彼の背中を見続けている。追いかけ続けている。
彼は決して立ち止まってはくれないから、彼との距離を少しでも縮めるためには、自分が追いつかなくてはならない。
沢山注意されて、叱られて、そして褒められて。汗も涙も、時には血も流して。歯を食いしばって耐え抜いた事も、一度や二度ではない。
少しずつ、でも確実に自分が1stへと近付いていくのと同時に、彼との距離も近付いて、縮まった。
それは心の距離でもあって、体の距離でもあった。
自分の胸の中にいつの間にか生じていた彼への淡い思いを、思い切って言葉にして伝えた。とても恥ずかしくて、ともすればその場から逃げ出してしまいそうになった。
結局それはお互いの思いを確認し合う事となり、彼の口から出た言葉に思わず涙が零れた。ただただ涙を零す自分を、彼はそっと抱き寄せた。優しい温かさが心地良かった。
恥じらいながらもお互いに触れて、すべてがゼロになった時、不安も怖さもなかった。ただ、安堵感だけだった。
肉体的な苦痛はやがて蕩けるような快楽へと変わり、羞恥は情欲を煽るすべとなる。
重なって溶け合いながら、ずっと探し求めていた、本来のあるべき形に戻ったような気がした。
お互いに追いかけ合って、高め合って昇り詰めた先には、何処までも果てしなく続くような、ただただ真っ白な世界が広がっていた。
* *
「あんたの事、追いかけて追いかけて、一生懸命追いかけ続けて……1stになれた。あんたと同じ、1stだ」
ザックスは自分の制服の胸元を掴んで、「同じ色だろ?」と見せるようにして言った。ほんの少し得意気に。
「なぁ……まだ……追いかけ続けても、いい?」
1st。自分は漸くスタート地点に立てた気がした。
ある意味、それは時間的なものだったり、経験的なものだったりするのだけれど、自分は決してアンジールを越える事はできないだろう。
彼と共に、前へと進み続ける限り。
それでも、いつか「彼を越える」、そのくらいの気持ちを持ち続けていたい。
それにしても、やっと追い付いたのに、また随分と離されてしまった。酷いなぁ。
「なぁ……追いかけても、いい? いいよな?」
確認するように、ザックスは「な?」と何度も尋ねる。そんなザックスに、アンジールは表情を変えないままだった。
「いいって、言って……言え、よっ!!」
思わずザックスは、握り締めた拳を強く地面に叩き付けた。一瞬、重いのに軽いような音がして、すぐに静けさが戻る。痛みなんて、感じない。
握り締めた拳からゆっくりと力が抜ける。そのまま、ザックスは一度ゆっくりと、大きく天を振り仰いだ。空が澄んで高くて、目眩がしそうになった。
視界がぐわりと歪みかけて、それと同時に前触れもなく突然沸き起こり、自分に襲いかかる空虚。酷く怖くて、ザックスは直ぐさま、崩れ落ちるようにアンジールに抱き付いた。
抱き締め返してくれない事が、悲しすぎた。
涙が出ない。その代わりに、胸が重く深く抉られる。
悲しみは痛み。
追いかけたい。追いかけたい、あんたの事。
今すぐ傍に、行きたいんだ。
隣で笑って、泣いて、抱き締めて、いたい。
ひとりだけで、そんなに遠くへ、いかないで。
行かないで。
逝かないで。
*
どれくらい、時間が経ったのだろう。今の自分には、時間の感覚が良く分からなくなっている。
ザックスは握り締めている指先の力を緩めた。
アンジールの体から静かに体温が失われていくのを、認めたくなかった。
でも。
もう、自分が触れている部分しか温もりはなくて、それも僅かにでも離したら瞬く間に消えていってしまう儚いもの。
「なぁ……」
アンジールの胸に頬を押し当てたまま、ザックスは呼びかけた。
「分かってる……、ダメだって事くらい……、あんたが許す訳、ないよな……」
ザックスは静かに微笑むと、瞼を閉じた。
やがて、押し殺すようなくぐもった嗚咽が、辺りに小さく響き始める。
それは、とても苦しい泣き方だ。体も心も引き裂かれてしまうような痛みを伴う泣き方。
それでも、ザックスの目縁から透明な雫が、漸く一滴零れ落ちた。
まるでそれを合図にしたかのように、ザックスは声を上げて泣いた。アンジールが愛して止まなかった綺麗な涙が、止め処なく零れ落ちては彼の冷たい胸元を熱く濡らした。
もう、追いかけることができない。
もう、追いかけることもできない。
もう、ひとり。
20120211