ピッ。
『おはよー。ちょっと寝過ごした。遅れないように急げ俺っ!!』
ピッ。
『お疲れ様。食堂めちゃくちゃ混んでる腹ヘッター』
ピッ。
『システムトラブルで待機中。眠くなってきたマズイ』
ピッ。
『こんばんは。今日も疲れた明日も』
「頑張る、っと……」
ザックスの指先が細やかに携帯電話のキーを押す。本文入力は完了したものの、最後の最後で送信ボタンが押せない。
「…………」
暫し小さな画面を睨む。
「あーぁ、俺も意気地ねーなぁ……」
小さく息を吐いた。メールはそのまま保存されて、いつものように未送信扱いとなってしまった。ザックスは枕元に携帯電話を放って、ベッドに体を横たわらせた。
「近い将来1stになる逸材」と素質と実力と努力を見込まれて、一ヶ月前からこの自分に教育係が就く事になった。担当は1stのアンジール。英雄セフィロスやジェネシスと比べると地味で寡黙、それ故目立たないが背中に背負う大剣が印象的な人物だ。
そんな彼から連絡用のメールアドレスを教えて貰ったのが三日前。連絡用と言っても業務専用のものではなく所謂私的な、プライベートなメールアドレスだ。恐らく、「仕事以外の事でも何かあったらいつでも連絡しても構わない」というアンジールなりの気遣いなのだろうと思う。現に教育係が就くという事は、公私を含めてかなりの時間をその担当者と共に過ごす事になる。要するに師弟関係を結ぶような形になるので、教える方も教えられる方も、両者共にそれなりの覚悟が必要になるのだった。
幸いな事にザックスはアンジールの指導に慣れ、日々任務や訓練に励んでいるのである。昔から年配者や年上の先輩には、何故か可愛がって貰える。年上ウケが良いのである。本人は決して「いじられる」キャラクターではないと思っているが、端から見るとあれは「いじられている」とする友人たちもいる。その辺りの真相は定かではない。
さておき。ザックスにとってアンジールは少し年の離れた兄のように感じる部分もあって、ひとりっ子の彼にとってはなかなか楽しい日々なのである。最初の挨拶を済ませた後にアンジールから「敬語は不要だ」と言われたので、それ以来ずっと友人と会話する時と同じように話している。
そんなアンジールから受け取ったプライベートなメールアドレスなのだが、いざメールを送ってみようとすると、どういう訳か躊躇ってしまうのである。本文は特に重要な用件でもなく、当たり障りのない内容だ。逆に言えば、この「何でもない特に急を要さないメール」を果たしてアンジールに送っていいのもだろうかと、ザックスはメールアドレスを貰ってからこの三日間悩み、本文を書き終える度に送信ボタンを押すか否か躊躇っているのである。未送信メールは増えるばかりだった。
「…………」
天井の一点を見つめていたザックスは思い立ったように再び携帯電話を手にすると、クルリと体を反転させ俯せになってメール画面を開いた。
「この時間だと、もしかしたら寝てるかもしれないし、起こす羽目になったらマズイだろ……。でも、寝る時はサイレントに設定してるかもしれないよなぁ。これ、仕事のアドレスじゃないし」
掌に収まる小さな画面には先程書いた本文が表示されている。
『こんばんは。今日も疲れた明日も頑張る』
「『今日も』って、もう昨日だっての、あーもうっ!!」
どうして、たかだかこんな何でもないメールに一喜一憂しているのだろう。メールを打ちながら、期待と不安で胸の奥が少しキュンとする。でも、心躍る。それなのに、送信できない自分が酷くもどかしくて打ち拉がれる。あぁ、我ながら何て厄介な。
ザックスは自分でもとっくに気付いている。気付かないふりをしようとしたけれど、それは無理だ。
怖いのだ。
アンジールに何でもないメールを送った時、返信が来なかった時の事を考えると、怖いのだ。
自分でもどうかと思う。気にしすぎかもしれない。でも実際に返信が来なかったら、きっと自分が思っている以上にショックを受けてしまうに決まっている。
アンジールはザックスの何でもない問い掛けや会話にも、きちんと答えてくれた。「昨日、夕飯何食べた?」とか「これ知ってる?」とか、他愛のない話だ。時にはアンジールにしてみれば話の前後が分からないまま、ザックスが突然問い掛けてくる時もある。それはアンジールにしてみれば物凄く唐突で最初は戸惑ってしまったが、今はもうすっかり慣れた感じだった。
内心はどうだか分からないけれど、アンジールが面倒くさがらず鬱陶しがらずに答えてくれる事が、ザックスにはとても嬉しいのである。だから、何でもないメールを送っても返信が来ると思うのだが、もし来なかったらと思うと……。
「こんなの、初めてだチクショー!!」
ザックスは携帯電話を握り締めながら、枕に頭をグイグイ押し当てた。
馬鹿みたいだ。何を躊躇っているのだか。何事も「しない後悔より、して後悔」が信条なのにっ!!
「あーぁ……」
画面に表示されたアンジールのメールアドレスを眺める。もうすっかり覚えてしまった。何だか胸の奥が苦しい。
そう、もうこれは紛れもなく、「恋」だ。
ザックスの瞳が切なげに揺れ、瞼が静かに閉じられた。
あの人が、自分と同じように躊躇っているだなんて思いもせずに。
20130223