それは、必然だったのだ。
出会う事も、恋する事も。
* *
「いやに人が多いな」
アンジールは神羅ビルの上階にある1stのみが使用可能なラウンジの窓から、カップに注がれたコーヒーを手に敷地内を見下ろした。建物に囲まれた中庭には、足早に通り過ぎるソルジャーや一般兵、職員や研究員に混じって一般人と思われる人の姿がいつもより多い。圧倒的に男性、しかも十代後半くらいの若い者が多く、その誰もが回りの人の流れに乗り切れず行き場に困って、まるでクラゲのように漂っているみたいだった。
「今日から適性試験が始まるからな」
アンジールの背後、肩越しにセフィロスがチラリと窓の方に視線を遣る。彼の動きに合わせて小さく揺れる長い銀髪は、窓から差し込む陽光を受けて滑らかに煌めく。
「そうか、今日からだったのか」
「忘れていたのか? お前らしくないな」
ジェネシスがまるでからかうように、でもそれは彼なりの幼馴染みへの親しみを込めた感情表現だった、小さく笑いながらジェネシスはアンジールの横へと立つ。見下ろした中庭は相も変わらず人で溢れている。ジェネシスは小さくその目を細めながら、まるで品定めをするかのように若者たちをじっと見た。そして、ぽつりと呟く。
「今年は地味な奴らばかりだ。何故もっと自己表現をしないものか……」
「お前は自己表現が過剰すぎるんだ」
幼馴染みが纏う真紅のコートを見て、アンジールは小さく肩を上下させた。いつものコートと似ているが、微妙に細部のデザインが異なるような気がするのは恐らく気のせいではない。どうやらまた新調したらしい。
およそ一ヶ月に及んだ遠征から帰還、簡単なバイタルチェックを受け、少し前に報告書と各種データをラザードに提出してきたところだ。報告書といってもこの時点で出すものはあくまでも簡易的なもので、本格的な報告書はこれから作成しなければならない。これからオフに入るといえども、こなさなければならない仕事があるのは正直頭が痛い。
「もう少し詳しく聞きたいところだが、君も疲れているだろうから後日で構わないよ」とのラザードの言葉にすっかり甘えて、アンジールは早々に司令室を後にした。まったく以てこちらの事を良く理解してくれる有り難い上司だ。
漸く解放され、このまま真っ直ぐ自宅まで帰るつもりだったが、何となく気の向くままにラウンジに足を運んでしまい今に至る。
『一週間後かと思っていたら……。そうか、今日からだったのか』
アンジールはまだ湯気の立ち上るカップに口を付けながら思った。決して適性試験の日を忘れていた訳ではない。一ヶ月遠征に出ていたから、神羅の事務暦と自分の中の曜日感覚、それと実際の暦とが合致しなかっただけだ。それは例えれば時差惚けに似ているかもしれない。アンジールにとって滅多にない事だが、今回はその「滅多にない」が起こってしまった。それは先の遠征がそれほどのものだった事を如実に物語っている。
「書類審査をかけても、まだこれだけ残っているのか?」
ジェネシスはコートを翻す。どうやらシルエットを確認しているようだ。
「あぁ、そうらしいな。審査が甘いのか、今年は優秀な人材が多いのか……どちらにしても、余りに数が多いと困るのは俺たちだな」
「その通りだが、それも仕事のうちだ。致し方あるまい」
アンジールのまるで諦めたような口調に、セフィロスはその薄い唇に小さな笑みを浮かべた。
ソルジャー志願者はまず二回にわたる書類審査にかけられる。ここでその大部分が落とされるのだが、今年はパスした者が多いようだった。書類審査に通過した者は、次に神羅ビルで行われる適性試験を受ける。この試験は筆記試験だけではなく、基本的な身体能力等を確かめるために実技試験も行われる。それが今日これから三日間かけて行われるのだ。所謂泊まり込み、合宿形式で行われるのでこうして多くの若者が敷地内に溢れているのである。
