015.待つ


 別に短気ではないと思うし、どちらかといえば忍耐強い方だと思う。
 だからといって、全然気にしない訳でもない。
 年下だし、思いの外恥ずかしがり屋だし、だから待てばそのうち……とは思っているものの。
 正直、焦らされているようでどうしよもない。
 そろそろ、我慢も限界か。
 あぁ、ほらまた、そんな顔をする。
 何て罪深い奴なんだ、お前は。


 * *


 「ん、」
 紅茶の香りに包まれながら、ザックスは額にアンジールのキスを受けた。
 ローテーブルの上には、ガラス製のティーポットとふたつのカップ。小皿の上にはアンジールが焼いた手製のクッキーが少々。ザックスには「お茶を飲む」という習慣がなかったが、アンジールと一緒に生活するようになって、すっかり「午後のお茶」が定着した。
 休みの日、アンジールはきちんと紅茶を入れる。時々コーヒーの時もあるが、このところはすっかり紅茶だ。聞けば、新しく出来た紅茶専門店が最近のお気に入りらしい。オリジナルブレンドの紅茶を、つい先日もまとめて買ってきたところだ。
 「ザックス……」
 アンジールはザックスの体を抱き寄せながら、チュッチュッと何度もキスを繰り返す。額からこめかみ、瞼の上。その都度ザックスはくすぐったそうに身を捩って、嬉しそう微笑む。
 自分より少し高めの体温を心地良く感じながら、アンジールはその滑らかな頬に頬摺りをする。
 「フフッ……アンジール、くすぐったい」
 髭が触れてくる感触がこそばゆくて、ザックスは指先でアンジールの顎に触れる。
 「嫌か?」
 「そんな事ないよ。これ……もう、ずっとあるの?」
 初めて会った時からアンジールには髭が生えていたけれど、ずっと前からそうだったのだろうか。ザックスは素朴な疑問を口にした。
 「そうだなぁ……1stになった頃から、だったかな?」
 「何で?」
 碧い瞳が興味深そうにアンジールの顔を覗き込んでくる。澄んで綺麗な空色だ。
 「あぁ……、渋く見えるかと思ってな」
 「えー、それ本当?」
 クスクス笑うアンジールとは対照的に、ザックスは訝しげな表情になった。本当にクルクルと良く表情が変わる。
 アンジールはザックスの体を抱き締め直す。気付けば彼の体は、すっかりアンジールの膝の中という感じだ。
 「実はな、2〜3日続けてオフだった時に、試しに剃るのを止めたんだ。休み明けにそこそこ形を整えて出勤したら、何となくそのまま定着してしまった」
 「……結構、好評だったんだろ? 受付嬢とかに」
 「良く分かったな」
 「あー、やっぱり!!」
 悲しいかな男の性、女性に褒められて嬉しくない訳がない。しかし、それだけの理由ではなかった。1stになったから、何となく気分的にも一新したかったのだ。髪型を変えるように。
 「アンジール、格好良いもんなぁ……モテモテだよなぁ……」
 『おいおい……』
 知らぬは自分ばかりとは、まさにザックスの事である。彼は結構もてる。女の子うけが良いのだ。しかし、本人にはその自覚が殆どないようだ。街中を歩いていても、時々何処からか女の子たちが彼を見る時がある。アンジールからしてみればザックスは、所謂「今時」の青年で見栄えが良い。性格も明るいし、誰とでもフレンドリーに接する事ができる。彼が本気になれば、ガールフレンドなど引く手数多だろう。しかし、如何せん彼は自分の恋人なのでその辺りは胸中複雑、寧ろ別問題である。
 「俺はお前だけにモテモテでいいんだ」
 「もぉ……、ぁ」
 恥ずかしさで頬が熱くなる。そして、唇を甘く塞がれた。チュッと触れるだけの口付けでも、ザックスの心拍数が上がる。まだ慣れないのだ、この目の前の恋人との甘い戯れに。
