「ああぁぁ、足りないんだよ!!」
隣を歩いているカンセルが突然叫んだ。
「うわっ!! 何だよ突然、驚くだろ!!」
頭の中で昼食に何を食べようか考えていたザックスが、友人の急な叫び声に驚く。昼休みでフロアにはそこそこ人がいて賑やかだが、カンセルの叫び声は結構大きくて一瞬人々の視線を惹き付けた。しかし、それはまたすぐに散ってゆく。
ザックスはカンセルと午前中の講義を終えて、食堂へ向かって廊下を歩いていた。午後からは市街地へ任務に出るので、しっかり食べておかなければ体が持たない。
「足りないんだよ」
「だから、何が?」
食堂の入り口でIDチェックを受けて、トレーを受け取る。あれこれ迷っていたものの、結局ザックスは今日も「唐揚げかに玉丼」にした。
食堂のメニュー改善の為に、少し前から試験的に提供されているメニューである。ご飯の上にグリンピースや椎茸、ほぐした蟹の身が入ったふわふわの半熟卵焼きが乗っていて、その上から少し甘酸っぱくてとろみの付いたスープがかけられている。さすがにそれだけだとボリュームが足りないとされたのか、唐揚げもトッピングされているのである。試しに食べたら思った以上に美味しかったので、最近はもっぱらこればかり注文している。
味噌汁と香の物をトレーに乗せながらレーンに沿って進む。思ったより人がいないのは、遠征や任務で外に出ている者が多いのだろうか。
「はい、お待たせ。あんた、これ好きみたいだねぇ。唐揚げ、ひとつオマケだよ」
すっかり顔馴染みのおばちゃんがニコニコ笑いながら、カウンター越しにどんぶりを差し出してきた。
「やった!! ありがと。これ、通常メニュー入り希望な!!」
「提案しとくよ」
ザックスはレーンの最後でプラスチックのコップに入った水を取ると、窓際の席に着いた。トレーに乗ったどんぶりからは、良い匂いが漂ってくる。いつもよりひとつ多く乗せられた唐揚げに、ザックスは嬉しくなった。
「お前、またそれ?」
少し遅れて、カンセルが向かいの席に着く。彼のトレーには「双子目玉焼きハンバーグ定食」が乗っていた。知る人ぞ知る裏メニュー的な存在だ。
「美味しいからいいの。それより、お前こそまた双子かよ。コレステロール値が高くなるぞー」
「ガンガン肉体労働してるから、関係ないだろ。んじゃ、いただきます」
「いただきます」
ザックスは極自然に律儀に手を小さく合わせる。すっかり見慣れたこれも、彼の教育係であるアンジールの躾の賜物だとカンセルは密かに思っていた。
ふたりは暫し、食事に集中する。午後も予定が入っているので、ひとまず食べる。それにいつ何時、緊急召集が掛かるか分からない。食べられる時に食べておかなければ、食いっぱぐれる可能性も充分にあり得るのである。
「なぁ、お前……さっきから『足りない』って叫んでたけど……、何が足りないんだよ」
どんぶりの中身がほぼ空に近付いたところで、ザックスが改めてカンセルに問う。微妙にモゴモゴしているが、口の中に食べ物が沢山入ったままで喋らなくなったのもアンジールの躾の賜である。
カンセルの手が止まる。トロリとした黄身の付いたハンバーグが、フォークに刺さったまま宙を漂っている。カンセルはジロリとザックスを見た。
「何ってお前……『ときめき』だよ」
「ときめきぃ?!」
友人からの予想外過ぎる言葉に、思わずザックスは米粒を吹き出しそうになる。しかし、吹き出しはしなかったものの鼻と喉の間に米粒が入り込んで頗る気持ち悪い。ザックスは思わず箸を置いて水を飲んだ。
「ちょっ、お前、ときめきって……」
カンセルはハンバーグを急いで咀嚼して水を飲むと、ズイと身を乗り出してザックスを手招きする。ザックスも思わず身を乗り出す。ふたりが顔を寄せ合ってこんな風に会話をしているのは、日常茶飯事なので最早誰も気にとめない。
「こうさ、何て言うか恋のドキドキっつーの? 最近すっかりご無沙汰してるんだよね、こういうの」
「あー……」
この友人は気前も良くまめだし、女の子にもてて当然だと思うのだが、現実は難しい。付き合いまでは行くものの、どうにも続かないのだ。先の彼女には「会いたい時に会えないのは嫌」という、何ともし難い理由で別れを告げられたという。
