「クソッ」
小さく悪態をついた。俺らしくもない。
暑さ寒さにはそれなりに強い方だと思っていたが、やはり南国産まれで南国育ちのこいつには暑さでは勝てないのか。
さすがに少し頭がクラクラしてきた。
荒い呼吸音を響かせながら、アンジールは目の前のザックスの首筋を伝い落ちる汗を荒々しく舐めた。
海の味がした。
* *
それは唐突にやってきた。聞き慣れない音と共に。
バチンッ
部屋の中に音が響いたかと思ったら、部屋の電気が消えた。非常用のオレンジの照明のみがぼんやりと部屋を照らし出す。まるで目の前に橙色のセロファンを貼り付けられたかのようだ。微かに響いていた空調の音も消え、室内の空気の流れが止まる。
「……停、電?」
ザックスは手元の資料ファイル、表紙には「重要文書・禁帯出」と大きくラベルが貼られている、をそのままに、思わず天井を見上げた。
「どうやら、そのようだな。何かあったのか?」
部屋の中に設置されているコンピュータはモニターを黒くして沈黙を守っている。アンジールが移動して、コンピュータの近くの壁に触れる。指先で微かな凹凸を探ると、そこをおもむろにスライドさせた。中から接続口らしき物が現れる。
「何、これ……」
不思議そうな顔でザックスが覗き込む。アンジールは手の動きをそのままに、「よく見て、覚えておけよ」と言った。
コンピュータに接続されているコードの一本を抜いて壁に現れたの接続口に差し込む。するとコンピュータから、微かな起動音が聞こえ始めた。緊急時、非常時のみに利用が可能となる回線である。普段は壁に触れても何も現れないが、先のような事態と判断されれば使用可能となるのであった。
それでも、必要最低限の事しかできないのだが。
「なぁ、誰が触っても出てくるの? それ」
アンジールの隣からザックスが興味津々に壁を覗き込む。何だかまるで仔犬のようだ。
「あぁ、そうだ」
「でも、誰でもって危険じゃない?」
「この部屋に入る事が出来る者は、限られているだろう? だが、良く気付いたな、その通りだ。念のために、指紋認証装置も組み込まれている」
この部屋に入室が可能となった者は、この部屋のセキュリティシステムに、自分が届け出している指紋を自動的に登録される。
ここは神羅ビル地下五階に位置する資料保管庫の中、更に奥に設けられている特別保管室である。
資料保管庫には現用期間を過ぎた書類などのデータが、現時点で利用可能なあらゆる記録媒体に保存されて保管されている。言わば、神羅のすべてを、その存在自体を後世に伝える役割を担っている場所と言っても決して過言ではない。
万が一ここが消滅すれば、神羅の歴史が消滅する事と同義である。当然その事態を避けるために、各地に同様の保管庫が支部として存在しており、常に互いをバックアップし合っているのだった。
データは膨大な量にのぼるが、比較的利用頻度の高い一部の文書類は紙媒体で保管されている。よって、ここには沢山のファイルが棚に所狭しと配架されていた。アンジールとザックスは、次の任務を遂行するにあたって必要な資料を探しに来たのだった。所謂、「調べ物」だ。
黒いモニターにカーソルが点滅したと思ったら、緑色の文字がつらつらと表示されだす。
「ふむ……一時的な電力不足だそうだ。どうせ、科研か何処かが実験で高出力したのだろう。届け出る事になっている筈なのに、まったく」
アンジールはぼやいた。似たような事態は今までも度々起きていた。「予測しがたい事態」や「想定の範囲外」、果ては「更なる進化のために」などを大義名分として、科研が実験で停電を起こす事は度々あるのだった。
使用する実験機や機械が大量の電力を必要とする時は事前申告を義務付けられているのだが、変わり者が多くて知られる科研がそんな事を一々申告する筈がないと専らの言われようである。
