えずも、掌にはそっと力が込められた。
 「ラザード、今すぐザックスを呼べ。もし……あいつが暴れ出したら、俺が止めてやる」
 「あぁ、よろしく頼むよ」
 ラザードは手近にある受話器を掴み取った。


 *


 『何だろう、急な呼び出しって……』
 頭に幾つもの疑問符を浮かべながら、ザックスは走る。建物内は原則走ってはいけないけれど、緊急の場合は例外だ。歩き慣れたはずの廊下が妙に長く感じる。走っても走っても、ソルジャー司令室にたどり着けないような気がした。
 「ザックス・フェア、入りますっ」
 滑らかにドアがスライドした。微かに息が上がって、前髪が少しだけ乱れていた。
 教官から「至急、ソルジャー司令室に来い」との連絡を受けて、敷地内の端に位置する室内演習場から駆けてきた。自分が何故呼び出されたのか、ザックスにはまったく見当が付かなかった。何かヘマでもやらかしただろうか。でも、それだったらまずアンジールに呼び出される。そのアンジールは二週間ほど前から遠征に出ていて不在だ。
 自分の教育係でもあるアンジールとは、密かに恋仲だった。自分の一目惚れだった。初めて会った瞬間に、恋に落ちてしまった。別に猛烈にアピールした訳でもなければ、積極的にアタックした訳でもない。大体、そんな事できる訳なかった。憧れの1stで、先輩で上司で、そして同じ男で。
 それなのに、気付けば互いの気持ちは通じ合っていた。そして、アンジールに「お前は分かりやすくて恥ずかしいくらいだ」なんて言われてしまったのだ。どうやら自分の一挙一動に、「あんたが好き」が滲み出ていたらしい。そんなつもりはなかったのだけれど。
 目の前のデスクに、ラザードが座っていた。横にはセフィロスとジェネシスがいる。ザックスの胸の奥で、たった今、小さな波が立った。
 「急遽呼び出してすまないね、ザックス」
 「いえ……あの、何でしょうか」
 波が、ひとつ。ふたつ。
 「君はアンジールが遠征に出ているのは知っているね」
 「はい、勿論。アンジールは俺の教育係だし……」
 答えながらも、胸の奥に小さな波が次々と現れる。それらが次々と繋がって大きくなる。何か、嫌な気がする。
 「そのアンジールが、遠征先で重症を負った」
 「え……」
 まるで足元の床に深い穴が開いたように、一瞬体がふわりとした。そして、落ちるようだった。
 ラザードの声が急速に遠のいてく。代わりに、耳の奥でドクドクと鼓動が煩いくらいに鳴りだした。
 『アンジールが重症? ソルジャーで重症って、何だそれ? 回復マテリアとか、あるのに……』
 状況を説明しているラザードの声が聞こえているのかいないのか、ザックスは放心したように立ち尽くしていた。その様子を見て、ジェネシスは胸がムカムカしてくる。ああは言っても、いっその事、暴れてくれれば良かったのに。ギリギリと握り締められる拳を、セフィロスは無言で見つめた。
 「……そういう訳で、現在ミッドガルへ向け、ヘリで緊急搬送中だ。感染症を防ぐために面会は謝絶だが……、君には面会する権利がある」
 「権、利?」
 「自分の身に何か起こったら、ザックスにすべて知らせてくれと、アンジール本人が書面に書いているんだ」
 突如、いつぞやの記憶がよみがえる。

 『それって絶対書かないといけないの?』
 『絶対ではないが……』
 『何か嫌だよ、それ。縁起悪い』
 『縁起が悪いも何もないだろう。書かないよりも書いておく、それだけだ』