確かに自分たちはある意味勤務が不規則なので、予定の急なキャンセルや変更はどうしても避けられない。だが、さすがにあまりの理由だ。この時は気が済むまで、それは結局夜を徹して朝までだ、付き合ってやった。
「あぁっ!! 俺はときめきたっ……、んんーっ!」
「おいっ、声デカいって!」
内容の気恥ずかしさと声の大きさに、ザックスは思わずカンセルの口を塞ぐ。彼はモゴモゴ言いながら大人しくなる。
「悪ぃ。でもさ、お前もそー思わねぇ? 最近、どうよ」
「え……っ」
ザックスはピタリと動きを止める。
「は?」
カンセルは目の前の友人を見て、唖然とした。動きを止めたかと思ったら、頬がうっすらと赤くなっている。頬ばかりか髪の毛の隙間から覗く耳までもが、微妙に赤いのだ。もしかして。もしや。
「おい、ザックス。もしかしてお前……」
「えっ、あっ……な、何だよ」
間違いない。この動揺っぷりが如実に表している。カンセルは悔しいと思うより、最早相手が誰なのかの方が気になって仕方ない。
「ザックス……お前、好きな奴がいるんだろ?」
「あー……、うん」
ザックスは恥ずかしがりながらも、素直に小さく頷く。
「おっ! 相手、誰? ちょっと前にほら、楽しそうに話してた受付嬢?」
「違うよ」
「じゃあ、公園にいたあの子? 以前、巡回中に少し話してたじゃん」
「違う」
カンセルは思いつく限りの人物を挙げたが、そのどれにもヒットしなかった。
「えー、あの子も違うのかよ。他に誰だ……」
「情報通」と言われている自分の中の情報網をフル活用しても、該当する人物がヒットしない。カンセルがあれこれ考えている間、ザックスはどんぶりの縁に残っていた僅かな米粒を綺麗に食べて、水を飲んだ。一口飲んではコップを置き、また手に取っては一口飲む。気付けばコップの中身はすっかり空になっていた。
ピピピ、ピピピ
突然、聞き慣れた電子音が鳴り響く。食事中ならば、そこで食事は中断の合図だ。ザックスとカンセルは各々、ズボンのポケットを探って携帯電話を取り出した。着信を知らせる音と共にランプが点滅しているのは、ザックスの携帯だった。
「はいはい、もしもし?」
ザックスが通話を始める。カンセルはその様子を、皿の上に残った人参のグラッセを口に放りながら眺めた。
「地区の変更? あぁ、分かった。りょーかーい」
『午後の任務の事か?』
ザックスの話し振りと内容から、どうやら彼の教育係であるアンジールからの電話のようだ。1stのひとりだが、真面目が服を着て歩いているような人だとカンセルは密かに思っていた。しかし、尊敬すべき部分は多々あって、2ndや3rdの憧れの存在でもある。
「うん、サンキュ! じゃあ、後ほどな」
ピッ
「…………」
ザックスは通話を終えても、手の中にある携帯電話を暫し見つめていた。その何ともいえない色を帯びている眼差しに、カンセルは銜えているフォークを思わず落としそうになる。
『おいおい……もしかして……』
「ザックス!」
「えっ?! なっ、何だよ急に、びっくりするだろっ」
ザックスは慌てて携帯電話を閉じたが、今のカンセルからしてみればそれさえも怪しい。ひょっとしてもしかして、待受画面が……。
グイと顔を近付けて、カンセルは声のトーンをやや落としてゆっくりと言った。
「お前、今……ときめいただろ」
「えっ……あ、」
ザックスの顔がパッと赤くなる。
「マジかよっ!?」
どうやら目の前の友人のときめきは本物らしい。顔が赤くなっている事を指摘すると、必死に「そんな事ない」と弁解するものの、残念ながらすればするほど「その通りです」と、肯定しているように見えてならない。
「午後の巡回地区、変更だってさ!! ほら、もう行かないとマズイ」
ザックスは話題を逸らすべく大袈裟に腕時計を見て、トレーを手にそそくさと立ち上がる。
『チェッ……』
この件についてもう少しザックスを追求したいところだが、正直時間が迫っているのも事実だ。「後で必ず」と思いながらカンセルもトレーを手に席を立ち、慌ただしくザックスの後を追った。
20120923