しかし、彼らも好き放題やっている訳ではない。それなりの成果を上げてくるのだ。要は無茶を行っても結果が伴っているので、結局上層部も科研に対してペナルティ的な措置を行えないのである。
「復旧まで暫くかかるの?」
キャスター付きの椅子に座って、クルクルと回りながらザックスが尋ねる。横で「目が回るぞ」と言うアンジールの声はさらりと聞き流した。
「この調子だと……」
アンジールが情報が入る度に表示される文字を見ながら、時折キーを叩く。
「あぁ、暫くかかりそうだな。しかし、このままだとマズイな」
大して広くもない、寧ろ狭いくらいの部屋の天井をぐるりと見回す。一定の温湿度管理が原則となっている資料保管庫で、空調が止まるのは好ましくない。そして、ここは地下五階。しかも、特別保管室。
アンジールはハッと何かに気付いて立ち上がった。そして、特別保管室の重い扉の大きなノブを両手で回そうとしたが、それはピクリとも動かなかった。
「やはりそうか……何て事だ」
「もしかして、開かないの?」
まるでひっくり返らんばかりに背中を反らせたザックスがドアの方を見る。
「あぁ」
「普通、こういう時ってロック解除されるんじゃ……」
「電子ロックは解除されても、結局物理的に解除されないんだ、ここは。二重、三重くらいにはなっているらしいからな」
「何それっ!! いざって時……例えば今みたいな時って、内側から出られないのかよ?」
「そうみたいだなぁ」
「はぁ!? 信じらんないッ」
気付けば隣に立っていたザックスがギャーギャーと喚く。そんな彼には構わず、アンジールは冷静にこの部屋のセキュリティシステムを始めとする、改善要望を頭の中でまとめ上げていた。ここから出たら、真っ先に言いに行ってやると言わんばかりに。
「騒いでも無駄だ、ザックス。ここは防音・防水・防火が施されているといっても過言じゃないんだ。騒ぐとそれだけ酸素も減れば室温が上がるから、復旧するまで暫く大人しくしろ」
アンジールは分厚い壁に凭れ掛かるようにして床に腰を下ろした。無機質な床のひんやりとした冷たさが肌に伝わってくる。
「分かったよ……でも、俺たちがここに閉じ込められているって、外には分かってんの?」
「通信は一方通行じゃないから大丈夫だ、一応な」
「一応、ね……」
ハァと諦めの色を含んだ息を吐いて、ザックスはアンジールの隣にズルズルと座り込んだ。
* *
何故、こうなったのかアンジールには分からなかった。勿論、ザックスにも。今はただふたりで、その先の熱を求めるだけだった。
あれから狭い部屋はあっという間に室温が上がり、汗が肌を伝った。暑さ故、アンジールは制服の上着を脱いだ。汗をかきつつも、別段何でもなさそうな顔をしたザックスを横目に見ながら。
まさか、こんな展開になろうとは。
「マズイだろ、さすがに」
「だったら、早く……」
誰に聞こえる訳でもないのに、会話は自然と小声になってしまう。今更後戻りは出来ないと知りつつも、まだ完全に消え去っていない羞恥心と、今は勤務中だと頭の中で叫ぶ理性がそうさせているのか。
制服のズボンの前を緩めて座るアンジールの上に、下着までもを脱ぎ去ったザックスが僅かに腰を浮かせて跨いでいる。露わになっている互いの雄は、快感と熱を求めてあられもなく形を変えていた。
「オイ、よせ……」
「ヤダッ」
ザックスはかぶりを振ると、アンジールの制止も聞かず腰を落とした。
「フッ……、ぁ」
「……ッ」
己の先端がザックスの最奥に触れた瞬間、恐ろしい早さでアンジールの理性が焼き切れそうになった。すべてを持って行かれそうになる。熱い。そして、暑い。額から伝う汗が目の中へと落ちて、微かに沁みた。そんな中、目の前で顎を反らしているザックスと視線が重なる。