 「なぁ、ザックス」
 「な、に?」
 アンジールがザックスの手を取る。そっと指先を絡めて、手を繋ぐ。ザックスが嬉しそうに微笑んだ。彼は手を繋ぐ事が好きなのである。
 「お前からはしてくれないのか?」
 「えっ……!?」
 目の前に、蒼の双璧。同じ魔晄の瞳の筈なのに、その色は自分とは異なる。深い海のような蒼色の瞳に正面から至近距離で見つめられて、ザックスは思わずどうして良いか分からなくなる。恥ずかしさの余り、いっその事目を閉じてしまいたい。
 「な、何……を?」
 聞かなくても充分分かっている。でも、聞かずにはいられなかった。アンジールは目の前のザックスの恥ずかしがりようが、可愛らしくて仕方ない。
 「何をって……決まってるだろう?」
 そして、もう一度口付けられた。心なしか密度の濃いそれは、水気を含んだチュッという事を響かせた。
 「俺はずっと待っているのだが……なぁ」
 事実、その通りだった。恋人同士になって一月半、アンジールは未だザックスからキスをされた事がないのであった。ザックス自身もさすがに申し訳ないと思っていたりはしたのだが、如何せん恥ずかしくてどうしようもない。自分の想像以上にアンジールが大人で、格好良くて、大好きで堪らないのだった。大好きで堪らないのに恥ずかしさの方が勝ってしまって、キスさえもできないなんて。
 アンジールはアンジールで、ザックスの純情さは見ていて恥ずかしいくらいである。最初に受けた印象とは大違いだ。しかし、どうやらそれはアンジールに対して強いようで、ザックスの友人たちから聞く彼の話とは少々異なる。ただそれはそれで、アンジールは何だか嬉しいのであった。
 「ザックス……」
 鼻先が触れ合いそうだった。アンジールが眩しすぎて格好良すぎて、ザックスは目眩がしそうになる。拳をギュッと握り締めた。
 「わっ、分かったっ!!」
 「おぉ、そうか!!」
 アンジールが若干オーバーアクション気味に笑った。彼のこういう笑顔は珍しい。ザックスは胸のドキドキが加速するばかりである。呼吸を落ち着かせて、心持ち体勢を整える。
 「あ、あのっ、そのっ……」
 「何だ? ……そんなに嫌、なのか?」
 胸を押さえながら深呼吸をしているザックスを見て、申し訳ないと思いつつ、そのあまりの緊張ぶりに内心笑ってしまいたい気持ちを必死に堪えて、アンジールは怪訝そうにザックスを見た。
 「そんな事ないっ!!」
 即答である。
 「目……、瞑ってくれよ」
 「分かった」
 アンジールは静かに瞼を閉じた。

 チュッ。

 一瞬、頬に柔らかい体温を感じた。初めての、ザックスからのキス。
 「あ、」
 「……ん?」
 目が合うふたり。ザックスは耳まで朱色に染めていた。恥ずかしさの余り、今にも逃げ出してしまいそうなザックスの体をアンジールがギュッと抱き締める。
 「わっ!! なっ、何」
 「いや、本当に可愛い奴だと思ってな……。あぁ、もう食べてしまいたいなぁ」
 ザックスにキスの雨が優しく降る。
 「アンジー、ル……、ふ……ぁ」
 唇で辿る肌は滑らかで、アンジールは時折わざとチュッと音を立てた。その都度、ザックスの体が小さく震える。
 『今度は唇に、な』
 アンジールは先程のザックスからのキスを思い浮かべながらクスリと笑った。
 「……んっ」
 何度も施されるキス。そのうち自分からもこんなキスを、と頭の片隅で思う。
 恥ずかしさとくすぐったさに身を捩りながらも、ザックスはいつしかアンジールの腕の中で甘く切なく体温を上昇させた。




 20120917