「この調子だと呼ばれるな」
試験の進行状況によっては1stに試験監督や実技の審査役等の役割も課せられる。なるべくなら回避したいところだが、こればかりはどうしようもないのであった。
「あぁ、急な出撃でもあれば別だが……、そろそろ時間か」
セフィロスがおもむろにラウンジの壁に掛けられている時計を確認した。
「任務か?」
「いや……」
「なら何だ?」
いつもならそのまま受け流すジェネシスが、珍しく食い下がる。セフィロスは表情を変えずに淡々と言葉を紡ぐ。
「……被験者役だ。ヴァーチャル・システムでのモンスターとの戦闘で、俺とモンスター双方のデータが欲しいらしい。次のアップデートをかける際に数種追加したいらしいな」
「セフィロス、それは本当にヴァーチャルでやるのか……」
ジェネシスがその双璧を細め、射貫くようにセフィロスを見た。幾筋の銀髪の隙間から覗く瞳が無言でジッとジェネシスを見つめる。その冷たさはまるで爬虫類の瞳のようだった。ふたりの間の空気が張り詰める。アンジールは視線を窓の外に向けられながらも、聞こえてくるふたりの会話に小さく眉を顰めた。
ジェネシスは勿論、自分だって気付いている。ここ最近、施設の地下にあるヴァーチャル・システムを搭載した大型の実験室が頻繁に稼働していると。この実験室は科研が直接管理していて、滅多な事では使用されない。ソルジャーの通常トレーニングに使用する事なぞ、まずあり得ないのである。それに厳重管理されバイオハザードマークが表示された廃棄物を積んだコンテナが、人目を忍ぶようにひっそりと地下の特別搬出入通路から運び出されるのを、任務から帰還したジェネシスがソルジャー専用通路を通っている時に目撃している。
アンジールは思う。ヴァーチャル・システムは使用していないのでは、と。実験室では科研によって遺伝子操作で生み出された、新たな未知のモンスターとセフィロスを戦わせているのではないだろうか。自分たちの開発研究や実験のためなら時として危険を顧みず、強引な事も行う科研の性質は、上層部も頭を悩ませている。しかし、実際は何も言えず、黙認していた。それは科研がそれなりの研究結果や成果を出してくるからであり、よって毎年多額の年度予算を要求されても上層部はノーと言えないのである。
決して口数が多い訳ではなく、自分の事について話す事を滅多にしないセフィロスから真実を聞き出すのは容易ではないだろう。しかし、それなりに危険を伴う実験を行っている事は明らかだ。
妙な沈黙が三人の間に漂っていた。
「セフィロス……」
それまで黙っていたアンジールが口を開く。振り返って歩み寄り、セフィロスの肩に掌を置いた。
「近々、食事でもしないか? ジェネシスも……久しく三人で会っていなかった事だし」
「アップルパイを作れ」
ジェネシスは腕を組みながら言った。まるで人にものを頼むような態度ではないが、そこは幼馴染みの仲で承知済み。アンジールは「分かった。じゃあ、場所は俺の部屋だな」と笑う。
「どうだ?」
アンジールはセフィロスに問い掛けた。
彼の事を「感情の起伏が極端に乏しく、無表情でターゲットを殲滅する姿はまるで悪魔のようだ」と言う者がいるが、そんな声を耳にする度にアンジールは「本当の彼はそうではないのだ」と胸の中で呟く。確かに恐ろしいくらいに強く、任務を遂行する際の迷いの無さには無慈悲ささえ感じられる。しかし、それとは相反する位置に、まるで子どものような無垢故の危うさに似たものを彼は持っているのだ。それはまるで、鳥籠の中から出た事がなく、大空の自由と世界の面白さを知らない鳥のように。
