005.望む


 「はいはいはーいっ!!」
 大声と共にザックスは勢いよく挙手をして、椅子が倒れんばかりの勢いで立ち上がった。そして僅かな間を置いて、やはり椅子はガタンと音を立てて後ろへ倒れた。仲間が苦笑しながらも、椅子を元に戻す。
 「……ザックス・フェア、返事は一回でいい」
 教官がペン先の反対側でこめかみを押しながら、ザックスをジロリと睨んだ。当の本人は苦笑いをしながら、「すみません」と頭を掻く。
 「他に希望者はいないか?」
 教室をぐるりと見回しても、誰も何も言わない。ザックスはこのまま誰も立候補しない事を心の中で望んだ。
 「ひとりだと大変な作業だと思うんだが……」
 暗に「誰か手伝ってやる者はいないのか」と言っている、今のザックスにとっては有り難くも迷惑な教官の言葉に、誰ひとりとして希望者は出てこない。
 「他に希望者ゼロ、か」
 『よっしゃっ!!』
 思わずグッと拳を握り、小さくガッツポーズ。この瞬間、ザックス本人の望む通りに事は決定したのだった。


 * * *


 それから一週間後。
 今日一日がこれから暑くなりそうだと予感させる朝の日差しの中、ザックスはひとり、訓練用野外プールにいた。清掃用のブラシとホースを持って。
 このプールは、娯楽用も含めて複数あるプールの中で一番古い。古いといってもそれなりに設備は整っているが、さすがにあちこちに痛みもあり、古さは否めないのである。野外なので、プールサイドにはコンクリの隙間から雑草が生えている。周囲はフェンスに囲まれているが、そのフェンスも所々破れている。
 何故こんなプールをまだ使っているかと言えば、環境劣悪の水中訓練にもってこいなのである。任務では、時には濁りきって視界ゼロ状態の水の中を進まなくてはならない時もある。このプールは如何なる水中状況下でも、ある意味それなりの再現ができるのであった。
 その方法は少々アナログである。プールに直接土砂やゴミを投入するのである。機械による複雑なシステムを使用していない造りのため、早い話が多少乱暴に扱っても排水機能等に何ら影響はないのであった。ヴァーチャル・システムを使ってしまえば良いのであろうが、やはり実際に生身で体験する事は重要視されている。己の体に直接叩き込み、教え込むのである。
 ここでは水中での活動に特化した部隊があるけれど、基本的な事項は全ソルジャー必修だった。勿論自分も3rdの時に経験済みだ。水中装備は重たいし面倒だし、やはりどうしても体の動きを制限されてしまう。正直、あまり好きではなかった。
 このプールは加温可能なので季節に関係なく使用されているが、つい先日、大掛かりな訓練が行われた。その後片付けを任された、いや、自ら望んだのがザックスだった。プールの近くに寄って、中を覗き込む。
 「うっわ……きったねー」
 水は濁っている。底の辺りには泥が澱のように沈んでいるのが分かる。訓練当日はこの状態のプールを撹拌して、濁った水中を再現したに違いない。「手探り状態なんだよね」とザックスが自身の訓練時を思い出して、思わず呟いた。大きな岩や建材の類いは予め撤去済みと連絡を受けて、その点は正直助かった。
 「さてと、ぼちぼち始めるか」
 ポケットの中の鍵をジャラジャラと鳴らしながら、ザックスはプールの機械室へと向かった。その姿が機械室の扉の向こうに消えてから数分後。プールサイドに工場で鳴るようなブザー音が響き渡る。やがて、轟音を立てながらプールの水面がふたつに割れると、物凄く巨大な渦らしきものが姿を現わす。あの渦の先にはこれまた物凄く巨大な排水溝があって、吸い込まれたら一溜まりもなさそうだ。そんな様子を機械室から出てきたザックスがプールサイドから眺めているうちに、あっという間にプールから水がなくなった。
 防火用も兼ねたホースをずるずると引きずり出す。予め用意された清掃用のブラシとホースなんて、効率が悪すぎて正直使っていられない。
 「さてと……」
 腕時計を確認する。時刻は間もなく9時になろうとしていた。そろそろ、フェンスの先にある演習場に3rd達がぞろぞろと出てくる筈。訓練が始まる頃だった。自分のリサーチが間違いなければ、訓練の教官は1stのアンジール。
 ザックスにとって、実は最近ちょっと気になる存在だ。
 「天気も良いし、サクサク綺麗にするか」
 給水弁を解放する。手にしたホースに鈍い振動が伝わってくる。水がぐんぐんとホース内を流れてくるのが分かった。
 「ちゃんと褒めてくれるんだよね、あの人……ッ」
 誰に聞かせるでもない言葉が唇からこぼれ落ちた瞬間、ザックスは腕に力を込めた。
 勢いよく放水された水がプール壁を直撃する。水音の大きさからして、かなりの水圧だ。飛び散る水飛沫が自分に降りかかっても、そんな事はお構いなし。
 ザックスは今日最初の笑顔を青空に見せた。