碧い瞳が熱に浮かされて潤みながらも、ギラギラとまるで凶暴さに似た何かを孕んでアンジールを見つめている。灼熱に碧が溶けて、まるで濃密な溶岩のように、ゆっくりドロドロと奥で渦巻いていた。耳に響くは、絶え間なく聞こえる熱い息遣いだけ。
それはほんの刹那だったのに、果てしなく長い時間のように感じられた。
ザックスが、じれったいくらいにゆっくりと瞬いた。アンジールは自分が堕ちる瞬間を知った。
*
体温が、室温が上がる毎に、ザックスはアンジールを掴んで離さない。声を上げる事なく、ただ時折飲みきれなかった艶めかしい喘ぎが宙に放たれ、霧散する。
ここが何処だとか、今がいつだとか、そんな事はもうどうでも良くなってしまって、ただひとつの場所にふたりで向かう。
ザックスの体を抱き締めて繋がった最奥を突き上げるアンジールから、汗が飛沫となって散る。
「う、ン……アンジ、ール……、ハァッ」
譫言のように名前を呼ぶザックスの唇を塞いで舌を吸い上げ、そのまま頬に唇を這わせながら耳朶を舐めた。首筋に鼻先を押し当てて息を吸い込むと、何だか海のような匂いがした。
そう、こいつは海の匂いがする。
絶頂が近いのかザックスの両脚が小刻みに震え始める。同時に、アンジール自身をぎゅうと締め付けて、アンジールは余りの快感に目の前が霞んでしまいそうになった。
「クソ……ッ」
何でこんなに暑いんだ。熱いんだ。頭がクラクラする。意識が朦朧としそうだった。あぁそうか、発汗によって体内の塩分が流れ出てしまったからか。そんな事を頭の片隅で冷静に思いながら、アンジールは目の前のザックスの首筋を伝う滴を噛み付くように舐めた。
それは、海の味だった。
飛び込んで、溶けてしまえ。
いつだって、望みはひとつだった。
ふたりで融点を超えたかった。
自分たちを包み込む熱さに、身も心も溶けて溶けて溶けきって。
ひとつになった自分たちの、今この瞬間を永遠に閉じ込めてしまいたい。
誰に知られる事なく、ひっそりと、でも確かに存在したこの熱を永遠に残して。
* *
止まっていた空気が微かに流れ始めた。オレンジ色だった照明が徐々に消えると、それと入れ替わるように通常の照明がゆっくりと段階的に点り始める。
システムの復旧を告げるアナウンスが、抱き締め合ったまま動かないふたりの耳を掠めた。忙しなかった呼吸は落ち着きを取り戻している。
「あ、ちぃ……」
「バカ、俺の方が暑い……お前は体温が高いからな。それに、いつまでもここままじゃいられない。さっさと片付けないと……」
「……ヤバッ!!」
ザックスが慌ててアンジールの肩口から顔を上げた。
「何言ってるんだ、今更。まったく俺とした事が、すっかり流されてしまった」
何やらブツブツと言っているアンジールに「あんたも満更じゃなかったじゃないか」と思いながらも、ザックスはアンジールの頬に唇を押し当てた。ほんの少しの文句と、溢れ来る思いを込めて。
互いから体を離すと、触れ合っていた肌に空気が当たってひんやりとした。床は所々、卑猥な白濁色に濡れている。ふたりは暫し無言で自身の身なりを整え、ふたりの何やらで汚れたその場を元に戻した。妙な充足感と浮遊感、そして自分たちの行動に対する少しの後ろめたさと呆れ。羞恥。
「なぁ、アンジール」
「何だ? あぁ、もうほぼ完全に電力が来ているな」
モニターを覗き込みながら、背後からの呼び声に返事をした。ザックスは制服を整えながら、少し前まで自分の爪を立てていた広い背中を見つめる。
「あんたってさ」
「ん?」
「……海の、匂いがするのな」
そう言って、笑ったあいつの顔が。
20130730