アンジールはセフィロスが「向こう側」へと行かないように、「こちら側」へと引っ張る。素直に表現しないが、それはジェネシスだって同じだ。無機質な空間の中でまるで機械のようにただひたすらに刀を振るい、モンスターだった夥しい数の残骸と弾き出した数値を重ね続けるセフィロス。彼に「それがすべて」だと思わせないように。狂気じみた研究者たちの意のままにならぬように。
「食事、か……いいな」
「何かお前が食べたいものがあれば作るぞ」
セフィロスは僅かに首を傾けて、ジッと考える。そして、ぽつりと呟いた。
「……シチュー」
アンジールの顔に笑みが浮かぶ。
「よし、分かった。よく煮込んだシチューを作ろう。そしてアップルパイもな」
ソルジャー・クラス1stの中でも特別且つ圧倒的な存在感を放ち、ある意味神羅の看板・広告塔的な役割を果たしている、勿論その事が本人の意に沿っているとは言い難い者もいるが、その三人が顔を突き合わせて話し合う姿はまるで悪戯を企む子供のようだった。
「シチューはビーフだ。ビーフに限る。アルコールの調達は俺に任せろ」
「セフィロス、ビーフでいいんだな?」
「前に一度食べたやつはビーフなのか?」
「あぁ、そうだ。じゃあ、久し振りに肉の直売所に行くか。ジェネシス、買う本数を考えろよ。お前はいつも無駄に買いすぎる」
口ではそう言いつつ、三人がそれなりの量を飲むので足りなくなるよりいいかと思ってしまう自分は、すでにこの食事会をとても楽しみにしているのであった。
「では、直近でいつにする? 俺はこれから暫くオフだから、いつでも構わないが」
「合わせる」
「ジェネシス、お前は?」
「今、確認……」
予定確認のために携帯端末を操作するジェネシスと、ぼんやりと外を眺めるセフィロスを見ながら、アンジールは何だかとても嬉しくて堪らないのだった。
*
ラウンジでジェネシスとセフィロスと別れた後、アンジールは珍しく私服に着替えて帰宅の途へとついた。建物内を歩きながら、時折かけられる声や挨拶に応える。幾つもの渡り廊下を抜けると、やがて妙に廊下が静まり返った。
『あぁ、この棟は試験本部となっているのか』
自身が受験した頃を久し振りに思い出しつつ、廊下の角を曲がったら何かと勢いよくぶつかった。
「ワッ!!」
「おっと!」
見ると、目の前にひとりの青年が額を押さえながらうずくまっている。制服や兵服を着ていないところを見ると、適性試験の受験者だろう。しかし、試験本部が置かれている棟は立入禁止の筈である。警備や誘導係は一体何をやっているのだろうか。
「おい、大丈夫か?」
「すみませんっ!!」
青年は慌てて起き上がった。アンジールを見上げ、碧みを帯びたやや大きめの黒色の瞳が慌てふためいて何度も瞬きをする。
「受験者か?」
「はいっ! えっと、」
握り締めて皺くちゃになっているプリントを忙しく広げ、敷地内の地図を確認する。その間、アンジールはさり気なく青年を見た。背中には洒落たデザインのバックパック、服装はカジュアルだが決してラフになり過ぎていない。足元のブーツは愛用の品なのか皮が良く馴染んでいるのが見て窺える。
「この棟は試験本部で、立入禁止だぞ」
「えっ、ホントに?! 俺、ここに行きたいんですけど……」
青年が示した箇所はB棟。ここはA棟なので、青年が目指しているのは隣の棟だった。同じ形の棟なのでどうやら間違ってしまったらしい。しかし、建物正面の入り口には意匠を凝らした「A」と「B」の文字が大きく書かれているのだが。
「目的の建物、B棟は隣の棟だ。ここはA。同じ形なので間違ったんだな」
「マジで?! って、俺、急がないと……有り難うございましたっ!!」
青年は大きくお辞儀をして駆け出そうとした。
「バカッ、そっちじゃないっ!!」
初対面、しかもどう見ても年下の者にいきなり「バカ」と言ってしまった自分に驚き呆れながらも、アンジールは青年を呼び止める。
「え?」