 * *


 存在は知ってた。でも、特に気にしてなかった。俺にはずっと「英雄」しか見えてなかったからさ。
 だから、凄くがっかりしたんだ。だって、「急遽、教官が変更になった」とか言うんだもん。折角、あのセフィロスが俺たち2ndを直接指導する、それこそまるで奇跡みたいな事だって、何日も前から楽しみにしていたのにさ。
 当日の演習場に来たのは、セフィロスやジェネシスと良く一緒にいる1stのアンジールって人。
 話には聞いていたし、何度か遠目に見た事があるから知っていたけれど、真面目が制服着て歩いているような感じ。あと、正直……、地味だ。
 「急遽、本日の教官に入ったアンジールだ」って言葉に、がっかり。それまでのやる気が一気に下がっちゃったもんな。それを見透かしたかのように、「セフィロスじゃなくて、残念だったな」とか言うんだぜ。
 でもさ、背中に凄いの背負ってんだよな。初めて間近に見たけれど、凄かった。俺たちが使ってる剣なんかとは、全然違う!!
 俺、剣はあんまり得意じゃないけどさ、あの人が手本としてあのデカイ剣を振るうのが見たくて、結構頑張って訓練受けたんだ。
 勿論、何度も注意されて、何度もやり直しさせられて……。どういう訳だか、居残りみたいな事もさせられてさ。昼飯前の訓練だったから、先に終わった奴らは皆食堂行っちゃって。俺だけひとり、マンツーマン。
 「何で俺だけ」とか思った。何度も剣を構えて、振って。漸く「そこまで」の声が掛かって。そしたらさ。

 「お前、そこそこ良いものを持ってるな」
 「え……」
 「妙な癖が付いてしまってるから、今のうちに修正すれば、まだかなり伸びる」
 「うん……あ、はいっ!!」
 「ザックス・フェア、か」
 「はい……って、何で俺の名前……?」
 「名簿を見れば分かる。それにお前は、色々な意味でちょっとした有名人だ……っと、すまない、時間をオーバーしてしまったな」
 「いえ……、有り難うございましたっ!!」
 そしてあの人は、小さく笑いながらこう言ったんだ。
 「頑張れよ、ザックス」

 嬉しかった。何だか凄く、嬉しかったんだよね。
 それからは、あの人……アンジールに対しての見方が変わった。こういう言い方は生意気かも知れないけれど。
 セフィロスは俺の中で変わらずに「英雄」だけれども、同じ1stのアンジールの方が何て言うか……近い存在? マンツーマンで教えて貰ったからかもな。
 アンジールが訓練に教官として入らないか、期待しているんだけれど、現実なかなか上手くいかない。2ndより、3rdの訓練に入る事が多いんだよね。教え方が上手いし、多分……面倒見が良いからじゃないかな。じゃないと、あの時の俺にもあんな風に教えなかったと思うし。
 今日のこのプール清掃を引き受けたのも、アンジールが出る訓練を見られるから。ちょっと遠目になるけれど。それに俺、この作業そんなに嫌じゃないし。
 プールをある意味、独り占め。しかも、こんな事……滅多に出来ないしさっ!!


 そして、一筋の水流が青空に向かって一直線に伸びた。
 ザックスはホースを勢いよく真上に向けている。頭上を振り仰ぐと、太陽の光に反射して、透明な飛沫がキラキラと七色に乱反射する。ほんの僅かな間を置いて、まるでスコールのように降り注ぐ水をザックスは笑いながら全身で受け止めた。
 「すっげー、気持ちいいっ!!」
 飛沫のカーテン越しに見る演習場には、いつの間にか3rd達が集まっている。こちらの様子に気付いたらしく、何事かと様子を窺っているような感じだ。
 「あっ、アンジールだ!!」
 演習場に出てきたアンジールの姿を確認して、ザックスの頬が俄に紅潮する。ドキドキワクワクする。こんなにも、胸が高鳴るのは何故だろう。

 なぁなぁ、俺、あんたにまた剣を教えて欲しいんだ。
 もう少し、話してみたりしたいんだ。


 「何だ、あれはっ!! 訓練用プールの清掃は、一体誰がやってるんだっ!!」
 突如現れた水柱を見て、アンジールが声を上げた。怒鳴り声に3rd達が驚く中、彼は手元の小型端末で素早く担当者確認をする。そこに「ザックス・フェア」の名前を確認した瞬間、ゆっくりと肩を上下させた。それはまるで「仕方ないな」と言わんばかりに。
 「全く、あいつは……」
 あれから短期間の内に2ndに昇格したのは知っている。以前、訓練で剣を教えた時、直感的に「2ndへの昇格はすぐで、こいつは1stになる」と思っていたので、自分の予想通りだ。
 希望に満ちて光る碧い瞳を思い浮かべる。あの日から、忘れた事はない。いや、忘れられなくなってしまったのだ。
 何故だろう。この胸の奥を掴んで離さない、碧。
 「暫し、ここで待機するように」
 アンジールは3rd達にそう告げると、訓練用プールに向かって歩みを進めた。その足取りがいつもより何処か急いて見えたのは、気のせいではない。
 『アンジールッ!!』
 こちらへ向かってくる人影を確認して、ザックスはクルリと反対方向を向いた。ドキドキと胸が高鳴る。
 第一声は、何て言おう。無難に挨拶? それとも、名前を呼んでみようか。でも、その前に怒られるかもしれないな。
 自分に背を向けたザックスに、アンジールは怒るどころか小さく笑った。ザックスが、まるでいたずらが見つかった子供のように思えてしまったのだ。
 『さて、何と言ってやろう。プール清掃は感心するが、このままだと水の無駄遣いだな』
 「おいっ!!」
 『!!』
 アンジールの声にザックスが振り向く。正面から自分に向けられている眼差しは、待ち望んだもの。怒られるかと思いきや、その瞳はどこか優しい色を帯びていて、それがザックスの胸を一瞬でキュンとさせた。
 「アンジールッ!!」
 ザックスはとびきりの笑顔で笑った。水飛沫を浴びて濡れた髪の毛から滴が降り落ち、小さく光る。それは、アンジールの目に強烈に焼き付く。
 まるで、時間が止まったようだった。ただ、流れ続ける水だけが、確かに時間を刻んでいた。


 * * *


 今、ふたりが望む事は、ただひとつ。
 目の前の気になる人と、もっと話をしてみたいのです。




 20120512