018.触れる


 「そこそこあるな」
 ベッドで横になっているザックスの腋窩から体温計を取り出したアンジールは、デジタル表示された体温をやや眉を顰めながら確認した。
 「何度?」
 「聞くと余計に具合が悪くなるんじゃなかったか?」
 「結局具合悪いから同じ」
 ザックスは少し唇を尖らせながら言った。
 「38.2度だ」
 「あー、結構あるなぁ。聞かなきゃ良かった」
 アンジールの「ほらみろ」の声は聞かなかった事にして、ザックスは自分の額を触った。熱があるのかないのかは、もう分からない。37度台前半の熱は時折出るが、それは大抵極度の疲労や緊張が原因となっているものだった。
 しかし、今回はそれらとは違っているようだ。久し振りの高熱に、さすがに頭がボーッとしている。頭部全体が何かにくるまれているようで、まるで水中にいるようにボワンとした感じがする。自分の声はともかく、話し掛けてくるアンジールの声も頭の中で反響する。眼球や瞼が熱を持って、瞬きするのも重たくてどことなく億劫だ。
 「さすがに頭痛がするだろ。救急に行くか?」
 この時間ともなると、ビルに併設されている医療センターの診療窓口もさすがに閉まっているが、救急は24時間フルオープンだ。だが、運び込まれる患者のレベルが違う。任務中の事故や戦闘で負傷した者など、要するに一刻を争う状態の患者ばかりである。だから、さすがに単なる熱で訪れるのは気が引けてしまうのだ。寧ろ、一般診療時間内に出直してくれと言わんばかりだ。
 ザックスはベッドの中で怠そうに身動ぎながらアンジールを見上げた。
 「嫌だ、行かない。薬飲んで、明日行く」
 「そうか、分かった。夕食後から少々時間が空いているが、飲んでおけ。今持ってくる」
 アンジールは返事を待たずに寝室を後にした。僅かな時間をおいて、水が入ったコップと薬が載ったトレーを持ってアンジールが戻ってくる。ザックスはベッドの上に体を起こす。薬を受け取ろうとした手の中に、わざわざシートから取り出された錠剤が転がる。
 『それくらい、自分でできるのに……』
 アンジールの世話焼きは今に始まった事ではないけれど。ザックスは胸の中で小さく笑いながらも有り難く思う。口内に入れた錠剤は味を確認する間もなく、水で喉の奥に流し込まれた。
 「ふぅ……、ありがと」
 コップを手渡したザックスは再び横になろうとした。さすがに起きているのが辛いようだ。アンジールは枕を整えてやりながら、ザックスの額に手を当てた。
 「ひんやりして、気持ちいい」
 「それだけ熱があるんだ。額を冷やした方がいいな。ちょっと待ってろ」
 再びアンジールが寝室を後にする。世話焼きの彼の本領発揮と言ったところだ。しかし、ザックスはちゃんと分かっている。
 アンジールがどれほど自分を心配してくれているかという事を。
 瞼を閉じれば、すぐに眠気が襲ってくる。体が鉛のように重たい。少し寒いように感じるのは、自分に熱があるからだ。ザックスはブランケットを引き上げた。


 * *


 ザックスの瞼が小さく震えて、碧色の瞳がうっすらと姿を現す。熱に浮かされながらのその一連の動作は、何処か危うげなものを孕みながらも、不思議と無垢な清らかさを漂わせていた。
 「…………」
 目の前にはアンジールの顔があった。
 「大丈夫か?」
 「ん……。俺、寝て、た?」
 「あぁ、戻ったらもう寝ていた。熱があるんだ、無理もないさ」
 ほんの数分の間にザックスは眠りに落ちていた。時間の感覚がおかしい。一分一秒が途轍もなく長く感じたかと思えば、刹那の如く過ぎ去ってゆくようにも感じられた。
 アンジールがサイドテーブルの上に洗面器を置いて、タオルを水に浸す。小さな水音がザックスの耳に心地よく響いた。
 「ザックス、ほら……」
 濡らしたタオルを額に当てるために、アンジールがザックスの額に掛かった前髪を指先で退ける。すると、その指先をザックスがそっと掴んできた。
 「冷たくて、きもちー……」
 きゅっと握ってくる指先は熱くて、アンジールは水を扱った自分の指先との温度差を思い知る。握り返すとザックスは嬉しそうに頬を緩めた。
 「ちょっと待て」
 アンジールはもう片方の手に持っていたタオルをサイドテーブルの上に置いて、もう一度手を水に浸した。そして軽く水気を切って、ザックスの額に静かに当てた。
 大きな掌から伝わる温かさを持った、心地良い冷たさ。
 「ん……」
 微かに発せられた鼻に掛かった声、まるで吐息とも言えそうなそれにアンジールは蒼の双璧を僅かに細めた。熱のためか小さく開かれた唇、色づいた頬や重たげな瞼も、何て悩ましい。
 『…………』
 「え、」
 影が降りて、アンジールの体温を近くに感じたと思った瞬間、唇がひんやりとした。キスされたと咄嗟に理解できなかったのは、熱の所為だろう。ただでさえ熱を持った頬が更に熱さを増したように感じて、それと同時に恥ずかしくて、ザックスは小さく唇を尖らせた。
 「うつ、る……よ」
 「それもいいな」
 アンジールは笑いながら、再びザックスの唇にチュッとキスをした。
 「ちょっ……いいなじゃ、ないってば」
 僅かばかりの抵抗を試みてアンジールの体を押し戻そうとするが、如何せん体に力が入らない。
 「俺にうつれば、お前が治る」
 そんな事を言いながら、アンジールはザックスの両頬を掌で包み込んだ。ひんやりとした冷たさと心地よさに、今のザックスは勝てない。観念して身を委ねるとアンジールは小さく、でも満足そうに笑った。そして、ゆっくりと口づける。舌先で熱い唇を割ると、口内は溶けそうなほどに熱い。歯列をなぞるとくすぐったそうな声が漏れ、熱い舌先が触れる。
 「ん……、ぁ」
 透明な細い糸がふたりを繋いだ。果てしないほどに長く感じられた口づけから解放されて、ザックスは微かに息を上げてくったりとベッドに横たわる。
 「も……、うつっても、知らない……」
 アンジールは嬉しそうに笑った。




 20121021