クルリと振り向いた青年がアンジールを見つめる。きょとんとしたその表情が思いの外幼く見えて、それがアンジールの「世話好き」な部分をくすぐった。
「こっちだ、付いてこい。そっちに進んでも、連絡通路はないぞ」
「え、あれ? ……はいっ!!」
青年は自分を振り返りつつ廊下を歩き始めた大きな背中を追い掛けた。
「凄い……あれって、」
目の前を行く彼の蒼い、それでいて不思議と鮮やかな緑色に発光しているかのようにも見える瞳が目に焼き付いて離れない。
「魔晄の、瞳……」
小さく呟くと、胸の奥が俄にドキドキした。目の前には憧れて止まない、魔晄の瞳。それは即ちソルジャーの証。自分もそれを得るために、遠路遙々ここに来たのだ。
興奮と感動、そして緊張。青年は早足で歩きながら、知らず知らずのうちに拳をギュッと握り締めた。
*
「あれがB棟だ。時間は大丈夫なのか?」
建物の入り口には「試験会場」と立て看板が設置されている。建物周辺には受験者らしき人影は疎らだ。試験開始時間が迫っているのだろう。
しかし、アンジールの心配を余所に、青年は慌てている様子もない。それどころか、アンジールをじっと見つめている。
「どうした? ほら、行かないとマズイだろう?」
「あ、あのっ!!」
「何だ?」
「俺、ザックス・フェア。絶対ソルジャーになる!! だからっ、」
どんな言葉を紡いでいいのか分からない。この高揚した気持ちを表す術が上手く見つからなくて、もどかしい。ただただ、頬が紅潮している事だけは間違いないだろう。
「えっと……だからっ、」
アンジールは何故自分がそんな事をしたのか、分からなかった。
気付けば、ザックスと名乗った目の前の青年に手を伸ばしていた。
掌に、サラリとした髪の毛が触れる。
「頑張れよ、ザックス」
「うんっ……っと、はいっ!!」
「さぁ、もう行け」
アンジールは腕時計を見ながらザックスを促した。ザックスは建物に入る寸前に一度だけ振り返って、アンジールに向かって大きく右腕を振るとそのまま建物内へと姿を消した。
再び、自分の周りが静まり返る。暫しその場に佇んで、建物を見上げた。
「ザックス・フェア、か」
あの希望と夢に満ちてキラキラと光る瞳。手を振りながらの笑顔は人懐っこく、年相応でありながらも何処か幼い印象さえ感じられた。
「しっかりやれよ」
彼ともう一度会える事を期待しながら、アンジールはその場を後にした。
* *
「なぁ、アンジール。明日から適性試験だって」
「もうそんな時期か……一年は早いな」
自分の隣に横たわる体を抱き寄せるようにすると、自ら体を擦り寄せてきた。
「俺、ちゃんとソルジャーになったよ」
「あぁ、そうだな。あそこで宣言した通りだな。そして俺は、そんなお前とどういう訳かこういう仲になってしまったんだな」
告白は自分からだったのか、彼からだったのか。どちらにしても再び出会ってから恋仲になるまでに、然程時間はかからなかったのである。
「しかし俺はある意味、教え子に唾を付けてしまったようなものだなぁ」
自分に呆れたような、それでいて少々わざとらしく軽めの口調で言ったものの、アンジールの予想に反してザックスは笑わなかった。それどころか、切なそうな目をしながら、
「……後悔、してるの?」
「バカだな、そんな訳ないだろう? ……冗談でも、悪かった。もう言わない」
「ん……」
すん、と鼻を啜りながらきゅっと抱き付いてくるザックスを、アンジールは愛しさを込めて抱き締めた。
自分と同じ「魔晄の瞳」となってから、より碧さが際立つようになったその瞳から僅かに溢れた涙を吸い取って、そっと「好きだ」と囁く。
ザックスは無言のまま、アンジールに抱き付く腕に力を込めた。
* *
それは、必然だったのだ。
出会う事も、恋する事も、何もかもすべてが。
20130503