 「そん、な……まさか……あっ、ぁ……ぅ」
 ザックスの脚が小さく震え出す。今漸くすべての状況を辛うじて理解したものの、同時にそれを認めたくなくて心身が事実を拒絶しようとする。嘘だと叫びたいのに喉をきつく掴まれたようで、まるで声が出てこない。
 「ザックス……、!!」
 セフィロスの目の前を鮮やかな深紅が擦り抜けた。何事かと呆気にとられた瞬間、室内にパンッと乾いた音が響いた。ジェネシスの掌がザックスの頬を叩いていた。
 「握り拳じゃなかった事を有り難く思うんだな……。何やってるんだ、さっさと行けっ!! あいつが呼んでるなら、今すぐ行けっ!!」
 遠退きかけていた思考が引き戻される。そして、叩かれた頬の痛みよりも、ジェネシスの悔しそうに歪んだ表情にザックスは胸が痛んだ。あぁ、そういえばこの人は、アンジールと幼馴染みなんだっけ……。
 「ザックス、今すぐ行くんだ。医療センターに直結しているヘリポートだ。場所は分かるな?」
 セフィロスが淡々と説明する。後ろにいるジェネシスを気にしつつも、「すまない」と告げる彼も何処か苦しそうだった。
 「あ、うん……」
 黒いコートが翻る。
 「ラザード、当該部署のすべてに連絡は行き届いているな」
 「勿論、大丈夫だ。緊急連絡通路を現時点で使用可能にした。2ndの君でもロック解除される」
 「さぁ、行くんだ。そして、あいつの様子を教えてくれ」
 「う、ん……分かった」
 「さっさと行けっ!! このバカッ!!」
 ザックスは歯を食いしばって、ヘリポートに向かって駆け出した。


 * *


 ストレッチャーに乗せられたアンジールがヘリから降ろされ、待ち受けていた医療センターのスタッフに引き渡される。ザックスはその後を追って、緊急処置室へ入った。脈拍がどうのとか、体温がどうのとか、叫び声にも似た様々な指示が部屋の中を飛び交う。設備を除けば、前戦の救護テントと何ら変わりはないのだろう。とてもじゃないけれど近付く事ができず、ザックスはただただ離れた場所から見守る事しかできなかった。薄いブルーのカーテンで仕切られている向こう側が、物凄く遠くて、そして怖かった。
 ヘリに同乗していた衛生班からの簡単な説明では、到着寸前にアンジールは意識を取り戻したらしい。ただ、腕が……もう、どうしようもないとかで。
 処置台の上で、蒼い瞳がうっすらと開いた。
 「アンジールさんっ?! 分かりますかっ?」
 医師やスタッフが覗き込んでくる。どうやら自分はミッドガルに帰還したらしい。負傷した利き腕が痛みよりも燃えるように熱くて、まるで燃え尽きようとしているかのようだ。もう一度目を閉じたら、自分はこの世界に戻ってこれなくなりそうだった。
 「あ、あぁ……クッ……、ザックスは、いる……、か?」
 「はい、来ているはずです。待ってて下さい。今、呼びますから」
 「頼みが、あるんだ……。少し、だけ……、彼と……ふたりに、して、くれないか」
 「アンジールさん……」
 「頼、む……、少しで、いいんだ」
 顔面は蒼白で、息も絶え絶え。今にも再度意識を失ってしまいそうなのに、その有無を言わせぬ強い視線に医師は無言で頷く事しかできなかった。その場にいたスタッフを一時的に外へと出す。
 「ザックスさん、いますかっ?」
 医師の呼び掛けに、ザックスは返事をして手を挙げた。スタッフ全員の視線がザックスに注がれる。
 「アンジールさんが呼んでいます。しかし……、外傷が酷い事を予めお伝えしておきます」
 その瞬間、ザックスは自分の唾を飲み込む音が物凄く大きく耳に響いた。背筋を冷たいものが駆け抜ける。
 静かに小さくカーテンを捲って、中へと足を踏み入れた。床の上に血に濡れた布らしき塊が幾つも落ちている。処置台の上にアンジールが仰向けになっていた。周囲にはありとあらゆる機械が置かれ、それらから伸びたコードやパイプの一部が彼へと繋がっている。
 ザックスはアンジールの右横に静かに立った。横たわる彼の肩から上腕にかけて緑色の布が被せてあったが、一部が赤黒くなっていた。下膊はまるで別の物体のような色をしている。
 「アンジール……、アンジールッ!!」
 「ザックス……か? 心配、かけたな」
 久し振りに会った彼の姿を見て、堰を切ったように涙がこぼれ落ち出した。両の碧い瞳からボロボロと絶え間なく溢れ出るそれは、アンジールの頬に止めどなく降り落ちる。その様を見て、アンジールは小さくすまなそうに微笑んだ。
 「アンジールッ、腕……腕が……っ」
 凄惨な現場経験がまだ少ないザックスにとっては、布の下の状態を想像しただけで、しかもそれが恋人のもの、その事実に気を失いそうになる。しかしそんなザックスを知ってか知らずか、アンジールはザックスに残酷な命令を下そうとしていた。
 「お前、に……ひとつ、命令……だ」
 「命令? あんた、この場で一体何言い出……、」
 「俺の腕は……、切る……、それを、見て、ろ」
 「ッ!! い……、嫌だ……嫌だっ!! 何言ってるんだ、あんたっ。そもそも、切らなくても平気だろ? 繋げてマテリアでも何でも使って、元通りになるんだろ? ここにいる奴らが、全部治すんだろっ」
 本当は分かっている。この状態では、もう二度と彼の腕は元には戻らない事を。例え運良く繋がったとしても、もうあの誇り高く美しい大剣を握る事はできない事も。
 それでもザックスは言わずにはいられなかった。言えば、言葉にしてしまえば何とかなるのではないか。そんな都合のいい考えにさえも今は縋ってしまいたい。
 カーテンの外側に控えているスタッフたちは、涙混じりに叫ぶ声に何も言えなかった。自分たちは万能ではない。どれだけ医療や科学が発達しても、無理なものは無理なのだ。
 「すま、ない……、ザックス……もう、お前を、両腕で……抱き締め、る、事が……」
 アンジールが小さく咳き込んだ。喉の奥からガフッと苦しげな音がした。
 「嫌だっ!! アンジールッ……、わああぁぁっ!!」
 ザックスは泣きながらアンジールの胸元に覆い被さった。埃と硝煙、そして血の臭いが鼻腔に満ちた。


 * * *


 「……ッ!!」
 飛び起きたら、辺りは暗く静まり返っていた。目を凝らすと見慣れた部屋がぼんやりと浮かび上がってくる。
 「あ……あぁ……夢、か……」
 額を拭うと、手の甲がじっとりと汗ばんだ。鼓動が早い。
 酷く嫌な、夢だった。同時に、夢で良かったとザックスは深く安堵する。呼吸を落ち着かせようとしたら、背後からそっと抱き締められた。胸の前で交差した腕の温もりに思わず涙が出そうになる。
 「どうした、大丈夫か?」
 「ん……、起こして、ごめん」
 ザックスは体の向きを変えて、アンジールの正面から彼に抱き付いた。自分を抱き締める逞しい腕を何度も何度も確かめるように撫でては、肩口に頬を擦り寄せた。気付けば静かに涙がにじみ出ていた。
 「ザックス、一体どうしたんだ?」
 夜の真ん中。薄闇の中、優しい声がザックスの耳をくすぐる。夢の事は話さず、ザックスは「何でもない、平気」と言いながらただただアンジールに抱き付く。そんなザックスにそれ以上言葉を掛けるのは止めて、アンジールは腕の中の愛しい恋人のしたいようにさせた。
 どのくらい時間が経ったのだろう。じっとして動かないザックスが眠ったのだと思ってアンジールがそろりと腕を動かすと、もたれ掛かっていた体が小さく身動いだ。どうやら眠っていた訳ではないらしい。
 「なぁ……、アンジール」
 「ん……何だ?」
 「俺たちのこの腕は、何のためにあるんだろうな……。剣を握るため、かな」
 「……そうだな。だが、」
 「……何?」
 アンジールの両腕がザックスを力の限り抱き締めた。多少息が苦しくても、ザックスはあの夢で感じた苦しさに比べると何でもなかった。
 「俺のこの腕は、お前を抱き締めるためにある。お前を守るためにある。例え剣が折れようと、世界のすべてが敵になろうとも……この腕だけは、お前を離さない」

 抱き締めるためだけ、に。

 ザックスは声を上げて泣いた。しゃくり上げる度に、アンジールがあやすように頬を擦り寄せた。
 ふたり、目の前の彼のすべてが、今どうしようもなく大切で愛しくて堪らなかった。




 20130807